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「見義勇為」の意味とは?日本での教育と論争について
- 日本では、「見義勇為」を未成年の子どもに教育するかについて論争が起こっています。
- 元「中学生日常行動規範」の修正案では、「見義勇為」の削除と代わりに自己防衛が強調されました。
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質問者が選んだベストアンサー
「見義勇為」は日本では教育しません。 「見義勇為」は日本では「義を見てせざるは勇無きなり」と言い、孔子の言葉である『論語・為政』にあると紹介されています。 日本での意味は「人として為すべきものだと知りながら、それをしないことは勇気が無いからだ。」とされ、「戦う勇気を持つこと。社会の公衆道徳に違反する行為を忠告して止めさせること。」というような解釈はされません。 日本では「人間として根本的な行動を示すことを臆してはならない」という意味であり、社会の公衆道徳はその時代によって変化する社会法ですので「公衆道徳に違反する行為を忠告して止めさせること」は日本での「見義勇為」には該当しません。 一方「自分で自分を守ることができ、助けを求めることがわかること」は人間としての根本である「生物としての基本的な行動」ですので、それを躊躇することの方が日本での「見義勇為」に該当します。 子供は先ず「自分で自分を守る」ための知識、判断力を身に付けねばならず、「何をするのが最も正しい行為であるのか判断できない問題」に対しては「臆することなく周囲の大人に助けを求める」のが正しいことでしょう。 川遊びで溺れる事故に遭わないように「自分で自分を守る」最低限の知識は身に付けておくべきことですが、もしも友達が急流に流されてしまったら「何よりも先ず、大人の助けを呼ぶ」ことが日本では未成年者が行うべき正しい行動とされます。 大人の助けを呼ばずに、自ら急流に飛び込んで友達を救った場合、例え 2 人とも無事であったとしても、助かった 2 人は両親からは勿論のこと、大人達の誰からも叱られることとなり、大人達は 2 人が無事であることに安堵するものの、決して子供を誉めるようなことはしませんし、両親は子供達の事を心配してくれた人々に「御心配をかけました。」と謝ります。 日本では未成年者は自らの生命に責任を持つ権利を有しません。 未成年の生命はその親が責任を有します。 友達を救うために急流に飛び込んだ子供が命を落とした場合、日本では死者に鞭打つような非難はしませんが、子供の生命に責任を負う親に対して「命をかけて友達を救おうとした子供さんは立派だ。」とは決して言いませんし、子供の親は子供達を捜索して遺体を引き揚げてくれた人々に対して「御迷惑をかけました。」と詫びます。 自らの生命に責任を持てる成年であれば他人の為に命をかける権利がありますので、急流に飛び込む行為は賞賛に値しますが、自らの命に責任を持てない未成年が友達を救うために急流に飛び込む行為は誉められるべき行為ではないとするのが日本です。 なお、御質問者さんの日本語は完璧だと思いますよ(^_^)/
お礼
ご丁寧に教えていただきありがとうございます。大変参考になりました。