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古文の主語がわかりません

これも今は昔、ある憎、人のもとへ行きけり。(A)酒などすすめけるに、氷魚はじめて出で来たりければ、あるじ、めづらしく思ひて、もてなしけり。 酒などを勧めたのは誰ですか?という問題なんですが、私は、憎が手土産に酒を主のもとへ持っていったと思って、「憎」と答えました。しかし答えはあるじでした。なぜでしょうか? あと一つ質問なんですが、「氷魚はじめて出で来たりければ」の訳が 「その年に氷魚が初めて出てきたので」 という訳でした。 (その年に初めて) とはどういうふうに分かるのでしょうか?  後々色々古文を読んで力をつけていけば 自然と読めるようになるから今は気にするな って感じなのでしょうか?  よろしくお願いします!

みんなの回答

  • TANUHACHI
  • ベストアンサー率31% (791/2549)
回答No.2

 最初の文と次の文の違いが解りますか?。最初の文には「主語がある、明確に記されている」状態であり、次の文では「主語が省略されている」との違いがあります。この主語を補って下さい、との問題を設問趣旨としています。  ではどの様な解き方があるか、になります。「酒などすすめけるに」の後に続く「ば」に着目して下さい。この「ば」は助詞ですから、それがどの活用形の後に続くのかによって、解釈が異なります。このことは既に学んでいるはずですので、もし忘れているならば教科書をもう一度読み直してみて下さい。  「未然形+ば」と「已然形+ば」では何が違い、それによって訳文が異なりますので、それをもう一度確認してみて下さい。答を教えることは簡単ですが、それでは貴方の勉強にはなりませんので、僕は答を書くことは致しません。  更に具体的な条件がこの文中には既に記されてもいます。「僧が禁じられていること」に何がありましたか?。これは常識の範疇に含まれますので、これほど大きな手掛かりも他にはありませんね?。この部分だけで答えること可能です。  但し設問趣旨は前述のとおりですので、「ば」を確かめて下さい。

  • bgm38489
  • ベストアンサー率29% (633/2168)
回答No.1

憎?僧でしょ。憎は憎悪、憎い(にくい)に使う漢字です。 あるじが酒などをすすめたところ、僧が持ってきた氷魚を出した。それをあるじは珍しく思って、もてなした、ということですね。 僧が持ってきた氷魚は、初めてのものだった。普通、生まれて初めて食べるものだ、とは考えませんね。「氷魚初めて出で来たりけるに」という短い言葉に表されていることですから。初めて食卓に出てきたといえば、現代文でも、今年初めて、と考えるのが自然です。 旬の食べ物に対し、「お初にお目にかかります」といえば、今年食べるのは初めてだ、ということですね?

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