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初7日・・・49日の法要の習慣はどこから来た?

仏式での葬儀では葬儀の後、初7日とか・・・49日とかの法要がありますが、この習慣はどこから来たのでしょうか? 仏教はもともと「ブッダの教え」のはずですが、ブッダはもともと葬式については何も述べていないと聞いています。タイとかスリランカとかの仏教国にもその習慣はあるのでしょうか?

みんなの回答

回答No.2

どうも、俗にボーさんと呼ばれているものです。少しばかりお話しさせていただきます。 >>仏式での葬儀では葬儀の後、初7日とか・・・49日とかの法要がありますが、この習慣はどこから来たのでしょうか?  このことは中陰または中有という言葉でいわれることですが、この考えは『倶舎論』というものの中で詳しく説明されています。この『倶舎論』の中では衆生(ここでは生命体というくらいに思ってもらえればいいですかね)を構成する色・受・相・行・識の五蘊という基本要素は、輪廻思想をベースに四つの時間帯で展開されていると説かれています。  この四つの時間帯が、生有・本有・死有・中有です。まず、生有は生まれる瞬間、本有は生きている間、死有は死ぬ瞬間、中有は死から次の生への間という事になります。つまり、中有(中陰)は輪廻の最中という事になります。ただ、『倶舎論』によればこの中有の期間は、全員が全員四十九日間なのではなく最長四十九日とされています。善行を積み重ねた者は死後すぐに輪廻し、悪いことばっかりしてた人でも四十九日の間に次の輪廻先が決まるという事になっているようです。  この考え自体は仏教が独自に生み出したものではなくインド土着のバラモン教の後期に生まれた哲学的思考を深めるウパニシャッドの時代に成立した『マーンドゥキヤ・ウパニシャッド』の中に人間の精神をやはり四つの時間に分けて説明されています。また、生命の死後、肉⇒皮⇒血⇒骨という順番で身体が整えられ、それに十日間ほどかかるともあります。当時はこの間ピンタといわれる儀式が行われていたようです。このような思想が仏教に取り入れられる形で成立したのが四十九日になるようです。  仏教が仏教以外の宗教儀礼を取り込んでいくという事が象徴的に表されているのがパーリ『長部』「シンガーラ経」(漢訳『六方礼経』)です。  お釈迦様があるとき、托鉢のためににふらふらしてると、目の前の家から一人の青年バラモンシンガーラがが飛び出してきて、川に飛び込み、ずぶぬれ状態で、東西南北の四方と上下の計六方に礼拝し、そのあと六方に米をばらまきました。シンガーラは 「ふー、終わった終わった」 と家に入ろうとすると、お釈迦様が 「何?何?今のどうしたの?」 と、尋ねるとシンガーラは 「いやー、親父の遺言なんすよ。意味わかんないんですけどやめられなくて、とりあえず六方に頭下げて、米ばらまけばいいかって感じっす。」 と答えました。するとお釈迦様は 「いやいや、遺言を守るってのはいいけど、お父さんの意図が伝わってないと思うよ。東は生んでくれた両親、南は教えをくれる先生、西は妻子、東は友達、上は尊敬すべき修行者、下は土の中にいる虫とか小さな生き物、みんな幸せになってって思いを持たないと形ばっか整えても意味がないよね。」 と教えてあげました。すると、シンガーラは 「まじ、お釈迦様スゲー、一生この儀礼をかかさずやりますわ。」 ってな、話があります(ものすごい意訳なので、ちゃんとした訳はネットで調べてください)。こんな風にお釈迦様は他宗教のすべての儀礼なんかを頭ごなしに否定したのではなく、仏教的な意味を上乗せしていくことで仏教の中に取り込んで行ったりもしているようです。もちろんお釈迦様在世ではないでしょうが、中陰・中有の儀礼なんかも、「シンガーラ経」のような形で仏教に取り込まれていったのではないでしょうかね。 >>仏教はもともと「ブッダの教え」のはずですが、ブッダはもともと葬式については何も述べていないと聞いています。  そんなことはありません。お釈迦様は自分の葬式に関しては結構事細かに指示しています。  たぶんこのような質問は、『大パリニバーナ経』(パーリの涅槃経)の中に、お釈迦様の付き人アナン尊者が「お釈迦様の遺体はどうしたらよいですか?」と聞いたのに対して、お釈迦様が アーナンダよ。お前たちは修行の完成者の遺骨の供養(崇拝)にかかずらうな。(中村元『ブッダ最後の旅』P140) と、お答えになったと説かれているところに起因する質問ではないかと思います。  しかし、近年この中村先生の訳は誤訳ではないかという指摘もなされています。中村先生が文中で「遺骨の供養(崇拝)」と訳した部分は、パーリ語では「サーリーラプージャー」(サンスクリット語「シャリーラプジャー」)という言葉です。この言葉にはおいおい中国語に訳されるとき「供養」という言葉が当てられたりしますから、中村先生も間違っているわけではないのですが、この時の文脈からすると私たち日本人が思い浮かべるような供養とはその内容が違っているのではないかといわれます。  まず、『大パリニッバーナ経』において、アナン尊者は最初に「遺体の処理法」を尋ねたのに「遺体を供養するな」と答えたのでは文脈に合いません。この文脈において、サーリーラプージャーは供養ではなく「遺体処理」という意味で、お釈迦様は「遺体処理にかかずらうな」とおっしゃったのではないかと考えられます。それが証拠に、アナン尊者はお釈迦様に「かかずらうな」といわれても、「(遺体処理をする人に聞かれて答えられないと困るんで)お釈迦様の遺体をどのように処理したらいいですか?」と重ねて質問し、これにお釈迦様は大きく分けて三つの段階を追って処理しなさいとといています。 (1)遺体を装飾し納棺する (2)荼毘に付す(火葬する) (3)仏塔(ストゥーパ)を建てる という三つです。つまり、サーリーラプージャーの具体的内容は、この三つであることが分かります。そしてそののちお釈迦様は出来た仏塔に対して 誰であろうと、そこに花輪または香料または顔料をささげて礼拝し、また心浄らかに信ずる人々には、長い間利益と幸せとが起こるであろう。(中村元『ブッダ最後の旅』P141~142) と説いて、ここでは「誰であろうと」という語が表すように出家者在家者関係なくお釈迦様の遺骨を納めた仏塔を供養するよう説かれています。  上述のように、お釈迦様は自分の葬式に関しては細かい指示を出しています。また、「修行者はサーリーラプージャーにかかずらうな」というのも、遺骨供養という意味ではなく遺体処理です。この「遺体処理にかかずらうな」というのは、当時のカースト制とは身分制度であると同時にワークシェアリングであもありました。納棺したりするにしてもそのようなカースト(仕事)の人がいて、荼毘に付す準備等々をするカースト(仕事)の人がいて、仏塔なんかの宗教彫刻したりするカースト(仕事)の人がいてと、このような遺体処理にかかわるカーストの内部の人間であると、出家者たちがみなされないようにするための配慮であったと考えられます。しかし、仏塔が出来上がれば、それを在家出家関係なく供養していくことの利益が説かれているわけです。 >>タイとかスリランカとかの仏教国にもその習慣はあるのでしょうか?  タイでも日本と同じで地域のよるようで、私の知る限りではやるところとやらないところがあるようです。都会の方では一般的には通夜、葬儀をして、そのあとは百箇日法要、一周忌という感じで行われます。  通夜葬儀の時にはやっぱりお坊さんが呼ばれて、「パリッタ」というものが唱えられます。ある意味これは日本仏教でいるところの真言とか陀羅尼と呼ばれるものと、起源を共にするものです。葬儀以外でも新築祝いとか、誕生日、結婚式、なんかにもお坊さんが招かれパリッタを唱えます。葬儀の時には主に悪魔を払うためのパリッタが唱えられるようです。これは、パーリ『相応部』「ゴーディカ」に起因するものだと考えられます。あるときお釈迦様が弟子のゴーディカ尊者が亡くなったので弟子を引き連れて、ゴーディカ尊者の遺体のあるところまで来たときの話です。 ゴーディカ尊者の遺体を見てお釈迦様が 「弟子たちよ、ゴーディカの遺体の上を右往左往しているモヤモヤが見えるか?」 と問うと弟子たちが、 「うわ、気持ち悪い。あのモヤモヤなんですか?」 と弟子たちが聞くと、お釈迦様は 「あれがね、いわゆる悪魔。ゴーディカの魂を取りに来たんだけど、ゴーディカは悟り御開いてすべての執着を離れちゃって、魂もなくなっちゃったから、どこにあるのか探してるみたい。」 とあります。ここの魂の部分は中村先生は「識別力」(中村元『ブッダ悪魔との対話』P52)と訳していますが、註には魂のようなものとありますので、今回は魂に関する難しい議論はさておきわかりやすく魂と訳しました。この『相応部』によりますと、人が亡くなると魂を悪魔が取りに来るなんてことがあるようで、仏教では魂ってのは執着という煩悩によってできてるって考えるので、執着を離れた人は魂が無くなっちゃうんで問題ないんですが、普通の人は執着があるので魂を悪魔に持ってかれちゃうんでしょうね。それで、パリッタで守って、次の生に送ってあげて「次の生ではもっと頑張って仏教修行しなさいね」ってことになるんでしょう。その後、百箇日、一周忌とやっぱりパリッタなんかが唱えられるみたいです。  余談ですが、タイでも地域によっては上がった香典がみんなお坊さんのお布施になっちゃうみたいで、これも今は結構問題になってるみたいですね。ただ、これも地域によりけりのようで、香典とは別に香典の十分の一くらいのお金をお布施として参列者から集めたりもするそうです。どこの国でもお布施の問題はあるみたいですね。   長々書きましたが私の知っていることはこの程度です。急ごしらえのため誤字脱字乱文ご容赦ください。 合掌 南無阿弥陀仏

taigas
質問者

お礼

大変詳しい説明をありがとうございました。私の知らない事ばかりで感激しました。 つまり、初7日とか・・・49日とかの法要は、インド土着のバラモン教の考え方によるもので、いつの間にか仏教の中に取り込まれたものの、お釈迦様が取り込んだ訳でない!ということですね。 タイとかスリランカとかの仏教国にも法要はあるが、初7日とか・・・49日とかに決められていないとなれば、それらは、日本独自の仏教習慣(=バラモン教をミックスさせたもの)によるものと考えてよいですね。 お釈迦様は自分の葬式に関しては細かい指示を出されましたが、一般人の葬式の方法については触れていない! ということですね。

回答No.1

これは、 Wikipediaの「中陰」に詳しい解説がのっていますので、 それをご覧ください。 中陰 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E9%99%B0 これは、(古代)インドの風習なんですよ。 それが仏教に取り入れられた。 Wikipediaには、 「人の没後49日目に、次に六道中のどの世界に生まれ変わるかが決まる」 とありますが、 遅くても49日目、と考えた方がいいと思います。 チベット「死者の書」(中陰の状態を書いた仏教の経典?)では、 一週間以内に転生する例も示されているので。 ですから、仏教的にいいますと、 四十九日より後の法事は、無意味・・・。 もう既に亡くなった人は、異なるものに生まれ変わっているので・・・。

taigas
質問者

お礼

ありがとうございました。大変参考になりました。