今のところ正解は「わかりません」しかないですね。
誰か映像でも見せてくれるか、確実にないという証拠でも提示してくれれば別ですが、どちらも不可能です。
だからあるという回答も想像ですけど「ない」というのも根拠が全くないわけです。まして「科学的に存在し得ない」なんてでたらめは科学の端っこに居る私には言えません。
個人的にはあると信じています。
でも自分という個性が移っていくのではなくこの世で獲得した形質(と私は呼んでいる、遺伝子のようなもの)を受け継いでいくと考えています。それを持つ細胞の核のような存在が『魂』だと考えているのです。
あくまでも想像の仮説なので異論があっても困りますが・・
細胞は核の周囲に様々な器官が付帯した塊ですよね。でもその本質は核です。人も同じように魂という核に様々な器官が付帯したものだと考えます。
人が死ぬと暫くは個性が残ります。意識や思考もある程度残ります。これが幽霊の正体です。またその人の意識はまるで煙草から昇る煙のように暫くはそこに漂います。これが残留思念です。これも幽霊の正体です。多くのひとがゆうれいだとさわいでいるのは残留思念が多いと考えています。
暫くすると魂に付帯した器官が剥がれ落ちて魂だけが残ります。つまり個性は消えてしまうわけです。分かりやすく言うと名前とか自分が誰かとか、そんな事が全て消えてしまうわけです。
しかし生きている間に得た知識や行動によって獲得した形質の中の一部が核(魂)に刻み込まれます。これには軽重あると考えています。簡単に言ってしまえば獲得形質の善悪で魂自体の重さが変化し、善を行えば軽くなり悪を行えば重くなる。ということです。
善悪と言っても善行を行わなければならない訳じゃありません。魂は自然に重さを軽くしていきます。
仏教では布施が自分の得を重ねるといいます。つまり他の魂に仏法を説くことも財を分けることも善行です。
普通に生きている事は一段ずつ階段を上がるのに対し、善行を行えば一段飛び二段飛びで上がるようなものだということです。
魂は多くの場合再び器官を付帯してこの世に生れ落ちます。これが転生です。
このとき魂の重さによって付帯されるものが変わります。人間に生まれ変わるとか畜生道に落ちるというのはこのことを指しています。
やがて付帯するものがなくなるほど軽くなれば、魂は肉体を持たない存在となります。つまり成仏です。逆に重くなって重い付帯物がない状態、これが地獄の底というわけです。
・・と私は今のところこのように考えています。
魂に自意識があったら、と考えればやはり軽くなっていきたいですね。