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巨大な突き富は実在しますか?
突き富を、錐ではなく、槍で行う場合はありますか? 30年から35年ほど前に、テレビで時代劇を見ていて、 2メートル前後の高さがある枡か樽のような物の上から、 腰縄をつけられた男が、槍でその中に潜り込んで一枚の木札のくじを突いて、 縄ごと滑車で引っ張り上げられて、男が恐怖で悲鳴を上げていまして、 「豪快だなあ」 と胸が高鳴ったのですが、 それはただの演出で、実際には存在しないのでしょうか? うろ覚えですが、舞台は神社で、貧相な江戸の庶民が集まって、 イカサマだと知らずに身を躍らせて一喜一憂していました。
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TVの時代劇のような演出はやりたくても、やれなかったというのが実際のところでしょう。 富籤(富突き)というのは許認可制でした。 抽選(富札を突く)の際には役人が立ち合いました。 立ち会う役人も下っ端ではなく、現在の警察の署長クラスの与力でした。 当時の役人は役職に応じて必ず部下を数名引き連れて出歩いていましたから、与力がいるということは、部下である同心もいれば同心の手先の岡っ引きもいた、ということになります。 江戸の風景ではありませんが下記のサイトに絵があります。 富くじ発祥の地 瀧安寺の富くじ - 箕面山七日市 www.nanokaichi.com/ryuanji/tomikuji/tomikuji.html 絵の中でも数人の武家が側で見ています。 槍というのは武家の表芸である武芸の大事な道具の一つです。 面白半分に町人が振り回せるような代物ではありませんでした。 服装からヘアーデザイン、持ち物まで身分相応ということが喧しくルール付けられていた時代です。 武家の所持する道具を見世物に使うことができたのは精々芝居だけでした。 TVの時代劇のようなことを、立ち会っている与力が黙認することはまず、なかったでしょう。 黙認してばれれば、お役御免になるのは当然として、下手をすれば、武家の対面を汚したとされて、お家断絶となったでしょう。 とは言え、世の中、法があれば対策ありで、見つからないようにやっていた連中はいたかも知れません。 であれば、当然イカサマもあったでしょう。 イカサマとなれば土地の親分が黙っていなかったでしょう。 売り上げを脅し取られるか袋叩きになっていたでしょう。 親分連中も博打のほうが手っ取り早いですから、TVの時代劇の光景のような金のかかる大げさなことはやらなかったでしょう。 富籤も公認以外に、影富と呼ばれる、ヤミ行為がありました。 これは見て見ぬふりをしていたようです。 富籤の値段は一枚がそば一杯十六文の時代に500文前後でしたから、貧相な江戸庶民は簡単には買いませんでした。 現在の宝くじよりも相当に高額でした。 何分にもお寺や神社の修理費集めですから無信心な貧乏人は相手にしていませんでした。 まぁ~時代小説やTVの時代劇をあまり詮索しても面白みが半減するだけです。 だいたい水戸黄門が綺麗な女性をつれて全国を気楽に旅をしていたはずがありません。
お礼
回答ありがとうございます。 非常にお詳しいので、とても参考になりました。 槍はそんなに大事な物だったんですね。 また、「見つからないように、大げさなことはやらない」 ということはごもっともです。 やっと納得できました。