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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:大学院から研究室を移ることについて)

大学院から研究室を移ることについて

このQ&Aのポイント
  • 現在所属している研究室の同期と合わないため、大学院での研究室移動を検討しています。
  • ゼミの発表や議論が苦痛であり、研究職に就くことにも不安があります。
  • 過去の経験からレベルの高い研究環境への移動を考えていますが、指導教員への感謝や研究テーマへの未練もあります。

みんなの回答

  • chikuwabu
  • ベストアンサー率25% (19/76)
回答No.7

指導教員に遠慮して,自分の希望をあきらめるなんてバカバカしいことこの上ないです. あなたにとっては一回きりの大学院ですが, 指導教員にとっては今後も何人も来る学生の一人です.優秀な学生も数年に一度は来るでしょう. 遠慮する必要はありません. 自分が思うとおりに進めば良いと思います. 別の研究室に行けば,別の世界が見えてくるでしょう.

  • Nakay702
  • ベストアンサー率79% (10068/12613)
回答No.6

またまた、「個室」に閉じこもって考えました。(なぜかそこでは落ち着けるのです。広めに造ってあって、何でも置いてあって、ゆったりできるので思索にもってこいの場所なんです)。そこで何を考えたかと申しますと、前便で「基本的には現在所属している研究室をお勧めします」と述べながら、決定的な理由づけが欠落していたことに気づいたのです。 ご存知のとおり、院は教わる場でなく、自ら研究する場ですから、そこでは「自分がどうあるか」が最も重要です。研究室の評判や、指導教官や、所属する他の学生の存在は、自分という主役の立つ舞台の背景に押しやっておいてもよいと思います。どこにいようと、自己研鑽を第一に考えましょう。「青は藍より出でて藍よりも青し」という言葉があります。いわゆる、「出藍の誉れ」ってやつです。院で研究しようとする際は、最低このくらいの気概をもって臨みましょう。それを軸に据えれば、どの選択肢をとるかはおのずと決まってくると思います。 「底辺ワースト3に数えられる研究室」であろうが、「周囲から優秀者扱い」されようが、「周囲にはヤンキーやチャラ男がたくさん」いようが、本質にはあまり関係ありません。(ツルの長い首で)遠くを見通しましょう。(ツルの羽で)文字通り、鳥瞰しましょう。「栄華の巷低く見て」真理探究の夢に耽りましょう。「自分の主人は自分」ですから、「孤高の精神」をもって研究に対峙しつつ、チャラ男らと一緒のときはチャラ男以上にバカチャラやって騒げばいい、と思います! 一般に専門は深いほどよく、教養は広いほどよいが、この2つは相克します。そこで問うてみるべきが、「人間とは何か」です。人間はトータルな存在です。部分に分けて、それを寄せ集めれば元に戻るような要素還元主義で割り切れるようなものではありません。ですから、HOMO SAPIENS(英知人)は、同時にHOMO LUDENS(遊び人)なんですね。そうでないと、「英知人」のはずが、HOMO "ROBOTICS"(ロボット人間)になってしまいます。 しゃしゃり出て、余計なことを言ったかも知れません。余計なお節介を焼いたかも知れません。最近こういう「押しかけてでも答えたくなる質問」が少ないので、つい…。 以上、再伸まで。ご健闘をお祈りします。

回答No.5

私の意見は「非常に危ない」ので、もし採用するなら、武道を身に着けることをお薦めします。 ここでお答えになる方は、#1様が東大で苦労しかなり変わった分野の教授をされるなど、ベテラン揃いです。 しっかり考えて下さい、 私は東大の院でも「キツ過ぎる」と言われた奴です。結局は理解して貰えましたが。 バカな先輩の実験報告は「聞かない」明らかにサボタージュする。 一人で三人分の時間を発表に充てる。 先輩でも後輩でも、自分の仕事を「理解」しないで進めている、と思ったら「ほとんど毒舌」の意見と質問でそいつが追い詰められて「多分泣くだろう」というまで「イジメ尽し」ました。 学問の世界です、答えられなかったら自分が悪い、反論出来無いのは「無知」 余りにもキツイので東大には残れませんでした。後に教授になった二年先輩から「余りにもキツ過ぎるから残れない」と言われましたが、この先輩の「研究」も「かなり愚劣」でした「人間性が優れている」のでイジメませんでしたが、十年程後「討論会」に有名なゲストを外国から呼びこの先輩が発表をしたとき、英語が理解出来ないのか、自分の仕事さえ解説出来ないのか、ゲストの質問に答えられない、座長はその更に三年先輩の東北大教授、非常に優秀、質問も答えさえ分るが、替って答えたら後輩を吊し上げることになる。困惑して可哀想。 私にはゲストのフランスなまりの英語も返答すべき内容も分る、だが私が指摘したら「さらに悲惨」な結果になるので黙っていました。ゲストは多分ヒドイ教授が居るなーと思っただろうが、引き下がった。 私はがっかり、この人のおかげで東大教授を逃したのか、確かに私は人間性が欠如しており、学生をいじめる「最低な教授」になっただろうが、私に言わせりゃ「学問」の世界で、自分の仕事を英語で説明出来ない東大教授って、存在価値があるのか?

  • Nakay702
  • ベストアンサー率79% (10068/12613)
回答No.4

以下のとおりご回答します。 すでに素晴らしいご回答があるので、「これでいい」と思い、そのままスルーしようと一旦閲覧ページを閉じました。そして、「個室」に閉じこもって、つらつら考えるに、No.1さんのご回答のうち、特に「これだ!」というのを補強したくなりました。人間臭いというか、世俗的というか、現実的というか、(真に)実利的というか、ともかくそんな観点からもっと敷衍させていただこうかと思います。 (1)文面を拝読するほどに、質問者様が確かに「ツル」であり、その苦悩の様がひしひしと伝わってきました。ツルであるだけに、十分に活躍できれば必ずや何がしかの成果を挙げることができると思います。それは、まずは自分のためですが、同時に社会のためであり、(大げさかも知れませんが)人類の未来のためでもあると考えます。 (2)「現在所属している研究室から別の研究室に移るかどうか」は、「あなたの研究したいことと合致する研究室であること」を最優先して決めましょう。「よりレベルの高いところ」はその次の判断材料としましょう。 (3)つまり、基本的には、「現在所属している研究室」をお勧めします。というのも、もし移るとすれば、それはある意味、未知の世界に入るわけですから、これまでの蓄積が充分活かされるかどうかは不明ですよね。さらに、担当教授をはじめ周囲の期待を袖にするわけで、それを補ってなお余りある価値が得られるか否かはまったく予測不能ですから。 (4)周りは「チャラ男ばかり」でも、超然としていればいいじゃないですか。ただし、一人浮いてはまずいですね。ま、適当に「ギャンブル、合コン、風俗の話」にもつき合いましょう。むしろ、「そういう場面も楽しめるような精神構造」を持てればなおよいと思います。それはある種人間力であり、幅の広さであり、応用能力とさえ言えるかも知れません。(経験上、そういう人の方が真面目一方の人より大成するように思います。) (5)もっとも、大学院に入れば、そういう「チャラ男」は減ると思います。博士課程まで行けば、ほとんどゼロになるでしょう。また、もし仮にそういう連中がいても全然気にならなくなるでしょう。(むしろ、「チャラ男」がなつかしくなったり、バカ言ってたころに戻ってみたくなったりしますよ!) ということで要約します。周囲は気になさらず、現在の研究室で院へ進まれることをお勧めします。あなたご自身と社会のために、学部<修士<博士の各過程で、ご専門の研鑽や応用能力の涵養に拍車をかけることに意を用いましょう。正直、我々ロートル(教員歴45年!)としては、そういう青年を頼もしく思い、とても頼りにしています。「日本の未来も捨てたものじゃない」と思いたくて。 以上、少々余計なことまで申しましたが、ご回答まで。

  • stomachman
  • ベストアンサー率57% (1014/1775)
回答No.3

> 研究テーマはかなり特殊性が強く、博士課程まで残っても企業で研究職に就くことはかなり難しそう となると、就職後も大学との繋がりを大切にして何かと利用しよう、なんてお考えはないんでしょう。ならば、追い出しコンパで あっお~げば~とお~っとし~わっが~しの~おん~ と歌って涙一粒流せば充分過ぎるぐらいで、あとは野となれ山となれです。自分のために自分がやるべきことを自分でやる。そのついでに誰かに恩を売る機会があるならそうするし、そんな機会がないなら無理して機会を作ることはない。

noname#232424
noname#232424
回答No.2

補足。 >さっさと旧帝大の大学院に鞍替えしてしまう。 うちの理系では,上位層がそうやって抜けてしまい,残るのは・・・という状況にあるようです。だから,これは例外的な行為ではないはずです。このとき,とくに英語力が地方国立大生では太刀打ちできない(=事実上の足切りになる)ことも多いですから,しっかり勉強する必要があります。 問題は,いい大学院にいけばツルにはなれない可能性が高いことです。そのときに,「こういう事情で東北大学大学院に行きましたが,劣等感にさいなまれる日々です」なんて再投稿しないでね。「寧為鶏口無為牛後(むしろ鶏口となるとも牛後となるなかれ;大きな組織でビリケツになるより小さな組織でトップになるほうがいい)」という名言もあります。

noname#232424
noname#232424
回答No.1

ぼくも地方国立大学教員(文系)なので,あなたが描写していることは理解できます。文系教員でも共通教育で理系学生も教えるので,かつぼくも育ちは理系なので,その水準はわかります。 いま医学部をのぞく理系の入試難易度(センターボーダー)が低下し,「むかしの国立大学では考えられない層」も入学してきます。高校の進路指導でも「地元国立大学に押し込められればいい」というので,適性もみずにやさしい学部を推奨するらしい。ただし,入試難易度のうえでは差はなくても,(うちの)農学部生はすなおでまじめにやる傾向があります。理・工にくらべると地味にみえるので,本当に勉強したい学生がくるのかもしれません。そういう学生にとっては,大学門戸が広がったのはいいことです。あなたは,後者のひとりのように読めます。 いま所属しているゼミでは,「はきだめにツル」的な存在なんでしょう。教員としては,(とくに不人気分野なら)「ゴミ」をも大学運営上は受け入れざるをえませんが,そのなかにツルがいれば勤労意欲が維持できる。発表をいいかげんにすればどやしつけたいのですが,低学力の学生は大学に来なくなったりする。それもまずい。そんな空気が見えるようです。 考えかたは,いくつかあります。 1.周囲の連中からは浮きまくってすごす。ツルであれば,実験装置や予算を優先的に使えるでしょうし,就職で研究室推薦枠があれば間違いなく選ばれるはず。 2.「悪貨は良貨を駆逐する」ということばがあるように,さっさと旧帝大の大学院に鞍替えしてしまう。教員の勤労意欲なんか知ったこっちゃねえ 笑。 3.学生の進路について,博士課程まで行くことを勧めたりするのは,教員として「やってはいけないこと」です。あくまでも本人の意志によるべきであり,教員には修了後の責任もとれません。いっぽう,不出来な学生には「来るな」と言えますが,大学院定員の充足という大学運営を考えると,現在ははっきりと引導を渡せない状況でもあります。

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