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バカボンのパパ
赤塚不二夫『天才バカボン』には、「バカボンのパパ」といふ人物が登場します。この、子供を起点とした呼称は、日本独自の伝統なのですか。 たとへば、『百人一首』には、「儀同三司母」(ぎどうさんしのはは)や「右大将道綱母」(うだいしようみちつなのはは)が登場します。 外国では、ジョンソン(ジョンの子)やベンジャミン(ヤミンの子)のやうに、親を起点とする例が多く見られます。
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「困難は分割せよ」とデカルトは記したそうだ。その考え方こそ、西洋近代ってもんのパワーの源泉となった。やがて世界を席巻し現代に至る。私もその顰(ひそ)みに倣い、このご質問内容を3つに分割して、……はい済みません、前口上なんかいいからさっさと回答しろって話ですね。 (1) 昔の中国では、(庶民はともかく)ある程度身分の高い人は、本名を呼ばれることを忌(い)んだ。昔の日本は中国文化圏に属していたから、この風習も伝播して、わざわざ別名や官職名などで呼び合っていた。 特に女性は、本名を(肉親以外に)明かさないという風習があり、他人様が女性の名を聞こうとすることは求愛を意味した。そんなわけで、中国の史書に登場する淑女たちも、本邦の紫式部や清少納言なども、本名は後世に伝わってなかったりする。 紫式部は、生前はそう呼ばれてなかったそうだ(死後、文名が高まってからの通称)。清少納言は宮仕えしていた当時からそう呼ばれていたが、「清」は父親の姓(清原)から一字を取ったものであり、少納言は官職名である(清少納言自身が少納言だったわけではないが)。 したがって、後世「誰それの娘」とか母とか呼びならわされる歌人や女流作家がいても、不思議ではあるまい。「誰それの母」の場合は、父親より息子の方が有名人だったのだろう。 (2) キリスト教文化圏では、子に命名するとき、聖書由来(天使・使徒など)・聖人・聖女などの名を付けることが多かった。ただし、洗礼名と本名の違いもあったりするが、まあ中国文化圏ほど本名を隠さなかっただろう。 子の名はともかく、問題はファミリーネーム(苗字)である。西洋でも昔は苗字のない人が多かったが、時代がくだって、やがて持つようになった。例えば、ジョンの子孫ならジョンソンという苗字にした。ジョンは聖書のヨハネに由来する立派な名前だし、「ジョンの息子」を代々名乗るのも悪くないと考えられたのだろう。 子孫の苗字であるから、「誰それの息子」とはなっても、「誰それの父」などとはなりにくい。 (3) 序列最下位者の視点による呼称が、安定すると思われる。それに比べ、中位者の視点による呼称は不安定で、いらいらさせられるだろう。 最下位者の例としては、末子が挙げられる。末子の視点から見れば、上の子、父、母はそれぞれ「おにいちゃん・おねえちゃん」、「パパ」、「ママ」であって揺るがない。この視点を借用すれば、呼称が安定する。 一方、父はその家庭の中位者かも知れない(母が最高位者なのが実態かも知れない。マジな話)。その場合、父の視点による母の呼称は、相手の機嫌をうかがいつつ、「俊恵」だったり「おいっ」だったり「としちゃん」だったり、安定しないだろう。父はこの不安定さを避けるため、末子の視点を借用に及ぶのである。 なお、くだんのプロフィール画像は青木愛弥さんという投資家の肖像を勝手に使っているのであって、ご本人はネカマらしい。
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- TANUHACHI
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昨晩は早々のレスをいただきありがとうございました。 実際に僕も『バカボン』を雑誌・テレビの双方で見ています。ですからあの中に登場するキャラクターの個性を眺めていて、赤塚アニメの持つ人間観察眼の鋭さには時々感動すらもしていました。 鈴木孝夫さんといえば、僕が高校三年の時に目にした『閉ざされた言語・日本語の世界』の著者であることも記憶しております。この鈴木さんを含め、当時の第何次かは忘れましたが「日本語ブーム」の牽引者として御三家がおり、それが丸谷才一さんであり外山滋比古さんであり、そして鈴木孝夫さんでした。 何となくではあるものの、二月から三月の入試で、何処かの大学がこれを出題するだろうなとして友人に一読を勧めたところ、友人の併願先である立教大学の経済学部で、鈴木さんの文章が出題されたことも後になって知りました。 さて茶飲み話はこれ位にして、本題に入ります。 ジョンソンがJohn's sonであるならば、それは「ジョンさん家の息子」との意味となります。実際の外国での姓名の記載方法は、日本と逆になり名前-名字の綴り方になっています。この考えに基づくならば、Son・Johnとなるはずです。日本ならば山田花子が花子山田となった形です。 けれども実際にそれに準拠した実例があるかと探すならば、それを探すことの方が難しいともいえ、寡聞にして僕は見たことがありません。 「ジョンさん家の息子」が固有名詞としての「氏名」ならば、その具体的な表記が何処かにあるはずです。これがベンジャミン・フランクリンならば、フランクリンさん家のところのベンジャミンという名前の人物を特定するとの意味になります。 そして昔の中国での本名を傍証とする説明がありますが、中国での姓氏が持つ原理をそのまま日本に適用することには少し問題もあります。 中国の前漢王朝の高祖が劉邦であることは殆どの人が知っていますが、この高祖の出自を知っている人は余りいません。けれども劉邦にも親はいたはずですから、それを記録に求めますと「姓劉氏、字季。父曰太公、母曰劉媼。」との文言を見つける事ができます。 この中にある「母曰劉媼」との4つの文字が示す意味ですが「母親は劉さんという家の婆さん」ほどの意味になりますから、身分云々との説明が根底から崩れることも明らかです。 更に日本の実例を挙げるなら、聖武天皇の皇后である光明皇后の実例を挙げることもできます。正倉院御物にある『楽毅論』はこの光明皇后の手になる臨書として知られていますが、その自著には「藤三娘」とあり、自らが藤原不比等の三番目の娘であることを意味しています。皇后の地位にある人物ですから、身分を根拠とする説明からすれば、実名が描かれていても不自然ではなくなり、そうした原理とは矛盾を来します。これだけで「高貴な身分云々」との説明には如何に根拠も説得力もないかがよく解りもします。 紫式部に関していえば、父親が藤原為時でありその為時が式部省の官僚(式部大丞)であったことに由来するとも言われています。従ってこの呼び方をするならば、藤原式部大丞の娘とするのが本筋との話になりもします。 更に言えば、時代は下がりますが、江戸時代の読本である『雨月物語』の「吉備津の釜」には「磯良」との名前を持った女性が登場します。身分的には吉備津神社の神主である香央造酒(かさだみき)の娘との設定になっています。もし身分の貴賤だけを根拠とするなら、逆に光明皇后や紫式部にも本名があり、それが何れかの史料に記載されていても不自然ではないとの話になります。 「~の女」と記される中古期の女房文学の作者や歌人が、なぜその様な表記をされるのかを考えていけば、それは社会を構成する単位の1つである「家」をどう理解するかとの問題に行き当たり、家長なり家父長と「家組織」との関係を日本の歴史の中でどう評価するかとの恐ろしく大きな問題となり、伝統との言葉では片付けることも困難かと存じます。
お礼
ふたたびの御回答ありがたうございます。 >>『バカボン』を雑誌・テレビの双方で見ています。 意外でした。 >>さて茶飲み話はこれ位にして 私は、茶飲み話のほうが好きです。質問文をきつかけに、さまざまな話が聞けるのが、楽しみです。大学入試問題にお詳しいのも、他の投稿文で承知してをります。私は落ちこぼれでしたので、まつたくわかりません。 >>ジョンさん家の息子 個人主義が叫ばれる西洋において、「家」といふ構成から見るTANUHACHIさんの視点には、興味を持ちました。 >>母親は劉さんという家の婆さん おもしろい例をありがたうございました。『史記』は長いので、拾ひ読みする程度です。何事も例外はあるのですね。 >>藤三娘 『楽毅論』といふ書物は初めてききました。それにしても、安易です。イチローみたいです。皇后でしたら、たしかにもつと実のあるお名前でも良ささうです。 >>紫式部 藤原式部大丞の娘、ですか。理論上さうなつてしまふのですね。私のやうな一般人には「紫の上」との関係がいちばんしつくりきます。 >>磯良 引証が縦横無尽ですね。『雨月物語』は、石川淳『新釈雨月物語』で読むのが好きです。「磯良(いそら)十七歳、器量もよし、しつけもよし、歌もよみ、箏もひく。」注釈本を見ると、神に由来する名だと書いてありました。身分の観点からすると、おつしやるとほりです。 >>「家」をどう理解するかとの問題に行き当たり、 >>家長なり家父長と「家組織」との関係を日本の歴史の中で >>どう評価するかとの恐ろしく大きな問題となり、 私も「家」については、大いに関心があります。個人主義はそれとして認めますが、その限界も感じてゐます。このサイトで、人とのつながりについて、もつと学びたいと考へてゐます。回答者同士の、相反する意見も楽しいものです。今後とも、よろしくお願ひいたします。
- TANUHACHI
- ベストアンサー率31% (791/2549)
こんばんは暑い夏の夜に少しばかりお邪魔します。 海外にも「~のパパ」といった呼び方はあって殊更に珍しい話でもありません。例えばフィンランドのトーベ・ヤンソンによる『ムーミンシリーズ』にはムーミンパパもムーミンママも登場します。 物語の主人公はムーミンであって、そこに様々なキャラクターを登場させることで物語を設定し進めてもいくとのスタイルです。 ですからバカボンのパパは『天才バカボン』に登場する人物の一人ではあっても主人公ではなく(実質はバカボンと二人して騒動を巻き起こす主人公的な役割を果たしていますが)、バカボンを絵画とすれば、バカボンのパパはその額縁と言ったところになりますかね。 これに対し、『小倉百人一首』にある右大将道綱の母は「母なる人物」そのものを絵画の絵とする考え方になります。 けれども当時の女性には現在の様に明確に他人と識別するための固有の名前があったとの事象は相当に身分の高い人物でもない限り珍しいとの話になります。 その作品のどこにスポットを置くかとの意識の問題でしょうね。
お礼
こんばんは。まさかTANUHACHIさんから回答を寄せていただけるとは、考へてをりませんでした。いつも深い知識にもとづいた鋭意な御意見に感服してをります。 このたびの質問は、言語社会学者の鈴木孝夫さんの主張を思ひ出したので、取りあげました。家族内での呼称は、最年少者を起点にする、といふ論です。夫婦間でも、子供がゐれば、妻であり、母ではないにもかかはらず、子供中心で「ママ」「かあさん」などと呼びます。子供が二人ゐれば、上の子のことを、自分の兄ではないのに、「おにいちやん」と言ひます。 >>ムーミンパパもムーミンママも登場します。 社会・職場カテゴリにも類似の質問をしたのですが、そこでもムーミンのことを教へてもらひました。わからないのは、私だけのやうです。 >>バカボンのパパは『天才バカボン』に登場する人物の一人ではあっても主人公ではなく TANUHACHIさんは、天才バカボンをご存じなのですか。私は小学生のころ、欠かさずテレビを見てゐました。この歳になつても、成長してゐませんけれど。 ご指摘のとほり、本来の主人公は「バカボン」であつたと、社会・職場カテゴリのほうで教はりました。 >>相当に身分の高い人物でもない限り珍しいとの話になります。 回答番号1のazuki-7さんもおつしやつてゐました。そのあたりが結論なのでせうか。さういへば、「宮内卿」の場合は、名の由来は何なのですか。(補足要求ではありません。独り言です。)今後も御指導たまはりたく存じます。
- あずき なな(@azuki-7)
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「儀同三司母」(ぎどうさんしのはは)や「右大将道綱母」(うだいしようみちつなのはは と言うのは当時の女性の身分が低くて名前が現代に伝わってないためです
お礼
回答一番乗り、ありがたうございます。美しい女性がいらつしやると、ページ内が明るくなります。azuki-7さんの質問にも、投稿したいのですが、むづかしい内容ばかりで、私には無理です。 >>当時の女性の身分が低くて名前が現代に伝わってないためです 女性の名前が伝へられないのは、寂しいかぎりです。さういへば、俊成卿女とかも本人の名前ではありませんね。azuki-7さんの本名は「あずき なな」なのですか。 先回もベストアンサーに選んだのですが、私は女性優先にしてゐます。そのため、サイト内の多くの男から反感を買つてゐます。めげずにがんばります。
お礼
こんにちは。いつも社会カテなどでの名回答を拝見してをります。少し前の哲学カテのベストアンサーにも、感心させられました。 >>「困難は分割せよ」とデカルトは記したそうだ。 Le Second, de diviser chacune des difficultés .....なんちやらかんちやら、といふやつですか。私の困難はすべて丸投げします。三種類の疑問を混在させて、回答者のみなさんにはご迷惑をおかけしたやうです。 >>はい済みません、前口上なんかいいからさっさと回答しろって話ですね。 いいえ、私は無駄話が大好きです。そのためしよつちゆう削除されます。私の質問ページ内には何を書いていただいても結構です。 (1) >>女性は、本名を(肉親以外に)明かさないという風習があり、 >>他人様が女性の名を聞こうとすることは求愛を意味した。 初めて知りました。#1さんは、名前を明らかにしてゐます。 >>紫式部は、生前はそう呼ばれてなかったそうだ >>(死後、文名が高まってからの通称)。 >>清少納言は宮仕えしていた当時からそう呼ばれていたが、 >>「清」は父親の姓(清原)から一字を取ったものであり、 >>少納言は官職名である(清少納言自身が少納言だったわけではないが)。 このあたりは、考へたことがありませんでした。さういふことなのですね。 >>「誰それの母」の場合は、父親より息子の方が有名人だったのだろう。 なるほど、ですね。いづれにしても、後世の名づけですか。 (2) >>子孫の苗字であるから、「誰それの息子」とはなっても、 >>「誰それの父」などとはなりにくい。 このパターンが自然だと思ひます。 (3) >>父はその家庭の中位者かも知れない >>(母が最高位者なのが実態かも知れない。マジな話)。 笑笑笑。 >>相手の機嫌をうかがいつつ、 >>「俊恵」だったり「おいっ」だったり「としちゃん」だったり、 >>安定しないだろう。 >>父はこの不安定さを避けるため、末子の視点を借用に及ぶのである。 Ganymedeさんの御家庭なのですか。コメントは控へます。 (4) >>くだんのプロフィール画像は青木愛弥さんという投資家の肖像を >>勝手に使っているのであって、ご本人はネカマらしい。 さうだつたのですか。歴史やスポーツなどの分野で、男つぽい投稿が見られるので、あやしいやうな気がしてゐました。でも画像がかはいいので、充分です。情報を提供していただいたGanymedeさんをベストアンサーにしようと思ひます。なほ、文体がいつもと違ひますが、これは他の質問ページをお読みくださつたのですか。