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言葉を使わないと考えたり思ったりできないのですか?
なにか考えるとき言葉をつかったり、イメージしたりしてると思うのですが 例えば何も考えないようにしよう、と思った際、言葉を使ったりイメージするのを意識的に止めるわけで、 もしそれをできたとしたら考えないようにするのをやめるなどといった発想は、意識的に言葉を使わないようにしたり、イメージしないようにしてるのでそのような発想はできず、ずっと考えないように意識的に止め続けることになるのでしょうか でもまずそんなことはないと思うので、考えるのをしないようにするのをやめるといった発想は、イメージや言葉以外をつかって思い、意識的に止めるのをやめてはじめて、言葉を使い考えるのをしないようにするのをやめようと思うのでしょうか。 変な質問ですいません。
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- kaitara1
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しろうとですが、少し書いてみます。言葉というのは今ここ以外の対象に関心を持つためには必須のものではないでしょうか。私は模型つくりが趣味ですが、ぶひんを実際手にとってああでもない、こうでもないと首をひねっているようなときには全く言葉を使っていないと思います。しかし手を休めてお茶を飲んでいるときに、さっきまで作っていた模型のことを考えようとすると部品の名前によってイメージしないと何も考えられません。この場合微妙なのはその部品には誰にでも通用するような名前でなくてもよいということです。茶碗を持っているとだめですが、自然と手がその部品の形を追っています。この手の動きは言葉なのだと思っています。手で無く声を使えば茶碗を持っていてもその部品のことを考えることができます。もちろんお茶を口に含んでいればだめですが。 もうひとつの問題はいったん手に入れてしまった言葉(単語)はほかの単語と相互作用をして頭の中に膨大なネットワークを作っています。こういうネットワークは自分なりの行動をして、持ち主の言うことをきかなくなっています。極端にいえば考えたくないことでも考えてしまうわけです。ですから意識的にそのことを考えないようにしようとしても、単語はするりとあなたの意図から逃げ出して別のところから顔を出すというような感じで(モグラたたきというゲームのように!)かえってそのことを考えることをやめられなくなるということもあります。 また言葉は道具ですからよい言葉をそろえて手入れを怠ることなくいつでも使えるようにしておくということも比喩そのものですが、大切なことのように思います。
- TANUHACHI
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では逆に質問しますが、吃音症の方が何も考えていないのかとの結論が出されたなら、当事者であるその方々はそうした結論に対し、どう感じるでしょうね。これは決して嫌味な意味からではありません。実際に僕の父親(実父)は高圧的な人物で人を見下す傾向があり、僕はそうした人間と悉く対立もしてきています。 実際に言葉の出来にくい人間が何も考えていないのかといえばそれは全くの嘘であり偏見でしかありません。逆にいえば流暢に言葉を扱う人間の方が薄っぺらで何も考えていない。 だから、そこで使っている言葉の意味が果たして相手に真意を伝えているかなどはお構いなしにペラペラと言葉を並べるだけとなってしまい、聴く側としてはコイツ本当にこっちが言っている意味を解っているのかと信用できなくもなります。 イメージというよりもむしろ「論理としての整合性」があるかどうかを理性的に判断せねば意味はないと存じます。 もし貴方が脳梗塞や脳内出血により言語が不自由になったとして、自身が何か言いたい時にそれを言葉に出せないもどかしさを実際に経験してみたらお解りになると存じます、こんな失礼な質問の仕方があるか!と。
- バグース(@bagus3)
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ジベリッシュという瞑想法があります。 まったく意味のない言葉をしゃべり続けるのです それによって思考の停止を行います http://www.osho-japan.com/guide/gibberish.html
- SPROCKETER
- ベストアンサー率26% (2127/7994)
子供時代を思い出してみてください。 子供の頃は新聞を見ても読めない漢字がたくさんあって、推測で意味を考えていた事がありませんでしたか。文章が読めないので、写真だけを見て、どういう事件なのか推測していた事がありませんか。 そういう時でも、脳は考えていますよね。言葉に出来ないものでも思考する事は出来ますよね。感情的な問題や印象が強い問題は言葉を経ずに考えていますよね。音楽を聴いたり、映画で感動したシーンは言葉で無くても理解出来ますよね。 言葉で考えているのは左脳で、右脳は感性の脳だと言われますが、両者が協調して思考しているわけで、それが意識であるわけです。原始的な本能のイド、自我を保つエゴ、上位自我など、多くの機能を併せ持って意識は形成されています。言葉だけが意識なのではありません。