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「まだ~していない(していなかった)」は正しいですか
いつもお世話になっております。 日記の添削文の中で、また分からないところがあります。 ご迷惑をお掛けしまして、申し訳御座いません。 「まだ~していない」(現在) 「まだ~していなかった」(過去) は常用文型としてずっと覚えています。 >十一時半に電話でお昼の宅急便を頼んだが、一時になってもまだ来ていなかった。 「来ていなかった」は、chさんが11時半にお弁当を頼んだ後、別の場所或いは、別の用件で離席して、戻ってきてもまだ配達されていなかったという場合に使用する言葉ですから、この場合は、「1時になってもまだ、来ない」がよろしいと思います。(この一段落の説明はよく理解できません。) どうして「来ない」を使うべきですか。 日記の中で、叙述したこと(自分の感情を除いて)に対して、普通過去形を使うべきでしょう。 ですから、せめて「来なかった」でしょう。 そして、「まだ~していなかった」にしたがって、「まだ来ていなかった」と書いたわけです。 どうしても納得できません。 ご存知の方、よろしくお願い致します。
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No.852283 2004/05/08日記の回答No.6ですよね。 >>一時になってもまだ来ていなかった。 >「来ていなかった」は、chさんが11時半にお弁当を頼んだ >後、別の場所或いは、別の用件で離席して、戻ってきてもまだ >配達されていなかったという場合に使用する言葉ですから、こ >の場合は、「1時になってもまだ、来ない」がよろしいと思い >ます。 私が思うに、これは 「過去の形を使うのはよくない」 という意味ではありません。 過去の形(~た)を使うかどうかが問題なのではなくて、 「~ていた」「~ていなかった」というときの「~ている」 という表現を問題にしています。 否定の形でなくて、肯定の形で考えてみましょう。 「一時になったら来ていた。」 この表現では、1時になる前(・・・、午後0時30分、0時35分、・・・、0時55分、・・・)はawayuki_chさんは別の場所にいて、 1時になってawayuki_chさんが戻ってきたら、お弁当が目の前に存在して、 お弁当が到着していることに気付いた、 という、ニュアンス・イメージです。 否定の「1時になってもまだ来ていなかった」(もちろん、日本語の文として正しいです。)は、 1時になる前はawayuki_chさんは別の場所にいて、 1時になって「もう1時になったんだから、当然お弁当は来ているはずだ」と思いながら戻ってきたら、お弁当が見当たらなかった、 という、ニュアンス・イメージです。 その場の状况がよくわからないですが、もし、そういう意味であれば、もともとの日記の表現「一時になってもまだ来ていなかった。」で正しいのです。 しかし、日記では「それに、この間何回も向こうに催促の電話をしたのに。」と続いています。 1時になる前に別の場所にいて、1時になって「もう1時になったんだから、当然お弁当は来ているはずだ」と思いながら戻ってきたというニュアンスなのですから、 「催促の電話をした」というのが不自然に感じられてしまうのです。 「催促の電話をした」というのであれば、(別の場所にいたのではなくて、)その場にずっといたんだろうと思います。 このようなわけで、冒頭に挙げた回答者の方は、 「~ていた」「~ていなかった」というときの「~ている」という表現を使うのはおかしい、 「来ている」「来ていない」ではなくて「来る」「来ない」だ、 と言っているのだと思います。 (私は、先の回答の説明をしたのであって、 「~ていた」という表現を使うと必ず別の場所にいたというニュアンスがある、 とまでは、自信を持って言えません。) >日記の中で、叙述したこと(自分の感情を除いて)に対して、普通過去形を使うべきでしょう。 >ですから、せめて「来なかった」でしょう。 まったく、おっしゃる通りです。私なら、「1時になっても来なかった。」と書くでしょう。 「まだ」を使って、 「1時になってもまだ来なかった。」 という表現もいいです。
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No.4の追加です。 しかし、元の回答を読むと、 >「来た。」「なった。」「しまった。」のように「・・・た」 >の連続は、小学生などの「作文」によく見られる用法です。 >chさんには、使ってほしくありませんね。 と書いてあるので、結局は「~た」の使用も問題にしているのでしょう。 作文や日記の用法としてよい表現とは何かまで考えると、私にはよくわかりません。 しかし、過去のことを「~た」で表すのは普通のことだと私は思います。
お礼
KKzt89さん 再びありがとうございました。 おっしゃったことは良く理解できます。 ただ「たたたた」のように変化がない文型を使いすぎると幼稚な感じがしますね。 これから、いろんな文型に挑んでみます。 自分の気持ちを表す現在形の言葉もすこし入りたく思います。 本当にありがとうございました。 これからもよろしくお願い致します♪
- gekkamuka
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まず、ご指摘の、「普通過去形を使うべきでしょう」はその通りですね。 一方、「せめて「来なかった」でしょう」に対しては、いえいえ<むしろ>「来なかった」(過去)でしょうし、強(し)いて言えば<せめて>「来ない」(現在)の方でも少なくとも日記としては文脈は分かるでしょう。それはどうしてなのかの説明に以下で挑んでみます。 1.変化の基点とその後における事態の継続の関連。 「まだ来ていなかった」という、継続の補助動詞付きの否定形を使うには、まずその変化が生じた時点=基点での表現がなされていないと、不釣り合いの感じが生まれるからではないでしょうか。 例1:11時半に出前を頼んだが<すぐには来なかった>。(それどころか)1時になって(さえ)もまだ来ていなかった。 2.書き言葉と話し言葉のズレ(論理性と待遇表現本位との拮抗)。 上の例を一般的な書き言葉としてみれば、 例2:11時半に出前を頼んだがすぐには来なかった。何と、1時になってもまだ来ないのである。 今度は話し言葉にしてみます。 例3:11時半には出前を頼んだんだけど、1時になってさえまだ<来てなかった>んだ。 このように、「来ていなかった」でも、「来てなかった」という継続の曖昧さが増した会話語でなら、その<基点>が省かれてもさしたる違和が感じられないものです。 それは言葉の繋がりがいささか不明瞭になったにせよ、むしろ聞き手への気遣い「来ない」より「来て(い)ない」、更には「来て(い)ません」へと待遇表現における<改まり度>がステップ・アップしているからだと見たらおかしいでしょうか? 3.自動詞と他動詞の選択とか、言い換えなど。 大雑把な言い方ですが、書き言葉では自動詞での「流れの落ちついた」表現が、話し言葉では他動詞での目的性や相手への配慮が優先した表現になりやすいのかも知れません。 そこで私なりの表現ならどうするのか…。 例4.11時半に頼んだ出前が、あろうことか肝心の昼休みが終わった、そんな1時を回ってさえもいっかな届かなかった(やって来なかった/現れなかった/着かなかった)のだ。 この例の「やって来る」のように、「来る」という動詞は特別な役割りがあり、この場合は「居(い)る」「する」と同じで補助動詞になっています。このような融通性の高すぎる表現は文章中では一般に使われず、会話での相手との待遇表現としては慣用されていると考えたらどうでしょうか。 「来ている」「して来る」「している」などと否定文の組み合せを論じるのは余りにややこし過ぎて、私などには手に負えないものがあります。ですから回答には至らず、です。 ところで、質問者さんのこの「日記」には大変興味深いものがあります。何気ない現象や事態を、鮮明に切り出して描写する、その視点の鋭さと表現の軟らかさ、そのコントラストからは、どこか新鮮なエッセーを忍ばせるものが感じられてならないのです。いってみれば爽やかな視点と和(あ)えかに漂う温もりの醸し出す味わいの魅力のようなものでしょうか。 そう言う意味でも、教えて貰っているのはむしろ回答しようとしている私自身であることが何よりありがたいことだと感じております。
お礼
gekkamukaさん ありがとうございました。 いい勉強になりました。
- yomyom2001
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失礼ですが、awayuki_chさんは日本語を勉強されている、外国の方でしょうか? もしもそうなら、いい加減な(あやふやな)回答はできませんね。 文:11時半にお昼のお弁当を頼んだが、1時になってもまだ来ていなかった (説明しやすいように、文章を変えさせて頂きました。ご了承ください) まず、日記ということですから、この文章を5月1日の日記と仮定してください。 日記を書くのは普通、夜ですよね。例えば寝る前。夜10時頃とか・・・。 つまり5月1日の夜10時頃に、今日の出来事を想い出して書くのが日記ですから、質問されている文章だけを見れば、「来ていなかった」が正解だと思います。 そのあとに 「~来ていなかった。しかたがないので、私はお昼を食べないで仕事を続けました」なんていうふうに文章がつづきますよね。 要するに「視点」の問題ですね。時制というのは視点をどこに置くか、でかわってきますから。 仮にこの文章を1時頃に、日本語の勉強として「日記」という形で書いていた、としたら、「まだ来ない」になるでしょうね。 例文を書いてみますね。 1、状況設定1:お昼を注文したのに、1時になっても来ないので、1時1分に怒って催促の電話をするとき。 「11半にお昼のお弁当を頼んだが、1時になってもまだ来ない。いったい、あなたのお店はどうなっているの?」 2、状況設定2:あなたの職場に泥棒(どろぼう)が入りました。犯人は1時頃に食堂のドアから侵入したらしい。警察が来て3時にあなたも質問されました。 「あなたは12時からずっと食堂にいたんですね?」 「はい、11時半にお昼のお弁当を頼んだが、1時になってもまだ来なかった。だから仕事場に戻りました。私は誰も見ていませんよ」 ~席をずっと離れずにいたので、「来なかった」の方がしっくりきます。 ~席を離れていたのなら、「来ていなかった」となるでしょう。 3、状況設定3:お弁当は2時半にやっと来た。そこで、あなたは3時までお弁当を食べていたら、上司(先生)に怒られた。でも自分が悪くないことを主張します。 「私は、11時半にお昼のお弁当を頼んだが、1時になってもまだ来ない。2時になってもまだ来ない。2時半になってやっと来た。だから今食べています。どうしていけないのですか?」 ~これは他の方もおっしゃっていますが、現在形にして、更にくりかえして、強調しています。 添削文はきっと日本語の先生が書いたものでしょうから、その先生も考えがあってのことだと思います。解るまで先生に質問しても良いのではないでしょうか? 添削文の >「来ていなかった」は、chさんが11時半にお弁当を頼んだ後、別の場所或いは、別の用件で離席して、戻ってきてもまだ配達されていなかったという場合に使用する言葉ですから、 状況設定2のところでも書きましたように、これも確かにそのとおりなのですが、使用方法を限定するのはちょっと違うような気がします。 長々とあまり上手い説明でなくてすみません。20年以上前に半年ぐらい中国の人に日本語を教えていたことがあるのですが、やはり人に何かを教える才能が無いみたいですね。(汗) でも、まじめに考えて回答しました。
お礼
yomyom2001さん 早速のご返事ありがとうございました。 非常に詳しい場面を設置して説明してくださって、助かりました。 教師に相応しいと思います。 大変いい勉強になりました。 これからもよろしくお願い致します♪
- kankororin
- ベストアンサー率41% (57/139)
こんにちは。 来なかった、が一番普通の書き方でしょう。しかし、英語にもありますが、過去のことにわざと現在形を使って、生々しさを出す用法があります。 「謙信は信玄に切りかかった。信玄ひらりと身をかわす。謙信さらに刀を振りかざして信玄におそいかかる…」(適当に作ってみました) こういう感じで現在形にすると、臨場感がでるのです。 したがって、「まだ来ない」とするのは、#1の方のおっしゃるように、感情もよりリアルになるわけですね。 「まだ来ていなかった」というのも間違いではありません。しかし、「ている」という形は完了を意味しますので、1時に来ていないことを確認した、というニュアンスがどうしても付いてしまいます。したがって#1の方のおっしゃるとおり、ずっと待っていた場合にはちょっと使いにくいですね。
お礼
kankororinさん 早速のご返事ありがとうございました。 現在形にすると、臨場感がでるのですね。 わざわざ素晴らしい例文を作ってくださって、ありがとうございました。
- kumanosennin
- ベストアンサー率25% (61/236)
1時半に頼んだものが届くまでchさんはその間食事もとらず待ち続けているわけです。つまり1時の時点では「待つ」という行為の現在進行形ですから、その時の感情を表す言葉として「来ない」という表現を使っているのです。 「来ない」の言葉の中には「1時になるのにどうしてまだ来ないの」、という怒りを含む感情も込められているように思えるのですが。 的はずれならごめんなさい。
お礼
kumanosenninさん いつもお世話になっております。 早速のご返事ありがとうございました。 「来ない」はその時の感情を表す言葉ですね。 いい勉強になりました♪
お礼
KKzt89さん ご返事ありがとうございました。 「~ている」という表現の説明は理解しやすいと思います。 納得しました。 大変助かりました。 >その場の状况がよくわからないですが、もし、そういう意味であれば、もともとの日記の表現「一時になってもまだ来ていなかった。」で正しいのです。 これは私の間違えたところだと思います。ご指摘された通りに、ずっとその場にいたのです。 今回大変いい勉強になりました。 本当にありがとうございました♪