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健全な心は自己中心でないと構築出来ないのでは?
- 自己中心な人間は嫌われますよね。でも部下に人に気を遣うあまり逆に敬遠されて少々病み気味の者がいます。
- 本来は自己中心でなければほとんどの人間が自分勝手なので世の現実に見合わないはずです。
- 人のことばっかり気にしている人は、例え気を遣っていて立派な人間だろうと感覚が合わないので、どうしても敬遠されてしまうのではないかと思います。
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No.4です。何度もごめんなさい。追記です。 人間関係が「ギブ&テイク」であることから、身を削って(自己をの利益を省みずに)与えられるともらった方は同様に「身を削って」返さなくてはいけないような義務意識をもたらされます。 なので、与える人が「自己を一番」と考えている前提でかけてくれた気遣いであれば、受け取った人もまた「自己を一番」大事にした上での「お返し」で済む、ということであれば、「自己中心もまたよし」の理由にならないかな、と思いました。 そういう風に伝えてみてはいかがでしょうか?
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- u-lily
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質問にあった答えかどうか、少々自信がありませんが・・・ >人のことばっかり気にしている人は、例え気を遣っていて立派な人間だろうと 感覚が合わないので、どうしても敬遠されてしまうのではないかと思います。 私はどちらかというと自己中心的な方だなと思う性質なのですが、気を遣われすぎると「感覚が合わない」というよりも本人の意思はともかくなんだか「借り」を作られているような気がして敬遠したくなります。 誰かを気遣う、という行為はそれを望む相手、もしくは「気遣い、気遣われ」といった双方向のやりとりが見込める相手であれば、心地よく思いますが、一般的以上の気の遣われ方をされると「優しさの貸し」を受け取らされる気分になるのです。(私がひねくれているだけかもしれませんが・・・)その借りた分を相応に返させてくれるならまだよいのですが、気遣いの多い方の中にはその貸しを返す機会を与えてくれず、一方的な借りばかり増えていくことに、関係性として居心地の悪さを感じてしまいます。 人間関係の基本は「ギブ&テイク」だと思います。 >実際、人なんて自分が幸せになることしか考えいていませんから それが大前提ですよね。この前提のもと健全な関係では「ギブ」した人は必ず何らかの「テイク」を受け取っています。それは同等のモノとは限りません。例えば「ある人に仕事を手伝った(ギブ)→その人の役にたてて嬉しいという気持ちをもらった(テイク)」そして手伝ってもらった人もこのときの「ありがとうの気持ち」が相手の「嬉しい気持ち(テイク)」に伝わっていることがわかるからこそ、対等にその好意を受け取れるというものだと思います。 つまり、一方的な「好意」、自分自身をすり減らす「好意」は相手にとっては「好意」ではなく返すことのできない「重い負担」なのです。 本当に気を遣える人は、そういった相手の気持ちの負担を軽くするところまで配慮できる人だと思います。 その部下の方の「気を遣える」部分はとても尊いものだと思います。そこで、一歩進んで「相手に負担をかけない気遣い」ということで、まずは「自分を大事にすること」と促してはいかがでしょうか? 長々とわかりにくい文章だったらごめんなさい。 参考になれば幸いです。
- sotom
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自身の幸福を求める際に、自分だけに奔走しすぎる場合もありますし、 自身とその周囲の環境も含めて幸せにするという気概を持つ者もいます。 >>部下に人に気を遣うあまり逆に敬遠されて少々病み気味の者がいます。 これは役職を全うしようとして、本来の目的を見失って空回りしているだけですね。 まあ、役者不足なだけです。人に気遣っているようで、実は自分を偽っているだけで、 そのギャップに苦しんでいるだけとか、そんな感じではないでしょうか? 健全というのとはちょっと違うと思います。
- Oaktreefield(@Oaktree-field)
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こんばんは。 個人的な見解ではなく、物理法則を紹介させて頂きます。 >人のことばっかり気にしている人は、例え気を遣っていて立派な人間だろうと… これは、正確に表現すると、 「人の(目)ばっかり気にしている人は、例え気を遣っていて立派な人間になろうと、していても、」 「どうしても敬遠されてしまう。」 となります。 それが、その方が多くの人に受け入れられていない、理由だと考えられます。 >自分のことしか考えてないでいつも自分に夢中な人間は… これも、正確に表現すると、 「人の(目)を気にせず、いつも自分に夢中な人間は、」 「気楽に付き合い易い。」 となります。 >人なんて自分が幸せになることしか考えていませんから。 これも正確に表現すると、 「余裕の無い人なんて、自分が幸せになることしか考えていませんから。」 となります。 >人を大切にするのも自分が幸せになるための手段の一つですからね。 そうですね。 >部下にそのことを正直に伝えて上げようと思いますが、 その方に、そのことを正直に伝えても、 >私が言うと社会的規範に凡そそぐわない意見なので軽蔑され… あなたの言わんとする処は、社会規範の本質ですが、凡そそれを理解できるのは、余裕のある者だけであり、部下はの方は、軽蔑はしないでしょうが、理解はできないはずです。 その方に、理解できる程の、余裕があれば、現状に至っていないはずだからです。 質問者様が、その方に、そのことを伝えるには、自ら「証明」する外はないでしょう。
- bksazn
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いや、おっしゃる通りだと思いますよ。 社会的規範にそぐわないとも思えません。 極めて現実的なお話だと思います。 私の場合、余り気を遣われ過ぎると、 何というか、不快ではないんだけど、興ざめするというか、 もう少し空気を読めよ、 というのに近い感覚になりますよね。 また、一面では、俺のことは俺でやるし、ほっといてくれよ、という。。 ただ、横槍からなので、余り事情が分からないまま進言させて頂きますが、 その部下の彼が気を遣い過ぎる理由は何なのか、 によって、伝え方を変えるべきではないかと。 例えば、 本当に周りのことを考えてあげていて、それがやり過ぎになっているのか、 それとも、嫌われるのが怖くて、周りに気を遣っているのか、 はたまた、自分自身に自信がない余り、気を遣わざるをえないのか。。 他にもいろいろ可能性は考えられるでしょうが、 2番目、3番目の理由の場合、理屈を伝えただけでは、直せなさそうですよね。 何か恐怖心とか、自信のなさを取り除いてあげる、 あるいは、自分で払しょくするように仕向けることが必要かと思います。