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鎌倉幕府と日宋貿易

鎌倉時代に、和賀江島という鎌倉にある島で宋との貿易で賑わっていたそうですが、ということは、鎌倉幕府も平清盛と同じように、宋との貿易による利益で経済力を高めていたということですか。ご回答を宜しくお願いします。

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  • titelist1
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回答No.2

鎌倉幕府も利益があるので日宗貿易を続けるのですが、その頃には宗は北宗と南宗に分裂しているのです。しかも北宗は金に滅ぼされ、南宗も金を滅ばした元に滅ぼされるのです。その元に日本は攻められたのです。 アメリカ合衆国が滅んだら米ドルの価値がなくなるように、宗銭も価値を失い単なる金属になってしまうのです。その宗銭で作られたのが鎌倉大仏です。 鎌倉時代が華やかな時代でなかったのは貿易による経済基盤がなくなったことと、元寇の戦で買っても武士に恩賞をやれず不満が鬱積していったのです。

tontokotonton
質問者

お礼

なるほど。当初は清盛と同じようにして利益をえようとしていたのが、宋が弱体化したことで、できなくなったのですね。 明快な回答をありがとうございました。

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  • tanuki4u
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回答No.3

http://kitaqare.d.dooo.jp/hist085.htm 「鎌倉中期になると、荘園村落に宋銭が急速に行き渡っていきます。」 北条の得宗専制の確立は御内人という得宗家の家来集団の成立が重要であり、その御内人は交易に結びついていて、北条家および得宗家の主要な勢力圏は港湾などの交易関係となっています。 http://teapot.lib.ocha.ac.jp/ocha/bitstream/10083/882/1/KJ00004470977.pdf 「しかもその得宗領が、軍事上・交通上の要衝に数多く存在したことも、よく知られている」 == 鎌倉幕府も平清盛と同じように、宋との貿易による利益で経済力を高めていたということですか。 ↓ その通りです

tontokotonton
質問者

お礼

中国での動きについて詳しく説明して頂き、ありがとうございました!

  • kusirosi
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回答No.1

鎌倉時代には、日宋間の正式な国交はなかったが 、鎌倉幕府は民間貿易を認め、鎮西奉行が博多を統治して 幕府からも、幕府直営の御分唐船を派遣し、貿易をしていた。   元の台頭後は、幕府の許しを得て建長寺船などの民間による日元貿易が。行われた。

tontokotonton
質問者

お礼

博多で貿易が盛んに行われていたんですね。博多なら、貿易しやすいですもんね。なるほど。 ありがとうございました。