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尊厳死について

尊厳死についてどういうものなのかという事と安楽死と比べて皆さんの意見はどうあるか知りたいです。

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回答No.6

尊厳死と安楽死の違いなりどういう意味をもつものかは 皆さんがお書きになっているので、付け加えて書くことは ありません。 ちょっと、体験談・・・ ちょうど一年前、父が肺ガンでなくなりました。 ステ-ジてきにもかなり進んでいました。 ガン(腺ガン)が右肺の上葉と中葉にまたがっていたため 右肺の下葉だけ残し切除しました。 下葉はのこったといっても、ほとんど片肺で呼吸することになるので、 普通にしててもとても苦しそうでした。(呼吸するのが・・・) 手術前に丁寧な説明をうけていなかったので、 手術後に起きうる個々の症状(よくないこと)を 本人も切ればいまよりは、よくなる楽になると考えて 手術に望んだのですが、手術後から激しい嘔吐に さいなまれ、肺をとったことで歩行するのもハアハアと ・・・ 手術をしてからは、まともに食事も取れず日増しに ベットから身体を起き上がらせているのもつらくなり 寝たきりになりました。 当然、足腰も弱くなり・・・一人では、歩けなくなりました。 手術後2年ちょっと闘病生活が続き・・・他界しました。 うぅ~ん。 死について、もっと患者に選ばせる選択肢をあたえてほしい。と、そのときおもいました。 切らずに、たとえ余命1ヶ月としても本人がその間に 自分のしたいことをして過ごす1ヶ月ならそのほうが しあわせではないかと・・ ただ生きている(呼吸している)、意識がないなら それでもいいかもしれないが、痛み苦しみを本人が 認識できているにもかかわらず、人間らしさがもぎとられてもいかされつづけること・・・ 本人にとって苦痛以外の何ものでもないと思いました。 尊厳死、人間らしく最後まで過ごすと言うなら 尊厳死の必要性をかんじます。

  • akiyotea
  • ベストアンサー率36% (18/50)
回答No.5

専門家ではないのですが、私の経験からお話したいと思います。 15年程前 父が 血液のガンと診断されました。 治ることのない病気で、輸血を繰り返し、何度も死の間際まで行きながら、生還?するという闘病生活を続けました。 心身ともにつらい生活でした。 このように 苦しみながら生き長らえるよりも、 もう 治療せずにしなせてほしいと、父は何度も言いました。 私も悩み、尊厳死や安楽死について学びました。 それについて 主治医とも話しました。 主治医は 尊厳死や安楽死は認めませんでした。 その理由は、 ひとつは 父の病気が血液のガンという特殊性にあったこと。 もうひとつは、人間というものは、計り知れないもので 死ぬと思っていた人が げんきになることもまれにあるのだから、死ぬなどと勝手に決めることは間違っている、ということでした。 たしかに 父を介護して病院に泊り込んでいた時に 隣の ベッドに寝かされていて もうあと数日の命だろうと 看護婦さんも医者も言っていた患者が なんと1ヵ月後には、自分で歩いて退院するほどの元気になったのです。  意識のないその患者を もう死ぬだろうからと 治療をあきらめて 尊厳死させていたら、その人は死んでいたのです。 その時 つくづく 生命というものの不思議を知りました。  また 治療を拒否して 医者がとめるのも聞かずに 勝手に退院し 家で死ぬと帰宅したのですが、結局 その後は 私が見るのもつらい貧血症状で、父の苦しみを見ることに耐え切れず救急車を呼び 父が嫌がるのもかまわず病院に逆戻りさせてしまいました。 それが良かったのかどうかは今もわかりません。 でも その選択しかできなかったのです。 つまり 尊厳死といっても、死に遭遇しているひとすべての場合に当てはまるものではないのでは? ということ。  また 家では 難しいですよね。 医者がいなければ、へんし扱いになって警察の手に委ねられるという現実的な問題もあるようですし・・・。 私も悩んだ時に いろいろリサーチしましたが、おもしろいことに 安楽死、尊厳死、そしてターミナルケアに積極的なのは 外科系のドクターなんですよね。  どちらかというと 反対なのは 内科系のドクターでした。 これは 私なりの解釈なのですが、 外科は、内科と違って 結果がはっきりしているからなのでしょうね。 対して 内科は 体の内部のことですし、また ひとりひとり薬に対する反応が異なるし、外科よりも複雑ということがあるのかもしれません。 こんな回答でも お役に立てましたら 良いのですが・・・。  ところで、実は この質問に関連あると思うのですが、 「不治の病では治療をしない」というポリシーについて質問をしようと、 このジャンルを尋ねました。 このあと 質問を投稿するつもりです。 もしかしたら そちらのほうにきた回答も お役に立つかもしれませんね。

  • kawakawa
  • ベストアンサー率41% (1452/3497)
回答No.4

尊厳死とは、個人の人間としての尊厳を守りその人の意思を尊重して、ペインクリニックなどは行っても、積極的延命治療(端的に言うと、チューブだらけにして意識不明のまま延命する等の行為)を行わないことですネ。 病名を挙げると問題がありますので、述べませんが、治療法のない致死性の疾病に罹った場合などに、そして、その疾病の最後が人としての尊厳を保てないと患者本人が考えていたとき、その意志と尊厳を尊重して死に導くことも尊厳死の一部として捉えられています。海外での例ですが、自分の体が動く間に『人間として死にたい』という患者の希望を受け入れ、致死量の薬物を渡して‥ということもありました。法律上は自殺幇助になるのでしょうが‥ 一方、安楽死の場合、患者自身の意志に基づいて死期を早める場合と、意識のない患者に代わって周囲の意志によって行う場合がありますが、いずれにせよ苦痛に耐えかねてという理由、或いは、見ていられないという理由によります。 尊厳死というものの位置付けは非常に大きな課題です。 単に法規上の問題ではなく、人間とは何かという根本的な問題であるからです。そして、その価値観や定義が人によって異なっているからです。 例えば、いずれ医学の発達により治療法が確立されることが、或いは機能回復が期待されるものであっても、それまでの間、チューブに繋がれ、人工心肺装置に助けられ‥という状態を続ける‥これを希望する人にとっては、かけがえのない命を長らえるためには仕方のない行為であると考えるでしょう。けれども、別の人にとっては、その状態は人としての、自分の尊厳を無くすものであると考えるでしょう。ですから、尊厳死はどのレベルで行うべきであるかということは人によって異なってくると思うのです。 脳死問題とも似ていて、非常に哲学的・倫理的な課題です。なんだか、まとまりのない回答をしてしまいましたが、実際、私の頭の中でも結論は出ていません。 一般論的に考えたときと、自分自身に置き換えたとき、そして、家族に置き換えたときなどの色々なケースを想定すると、まとまらないのです。 以上kawakawaでした

  • nonkun
  • ベストアンサー率27% (98/357)
回答No.3

簡単に言えば、尊厳死は自然死。例えば畳の上で死にたいとかいうのでしょうか。身体中に管を刺されて生きているか死んでいるか判らない状態での生を拒否するものです。 この生きてるか死んでいるか判らない状況で生きていたくないということから「尊厳」という言葉になるのです。 安楽死とは苦しみから解放してくれという死。言い方はむちゃくちゃ悪いけど、気の毒だから殺すわけです。(だから後日、安楽死を行った医師が遺族に訴えられることが起きる) 苦しみから解放されるために「安楽」な死を望むのです。 尊厳死=本来死ぬはずの人を延命治療せずにそのまま死なしてあげる。 安楽死=しばらく生きていけるけど、苦しいくて辛いから死なしてあげる。 ではないでしょうか?

noname#4643
noname#4643
回答No.2

日本尊厳死協会さんのサイトが参考になると思います。 尊厳死は、高度に発達した医療によって「生かされる」ことを拒んで、自然な死を受け入れることだと思います。 そして、安楽死は肉体的精神的な苦痛から解放されるために、自ら安らかな死を選ぶということでしょう。 11月28日にオランダで合法化されました。スイス、コロンビア、ベルギーでは、合法化はされていませんが、事実上容認されているとのことです。

参考URL:
http://www.alpha-web.ne.jp/songensi/
回答No.1

尊厳死の場合、個人の主義主張やプライド、大相撲の世界で例えれば、余力を残して引退する。というように自分が望む自分自身の姿のまま死を迎えるということと解釈しています。  また、安楽死の場合は、大雑把に表現すると苦しみから解放させてあげるという、当人を取り巻く周囲の人間たちから発信される希望の方が、実際のところ当人の希望より大きいような気がします。  いづれにせよ、死はまったくもって自分だけのものなのか、それとも社会という枠の中のものなのか..答えは神のみぞ知るといったところでしょうか。

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