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「消費」中心の心理は何が原因だった?解決策は?
- 現代の日本は「消費」中心であり、若者たちは守りに入り、楽して手に入れようとする傾向があります。その背景には、働くことで自分が何かを生み出すという考え方が薄れ、物質的な豊かさや快楽を求める文化が広まっていることが挙げられます。
- このような心理の原因としては、経済の活性化や社会全体の活性化に対する理解や協力が不足していることがあります。また、男女間の役割分担や賃金格差など、社会的な問題も一因として考えられます。
- 解決策としては、起業する人を増やし労働市場を拡大することや、男女の協力による理解ある社会の形成が必要です。さらに、教育や情報発信を通じて若者たちに働くことの意義や喜びを伝えることも重要です。
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お礼ありがとうございました。 少し取り違えと行き違いがあり、質問者様が混乱されたと感じましたので、爺いの回答を追加させて頂きますね。 >「消費」中心の心理は何が原因だった? という質問の消費中心の意味は、生産(収入)するより消費(支出)したがる日本人が増えた心理的背景は何か、ですよね? >もともと、生産は、最終的には消費するために行われているのですから、消費中心はまっとうな事です。消費がなければ、作ったものも売れません。 この回答は、経済論上の消費の概念のようなもので、需要と供給の関係を回答して下さったのでしょう。 しかし、生産は消費するためにあるが、生産をせずに消費ばかりしたがる日本人が増えた回答にはなっておりませんので、教師を刺激するような単語で冷静さをなくしてはなりませんねぇ。 >勤労意欲については、心理や価値観を変えようとすることは、人を操作することですから(ファシズムのようなもの)、よい方向ではありません。働きたくない人に働いてもらうのは~ 心理や価値観を変えようとする事は、人を操作する。だけで説明してはなりませんねぇ。 間違った心理や価値観を教育し、育て上げる事もあるでしょ?あなた様が、日頃なさっている事ではありませんか… それに、働きたくない人に働いて貰うのではありません。 働く事は、国民の三大義務ではなかったですかねぇ? 働きたくとも、働けない人の為に働くのです(納税)。 そして、己が口に糊するためですよね。 すみませんねぇ。我々の世代上が、消費は美徳と踊らされた時代も経た結果ですからねぇ。 それでも反省して、公害を防止したりエコやリサイクルを推進して来たのですけど、何せ急激に経済のパイが広がりすぎて、欲望を制御するよりパイを広げる事が優先されてしまいました。 しかし、反面ではそれだけの努力をし報われたという事です。 失われた20年により、日本の勢いは見る影も無くなり頑張っても報われない人が増えてしまいましたねぇ。 私は、今の世の中は豊かさに溢れている(物質的に)割に、余裕がない(先の見通しが不安)社会なので、若い人を厳しくかつ温かく育てる土壌が不足していると感じます。 起業し目立っている人は、やる気、能力、親の財力のある人間のように映ってしまいますねぇ。 私は、自分の出来る範囲でお手伝いして行く積もりです。
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- mugen93s
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「生産」と「消費」ですか、そこから貴方様は日本人は「消費」中心になっている。 そして「消費」中心者に対して、あなたは心理的な批判を感じており、 それが教育者である自分だから尚、「こうあるべき」という評価を下しているわけですね。 私は、あなた方の教えている日本のフロイト派教育の人間ではありませんが、 ここを見ている人達にも分かりやすいようにあえてフロイト心理学の側面から あなたのいう「生産」と「消費」について考えて見ましょう。 それから、私はあなたの考えにはとても批判的です。 なぜなら日本人は、今も昔もあまり心理的な変化は大きく無いからです。 土井健郎氏の打ち立てた「甘えの構造」が今日の日本的文化の崩壊を 海外の自己自立が気持ちわるい形でミックスしたのが、 今の日本人の精神文化になったからです。 フロイトは、人間の心を「価値(評価)」「欲求」「自我」のレベルに分けて考えました。 例えば、あなたの例題にある自分の好きな事しかしない男性の心理です。 仕事、子育てを放棄してでも自分の好きな事ができる男性。 この奥さんはそういう男性を必要としているからではないでしょうか? あなたは単純にこの男性ばかりが悪いと決めています。 私には、この奥さんこそ、こういう男性が必要と考えています。 このような関係は共依存といって「ミュンハウゼン症候群」という診断名がついているぐらいです。 あなたは、それを批判的にとらえたということは、 この男性が「消費」であり、その奥さんは「生産」とらえたからではないでしょうか? 本当にそうでしょうか? 私にはこの男性こそ生産者に見えます。 なぜなら、彼がいることで奥さんは二人分の仕事を消費し、 夫ならぬ子供の2人分の子育てという労力を消費しているからです。 奥さんはその労力を消費することで、 ますます自分の存在が、家族のなかで価値ある存在と意識できる。 「私がいないとこの人はダメ」と共倒れとなる。 そして、夫はますますダメになるほど、妻からの愛情をもらえているのです。 このような関係は、一部分だけみればとてもよく見えます。 夫は毎日、アルコールやギャンブルにふてって頭がパーになり、 家に帰って母ちゃんの乳をチューチューできるわけですから。 しかし、これは破滅の乳なのです。 コカイン入りの乳なのです。 このような極悪妻は子供にもその毒芽を向けるケースもあります。 一種の精神・神経病のようなもので、子供から能動的に生きる能力を奪っています。 最近では、シングルマザーもこのタイプが多いと言われており、 現実に私自身も思い悩むことがありました。 >贅沢な暮らしがしたいと思って専業主婦を選び、 >現実が厳しいことを知り不満を並べる女性がいるわけですよね? これは当たり前です。 女性はいつまでも自分を見て欲しいと思うのですが、 これが思春期の恋愛などでひどく傷ついたり、 傷つけた経験を持つ女性に多いことです。 しかし、人間はどんな女性でも歳ととります。 美女でもオバハンになるのです。 そのため、自分の思い通りにならない感情を抑圧できずに表出しているだけです。 女性は男性と違い、感情の抑圧が苦手といいます。 男性は大きな頭脳を持っていて、 実はこれが感情を抑圧することができやすいのです。 だから世の女性の不満はいつも「自分の期待通りの結果が得られない」 に終始してしまうだけです。 そこには先ほど説明した、欲求があり⇒評価する⇒自我を満足させるという プロセスが永遠に埋まらないものだと諦めきれない願望からです。 それを生産と消費に分けて考えると、とても矛盾していることに気づかないでしょうか? なぜなら女性の願望の多くが受動的だからです。 女性は自らの幸せを形でしかとらえようとしません。 形なきものを作ろうとする考えがなく、形を手にすることでしか 幸福感を感じれないからです。 これは女性ホルモンだったり、女性の脳機能とも関連しています。 女性は、なかなか男性の愛を感じることができにくい生き物です。 そのため、悪い男から騙される、それを繰り返すことで 本当に自分のことを好きな男まで傷つけていることに気づかない。 それだけ自分の理想で一杯一杯なのです。 消費と生産で置換して考えると、女性は「結婚したい」を 「お金持ちと結婚して自分の自由に暮らしたい」と消費で考える。 一度、自分の評価に入れて形を変更しているわけです。 これは「愛」が分からない女性ならではです。 「愛」が分かる女性は、これがいかに危険な行動かが理解できます。 敵は己にありという言葉を理解できるからです。 もともと女性は男性を慎重深く選ぶものですが、 多くの場合、フィルターに通して「愛の無さ」に気づいていないケースがほとんどでしょう。 だから結婚して子供を作って、離婚する女性だらけになったのかもしれません。
お礼
ご回答ありがとうございます。 すみません、内容がよく理解できませんでした。 フロイト心理学のことも知っていますし、共依存の心理もよくわかります。 私が述べているのは、そういった個人単位の心理のことではないので、仰っていることの意味がよくわかりませんでした。 恐れながら、私も女なのですが、 回答者様の回答内容の男と女を置き換えても成り立つ構図もありますし、必ずしも普遍的な理論とは思いませんでした。 また、「生産」と「消費」という言葉なのですが、抽象的イメージを概念化させようと思い比喩的に使った言葉でしかなかったので、何もフロイト心理学に「当てはめて」分析していただいたり、矛盾点を上げていただかなくとも…というか、その辺の理屈が私にはわかりません。 人間関係が共依存なのは当たり前じゃないですか?問題は、その「自我」の部分がどんなであるのか。また、その「自我」の形成に至るまでに、何を学習して成長していったかの部分だと思います。 結果論としての「評価」「欲求」「自我」を分析されても、何の解決策にもなっていないと感じました。すみません。
- lovelivelife01
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労働意欲の低下と個人主義化が原因と私は考えています。 まず、労働意欲の低下についてですが、 今のシニアや父親世代は、高度経済成長、いざなぎ景気、バブル景気など豊かな時代を経験しています。モノの乏しかったシニア世代は、持ち家、車、家電等を購入するために、また家族により良い生活をさせるために必死で働いてきたと思います。その子供である父親世代は、シニア世代よりも、生活的な余裕が生まれましたが、終身雇用や年功序列などの制度の庇護のもとでシニア世代同様により豊かな生活を目指して働いてきたと思います。一方で、現代の若者世代は、そのようなシニア、父親世代の恩恵によってかなり衣食住にゆとりのある生活ができていると思います。例えば、高校生の半数は大学に進学できるほど家庭にゆとりが生まれていますし、その大学生のほとんどがパソコンやスマホを所有し、夏季休暇には海外旅行に行ったりもします。(当然全員ではありませんが)現代の若者は、労働者になる前の段階で、すでにかなり豊かな生活をおくれていると思います。そのため、労働に対するハングリー精神が、上の世代よりも低いと思います。同時に、就職状況はやや回復基調にはありますが、上の世代よりも厳しい環境にあります。毎年、春ごろに報道されているような過酷な就職活動を行っても、希望の企業に就職できる学生は一握りです。また、入社しても3年以内に退職する学生が3割近く存在します。特に、バブル崩壊後の生まれた若者は、景気の上昇期を経験していないので、社会にでて働くことに対して消極的なのだとおもいます。つまり、若者は親の保護によって豊かな生活ができていますが、好景気を経験したことがなく、就職状況の厳しい現代では自分自身が社会にでることは消極的であります。そのため労働意欲が低下しています。 次に、個人主義化についてですが、 一般的に国が豊かになるにつれて、未婚率、晩婚率、離婚率が上昇します。これは、女性の社会進出が進むことによって、伝統的な男女の依存関係(男が働いて、女が家事・育児)を維持する必要性が薄れるからだと思います。自分の為に稼ぎ、自分の為にお金を使うためには、昔のようの積極的に働く必要はないと考えているのかもしれません。また、インターネットの発達によって、情報は以前よりも広範囲から獲得することができますが、実際に生活しているコミュニティーは小さくなっているように感じます。地域社会と協力しなければ、生活できないような時代ではなくなりましたし、自分の家族・友人との関わりだけで十分だと考えると、生活に対する価値観も多様化して、バリバリ働くだけが美徳では無くなってきたのかもしれません。心にゆとりをもって、のんびりと暮らしたい。そのためには、多少質素な生活をしてでも、家族・友人と楽しく過ごしたいと考えているのかもしれません。 働くことが魅力的になれば、若者の労働意欲が向上すると思います。 例えば、海外のようにしっかりと長期休暇が取得できる環境が整えば、 毎年の長期旅行を楽しみに積極的に働くと思います。 幸せなことに昔よりも豊かな生活が送れていますので、 さらに魅力的なエサがないと労働意欲が芽生えないと思います。 バリバリ働いてきた世代からすれば「軟弱者」ですが、それが許されるのは 幸せなことだと思いますし、時代を反映しているとも思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 今の若者の心理を的確に分析したご説明が、わかりやすかったです。 確かに、豊かになったことは素晴らしいことです。私も、日々、自分のこの豊かな暮らしに感謝しています! これも、高度経済成長期(私の親世代に当たります)に日本を豊かな国にしようと一丸となって頑張った方々のおかげなのだと、日々尊敬するばかりです。 ただ、私が不安に思うことには、 今の若い世代に、家庭を持って子どもを育てることが可能なのか、ということもあります。自分の人生を自由に選択するだけならかまわないと思います。でも、自由を選んでいたはずなのに、ある年齢になって結婚などを考えるようになり、子どもを産んで、育てて…。「容量オーバー」にはならないでしょうか? 例えば、家庭を持つなどは、自分以外の人間の分の責任を負うという仕事になるわけですが、今の若い世代には、それだけの力があるのでしょうか…? オーバーワークで鬱病になったり、または、暴力を振るうなどのことにはならないのでしょうか。 豊さを当たり前と思って、さらなる贅沢を求めるのと、 豊かであることに感謝する心を忘れずに、多少辛いことがあっても頑張るのとでは、 やはり違いが生まれると思います。 私の疑問は、なぜ後者よりも前者が多いと思ってしまう社会なのだろう…ということです。 人の苦労がわからない人間は、自分より遥かに多くの苦労を重ねてきた人間に向かっても平気で失礼な発言をします。言われた側がどんなにか傷つくかも、そういう人には理解できないのです。 それが、まだ幼い子どもなら理解できますが、今や成人までもが、生活や人生の奥深さを本当の意味では知らずに、他人を陥れたり叩いて責めての繰り返しではありませんか。少し、苦労を知らなすぎなのではないかと…。 貧しいことがいいとは決して言いません。ただ、物質的な豊かさを、本当の意味での豊かな状況と、安直に捉えてはいけないのではないか、という問題提起です。 もし、物質的にも豊かで、おまけに、隣人愛に溢れた温かい国をつくれたとしたら、 今よりもっともっと、幸せだとは思いませんか?そう考える私が、もしかすると一番の強欲なのかもしれませんね…苦笑 長々と持論ばかり連ねてしまい、申し訳ありません。でも、若者側に立った視点のご意見、とてもありがたかったです! ご回答ありがとうございました。
- bonnefuji
- ベストアンサー率0% (0/15)
もともと、生産は、最終的には消費するために行われているのですから、消費中心はまっとうな事です。消費がなければ、作ったものも売れません。 勤労意欲については、心理や価値観を変えようとすることは、人を操作することですから(ファシズムのようなもの)、よい方向ではありません。働きたくない人に働いてもらうのは、労働市場のしくみを使う(賃金を上げる)か、面白さをわかってもらうための工夫をするしかありません。
お礼
ご回答ありがとうございます。 確かに、生産は消費のために行われます。けれど、それは資本主義経済の下で、ですよね? もっともっと昔、元々生産(道具の開発)は、生活を豊かにするためにでした。 これまでのご回答を踏まえると、生産=消費のためという考え自体が、バブル期以降に確立したようなもののような気がします。 私は、思想を変えることは考えていません。精神を変えることは考えているのかもしれませんが。 元々明確な思想を持っている人間が、その思想に近い考えに人々を啓蒙していく活動はファシズムかもしれませんが、 それぞれの心にそれぞれの精神を生み出すことは、思想の押し付けとは違うものと思います。言ってみれば、どちらかといえば「仏は我の中にあり」の仏教の教えに近いかもしれません。 すいません、思想も宗教もあまり詳しくないので、無責任なことは言いたくありません。 頭で思考することは思想、でも、心で感じることは精神です。 私は、頭で考えることと心で感じることのバランスが取れた人が増えてほしいなと思います。 消費中心の社会でも、手に入れた喜びに満足して、感謝することができれば問題ないかなと思います。 それから、申し訳ありませんが、このご回答をきっかけに、以降、私の質問を叩きはじめる流れをつくろうとしているご回答のように思えてなりませんでした。ファシストのお話をされ、少なからず不快な思いでいます。「正義」を唱い、悪を制圧しようとしてエスカレートした中国共産党やポル・ポト派のことなどは、多少はわかっているつもりです。 もし、私が安易な考えで暴走することを案じてくださっているならば、厳しいアドバイスとしてしっかりと心に刻ませていただきます。 人間主体の価値観で生きてもいいのですが、私たち人間の生活も自然や大地の恵み、文化の下に育まれていることを忘れてはいけないと思っています。 植物も動物も、巡り巡って再生産をしていますが、私たち人間はどうなのでしょうか。そういうことも、懸案事項の一つです。 ご回答ありがとうございました。
補足
自分で書いたことなのですが、お礼に書いたことに不備があったように思います。すみません。 例えば、体を動かして憂さを晴らす活動や、芸術に触れて心を豊かにする活動は、消費主体ではなく、生産主体の活動だと思います。何もないところから、何かプラスのものを生み出せる活動ですよね? 生活=お金、という考えそのものが、消費中心の精神ではないでしょうか? 生活って、人との触れ合いや、生きることそのものを喜ぶことでもあると思うんですよね…。 私は、どうしてそういう「生きる喜び」を感じる感受性が少なくなって、お金と消費ばかり考える世の中になってしまったのかな、という疑問を持っています。 消費活動そのものを批判する質問でないことをご理解いただければと思います。
はじめまして。 私は、ANO3様と同世代のおじさんで、私も彼の考えを支持します。補足的な私の考えを回答させて頂きます。 >「楽していいところだけ取る」ことを望む人がすごく多い気がします。 ↓ 私の主観ですけど、これは、人間が誰でも持っている心理であり、私の若い頃にもそう言う人達はいましたし、今の若い人達よりも上の世代でも、このような気持ちがあると思いますねぇ。 しかし、同じ気持ちを持っている一方で、表面で同じ言動にならないのは何故なのでしょう? それは、持っている気持ちの量と価値観の違いや社会環境の違いから来ていると思われますねぇ。 例えば、私は楽したいと思っても楽を選択する事が出来なかったですけど、今の若い人達の大部分は、選択する事が許されているという現実です。 言い変えれば、社会の豊かさと親の経済力が、それを増殖させる手助けをし過ぎているからではないでしょうかねぇ? 私が子供の頃、専業主婦が職業婦人となり、鍵っ子が増え始めた時、旦那の稼ぎが悪いのでしょうとか、子供達がかわいそうと批判されながら、主婦達は職業婦人を選択しました。それが、現代の家庭崩壊の一因の始まりですが、時代、時代によって我々国民が選択を繰り返した結果が、今の若い人を作ったと言えます。 経済の選択が、消費大国日本を作り家庭教育に大きな影響を及ぼす他方で、学校教育に人格形成を期待されましたが、その実態は質問者様が良くご存じですよね? 以上の事を踏まえ、私からの回答です。 (1)親は、必要以上の経済援助を子供に与えない事 (2)子供に失敗を経験させる事を怖れず、安易に手助けしない事 (3)暑い寒い(衣)、食べる事が出来ない(食)、キャンプ体験(住)を経験させ、物の有り難さとお金の有り難さを、身を持って教える事 (4)受験→就職の為の学校教育を社会一体となり見直す事 (5)マスコミの娯楽中心の文化への偏重を問題にする事 以上です。 出来上がった体制は、何か危機的状況にでもならない限り変革は難しいでしょう。人間は一度覚えた楽から、なかなか逃れる事は出来ない生き物です。 憂き事のなおこの上に積もれかし 限りある身の力為さん、小5の担任からの薫陶は、私の中高生活に多大な影響を与えてくれましたねぇ。 あなた様のような考えの先生が、もっともっといて下されば、子供に厳しく三人の孫には自信のない私は、安心出来るのですがね~
お礼
お心のこもったご回答をありがとうございます。とても人間味のある温かな文面に、食い入るように読ませていただきました。 具体的かつ明瞭なご回答をいただきありがとうございました。 ご回答を踏まえ、教員としての立場で考えたことを、僭越ながら、返させていただきます。 まず、(1)~(3)について、ご家庭で然るべきことを教えていただくことは、とても大切だと思います。 幼少期に親が子どもに何を与えるかで、その後の子どもたちの価値観形成は大きく変わりますね。ケータイ・スマホは当たり前の時代ですが、与える前によく考える必要があります。 私が今教える子どもたちの親はバブル期の方たちで、意外に思われるかもしれませんが、「こんなに弱くて、うちの子大丈夫かしら…」「家でも厳しく言ってるのに…」と思っている方は多く、保護者面談に子どもを怒りながら来る方もけっこういます。けれど、親が子どもにどんな環境を与えるかは大きいな問題です。親の責任は躾だけでなく、外界とどう接触させるか考えることにもあると思います。情報化の進む現代における難しい課題ですね…。 (4)については、私も大賛成です!!現在の大学は昔の大学とは違います。高校の延長で、子どもの成熟を遅らせているだけです。この既成概念を崩さなければ、モラトリアムな青年が増えるだけでしょう。「はぁ?大学?ふざけんじゃねぇ、大学で遊ぶくらいなら働け!」くらい、言ってみてほしいですね(私は、「で、大学で何するの?何がしたいの?」と、よく生徒を尋問しています(笑)何でもいいから明確な方向性を持たせたいです。) また、(4)と(5)に共通して言えることですが、社会が「子どもたちへの影響」を考える必要はあります。ご回答には、家庭教育へのご指摘がありましたが、学校を中心とする社会(つまり、上記の「外界」)にも、やはり責任はあると感じます。情報に流されて、「人として大切なこと」を見失っています。成人のモラルも試されている気がしますね…。 最後に、 〉憂き事のなおこの上に積もれかし 限りある身の力為さん …素晴らしい言葉ですね。私も頑張ります! 子どもの頃、親の厳しい躾に不満を募らせていましたが、今では「それがよかったんだ」と思えています。おじいさんの言葉が、後々お孫さんたちの心に響いていくことを期待しています。 kaeruzo様のご回答でわかったことがたくさんありました。ありがとうございました。
補足
kaeruzo様のご回答ページにて失礼致します。 わずか1日程度の時間でありましたが、たくさんの方々のご意見により、今後の教員としての指導指針になるものが得られたと感じます。 一番嬉しかったことが、gouzig様から仰っていただいたり、SEI-R様のページにも書かせていただいたように、このコミュニティーサイトにおいて、こんなに生産的で前向きな議論ができたことです。 すぐに批判したり、叩いたりすることそのものが問題に思われるネット文化の中で、簡単に叩かず、愛情ある批評により意識を高める場をつくれたこと。 日本を信じる力が湧いてきました! 本当は、現時点で質問を締め切ろうかという気持ちでいます。 しかし、しばらく様子を見てみたい気持ちもあります。 そのため、まだ質問締め切りはせず、今後のご回答も拝見させていただこうと思い至ります。 ここまでご回答をいただいた皆様、本当にありがとうございました!!全ての方にベストアンサーを差し上げたいです。 質問締め切りの際には、おそらくベストアンサーを選ばずに締め切ることになると思いますが、それには、上に述べさせていただいた想いの下であることをご理解いただけると幸いです。 皆様、本当にありがとうございました!
- kaxuma119
- ベストアンサー率29% (108/363)
若者が型破りな行動やチャレンジ精神を失いチマチマと安全に閉塞的な行動をとるようになった時期は日本国の経済成長が止まった時期とほぼ一致します。 経済成長が止まった社会はゼロサムゲームの社会です。トータルの経済の枠は固定的なので、その中で誰かが大きく稼げば誰かが大きく損をするという仕組みになります。こうなると、少しばかり持っている者は、原則的に金であれ地位であれ失わないように考え行動します。何か行う場合にはマニュアルや前例を重視しリスクを極力避けるパターンです。 ゼロサムゲームが主流になると大きな変化は生まれにくくなります。このため、より一層、経済成長は停滞し人々は縮こまっていきます。 質問者は「楽しいところだけを取る」と表現していますが、別の見方をすれば、成果や感動はそこそこでいいから大損するのを防ぎ、人間関係で傷つくのを防ごうとしているのでしょう。 状況を変えることができる方策は社会制度と文化の創造的破壊でしょう。 例えば、学校の先生の評価を校内の管理職による減点方式から第三者機関による得点方式に改め、プロ野球選手のように年俸制にして戦力外通知もあればトレードもあるようにすればどうなるでしょう? 安定は失われますが、何か起きることも確かです。 公務員や企業の幹部職員も、何かやれば報われるが何もしなければ放り出されるという仕組みにすれば、彼らは自らの仕事に真剣に向き合い懸命に努力するでしょう。 組織が活性化し特定の目的に集中しだせば、当然、組織のやり方や目的に異議のある人は組織から飛び出すようになります。彼らは無能だから放り出されるのではなく、組織の目的と異なる目的を持つゆえに出てくるわけです。そういう彼らは優れた起業家の卵です。 文化の創造的破壊は日本人だけでは無理かもしれません。日本人社会はきわめて等質化が進んでいるので暗黙の決まり事や慣習がたくさんあります。その上「空気を読む」ことが求められ自己主張をするとワガママ扱い変人扱いをされます。これが閉塞的行動の背景です。 しかし国際社会ではそうはいきません。自己主張をしない者は存在しない者と同然の扱いを受けます。国内の等質化が進みそのやり方に染まってしまったがために最近の若者は積極的に留学しなくなっていると私は考えています。 そういう日本人社会が変わるとすれば海外からの多くの人が日本に移り住むときではないかと思います。多くの異文化人が入り込むと否応なく自己主張が行われ文化的衝突が起き化学変化が始まります。 日本の歴史の中で、飛鳥時代は朝鮮半島からの移民が文化の変化をもたらしました。鎌倉幕府は元寇によって崩壊が始まりました。戦国時代にはポルトガルやスペインがもたらした西洋文明やキリスト教が社会を変えました。そして明治維新は西洋列強との軋轢があってなされたのですから。
お礼
ゼロサムゲームのお話や、(今後日本が採るかもしれない施策の?)外国人労働者を日本に取り込むことに繋がるお話を伺えて、とても勉強になりました。ご回答ありがとうございます。 〉状況を変えることができる方策は社会制度と文化の創造的破壊でしょう。 激しく同意致します。 ですが、方向性の妥当性については疑問に思う部分もあります。 〉質問者は「楽しいところだけを取る」と表現していますが、別の見方をすれば、成果や感動はそこそこでいいから大損するのを防ぎ、人間関係で傷つくのを防ごうとしているのでしょう。 これは、kaxuma119さんのとても良心的な見地だと、私は思います。 今の若者は、もっと陰湿で妬みばかりで、結果の平等ばかり求める酷い輩がたくさんいますよ?そのくせ、バイタリティは以前の日本人に比べて格段に低い。単に大人しいだけでなく、根がねじ曲がってる感じです。 そんなに甘っちょろいものだとは、私は思ってないんです。 今の日本に海外から労働者が入ってくれば、日本人は主張することもなく淘汰され、いよいよ日本は植民地化して壊滅します。私はそう思っています。 「自己主張する基盤を与えれば自己主張するようになるだろう」なんて考えは、甘いと思います!!それは、高度経済成長期やバブルの世代の、バイタリティ溢れた人たちが考えているからそういう発想になるんだと思います。 今の若者のやる気のなさを甘く見ないでください!! 今更そんな施策をしたって手遅れです。せいぜい15年前にしておくべきでした。 すいません…つい熱くなりました…。 私は、もっと根本から変えていかなければならないと思っています。 ちなみに、 〉学校の先生の評価を校内の管理職による減点方式から第三者機関による得点方式に改め に近いことは、もう既に行われています。教員個人ではないですが、評議員という方たちに学校評価をしてもらう機会が年に2回ほどあります。自治体や校種によって差はあるとは思いますが。 意見の相違等はありましたが、非常に勉強になりました。ゼロサムゲームのことなどは、私にとっては考える材料としての新知見になりました! ありがとうございました!
- SEI-R
- ベストアンサー率31% (361/1146)
仰ることは分かりますし、筋が通ってると思います。 しかし、そうなってしまった最大の理由は「高度経済成長期」と「バブルの崩壊」。 この2点に尽きます。 昭和の時代、人々が前を向いていた時代は、戦後貧困から抜け出したい人たちが、ガムシャラに努力し、かつ景気が良くも悪くも安定しない「混沌」の時代であったため、「誰もやったことが無い新しい事」や「情報が無いけどやる価値がある事」がザラにありました。 そういった人たちの努力により、景気は上向き「バブル期」に突入します。 バブル期は、全員がそうではありませんが、何かをすればお金になり、ちょっとした仕事でも今では考えられないくらいの給料やボーナスが貰えました。 さらに恐ろしい程の好景気のために、ローリスク・ハイリターンが容易にできました。 ちょっと失敗しても、別の手段で挽回可能だし、そもそもの資金力が違いましたからね。 しかし、バブル崩壊後、景気はドン底、チャレンジどころかマイナス補填のために働くのが当たり前になりました。 そうした中で生まれたのが現代の子たちです。 高度成長期やバブル期を経験していない子たちと、それを経験している昭和世代ではメンタリティが大きく違うのは当然の話です。 今の子達は家でも親が不景気を嘆くのを見ていますし、バブル崩壊を知識として得ている。 結果として、「チャレンジよりも安定が大事」というメンタルを獲得してしまったのです。 冗談のような話ですが、今小学生に「将来何になりたい?」と聞くと、少なくない割合で「公務員!」と答えるそうです。 まぁ警察官も消防官も、学校の先生も公務員ですけど。 質問者様のメンタリティはとても貴重なものですし、私もそういった感性を持っていますが、景気の頂点を経験していない、不景気しか知らない子たちからすれば、安定性が重要になっていくのは、時代の流れとして仕方ないのかもしれません。 解決策は難しいですが、まずはリスクとリターンを教える事が重要かと。 商業系の学校では、リスクに対するリターンを価値観としてまず叩き込むことで、マイナスだけじゃないプラスの部分も教えていくそうです。 本当は家庭環境から改善すべきなんですけどね。 不景気を嘆かず、自らの腕で未来を作る事ができるのだと、教えることが重要ですね。
お礼
ご回答ありがとうございます。 バブル時代のローリスク・ハイリターンから、マイナス補填の時代へ… 少し違うかもしれませんが、アメリカのセリグマンらが行った、犬の電気ショックによる『学習性の無力感』について思い出しました。 (失礼ながら、見識のある方のように思われますので、既にご存知かと思い、内容は割愛致します。) リスクばかりを考えて、できることがあるのにやろうとしないという心理と似ています。 それを変えるために、リスクだけを教え込むのではなく、リターンについても適切に教えていく。 とても大事なことですね!! 今ですら、公務員でありながら、「給料が足らない」とか仕事の愚痴オンパレードなお門違いな人たちも多いのに(公務員=全体の奉仕者なのだから、そのくらい当然と思うのですが)、 さらに「安定」を勘違いして公務員を希望する子どもが増えるというのは、少し不安です…。安定思考の世代には、公務員バッシングに耐えるだけのメンタリティが無いとも思うのですが…。公務員だって、社会の基盤なしでは安定とは遠いものだという意識が欠如している証拠ですね。公務員の安定を保証するのは、また、国民でもあることを、理解していないということが、如実に現れているのですね…。(どっちもどっちです。) 〉不景気を嘆かず、自らの腕で未来を作る事ができるのだと、教えることが重要ですね。 そうですね!確かに、どんな状況でも、自分の腕で未来を切り開く素養を身につけることが、「自立・自律」です!! 家庭も学校も、いずれにせよ、社会全体が自分のことしか考えていなくて、「今後の日本のために、どんな若者が増えてほしいか」という視点で、教育を真面目に考えていません。 私一人が頑張ってどれだけになるかもわからないですが、 私は諦めたくありません。 今回の質問で、たくさんの暖かいご回答をいただいて、元気が出てきています! こんなに真面目に考えてくださっている方々が、このサイトにも書き込んでくださるんだと思い、勇気が湧いています!! 本当に、本当に、ありがとうございます!!
- gouzig
- ベストアンサー率25% (536/2078)
おじさんです。 いい質問ですね。 このサイトでもまともな質問はあまり多くはありません。 現在の若者が、楽したいとかお金がほしいと思うのは彼らの責任ではないように感じます。 彼らが育った環境がそうしたのでしょう。 まず、親です。親が地道が苦労の積み上げが大切だと教えなかったのでしょう。 そして、学校や友人たちもいい影響を与えていなかったのでしょう。 振り返ると、私が10代の頃に高度経済成長が始まりました。 それまでは日本中が貧しかったのです。 ですから、若者も一生懸命に働いて豊かになろうとしました。 そして、今ではどこの家も家電製品でいっぱいになりました。 もう買うものがない、飽和状態ですね。 こんなに家電製品に溢れた国は世界中にありませんね。 そんな物質的に飽和状態の中で育った若者が地道に生きていくという考えを持たないのはある意味で当然でしょうね。 しかし、物質的な豊かさに比べて、文化や人間性などの貧しさは驚くほどです。 今までの日本はそんな国を作ってきたのですね。 総じて、間違った国作りをしてきたと思います。 cheese16さんのような若者がこれからの子供たちにいい影響を与えてください。 物質的な豊かさではなく、人間としての心の豊かさの大切さをです。 期待していますよ。
お礼
ありがとうございます。 ご回答を読みながら、涙を流しました。 〉物質的な豊かさではなく、人間としての心の豊かさの大切さ を教えていきたい。これは、私が教員になることを目指した一番の理由です。 深い深い思いのこもったご回答が、本当に有り難いです。 言葉なんかじゃお返しができません。 〉cheese16さんのような若者がこれからの子供たちにいい影響を与えてください。 ご期待に沿い続ける教師でいられるよう、努力してまいります。 ありがとうございました。
- mp20palpunte
- ベストアンサー率49% (258/523)
根底には「諦観」があると思います。 将来の明るい展望。やればどこまでも登りつめられるという可能性。 キャリアアップを目指した際の転職先。趣味と家族サービスをどちらも十二分に行う余裕。 大きなものから小さなものまで、いろいろな希望とでも言うのか、そういうものを信じられない。 それを、社会に出る前からヒシヒシと感じてしまう。 だから、学生のうちから守りに入ってしまうんだと思います。 それは、元々は「楽したいから」という意識ではないと思うんです。 でも、どうせ大風呂敷は広げられないなら、出来る範囲でやろう。 どうせ頑張っても順調な昇格、昇給は望めないから頑張らなくてもいいや。 そういう積み重ねが、いつしか無駄に苦労を背負いこみたくはない。 楽に生きられるならそれに越したことはない。 という意識になっていってるんじゃないでしょうか。 解決策は……難しいですね。 専門家や政治家だって、状況を悪くしたいと思ってやっているわけではないので、 そういう人たちが出せない答えを、一般人が出せるとも思えないですし。 でも、何かしらが「上手く回る」「希望が持てる」ことが必要なんだろうとは思います。 それは、経済状況が回復するということかもしれないし、 政治による国際状況の回復かもしれない。 でも、かつてすべてが上り調子で老若男女みなが希望や野望を滾らせた時代も、バブルと消えました。 ああいうのは、やっぱり幻想なんです。 そうすると結局は、マンパワーがモノを言うんじゃないでしょうか。 第二次大戦の敗戦後、日本が急速に復興できたのは、政治のおかげでも経済のおかげでもない、人間の意志の力だと思います。 希望は、環境に与えられるものではなく、自分の目で見つけ、自分の手で掴まないといけないんです。 だから、教育としては、そういう「自分の力」を信じる、見出す、研鑽する意志を育てて欲しいなと思います。 というところで、ちょっと何が言いたいのかごちゃごちゃしてしまいました。
お礼
ご回答拝見致しました! 〉第二次大戦の敗戦後、日本が急速に復興できたのは、政治のおかげでも経済のおかげでもない、人間の意志の力だと思います。 〉希望は、環境に与えられるものではなく、自分の目で見つけ、自分の手で掴まないといけないんです。 〉だから、教育としては、そういう「自分の力」を信じる、見出す、研鑽する意志を育てて欲しいなと思います。 具体的なご希望まで出していただき、ありがとうございます!!志気が高まります! 様々なレベルで、小さなことでもいいから、先に希望を見いだせる力は本当に大切だと思います。 …毎日の生活の中で、教師は、子どもの希望の芽を摘んではいないか。大きな夢を大切にしながら、それを「所詮夢だ」と蔑ろにするのではなく、また、夢を夢のまま終わらせてしまうのではなく、現実に変えていく具体的な能力を育むような教育をしているか…。 教育の責任は重いですね…。 教師が毎日を丹念な教育活動に捧げることで、まだ変えられることはあるような気がしてきます。 教師が教師としての理想を貫くことも難しい現状はありますが、 自分にできることを、諦めずに続けていく努力をしていきたいと思います。 ありがとうございます!!頑張ります!!
- chromecast
- ベストアンサー率33% (3/9)
日本人の心性はその居住する自然から形作られる。 日本列島の貧弱な自然からは貧弱な体験と経験しか得られず、その到達点が現在の日本人の心性である。 欧米のそれに遠く及ばず、その時その時で都合が良ければすぐ飛びつき、都合が悪くなればすぐ捨て去る。 国家の歴史を見ても鎖国したり開国したり富国強兵したり大正デモクラシーしたりファシズムに走ったり敗戦後は経済至上主義に走ったりデタラメ極まりない。 従って戦後、高度経済成長が出来ていた頃は生産中心であり、それが衰退してきたから消費中心になったように感ぜられるのだろうが、根本はそういう御都合主義にあるので、これを廃さない限り未来は無い。 まずは大陸進出からやり直すべきであろう。欧米と衝突して再び米国と総力戦を戦い、本土決戦を経てわずかに生き残った日本人のみが真に、下駄を履くことなく、欧米と対等に渡り合える精神を獲得するだろう。 現存の日本人はほぼ絶滅すると思って間違いなし。しかし極わずかの生き残りが国家を受け継ぐだろう。 以上です。
お礼
ありがとうございます。 鋭いご意見を伺えて感謝致します。 私も、正直なことを言うと、「もうこの国は終わりだな」と思っています…。毎日、辛いんです…。 それでも私は、自分の周りの人たちが好きだから、日本を守りたいし、 最後の最後まで、教員として、自分にできることはないかなと思いながら日々暮らしています。 どうしたらchromecastさんが感じているような危機感を、他の方も持ってくれるようになるのでしょう… このまま自国の軸を失った日本では、欧米の考えに呑まれ、崩壊するのも時間の問題ですが… でも、やっぱり日本が好きです!! だから、教員として、せめて今の子どもたちを、生み出す喜びを知る、前向きで豊かな人間に育てていきたいです!! 願わくば、崩壊に向かわず、本当の意味で成熟した社会が完成することを!! 頑張ります!!ありがとうございます!
お礼
kaeruzo様、温かいご回答をありがとうございます。 私の質問の本質を見失わないように、「本題に直接的ではない回答に踊らされてはならない」と、暗に叱っていただいたこと、本当に本当に感謝致します。 ふと、自信を失う瞬間に、このように仰ってくださる方がいること…。何と申し上げればよいのか、言葉が浮かびません。 〉私は、今の世の中は豊かさに溢れている(物質的に)割に、余裕がない(先の見通しが不安)社会なので、若い人を厳しくかつ温かく育てる土壌が不足していると感じます。 〉私は、自分の出来る範囲でお手伝いして行く積もりです。 ありがとうございます。ご自身も大変な時代を生き抜いてこられたのにも関わらず、なおも次の世代のことを願い、このように勇気づけてくれる。 そんな方々がいることを、私たち若い世代は、もっと感謝しなければならないと思います。 解決策は、おそらく制度として求めることはできないものかと思います。 そうですね、「若い人を厳しくかつ温かく育てる土壌」を築くことだと思います。 kaeruzo様、 こんなにまで丹念に、見ず知らずの私の想いを汲んでいただき、本当に感謝しております。 喧騒に心折れそうになる時、人生の先輩からかけられた言葉によって、自分を取り戻すことができます。きっと、これもkaeruzo様が私に与えてくださった「解決策」の一つなのですね! 今回、この質問をこのサイトに書き込んでよかったと思います。こんなに素敵な出会いがあるとは思ってもみませんでした。 皆様の温かいご回答を胸に、これからも教師として、自分にできることを精一杯頑張っていく意志を、強く持つことができました。感謝の気持ちでいっぱいです。 kaeruzo様のお孫さんが大人になる頃に、今より少しばかりは温かい国になることを願って…。 本当にありがとうございました!
補足
本来、全ての方にベストアンサーを差し上げたいほどであります。 この質問をしたことによって、自分にとって実りあるものを得られたと感じています。 この質問の(日本社会の現代における)「消費」中心の心理の原因は、所説ありましたが、全て真なりと思いました。 そして、解決策なのですが、私個人としましては、kaeruzo様からいただいた「若い人を厳しくかつ温かく育てる土壌」を築くこと、という結論にさせていただきたいと思い、kaeruzo様のご回答をベストアンサーに選ばせていただきたいと思います。 皆様、本当にありがとうございました。