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創価学会の女性(ひとり親)を愛してしまいました。
創価学会の女性を心底愛してしまいました。プロポーズもしました。 付き合いだしてすぐの頃に学会員だということを知らされて、どん底に落ちました。 彼女は学会の地方組織に10年間も勤務し、任用試験にも合格している、筋金入りの学会員です。前の夫も学会員でした。 学会を批判することは彼女の人格否定になります。単に批判するのはフェアーじゃないので、本を何冊も読み、学会の集会に参加し、いろいろと研究もしました。 彼女には、せめて別の視点も持ってほしい、思考停止に陥らないでほしいと、何度も説得しました。 信仰することと学会員であることは違うだろうとも、君から学会がなくなっても、何も変わらないだろうとも、君の心のよりどころは子供であって学会ではないはずだとも言いました。 でも、そういう説得自体が彼女の否定になってしまいました。 彼女も、そういう僕と一緒にやっていくことに自信がなくなったと嘆きます。 彼女は、学会員としてしか、生きることができないのだと、悟りました。 だから僕は、彼女への説得も、学会の批判も、原則的には止めようと決心しました。 いろいろな声はありますが、とりあえず、学会は平穏です。 表向きは平和主義を唱えていますし、相互互助会的機能もあります。 たとえばオウム真理教のような反社会的な行動が見られなければ(個々にはあると思いますが)、 説得や批判で彼女を傷つけることは止めようと決めました。 僕の心の葛藤は、いちいちここに書くまでもなく、皆さまのよくご存じのとおりです。 まだ結婚していないのが不幸中の幸いです。 何度も、彼女と寄り添うことをあきらめようとしました。 しかし、僕はそれでも彼女を失いたくはありません。どうしても彼女をあきらめることはできません。 彼女のいない人生は、絶望の中をさまようだけです。 あらゆる可能性を考えてはみたけれど、結局、僕は結婚という夢と、彼女という夢は両立し得ないという結論に至りました。 彼女は失いたくない、ではどうするか、結婚をあきらめるしかありません。僕の人生から、結婚を捨て去るしかありません。 そこで、事実婚という方法を思いつきました。いや、事実婚も必要ありません。 同棲。それでもいいです。 彼女と彼女の連れ子が、幸せに人生を過ごしてくれれば、それ以外に何も求めません。 そのために僕が身を粉にして働くことに、なんら疑問を感じません。 (彼女はいま、朝から夜10時くらいまで毎日仕事をして、子供を養っています)。 ただ問題は、彼女との間に、もう一人子供が出来てしまった場合です(継子と実子の問題ではありません)。 もちろん、子供は作らないほうがいいのは分かっていますが、愛する人の子供は、天に叫ぶほど欲しいです。 もし、子供ができた場合、その子だけは学会員にしないでほしい。 でもそれをそのまま彼女にお願いするのは、もしかしたら酷かもしれません。彼女は今の連れ子も、何の疑問もなく、学会員にしてしまいました。それが彼女の人生では当然のことなのです。 だから僕は、「その子の親権者は、僕にしてくれ」という言い方をしようかと思っています。 夫婦でない者同士の間の子の場合、民法的には親権はどのように扱われるのでしょうか。 それも問題ですが、 民法の常識が、創価学会に通用するものでしょうか。 質問は以下の二点です。 (1)彼女と籍を入れない(事実婚または同棲)ことで、あえて二人の間に遊びを設け、それによってお互いの学会をめぐる摩擦が、多少なりとも緩和されるものでしょうか。 (2)子供ができた場合、「親権は僕に」ということができるのでしょうか。できたとして、それで子供への創価学会の影響を減らすことができるでしょうか(100%は無理でしょうね)。 彼女の連れ子(女6歳)との継親・継子の問題もありますが、それはここでは問題をややこしくするので書きません。そちらで困った時は、別途ここで質問します。 真剣に悩んでいますので、創価学会の悪口一辺倒の返答はご遠慮ください。 また、こういう場合、彼女はどう感じているのか、彼女は何を考えているのか、学会員の立場からお話を伺いたいとも思います(答えていただけるなら)。 彼女も、学会員ではない僕と、どうやって生きていけばいいのか、深く悩んでいます。 可能ならば、学会員の方のご意見も頂戴したいです。 よろしくお願いいたします。
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彼女が最後の女性とは限りません。 別の女性との出会いだって、有るかもしれないと思います。
- 177019
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「彼女が時間にゆとりが出来ればその分、学会活動に走る事は明白です。貴方は「集団で誤った方向に進んでしまえば恐ろしいことになります。」と書かれていますが、もう恐ろしい事態に学会は直面しています。彼女が学会活動する事は、例えば聖教新聞をどなたかに購読してもらう、これは池田先生からのお手紙のような新聞だから啓蒙、他の方に購読してもらう事は自分にとって功徳なんです。又前回の選挙でも問題になりましたが「選挙に行って公明党に投票する事が功徳なんです。テレビで学会婦人部がはっきり言いました。このような行為は全く仏教を信心する事とは全く別問題です。これは洗脳ですよ。と我々は言っている訳です。誤った方向に進んでいるとはそこなんです。この彼女に聞いて御覧なさい?「どなたが書かれたご本尊を拝んでいますか?」、恐らくこれだけの活動家ですから学会が独自に作成した御本尊で日寛上人のご本尊と言うと思います。これは学会が本物のご本尊を一部訂正してこれを大量に印刷して会員に配った、紛れも無い全くのニセご本尊です。こんな物にいくら題目を勤行を上げたとて、所詮悪鬼が充満してすべて悪い結果が、貴方をも苦しむ事になります。その弊害として最近の学会員に突然死が多い事です。「集団で誤った方向とは」このような現象に目を伏せている事です。
- hyakkinman
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【宗教的洗脳>愛】 です。 しかも、年を重ねるほど大きくなります。 身ではなく、心を粉にしなければ成り立ちません。 宗教的洗脳によって、戦争を起こしてしまうほど、人間とは愚かな生き物です。 宗教的価値観の相違は、大きな問題です。 【一家全員で信仰をすることが、幸せの形】と洗脳されていますから… あなたが彼女の考え方に従うしかありません。 できないのなら、一時の熱(どんな形であれ、一緒に生活できるようになれば、冷めていきます。)に負けないで、離れることです。 洗脳者と共に生きるとは、そうしたことです。 北朝鮮の方と一緒になったのに、将軍様を否定するようなものです。 洗脳ほど恐ろしいものはありません。
- heisenberg
- ベストアンサー率23% (591/2556)
元創価学会員です。 創価学会に対する意見はありますが、非難・批判になりますので、書きません。 あなた自身、創価学会が間違った教団であることをご存知ですし、「批判はやめて」とのことなので・・・。 No.1さんへの「補足」について回答します。 >>◇その分を学会活動に割いてしまうのかと、懸念しています。 この懸念は、ほぼ、間違いなく、実現するでしょう。 今は、彼女の仕事が十分な学会活動を阻止しているようですが、あなたが彼女の仕事を軽減してやれば、それで浮いた時間は、学会活動に充てられるはずです。 そして、彼女は、思うでしょう。 「これも、御本尊さまのお蔭だわ」 「御本尊さまが、『もっと、法華経のため、創価学会のため、活動しなさい』と時間を与えてくださったのよ」 「これからは、一層、学会活動に励もう!」と・・・。 彼女を思うあなたへの感謝は、二の次でしょうね。 「御本尊さま」の、一種の「ご加護」や「功徳」と考えるのです。 思考停止の「創価学会的思考」ですね。 幾らかは、あなたと過ごす時間にも充てられはするでしょう。 しかし、浮いた時間は、基本的には、学会活動になりますね。 「宗教奴隷」の哀れな人生です。
- japaneseenglish
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なにもそこまで思いつめることはないと思います。 わたしの知っている人で学会の幹部をされている女性がいますが、彼女の夫は、学会が反対というより、まったく別の宗教の猛烈な信者です。 奥さんは、主人とは一線をひいていて、ここからは僕の領域だからお互いに入らないようにしていると言っていました。 なにも学会抵抗があるなら、入らなくてもよいではないですか。 恋人も、学会に入らないと結婚できないといっているのですか? だとしたら、本当に信仰がどういうものかわかっていないのだと思いますよ。
- 177019
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元学会員です。私達は学会の悪口を言っている訳ではありません。貴方がどこまで研究したのか知りませんが、貴方自身、信心してその組織の中にいた人で無い訳ですから、「研究しました」と言って分かるものでは決してありません。学会員一人一人は本当に良い人達ばかりである事はご存知の通りです。ただ学会そのものが信仰者として誤った方向に走ってしまっているから、「それは間違いなのですよ」と言っているだけなのです。この彼女は完全に学会の職員ですね。質問に答えますが(1)これは貴方が単純にそう思う事であって絶対無理です。彼女からすれば生活の第一が学会ですからそこに摩擦は起きて回避は無理と考えます。(2)「認知」は当然可能ですが、「親権」については微妙です。しかし、子供が出来れば恐らく彼女は池田先生に名前を付けてもらおう、とか絶対言い出しますし、子供が出来たら即学会入信の手続きを取るでしょう?なぜなら彼女は会館の職員で回りは県幹部なのですから、上司の命令とまではいかなくても自然にそうなると私は思います。 これは悪口ではありませんが、今の学会は坊主不要、戒名不要、葬式は友人葬、ネクタイした学会の幹部が来てお経を上げて行くのです。こんな葬式のあり方は間違っていますよ。と私達は言っているのです。貴方は「学会を批判する事は彼女の人格否定になる」と言われますが、彼女自身の人格と、宗教は関係ありません。大きな穴の方向に走るわが子を止めない親はいないでしょう?「止める」と言う行為が相手の方を思う「慈悲」だと私は思います。恋は盲目?冷静になって考えては如何ですか?
補足
ご返答ありがとうございます。 少し言葉が足りませんでしたので補足しますと、 彼女は前回の結婚を機に、学会勤務はやめております。辞めて6~7年になると思います。 それでも、今の仕事が忙しくて十分な学会活動ができないことを気にかけています。 僕は彼女にもう少し楽をさせてあげたいと思っていますが、 もし彼女が時間的にゆとりができて、楽になれたとしたら、 その分を学会活動に割いてしまうのかと、懸念しています。 学会の会員一人一人は、本当にいい人たちです。 「羊」のよう、といっては語弊があるでしょうか。 まじめで、勤勉で、素直で、まっすぐで、おとなしくて、やさしい。 彼女もそんな人です。僕の冗談もまじめに受け取ってしまうので、いつも笑っています。 でも、そんな人たちだからこそ、 集団で誤った方向に進んでしまえば、 恐ろしいことになります。 オウム真理教の悪夢を知っているだけに、なおさら恐ろしいです。