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信教の自由は空気を吸う自由と同類である

  世の中には当たり前の自由ってものが沢山あります。 空気を吸うのは自由であり、水を飲むのは自由であり、寝るのは自由であり、首を回すのは自由であり、・・・などなど。 それを一々、空気を吸う自由、水を飲む自由、寝る自由、首を回す自由などとは言わないものである。 日本国憲法二〇条 信教の自由もこれと同類であって、ほんらい人は何を考えようと何を思おうと何を信じようと勝手なのである。 それをわざわざ信教の自由などと格別なもののように扱おうとするから、これを盾にカルト集団が出てきて世の中を荒らすのです。 だから今どき信教の自由を訴えるのは怪しい行為、ある種の危険信号と見なし警戒すべきことではないでしょうか?      

みんなの回答

  • DJ-Potato
  • ベストアンサー率36% (692/1917)
回答No.2

水を飲む自由とか、首を回す自由とかも、一応明記されている扱いなんじゃないですか? すべて国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する、ってヤツ。

utayomi_2011
質問者

お礼

  生きる権利のことだろ。  

回答No.1

歴史に学べば「特定宗教を弾圧」してきたことがわかるはずです。 またその宗教故に戦争やテロが起きていることも。 「信じることの自由」を保障したのであって「信仰の名のもとに何をしても良い自由」を保障したわけではない。

utayomi_2011
質問者

お礼

  もし日本国憲法二〇条 信教の自由における信教が単にある信仰を抱くだけでなく、その信仰に基づく活動を意味するのであれば信仰にはあらゆる形の信仰があるのだから、その信仰に基づくあらゆる形の活動も自由であり保障されることになる。