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病苦と親の干渉から解放されるには?

(1)病苦・医療に対する不満 夜中、親に殺される夢を見てガバっと起きて、それから1日中、心臓がバクバクいって恐怖に襲われる。死にたい衝動に駆られ、1日が終わると恐怖疲れ、死との戦いの疲れでボロボロ。かといって夜も休まらない。 医者は、恐怖とは、自分がゴロゴロしていたいために自分で作り出した言い訳と説明。しかし、一時、恐怖がなかったときには普通に動いていた。もし、ゴロゴロしていたいためだったら、身体が動いてもゴロゴロしているはず。そういっても何も答えない。 また、同様に、何をしでかすのか解らない、外出できないと言っても、外で狂犬がウロウロしているわけでもヤクザに命を狙われているわけでもない、それも自分で作り出したものだと主張。私としては、危害を与えられるのではなく与えるほうが不安だったのだけど。 それで外出し、理性の限界を超えて、(今になって思うと、後付の理論だけど)凶悪犯罪を犯すより捕まった方がマシと思って万引き。しかし、医者は「店の人は売り上げで生計を立てている」と小学生でも解ることを言うのみ。 恐怖の原因は、第(2)項に記すが、医者は、それを聞こうともしない。話し始めると、「親が子供のいに沿うのはオシメが取れる間だけ」と言う。過去が清算できない。なのでフラッシュバックは止まらない。薬も眠剤と"デパケン"以外止められる。 (2)親と叔父からの恐怖 氷山の一角ですが。(当方、1972年生まれ、42歳、男性、未婚、兄弟なし) 小学校のころから、親が決めた友達としか遊ばせない。TVはニュース番組も見せない。したがって、学校では、どのグループにも属せず話題もないので、仲間はずれ。「お前の親、気違い」とイジメに遭う。 親に決められた高校(当時から問題がある学校として有名だった"江戸川学園取手")に特待生として入れられる。親は、私を絶賛し東大に入れてみせると言ったこと、特待生という待遇に感激した様子。基本、うちの親は甘い言葉に弱く洗脳されやすい。 特待生は学校で8時間、家で6時間、机に向かわせるというのが高校の教育方針。しかし、学校では教師"大坪司郎"からイジメに遭って授業に出させてもらえず廊下で正座(正座させる理由・目が気に食わない)、授業に付いていけず。 そんな方針を守る親は、ほとんどいなかったのだけど、うちの親は、高校の言うことを効いていれば絶対に東大に入れると、夏は40℃を越える部屋に私を幽閉。見張りもしていて、机に向かっていないと殴る蹴る(殴る蹴るは子供のときから。母に殴られ、帰ってきた父親に殴られ)。 その手を振りほどいただけで「家庭内暴力だ」と110番。それが通ってしまうと、鬼の首を取ったように110番。一回、音信が不通になったので警察に安否確認を頼んだら、サイレンを鳴らしてきたわけでもないのに世間体が悪いと激怒。しかし私が不良であることをアピールするためには110番を辞さず。 未だに、その快感が忘れられないのか、こちらが110番するに値することをされて抗議すると、こちらが被害者でも110番するぞと脅す。今は、こちらも支配下にはないので、どうぞと言うと、ぐうの音も出ない。 精神病で入院後、精神病院で(!)大検を取ってから実家に戻るが、気違いがいるのは世間体が悪いと、再び虐待される。でも、予備校に通わせてはもらっていたので、この辺の私の記憶は怪しい。 1992年、専門学校"神田外語学院"を受験・合格し、存在を知っている唯一の親戚である叔父の家に逃げ込む。そのときは、叔父は私の味方を装う。父は、私に学費の借用証の提出を求める。ただし、金いくら也という普通の借用証ではなく、高校を辞めた反省文かつ嘆願書。屈辱的な文章を書かされた。 専門学校時代は学業に専念。金がなく片道10キロの道を自転車で通学。アルバイトもしていなかったので外食している余裕はなく、朝・夕は自炊。叔父が家に帰ってこなくなるが、わざわざ私の留守中に様子を見に来ている様子で、 「食器が、きちんと洗われているのは自炊しないで外食している証拠だ」 「警察が巡回に来た、お前みたいに怪しい奴がいるからだ」 などと難癖を付けられる。精神病回復、内風呂もなく銭湯通いも苦にならず。 専門学校入学時に私から付けた条件として、併設の大学への編入ができる場合は編入するというのを付け、3,000人中、3番の卒業成績を納め、叔父にも進学でよいかと確認を取り、学校には進学で届け出る。 しかし、また、叔父に 「勉強なんて嫌いなものに決まっているから、1日中、机に向かっているというのは何もしていないに決まっている」 「本当に覇気がある人間はアルバイトして遊ぶものだ」 と難癖を付けられ、学費を出してもらえず。 学期末に成績を見せていたのに、そのときは、そういう客観証拠を見ず、数年後になり 「お前、こんなに成績が良かったのか!」 と驚かれる。同様にアルバイトをしていないと判っているのなら外食している金がないのも判っているはず。客観視できない。 それから慌てて就職活動をしたが、それさえも支援する意欲がなく、リクルートスーツの代わりに自社扱いの"ヨージ・ヤマモト"のスーツで就職活動させられる。叔父には、神田外語なんて、他人に言えない学校だからだと責められる。ちなみに叔父は一浪して"東京経済大"。 就職先も、親と同じように、叔父が口を出し、乙仲(海運業者)に就職。残業、月、250時間。この業界では、当たり前のこと。しかし、叔父は「この業界は良く知っていて安心」なはずなのに 「普通の会社が新入社員に、そんなに残業させるはずはない、夜遊びしているに決まっている」 と言い、腕の骨が折れるまで家事をさせる。ちなみに、私には、家のメインテナンスなどを強いておきながら、今は廃墟にしてしまった。これも2軒目。新入社員で残業をしていないのなら夜遊びできる金がないという客観視は、当然、しない。 精神病再発、生まれて初めて自殺を企図する。会社を無断欠勤して鎌倉に死にに行く。しかし、現地の人の暖かい気持ちで生きる希望を取り戻し、復職。しかし、過労で退職。「生きているけれど過労死の認定基準を満たしている」とは労働基準監督署の弁。 これも、親は社労士なのに、関知せず。同様に、厚生省キャリア→社会保険庁へ天下りなのに、20歳時に年金加入の手続きがされておらず未納となっていた。ついでに20歳といえば成人式の案内状も見せてもらえず、そのくせ 「いい成人式だったんだって」 などと言う。同様に、昔の友達との連絡を一切断ち切り、精神病が悪化して出られなくなった42歳の今年になって初めて"Facebook"を通じて同窓会が定期的に行なわれていたことを知る。 休職中、丸の内の商社より貿易事務職としてスカウトされる。当然、大卒の総合職ではないのだが、変に気を良くして、母は私と共同名義のマンションを鎌倉を希望する私の意に反して高輪に購入(母の実家=叔父の家が麻布のため、その近所へということ)私の住まいとする。 当然、条件付きで、マンションの共同名義以外の相続は放棄しろと言う。また、共同名義であることを良いことに、私の留守中に上がりこむ。せがまれて買ってやったものも、気に入らないと、寓居の床に放り投げていく。 商社も退職し、ふたたび希望する職種へ転職しようとするが失敗。精神病悪化。地元総合病院に勧められたクリニック"恩田クリニック"に医療機関を変更(ここも多々あり)。そこで、院長、"恩田禎"医師に 「死ぬから早く仕事を辞めてください」 と言われ、障害基礎年金を受給し、足りない分を親が出すようにしてもらう。 親は、自分たちに非があると言われたためか、その医者を「最低のヤブ医者」と呼ぶ。2回目の自殺を決行。睡眠薬の大量服用。致死量の3倍らしい。1ヶ月、発見されず。皮膚が壊死。入院して植皮手術を受ける。親は手術立会いに来ず、医者が激怒。 その後、精神病が回復し、大手国際電話会社のオペレーターとして勤務。対人恐怖から来るストレスで半年で60キロ太る。1年半くらいで精神病で退職。このころの記憶がないが、盗癖が現れる。 病気療養後、その後、ふたたび丸の内の商社の、今度は系列のメーカーに勤務。写真の活動をしていたため、カメラの知識が買われる(しかし貿易事務職)。初年度は、病気での休職が認められたが、2年目は 「これ以上、会社に迷惑を掛けないでくれ」 と言われ、勤務歴、終了。 4年ほど前、癌で休職中のクリニック主治医に代わり、代診の医師"野村重友"に 「薬を減らしてあげる」 と持ちかけられる。そして、(毎年、決まって夏)病状が苦しいと告げると入院を勧められ 「親御さんに、ここに電話してもらって」 と電話番号を告げられる。 車に拉致され、武蔵野市にある"根岸病院"へ連れて行かれる。 野村医師は、親に向かって 「親御さんの思ったような人格にして差し上げます」 私に向かって 「親に絶対、服従するまで退院させないからな!」 と言います。そもそも、入院理由が 「部屋にカメラバックがあった。普通の家に、そんなものはない。」 恩田医師曰く、病気とは何も関係ない話。 任意入院なのに手紙や電話など、外部との連絡は一切禁止され、さらに、薬を減らされているはずが、発狂寸前になり夜も眠れないと言う状況。強制退院しようとしても、任意入院から強制入院に切り替えると言われる。 また、同じ病棟だけでも、恩田クリニックの他の患者さんが廃人になって、そこにいる。半年前までは一緒に酒を飲んでいた人です。私の知り合いと判ると、ナースステーションの奥の隠しベッドのようなところに拘束されるようになる。…。続く

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回答No.3

NO.2の続きです。 それで恐怖は、どのようにして生じているのでしょうか。 暴力が行われたとき、暴力そのものに関しては、すぐに恐怖に変わる、というわけではないと思います。それが恐怖に変わるのは、その暴力が、日常的に繰り返され、そしてしだいにエスカレートしてゆくだろう、とあなたが想像したときではないでしょうか。 なぜ、暴力は繰り返され、そしてエスカレートしてゆくのでしょう。…その背後に、ある種の「快楽」が潜んでいるからではないでしょうか。 では、その快楽は、いったい、どこから生まれているのか…。明らかに、暴力によって、2人の間に、ある種の「上下関係」が生じているからではないでしょうか。 我々は、暴力によって生じる、「上下関係」を楽しんでいるのだと思います。 では、もし、その暴力によって、「上下関係」が発生しなかったとしたら、いったいどうなるのでしょう。 対等の関係である二人の間に、果たして暴力は発生するのでしょうか? もし、暴力をふるう毎に、自分に何らかの不利益が跳ね返ってくるとしたら、暴力をふるうことに果たして快感を感じるでしょうか。 ですから、「無抵抗」である、ということが、かえって暴力を助長しているのかもしれません。 必ずしも、暴力に対して暴力で返す、という必要はないと思います。しかし、暴力を受けるとき、それをしている相手の顔、相手の表情が、いかにみにくくゆがんでいるかを、よく観察しておいてください。 相手のもっともみにくい顔をよく観察することによって、おそらく、上下関係は生じなくなると思います。

noname#230361
質問者

お礼

たびたびの御回答、ありがとうございます。 やっと(ほんの少し)正気を取り戻しました。実は昨日、堂々と立ち向かう覚悟で電話をしたのですが、やはり、恐怖で、すぐに目が覚めてしまい、それから恐怖に魘されました。 おっしゃることは、非常に的を得ていると思います。検証してみると、以下のようになります。 たしかに子供のときから恒常的に暴力は振るわれていましたが、それ自体、そんなに恐怖は感じていません(それもどうかと、自分の感性に疑問を持ちますが)。 それが今、ヒッチコックの「激突!」の主人公のような気分です。110番するぞと言われて「どうぞ」と答えてから、明らかに向こうは必死になり、エスカレートしていくのが判ります。 そして、仕送りをストップすると脅すのは、明らかに、自分の優位性を顕示したいがためだと思います。恐怖による支配の次は金による支配というカードを切ってきたのだと思います。 この前、笑いながら「金を送らないからね~」と言って来たときの口調は、サディストのそれ、そのものでした。昨晩のことを、再度、ガツンと言ってやろうとしたら逃げ腰になっています。 東京都の斡旋で、区の障害者福祉課に助けを求めました。今、少し冷静なのは、それが親から脱却できるチャンスと捉えられているのかなという気がします。

noname#230361
質問者

補足

昨日も知人を通じて脅迫があり、恐怖で身体が動かないのでケータイからです。父に、電話で、頭に来て怒鳴り付けましたが、そんなの知らない、といって切りました。叔父は、着信拒否。

その他の回答 (2)

回答No.2

こんにちは。一応、「病苦と親の干渉から解放されるには?(2)」の方まで目を通しました。 正直、ひどい親だと思います。人間として尊敬できる部分がひとつもない。こういう人間に育てられ、また頼らざるを得ないというあなたの現状に心から同情します。 親の支配から逃れる手段としては、やはり、第一には経済的に自立すること。それができなければ、できるだけ周囲に頼れる人を見つけること、世間を味方につけること、だと思います。これはやはり、あなた自身が地道に模索していく以外にはないかもしれない。人に聞くか、色々と調べてみるしかないと思います。 もう一つの問題である、病苦の問題、たぶん、幼少時、虐待を受けた親に頼らざるを得ない、何をされるか分からない、という現状がそのまま恐怖となり、あなたを日夜、苦しめているのだろう、と思います。 恐怖の問題は、かなり複雑だと思います。 (すいません、途中ですが、後でもう一度書きます)

noname#230361
質問者

お礼

身体が動かなくて携帯電話からです。 今、医者から帰ってきたところです。地元の自立支援センターの職員に付き添ってもらい、その間だけは安心していられましたが、家に帰って独りになったら、また、恐怖に怯えています。医者は、その恐怖は、今、ここにあるものではないと認識しなさいと言うのみでした。 質問文中にもあるようにFacebookで中学の同級生と繋がることができたのですが、あの親に、あの高校に入れられて気になっていたという友人でさえ、相談したら、話を聞くのが心苦しいといって離れていきました。弁護士をやっている友人に相談しても、いまさら過去の話をしても仕方がない、病気を克服して社会復帰して親を見返すことと言います。文中に書いたかもしれませんが、親との間を取り持ってやろうと言ってくれた人です。しかし、彼も、精神病で死ぬほど苦しいというのは信じられない、甘えていると言います。同情はしても、見方になってくれる人はいない。

  • hk8854
  • ベストアンサー率16% (138/839)
回答No.1

大体の貴方の置かれていた半生は分かりました。 その後の病状は如何ですか、、 まず、貴方の親御さんの異常なまでの貴方を束縛し虐待する態度は普通の一般的親が子に持つ感情とはかけ離れたもので一概には信じがたい思いです。 まず、現状回復の道は今迄置かれていた(置かれている)場所から脱出し、御両親 叔父さんから目の届かない場所で再就職・自活する道を選択すべきです。又、御実家には何事が起きても帰省しない覚悟を持って。 又、貴方も年齢的には良い歳だし、再出発はお出来になるはず。 夜、魘されて起き上がると云うのは貴方の文面から察すると今迄の精神的ダメージからの心の疲労から来るものだと思います。現在迄置かれていた場所から脱すれば精神的に楽になり解放され良く眠れる事でしょう。 今迄の生活から一刻も新たな生活で生きる事を切に祈ります。

noname#230361
質問者

補足

高校時代、家を出てから、実家は追い返され帰っていません。私廃人にされかけ、その恐怖が凄まじいです。身体が、まったく動かず、就労不可能です。

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