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同じ画像でも両眼視すると立体的に見えるのは錯覚?
まったく同じ写真を互いに隙間なく横に並べて境目で二つに折り、屏風のようにして両眼視してみると立体的に見えますが、これは錯覚でしょうか。山折りでも谷折りでも同じような感じです。あるいは角度が付いているために同じ写真でも立体視に見えてもおかしくないというような理由もあるのだろうかと想像しています。ご教示お願いいたします。
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私も自分で立体視用の写真を作っているのですが、同じ写真2枚を間違って立体視の見方をしてもしばらく気づかないことがあります。 つまり立体視は実はできていないのですが、両眼で見て脳内で二つの画を再構成している時の脳の使い方とか引き出しの場所が立体視の時と同じなのだろうと思量しています。 またその時の情報量は1枚の写真を観ている時より多いのではないかとも考えています。 両眼で視差を手がかりにしている時と普通に写真を観ている時では空間認識に対する脳の構えのような物が違うようです。 ともかく1枚の写真を両眼で見ている時と同じ写真を立体視の要領で片目ずつ観ている時では見え方が違うのはおっしゃるとおり事実です。しかししばらく注意深く観ていれば立体視とは違っていることはわかります*。立体視できているように感じるのはやはり錯誤ですが、普通に写真を見ている時と違うのは事実ということになるでしょう。 *(片方を視差のある写真と入れ替えてみればその違いかたはつかめます。) 同じモノラルの録音をひとつのスピーカーで再生している時と少し離した2台のスピーカーで聴いている時と似たような物を感じます。 眼病などで片目を覆ってしまったり、視力が落ちると思考力が鈍る経験もあります。ですので脳の働きへの視覚の影響はかなり密接な関係がありそうに思います。 以上ほとんどが実際の観察の感覚にもとづいた直感的な思考に過ぎませんが。
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- Postizos
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8で言っている視覚が集中するとは立体視していないまわりの物が逆に二重になったりして実際に見えにくくなってしまっていることを言っています。 単に集中力のような精神的な物を意味していません。 書いていらっしゃるように「妄想とは違う」という考えです。思想などが関係してくる「主観」ともちょっと違うように思います。 認知の仕組みと書いたのは、認知心理学という分野がありますが、例えば太陽が地上近くに見える時に大きく見えるとか、構造物を見る時垂直方向にはパースがあまり掛からないように見えるなどの現象や理由などを調べて、単に気分の問題ではなくて生理的にメカニカルな働きや合理的な理由があるというアプローチをする物です。錯視の現象なども扱います。脳の中の出来事ではあるけれどもそれは人類の脳の中で共通して起きていて法則性なども見出せる物、「心」というよりは脳内での情報処理の問題という観点から研究できるものという考え方です。 http://persci.mit.edu/gallery/checkershadow 関連: ゲシュタルト心理学
お礼
言葉というのは難しいもので、自分の体験していることを言葉だけで伝えることはできないことがしょっちゅうです。しかし少なくともこの質問に答えていただいている方々のおかげで大変勉強させていただいえいることは確かです。ありがたいことだと思っております。
- Postizos
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もうひとつ思ったのですが。 山折谷折写真を両眼で見ている時、まわりの現実の光景はちゃんと見えなくなって背景化するというか、視覚が写真の中の世界に集中しますよね。現実の空間と違う空間に置いたように見えます。一種のバーチャルリアリティーというのでしょうか。 その結果元々写真の持っているイリュージョンの中に入りやすくなるということが考えられます。 写真が現実を写した物・現実の視覚のように見えるというのも元々認知の仕組みによる錯覚です。
お礼
なるほどですね。錯覚というのはいわゆる心の世界で、いわゆる外界とは別物とすれば、いわゆる主観と客観を文字通り対比して示してくれる貴重なものではないかと思いました。錯覚は妄想と違うということも改めて納得できました。物体としての山折り谷折り写真をモノとして認識しているのは外界の出来事とも言えるのかなと思いました。大変勉強になりました。どうもありがとうございました。
- foomufoomu
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NO.4回答に例が書かれていますが、私は「山折」と聞いて次を思い出しました。 https://www.youtube.com/watch?v=7TGYzo0J-A4 家の形に添って山折になった絵を、左右に移動しながら見ると、街を歩いているように見えるというものです。 ただし、ほんとの建物では手前になる部分が奥に、奥になる部分が手前になるように折られています。
お礼
こういうものもあるのですね。奥が深いものですね。
- phobos
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ANo.4のご回答が大変詳しく説明しているので蛇足の回答になりますが、ひとこと。 > 屏風のようにして両眼視してみると立体的に見えます 面白い発見だと思ったので、私も実験してみました。 手元の同じ写真を2枚、平らな面に並べて平行法で見てみると、当然のことながら立体的には見えません。 2枚の写真の合わせ目を高くして山形に並べてみたところ、たしかに平面に並べたときとはちょっと異なる感じに見えました。 しかし残念ながら「立体的」とは言いがたい見え方でしたね。 おそらくは山形の高いところは目に近くなった分だけ大きく見えるところから、左右の写真を脳内で合成して認識するときに若干のずれが生じるために、奇妙な感じがするのだと思われます。 いわば、疑似立体写真というべきでしょう。 初めから立体写真として撮影された本物と比べると、その違いは明かです。 質問者さんも、下記の立体写真と比べてみることをお薦めします。 https://www.google.co.jp/search?q=%E7%AB%8B%E4%BD%93%E5%86%99%E7%9C%9F&client=firefox-a&hs=Re&rls=org.mozilla:ja:official&hl=ja&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ei=9M3MU77LKIfe8AWO44HoAw&ved=0CAgQ_AUoAQ&biw=1060&bih=788#imgdii=_ ご参考までに、簡単な3Dイラストを描いてみました(これでも一応立体的に見えます←平行法)。 左右の図を比べてみると判ると思いますが、それぞれの物体が奥行きに応じて左右に少しづつずれています。 左右の目に映るこれらの画像毎の微妙なずれが、脳内で認識するときに立体感として感じられるわけです。 同じ写真を山形(谷形)に並べただけでは、物体毎のずれは生じませんから、立体に見えることはあり得ないことがおわかりでしょう。 > これは錯覚でしょうか。 錯覚には違いありませんが、それを言うなら、本物の立体写真であっても、立体的に見えるのは錯覚に過ぎません。
お礼
ご教示ありがとうございます。山形に折るということについて付け加えさせていただくと、鋭く折っていくと二つの像が重なりやすくなるということがあります。両方ともかなり斜めから見ている(人の顔なども細くなっています)ことになりますが、私にはこのように重なりやすくしたものは、お示しいただいたような、いわゆる立体視画像のような自然さはないものの、得られる立体感には差がないことは、繰り返しになりますが、不思議にも思えます。
ちょっと自分ではうまくできませんでしたが(よくある立体視写真でも苦手なのでorz)、あり得ます。両眼を寄せて写真を眺める、あるいは逆に写真がもっと遠くにあるかのように思い込んで眺めるというテクニックを使う立体視用写真だとして、ですが。もし、そういうやり方で2枚の写真を1枚として見ているのでなければ、以下はご質問意図を勘違いした内容になりますので、無視なさってください。 ちょうど両眼で対象を見るのと同じですね。両眼で見る場合、同じ一点を見ても、中央以外は左目が見る角度と右目が見る角度は異なります。両眼に入ったその目の情報は角度が違うため微妙に異なった2次元情報となり、その角度込みで脳内で情報処理されます。それにより、立体的に認識できます。 なお、角度の違いが認識できない遠方は、空気によるぼやけや、そこまでの比較用対象物などの別の仕組みになります(このことは、後で言及します)。 普通の立体視用写真は2台のカメラを離して置いて、写真を撮ります。両眼で見るのと同じですね。その2枚の写真を平面的に並べ、立体視のテクニックを使って1枚に見ようとすると、写真に写った角度の違いがやはり脳内で情報処理され、立体感のある写真に見えます。 同じ写真ですと、折らずに平面的に置いて立体視テクニックを使っても、写真に写った対象物の同じ位置を見る左右の目の角度は、1枚だけを見るときと異なりますから、僅かに立体感が出るかもしれません。 しかし、山折、または谷折りにすると、1枚の写真でいえば斜めにして眺めるわけですから、写真の左右で遠近が出ます。形も歪むわけですね。しかも2枚を並べて山折なら、左側の写真の左端は遠くですが、対応する右側の写真の左側は近くになります。2枚の写真の同じ部分が角度だけでなく、大きさも違うわけです。 そのことだけでは、光学的に考えれば単なる違和感でしかなく、立体的といわれれば、確かに平面的ではないが、といったものになるはずです。 しかし、そこに脳での情報処理が加わります。見て認識するということの大半は、光学的な処理ではなく、その画像情報を脳内で処理することよって決まります。極端な視覚実験例では、上下がさかさまに見える眼鏡をかけるというものがあり、最初はさかさまに見えて苦労しますが、一定時間眼鏡を装着したままにすると、上下が正しく見えて普通に動けるようになります(そして眼鏡を外すと、上下がさかさまに見えてしまい、しばらく苦労する)。それくらい補正は大きくかかるわけです。 1枚の写真は2次元情報ですから遠近はないはずですが、遠近はたいてい分かります。地面や、そこにあるものなどを頼りに、遠近が認識できるわけですね。左右の目の見る角度では認識できない遠方での遠近を認識する能力とちょっと似た感じのものです。 それと同じように、左右の目で見ているものが、平面的とはちょっと違うと脳が認識すると、できるだけ『正しく』認識しようとしても、不思議ではありません。見事な立体感になることもあり得ます。 ただ、個人差の大きい現象と思われますので、質問者様にはちゃんとした立体写真に見えて、他の人ではそう見えないということもあり得ます。どちらがいいということではなく、例えば分かりにくいものを近いものと一致させる能力に長けているか、分からなくてもありのままに見ることに優れているか、といった個性の差です。 P.S. 添付写真は、出かけたときに見かけて、ちょっと「あれ?」と思ったものです。どこにいてもこちらを見て来る顔なんですが、実は凹面に彫り込んであります。しかし人間は、顔と思ったら凸面と認識して見る傾向があるので、浮き出た顔がいつもこちらを見ているように感じます。ご質問とは直接の関連はありませんが(一種の錯覚ですし)、視覚が必ずしも光学的に見たままではない例として、ご参考までに。
お礼
おかげさまで安心できました。自分としてもいろいろ試してみたいと思っております。見せていただいた顔における凸凹は、ひょっとして山折り谷折りとどこか重ならないかなどと想像しております。
- fxq11011
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目が感じる、と脳が認識するの違いでそんなこともあるかも。 例として部分的な視野欠損の場合、本人はほとんど気がつかないらしい。 その部分は見えていないのだが、直前の視覚情報等で脳が補正して見えているかのように認識する。 経験的に立体として認識する、片目で見てもある程度距離感がつかめるのと同じ。 錯覚と言えば錯覚だか、錯覚よりは高度な神経・脳の働きでは・・・。
お礼
ぜひご確認をいただければと思います。ご教示ありがとうございました。
補足
ありありと立体的に見えるという表現は科学的ではありませんが、片目では絶対に体験できない奥行き感が体験されます。これをありありとというのはまずいと思いますが・・。追体験で確認していただくほかに方法がないように思っています。
こんにちは。 ステレオ写真の原理っていうのがありますが、そのようなやりかたは違います。 そのようなわけで錯覚だと思いますよ。 ステレオ写真(立体写真)は検索すればたくさんヒットしますので、本物のステレオ写真とはどんなものか確かめみてはいかがでしょう?。
補足
立体に見えるはずがないのに立体に見えてしまうのが錯覚であっても私は構いません。私以外の人にも同じ錯覚が起きるかどうかのほうが重要だと思います。
- aokii
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角度が付いているために同じ写真でも立体視に見えてもおかしくない。
お礼
錯覚ではないということですね。ご教示ありがとうございます。
補足
山折りでも谷折りでも立体に見えるという点についてはどうでしょうか。
お礼
大変為になるご考察をうかがいありがとうございます。両眼視と思考力の関係についても自分の体験とよく合致いたします。聴覚との類比についても考えたことがなかったのでなるほどと思いました。耳が二つある理由と目が二つある理由とが重なるとすれば、ひょっとして同じものを別の角度から見ることが安心感というか対象を客観的にとらえるということで共通なのかなと思いました。想像は羽を広げて読書百遍…のことわざなどにも思いが広がりました。勉強させていただきました!