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伊勢神宮のような川での禊は他にもありますか?
- 私は、手水舎のある神社しか行ったことがありませんでした。夫は過去に付き合っていた2人の女性がどちらも伊勢出身ということで2回行ったことがあることは知っていながら行きました。
- 「ここではそこの川でやるのですよ」と言われ、びっくりしましたがやっぱり過去の事が引っかかり、「ええ~ そんなこと知らない!前に来たとき川でやったの?」 「いいえ、私はやってませんが、2人ともやってましたね」
- 私がずっと根に持ってる(過去女引き合いにしたことと、傲慢な女と言われたこと)をわかって夫も自分からテレビ消したり、チャンネル替える様になりましたがその後、お伊勢さんのように、手水舎がない川で禊をする神社ってどこだ?と検索に色々な言葉を入れて調べていますがヒットしません。他にある程度有名で行きそうな場所(神社)ご存知の方おられませんでしょうか?
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私は少し視点が違います。 神社の歴史 と 水道の歴史 にギャップ があるから、そのような議論が巻き起こるのではないですか? 水道のなかった時代のことを考えたら、心も穏やかにいられると思いますよ。 まず、私も昨年初めて伊勢神宮に参って、「川でみそぐ」というのを初めて知り、おもしろいな~と思いました(神聖なる境内でおもしろいも不謹慎かも知れないですが、趣深いということです)。 内宮の場合、川の所で左カーブになっていますよね? 川で きちんと?禊をしたい人は、右に緩い階段を降りて、川に近付かないといけません。 私が行ったときは元日でしたけど、川まで降りるのは2割くらいでしたねー。 ちゃんと案内はありましたよ(看板かどうかは定かでありませんけど)。人生初参りどうしで行ってもそういう風習があることを知りましたから。案内なかったら、道沿いに左にカーブするだけで、川に降りるなんて発想も持たないですよね。 で、私の予想では、「内宮に手水舎があるのは、後付けの可能性もあるだろう」というのがまず第一点です。ご存知の通り初詣はすごい人手ですし、お着物の女性もたくさんいますから、川へ降りるのは面倒なものです。それに、「伊勢ではそうする」 のが正式だったとしても、「いちいち伊勢流にするのは面倒」という人がいることも予想されます。だから、伊勢神宮がかなり早い時期から、他の神社の流儀に倣って手水舎も併設した、とみることができるでしょう。 この場合、川でみそぐのが正式か、手水舎でみそぐのが正式か、という議論にも意味がありません。だって、お伊勢さんに両方が正式に存在するのですから。どっちが正式、どっちが略式、ということはないでしょう(さすがに、両方する意味はないと思います。二者択一なのは間違いないでしょう)。 むしろ大事なのは、どちらでみそいだ方が、霊験あらたか と感じるか、という個人の心持ち だと思いますよ。2礼2拍手1礼とかと同じです。「ルールだ」と言われる通りに行動することで「ご利益が増した」 と感じる人もいますし、 「2礼2拍手1礼をしなかったからといって、お伊勢さんに参ったご利益に変わりはない」 と感じる人もいるわけです。 さて本題に戻りますが、日本の神社には、明治の頃の「神仏混淆・神仏習合の改革」の影響で、お寺から再分離されて「新設」されたものも多いわけです(それまでは、今の現代人と同じように、神社に参る・詣でるのもお寺に詣でるのも似たような感覚だったと推測されますし、実際、神主・宮司などが住職を兼ねることも多かったと聞きます。そのせいで、お寺が地域住民の代表みたいな存在になって(そりゃそうだ、氏子・地慎・道祖神は地域密着なのだから、檀家と重なっていても不思議はないです)、お寺が力を持ち過ぎて、政府が改革に乗り出した、としても不思議はないです)。 ちょっと今、つまらない話をしましたけれど、要点は、神社は新しく整備される中で、「最低限、社殿と鳥居と手水舎は備えるべきだ」 みたいな整備活動もあった、と推測されることです。いまだに鳥居も手水舎もないところもありますよね。じゃあ、手水舎がない頃はどうしていたのでしょう? 身を清めなくても気にしない人は気にしていなかったでしょうが、近くに水場があればそこで簡単に身を清めていたのではないですか? 逆に見ると、岩清水が湧く場所とか滝とか池とか、水のある場所はとかくご神体として崇められやすいものです。水は農業の神様ですからね(そしてヘビや龍の信仰などにもつながるわけです)。 清水が湧いていたり、井戸水を汲めたりする場所は良いのですが、水から離れた山頂などはもともと手水舎という慣習もそんなに厳密ではなかった、と予想します。あくまで「ハレ」と「ケ」の世界の境目で身支度を整えることが重要で、湧水・川がなくても神社が神社にならないということにはならなかった、という意味です。 ところが、昭和までに、全国的にかなり上水道が整備されました。今日本の上水道カバー率は99 99%じゃないかな? だから、どこの神社でも、百万円程度で作れるなら、「とりあえず手水舎は作っとこう」 となるわけですよ。 あちらこちらの神社に手水舎がある、 神社の入口にあるから目立つし、両手と口を清める、という特別な儀式は印象にも残りやすい、 という理由で、全国的に急速に広まったのでしょう(本来、神社神道は八百万と言う通りいろいろな門派(宗派)があるはずで、どこも皆一律に鳥居、手水舎、などを備えて見た目が同じになる方が不自然なわけです)。 水道を引いて手水舎を作れば、川で身体を清めるという風習が廃れるのも当然の流れです。 現に私も含めて、「手水舎があれば手水舎で身を清める。手水舎が見当たらなければわざわざ川を探したりはしない」 という人は多いのではないでしょうか。 旦那さんは物知りなのかも知れません。「よく知ってるね!」と認めても良いのではないですか、半信半疑でも。ただモノの言い方がよくなかったみたいですね。傲慢とまで言われれば根に持つのも当然でしょう。 一般的には男は理論チックに考える、と言われます。はっきり言ってウンチクが好きです。 でも 「じゃあ具体例を挙げてよ」 と問い詰めるのはマナー違反ですよ。 問い詰めるのは 「証拠を見せろ」 と言うのと一緒で、「あなたの話は信用できない。私はあなたの話を楽しんでいない」 と言うのとも一緒です。 ウンチクを述べた側が具体例を挙げられないことも多々あるでしょう。完全に勘違いで、調べてみたら真実でなかった、ということもあるでしょう。でも、「枝葉まで覚えていないと本筋までウソだ」 ということになるでしょうか? 「○○って、▽▽らしいよ」 と話をする時は、本人はそれを、「真実だと信じ込んで」いて、「相手にもおもしろい話としてお裾分けして共有しよう」 と思っているだけで、 「○○って、▽▽らしい、の根拠は?」 と聞かれると、途端に面白くない裁判になるわけです。「○○って、▽▽らしい」という印象しか覚えていない本人に、罪はありません。 まあ、簡単な言い返しもできずに、「川がそばにある神社は皆そうです。常識だ。」とまで言った男もだいぶカッコ悪いですけどね。「傲慢」 とはこれまた、「自分の包容力のなさは棚に挙げて」となりますし(証拠は挙げられないから自分が間違っている可能性もある、という謙虚さが足りない)。 ただですね、長くなってすみませんけど2つ考えておかなければなりません。 一つは、証拠は知っていたとしても、あえて証拠を言わないこともあり得ますよ。「じゃあ一つ具体例を挙げてよ」 と言われて、具体的に 「あれもそうだし、あれもそうだし」 と言い始めたら、もうそれは、「へぇ~、おもしろ~い」 という話とは別物となる、という場面もあるわけです。相手のメンツを潰すことになる。だから、私自身も、具体例は挙げられるけど相手の顔を立ててあえて 知識を見せびらかしたりはしない、理詰めはしない、という経験があります。 もう一つは、男性は女性と口ゲンカをしたくない、という心理が働くことですよ。理詰めは男性の得意とするところです。でも理論で勝っても、心で相手に敗北感を与えたら、気まずくなりますから、「男女だから」という理由で一歩引くこともある、ということです。うやむやが一番いい、ということもありますし。 「参拝したのは19年目」というのはよくわかりませんでした。一昨年ということですか? さすがに伊勢神宮の話題を避けるくらい気まずいのは、早いうちにお互い謝っておいた方が良いでしょう。 「あなたの話を信用しないような言い方をしてごめんなさい。」 「常識だ、傲慢だ、と言ってごめんなさい。」 そして、「また同じような川に入る神社に行くことがあったらおもしろいね。またいろいろお参りに行こうね。」と。
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- NemurinekoNya
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禊は白装束でやるもんですよ。 スッポンポンや、フンドシ姿でやったりはしません、すくなくとも女性は。 時代劇なんかで、白装束の女性が井戸の水をかぶったりするでしょっ。 あんな感じの衣装。 水垢離(みずごり)も、禊の一つのスタイルです。 ほいで、禊の作法をちょっと調べてみました。 http://nishinojinja.or.jp/nishino/misogi.html http://jinjajin.jp/modules/contents/index.php?content_id=202 西野神社の採用している禊の作法が、参考になるんじゃないですかね。
お礼
禊は、白装束のイメージ私も持っていました。 ですが、 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8A 滝行の男性がふんどしでやるのも禊のようですね。 女性がまさか裸でやるとは思ってはいませんが。 原則は白装束ということですね。 山伏のような・・・の文章で、「全身裸」と書き込みしたこと、すいませんでした。 ふんどしと書き込みすればよかったですね。 ありがとうございました。訂正させてください
- michael-m
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川で禊が常識・・・誰がそんなでたらめ言ってるんですか?? 確かに昔は川で禊ぎをしました。神道ではイザナギの禊が起源とされています。 伊勢の神宮では松阪のあたりから川につくと禊ぎをしたとされています。 多分貴方にデタラメを吹きこんだ人は「禊ぎ=手口を漱ぐ」と思っているんでしょうけど、川で禊ぎといえば川に入って頭まで浸かる事を言います。五十鈴川でそんな事するのはよほどの祭事に関わる人くらいですよ。 町の人でも五十鈴川の下流か海などで禊ぎをするのは普通です。まして参拝で川に入るなんてしません。 手口を漱ぐ事自体が禊ぎの簡略化したものですから、手水を使うとか手口を清めるというのが正しい。 江戸以前は神仏習合でしたから、純然たる神道の行事というわけではありません。 現代でも修験者が川や滝で身を清めるのも同じことです。 参拝ではなく、祭事に携わる人にとっては川や池、海、滝で禊ぎをする風習が今でも残っています。 手水舎の起源はわかっていません。でも、川が無いから手水舎は嘘です。そもそも手水舎はお寺に有った物ですから。 由緒ある神社はそもそも一般人など境内にすら入れませんでした。鳥居の外で参拝するのが本来の形式。町のお稲荷さんとは違います。神宮(伊勢神宮の正式名称)も皇室後に一部将軍家くらいが詣でるところで一般人は入れなかったんですよ。(江戸後期に伊勢参りが流行ったけど、そこまで入れたのかは個人的に調査中です) 神宮によれば、将軍家のお姫様か誰かがココで清めたといいますけど、まさかお姫様が川に入って禊はしなかったでしょう。 手口を清めるのに寺で使っていたのが手水(ちょうず)、これを神社に設置したのが手水舎、寺からは茶道に流れて茶道でも手水の風習が残ったんです。ついでに言うなら賽銭箱も寺から神社に導入されました。 (両者とも寺側の主張ですけどね、神社が格式を重んじたのに対して寺は常に庶民側にいましたから、一般参拝者もいたわけです) 私達が日頃やっている参拝は正式なものではありません。略式の略式で戦後神社本庁によって示されました。 示されたというのは正式ではないからです。神社での正式な参拝は昇殿参拝だけです。 このとき手水は巫女などが桶に汲んできて、柄杓で参拝者の手にかけてくれます。これで手口を漱ぐわけです。現在ではこれを省いて神社の手水舎を使う所もありますけど、これが正式な作法。 ネットでもいい加減な事を書いているところが多いけど、毎日何千何万という人が訪れて、聖なる川に口を漱いだ水を吐く・・・いくら流れているとはいえ、私にはとても耐えられませんね。まさに天に唾しているようなものです。 一般参拝者は手水舎で手口を清める。これで充分です。 伊勢の人だから神社を知ってるなどと思うのはアサハカですよ。
お礼
ご回答ありがとうございます。 やっぱり五十鈴川で禊は大げさですよね。 私にとって、禊とは ・山伏の修行のような全身裸で滝にあたるとか ・武道の人達が身を清めるとか ・お百度参りのような願い事のためとか かなりの覚悟のようなイメージを持っていました。 川が有るところでは当然と言われても、「手口」程度がお伊勢さんでも「お浄め」なんでしょうね。 それにしても、行った日は雨でしたし、それ(ここでする)を素直に受け止めたとしても 私は五十鈴川で、口に川の水を入れたくないです。 あの人数の中でも、10人位が傘をさして川を観ている人だけで、誰もそんな仕草をしているとは 見えませんでした。 皇室・将軍しか新宮に詣でることができなかったとは、690年から始まっている20年ごとの式年遷宮も 庶民には見ることもできなかったのですね。 【神社での正式な参拝は昇殿参拝だけです】 私は前の結婚の時、天祖神社の氏子でした。 町内でバス3~4台を出し、毎年秋になると正装を持参し 元舅(総代もやってました)や元夫や元義弟が行っていましたが 今思えば昇殿参拝だったのかな?と思います。 宮司さんや禰宜さんも当然行ってました。 正式参拝と昇殿参拝の意味の違いが本当はわかっていないのですが。 ともあれ、私達が略式の略式の ・手水舎が有ったらそこで手口を清める ・2礼・2拍手・1礼で神殿の外からお参りをする これが一般と思って良いのですね。 こういう「川で手口を漱ぐ」の寺社があちこちにあるのか、解ったのは下鴨神社だけでしたが。
- QoooL
- ベストアンサー率66% (103/155)
なるほど(^^) いろいろ個人的なことも話してくださって、理解が深まりました。 15年ほど前の都市伝説で、 「ディズニーランドにデートに行ったカップルは別れる」 というものが一部地域で流れていました。それと同じことだったかも知れませんね、意外な結論ですけど。 ディズニーランドは待ち時間が長いのが有名ですけど、 長い間を持たせるような、楽しい会話がないと、ただ疲れるだけだからケンカになる という理由だけではないと思います。 長い間を持たせようとして、男が無理に話題作りをすると、ウンチク中心になりかねないから、ケンカになる、 過去に乗ったことがある、って、誰と過去に来たのよ!と嫉妬して、ケンカになる、 という理由もあるんじゃないんですか? 都市伝説に理由を求めるのもヘンですけど。 いいじゃないですか。 質問者さんは旦那さんと結婚したんですから、 過去女に勝った のですよ。勝っている人間が負けている人間に嫉妬する必要もないでしょう?(^^) それ言い出したら、旦那さんは旦那さんで、質問者さんの過去の男性遍歴に嫉妬することになってしまう。 本題に戻りますけど、「言い方って難しい」 ですよね。 旦那さんも当時、「じゃあ水道のなかった時代はどうするの」 と思っていた可能性もあります。でもそこで、 「ちょっと考えればすぐにわかるでしょ。そんなこともわからないの。」 と言ったら完全にケンカですね。そこまで言わなくてヨカッタ。 「例えばシモガモ神社だよ」 と例を挙げなかったという落ち度もあります(あるいは、おっしゃる通りわざと言わなかったのかも)。 お互いに、「そういうこともあるかもな」 くらいで聞き流すくらいがちょうど良いのかも知れませんね。 ちなみに、「川があるから手水舎がない」 というところは私もいまだに知りません。 シモガモ神社も、「なんで手水舎がないのよ!」という人への対策のために、手水舎があるかも知れないし。 現代では、大きなところは水道水を引いてきている可能性が高いと推察します。そういう意味では、「現代では、川の代わりに手水舎があるのが常識」 と言ってしまっても良いのかも知れないし、そういう意味では回答者さんの方が正しいです。 「川で御手洗するなんて、生まれてこの方見たことない。」 というのも正しい。 でも本件で、一つ勉強になりましたね。私も五十鈴川のこと、初めて知りました。 もちろん、小さな神社は手水舎がありませんよ。だから、 手水舎がない、川で禊をする神社 伊勢神宮のような川での禊をする神社 は他にもどんどん見つかる可能性もあると思います。 (ただ、川のきわきわに建つと水害に見舞われる可能性も高く、神社はもっと、川からある程度離れている安全な場所に建っている方が多いとは推察しますけどね。) そういう意味では、まだ 「沢山ありますよ」 の答えは得られておらず(私が示したブログも、個人の見聞・意見に過ぎず)、 ご質問を続ける意義はある かも知れません。 (気分的に、「ちゃんと上水で手を洗いたい」 と思う人がどのくらいいるか次第ですね。) 充分お礼は伝わってきましたので、もう不要ですよー。何度も投稿して目立ってすみませんでした。
お礼
いつの間にか、「哲学」のカテゴリーから「心理学」のカウンセラーになってくださいまして 本当にありがとうございます。 私が正直に書くものだからこんなに親身になってくださって、頭が下がります。 ディズニーランド(2003年)とシー(2005年)の入場券、確かに引き出しに入ってました(笑) 「あの完璧に作られた場所は気持ち悪いですね。行きたいとはもう思いません」 これが、ランドで働く私の娘からチケットが2枚送られてきたとき言った言葉です。 私は娘が働いている姿を見たことがなかったので (娘が1歳の時、年パスできましたので私の分を作って、4歳から娘の分も購入し、ずっと通ってましたし 働いても仕事が休みの時2人で行って合計300回ぐらい?娘は週7出勤です〈笑〉) 返そうかと思ったのですが 土日出勤の娘と逢ったこともなかったので「遠くから観ましょうか」と結局は行きましたが こんな場所には絶対に来てないだろう所を選びましたので、全く別物と思ったようです。 何時までも過去にこだわってどうする!と一念発起して出かけましたが 翌日は過去女2と行ってる明治村と犬山城、(部分的に明治村の記憶はありました) 妻籠・馬籠のついでに南木曽の桃介橋に足を延ばしたら過去女1と来たことを思い出すし 「琵琶湖観たことない」と言ったら「では行きますか」まではよかったのですが 彦根城と安土桃山城跡・長浜城にも過去女2と来たと聞きました。 「さすがに安土では昇りたくないと下にいましたが」 こんなんで、やっぱり、敵地には乗り込むべきじゃないと誕生日旅行で心から思いました。 東名高速の間の観光地は行き来でかなり行ってますし(送り迎えをする人だった)、 茨城・千葉は何処に行ったかも覚えていないほどの数 日光・華厳の滝や、松本城・善光寺なども。 横浜は行ったことがないと嘘をつかれて行ました。 初婚の時鎌倉に住んでいて、行ったことないはずないと思いましたが、帰宅後しばらくして 「るるぶ」からレストランの名刺が出てきて、候補に挙げた3個の〇印から行かなかった場所が昼食でした。 「そうでも言わないと行かないでしょう」 そんなことまでして連れていきたいのかしら? お伊勢さんは、「傲慢な女」と言われて他にも川で禊をするところがあるか探していましたが 万事がこんなです。 私の過去遍歴って一つしかないんです。 DVとアルチュウで年収3000万の男と間違った結婚をしてしまい 子供が2人だったので、私立に入れた子育てで「お金と引き換えに魂と身体を売って」 顔が腫れても、爪が壊死しても25年我慢してきました。 コツコツ計画離婚でお金を貯めても、心が駄目になった時は 海外旅行・宝塚に現実逃避してかなりのお金を使えたことには感謝していますが。 とんでもない会話を皆さんがご覧になってるでしょうが、ストレートな私をお許し下さい。 カウンセラーになってくださって本当にありがとうございます。
- QoooL
- ベストアンサー率66% (103/155)
あ。アメブロを紹介するのが規約違反になるのかどうかわかりませんが。 何も考えない運営が、肝心な 回答 になるこのブログへのリンクを消さないことを祈っています。 (回答#6ごと削除するなんて言語道断! でもそれをしかねません。)
お礼
何度もありがとうございます。 こんなに「川で禊」にこだわるのは、過去に対する私の嫉妬が原因です。 ちょっとした言葉にも敏感になってしまうのです。 「過去は過去で消せない」とわかっていながらも 再婚ですので、2人の伊勢女と合計12年も付き合っていた間に いったいどこれだけの場所に行ったんだろうと、つい余計な想像をしてしまうのです。 『どうせその女たちから聞いたんでしょ。やってるの見たんでしょう』と 【あなたが知ったのはその女たちの姿を見て覚えたんでしょうが】と妄想が膨らみました。 私の聞き方がきっと挑発的だったので 聞かれてもいない「2人はやってましたよ」と答えたんだと思います。 「こういう所は他にもありますよ」は自信がなくって言わなかったのではなく 具体的に言うと、また私が「そこも過去女と行ったの?」と質問になってしまうので 言わなかった可能性もあります。 読書だらけ・歴史好き・趣味はお城めぐり(現存12天守はじめ)と歴史的な観光地 の完全文系で、博学であり、言い間違いも細かく指摘されます。 五十鈴川に関しては、「過去女からではなく本から知った」と思うことにしました。 私の方が理詰で、言い負けもせず、男頭・理系頭なのが気に入らないようです まあ、男は女に口ではかないませんが、理路整然と言われるのは嫌でしょうね。 (カーナビより私の方が優秀です) 話が思いっきりずれてしまいましてすいません。 ゆっくり明日お返事しようと思っていました。 ありがとうございます。 とりいそぎ
- QoooL
- ベストアンサー率66% (103/155)
#5です。長文でも読んでくださったことを祈っています。 こちらはより明確な答えになりますが、ぜひ、#5から先に読むことをオススメします。 答えを提供することがお二人にとって幸せになる、と私は考えないからです。 「川で清め」 で検索したら3分で下のページが出てきましたよ。 http://ameblo.jp/yuliwyuri/entry-11748365678.html 一つで充分だと思うので、それ以外は調べていません。 でも私もけっこう神社好きですけど、出雲大社、熊野大社、氷川神社、熱田神社、金比羅宮などの「かなり古い」神社の記憶を振り返っても、川で清める専用場所の記憶がありません。 「衛生的でない」 とか、 「危ない」(基本的に川に降りるのが行政によって禁じられている?) とか、 時代的な理由もあるかも知れませんが。 ガンジス河では私も沐浴しましたし、ユダヤやキリスト教の洗礼は、川で清めることに由来しているのは有名な話でしょうが、神道において、「精神的に考えていることは一緒」 だとしても、ルーツが一緒、とまでは言えないでしょうね。 これで質問者さんと旦那さんの0勝1敗、と考えないでください。 たくさんの証拠も示せないのに、「川がそばにある神社は皆そうです。」 と言った旦那さんも悪いのです。 かと言って、「おもしろーい! 他にどこがあるの? 連れてって!」 とソフトに聞けず、問い詰めみたいになった質問者さんも悪いのです。 お二人でこの(拙文ですが)回答を見て、「ちゃんと正面からこのケンカの原因に向き合って」 仲直りしたらいかがでしょう。
お礼
「お伊勢さんだけじゃない」ことを纏めて最後の回答に書き込みしました。 そちらを読んでください。 喧嘩が絶えないのは、「自分の過去一つも後悔していない」と言い切っていながら 疑問に思ったことを(聞く方が悪いですね)聞くと「過去に触れるな」と大声で怒られたり 「元嫁の方がましだった。私をここまで怒らせた人はあなたが初めてです」 と言われるからですね。 私も元嫁との時や伊勢女のように、「彼女のまま」サラ金借りまくってあちこち連れて行ってくれたり (お義父さんが1000万返済) ヘリコプター貸切や豪華なプレゼントでもあれば文句も出ないでしょうが 「管財人になってください」の結婚でしたから。
- sariputra
- ベストアンサー率4% (2/41)
伊勢神宮はユダヤ教の流れを受け継いでおり、川で禊をするのはユダヤ教の倣いです。
お礼
そうなんですか? ですが、私の聞きたかったお答えとはずれているようで・・
- kyo-mogu
- ベストアンサー率22% (3398/15358)
伊勢の内宮では川の状態によっては近寄れないので、しない事もありますよ。以前行ったときはそうだった。 近所の神社も近くに川はあるけど、川ではしないよ。 井戸水とかは有るみたいだけどね。
お礼
ありがとうございます。 私達が行った日は雨で、駐車場から傘をさしていきました。 確かに、川の清らかさや、傘をさしてまで汚い水で?と言うことはありますよね。 五十鈴川の前に手水舎が有って、そこでもできるのですから。 川が有っても必ずしもするわけではないのですね。
- NemurinekoNya
- ベストアンサー率50% (540/1073)
禊(みそぎ)は川でやるのが正式です。 たとえば、 イザナギが黄泉の国から帰ってきたとき、 阿波岐原(あはぎはら)で禊をしていますし、 平安時代に作成された伊勢物語には 「恋ひせじと 御手洗(みたらし)川で せしみそぎ 神は受けずも なりにけるかな」 とあります。 御手洗川は、禊をする川です。 ~~~~~~~~ 御手洗川 神社の近くを流れていて、参拝人が口をすすぎ手を洗い清める川。京都の下鴨神社のものが有名。 http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/212149/m0u/ ~~~~~~~~ 私の生まれ故郷にある小さな神社も川のすぐそばに建っていましたよ。 この川で禊をしている人を見たことはありませんけれどwww。
お礼
ありがとうございます。 「傲慢な女だ」がずっと引っかかり、旅行の後 PCで即調べました。 私がそういう神社に行ったことがないだけで (かなり少なくなっているらしいですが) 本来(正式)の事 ・川がそばにある神社ではそうだということ ・河川の汚染が理由で手水舎作ったこと なんですね 下鴨神社が有名なんですか! 今度行ってみたいと思います
- k-josui
- ベストアンサー率24% (3220/13026)
伊勢神宮(内宮)にも手水舍があります。 誰もここで口をすすぎ、手を洗いますけどね。 http://www.isesyoyu.co.jp/jinguu/naikuu/temizusya.htm
お礼
ありがとうございます。 貼り付けてくださった場所で、禊をしている時に言われました。 五十鈴川が本来する場所だと。 その時の説明(うんちく)にカチンと来てしまって…
お礼
2回目のお礼がここになってしまいました。 本来の「伊勢神宮以外川で禊をするところがあるか」の質問と、私の悩みの両方にご意見下さり 本当にありがとうございます。 「宗教」のカテゴリーかな?と探しましたが、普段全く見ない分野ですし、 私のやるせなさまでを文章に「哲学」のカテゴリーに書き込みして 良いのだろうかと悩んだ文章だったのですが(お堅いイメージしかなくって・・・) 2012年7月の(私の誕生日の日で最悪)19年目に行って、2年近く何処にある?とずっと気になってました。 (出雲大社も2012年正月で59年目でした) 「外宮から行きますか?内宮だけで良いですか?」の質問をされた時から なんだかやっぱり思い切って来たものの(過去にこだわっても仕方ないと) 嫌な所にはるばる来てしまったな~の予感はありました。 知っている人についていけば良いんだと周りを観ていなかったんですね、案内があったのですか! 手水舎で禊をしたとき、夫はしないで先に行っており、ゆるいカーブで左に曲がるところにいました。 そこで説明をされたとき 「どこに書いてあるの?看板とか何もないじゃない」ときょろきょろ探しましたが 私は説明を発見できませんでした。 もっと前にあったのですね。 「看板がなければ納得しないのですか、傲慢な女」とここで言われたのです。 自然に左カーブしていて、前に手水舎が有って、こっちに当然行くだろう作りで あのへこんだ右に少しだけ見えている五十鈴川は、禊の場所と意味の両方を 知らなければいかないほど見えていませんよね。 話に夢中になってたら川が有ることも目に入らないかもしれませんね。 余計な話になりますが、東京から転勤で名古屋に4年行っているようですが 風俗嬢の伊勢女2とはその後も8年、毎月東京と名古屋を行ったり来たりの付き合いで 伊勢女2の趣味は「ご朱印帳スタンプラリー」です。 (真面目な宗教心の方には失礼ですが) お互いに過去は有るのだから過去には拘らないと、さばけた人もたくさんおられると思いますが 私は性格的に嫌だと思ってしまうタイプです。 こちらに来るたびに、今回は何処と何処(寺の方がご朱印帳が綺麗らしいですね)に 行きたいと決めていたそうです。そしてTDLのような観光地もほぼしらみつぶし・・・ 運転手として出かけても自分も歴史的なものが好きなのでその点では合致していたようで・・・ 特に住まいの側が多いのでおぞましい(職業であっても)と思ってしまいます。 過去女の使った物を使い続けることも、捨てていないものを見るのもいやです。 ペラペラ過去を言う人ではありませんが、「捨てる」ことをしないので 何処にいつ行ったかの入場券とか、10冊以上のガイドブックに爪の跡や印が付いていて・・ 思いっきり話がそれてしまいましてすいませんでした。