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自立すること、『普通』に生きること

自立すること、『普通』に生きること 質問させて頂きます。 まずはじめに、身も蓋もない質問であること、絶対的な回答は得られない事を理解した上で質問させて頂きます。 私は19歳に強迫性障害にかかり、今年大学を2年留年して何とか卒業し、仕事を始めました。 昔から人と変わっている部分はあったし、頑張らないと出来ない事も、それほど努力せずとも出来る事はありました。でも、それは個性の範疇だったと思います。 しかし、5年前に強迫性障害にかかってからは、無意識下で浮かび上がる強迫観念に対して毎日、極端な話24時間対処しながら現実のタスクをこなし、まりに問題に捕らわれてしまう時はうつ病を併発したりもしました。 その頃からだと思います、自分を取り巻く人たちの自分に対する印象、ここがダメ、こうすべきと言う点が共通してきたのは。 例えば『要領が悪い』『自信を持て』『視野が狭い』等、言い出したらキリがありませんが、全て自覚があり自分なりに努力していても上手く出来ない事ばかり積み上がっていきました。 最初は学生という事もあったと思いますが、気にする程度でした。 ですが次第に一人で生きる事、つまり経済的に自立する事に直接的に関わる欠陥ばかりが増え続けました。 親と話せば小言ばかり、アルバイトをすれば怒られては潰れて、長続きせず、結局留年した2年間はアルバイトもせず仕送りで生活していました。 病気が全てとは思いません。 言われてきた事の大半は、少なくとも自分の人生が狂い出した5年前以前から言われていた事です。 今日も仕事で怒られ、自分でもなぜ分かっていながら出来ないのだろうというような事でした。 ハッキリ言ってこれがアルバイトだったら、学生だったら、もう辞めていると思います。 でも当たり前ですが、もう誰も助けてくれないし、悩む間も無く朝が来て、仕事に行かなければ私は『自立する』、ひいては生きるという事を諦めることになります。 とても数年前までは働くなんて考える隙間もない程に病んでいたので、有る程度の余裕が出てきているのは事実です。しかし、私が悩みに捕らわれている間に、私以外の人たちは成長し、もう私より何歩も先に居ます。 誤解を恐れずに言いますが、私はやはり精神疾患を患った以上、普通の生活は送れないのでしょうか。 何かに頼り、誰かに頼り、自分の食いぶちも稼げない人間なのだ、と受け入れて生きるべきでしょうか。 『普通』を望む事が間違いでしょうか。 今までも何度も死を考えましたが、死ぬ死なないの選択肢は私にはなく、この弱肉強食社会で勝てないのであれば私は必然的に死ぬしかありません。 この2ヶ月、本当にギリギリのところを何度も行き来しながら堪えてきましたが、途方もない無力感が全身に充満していて、本当にどうしたらいいのか分かりません。 もう逃げ場はないのです…。 本当に支離滅裂で意味不明な質問で申し訳ありませんが、どなたか、何かご意見お聞かせ下さい。

みんなの回答

  • inochi_bf
  • ベストアンサー率7% (10/127)
回答No.7

人生に成功も失敗もありません。 人生に勝ちも負けもありません。 人生に意味のない経験などありません。 あなたは、あなたにしかできない、すべきことをするために生かされています。

  • hucha
  • ベストアンサー率15% (18/119)
回答No.6

大学をやめたいなら思いきってやめたらいいです。貴方のからだがついていけないと思うなら。貴方がどれだけ大学に興味が薄れているかです。私は中一に脳内出血で心臓が停止するほどの手術を経験して、きちんとした青春をしてません。そのせいで大人として、きちんとした責任感、言動などが備わっていない。これもはっきり言って言い訳です。だから私は短大に通学して(そのときに完治しました。)、青春を延長しようとしました。短大は片道二時間弱かかったので、その上アルバイトもしてました。いま思うと、きついことをよくしていたと思います。短大時代は、就活、卒論、実習などで心底学校をやめようとも思ったこともあります。しかし、そのときにに病気したことを考えました。辛い入院生活や永い差別、それに比べへいまなに考えているんだ、と思いました。それに短大に入るのに親ともめました。一ヶ月はしゃべりませんでした。そうなれば短大をやめるのは親の思うつぼと考えました。親は我が子の将来と元気な顔が一番と考えていたので短大やめるならすぐにやめるよう言っていました。おそらくどんな凄い大学行っていても同じことを言うと思います。 貴方は大学をやめたいなら思いきってやめましょう。しかし、続けたいと考えるなら続けましょう。ちなみに私が通った短大は私が短大2年の時に関西のNHKの番組に紹介されました。私の通っている学科です。頭は悪いですが、それで少しは有名になっていると思います。

回答No.5

あなたはHSPかもしれません。 高度に敏感な人という意味で、精神疾患ではなく正常な性格的特徴を持った人を指します。 繊細で人よりも苦痛を感じ取りやすく、ストレス過多な現代社会では生きにくい特性ですが、感性が鋭く危険を察知したり他人を思いやる能力に長けているとされています。 何事にもタフで素早く行動することが求められる現代社会においてはその能力も発揮する機会がなく、結果として精神疾患を患ってしまうこともあるでしょう。 タフな人間=普通の人間になれない自分を責めるのではなく、自分には素晴らしい能力があるんだと信じてみてはどうですか? 世の中には仕事がたくさんあります。きっと自分にあった仕事も見つかりますよ。なんとかなります。

  • moritaroh
  • ベストアンサー率56% (658/1172)
回答No.4

…ご質問から察して、現在24歳、そして女性でしょうか? 精神疾患を経験すると、どうしても思考が精神疾患のことを中心にしてしまいがちなのですが、ひとまず、疾患と日常生活を区分けします。 まず、精神疾患におちいってしまったことについて、質問者さんとその他一般の人(普通の人)とでメンタルの防御能力が同じだと仮定したとき、質問者さんはメンタルの感度が高い…要するに感受性が「普通」の人より強い、ということです。 ですから、「普通」の人より感受性が強い場合、本来は、もっとメンタルの防御能力を高める(例えば自信をつける、視野を広くする、など)が必要なのですが、質問者さんはごく「普通」の人と同じメンタルの防御能力しかなかった、ということです。 そういう意味では、メンタルの感度は人並み以上、けれどメンタルの防御は「普通」というレベル。 つぎに、生活(自立)について。 24歳で会社員(?)、入社2年目程度、ちょくちょく仕事でミスをして怒られなかなか上手くいかない。そして現在の収入からこの先の将来に不安を感じる。 …これ、とても「普通」なことです。 逆に言えば、質問者さんと同じ24歳で、極端な話、すでに年収が1,000万円を超えているような人は、ごくごく稀です。そう言う人の方が「普通」ではないのです。 世の中、5:5のイーブンで勝ち組・負け組のようなものが決まっているのではなく、だいたい2:8くらいの比率の弱肉強食。 ですから、たった2割程度の人が平均値を引き上げてしまうので、8割の「普通」の人が、「自分は普通以下だ」と思ってしまうのです。 誰でも、例えばたまの休日に海外旅行にまでは行けなくとも、温泉やエステでリフレッシュ、シーズンごとに好みの洋服を買って、たまにはちょっといいレストランで食事をしたい・・・そんな「ごく普通のささやかな幸福」を、などと考えますが、実際にはそうした生活をお金のことを考えずにはできないわけで、毎日お財布と相談しそこそこの節約をしながら生きています。これが「普通」です。 「何かに頼り、誰かに頼り、自分の食いぶちも稼げない人間なのだ、と受け入れて生きる」とは、ごく「普通」な考え方です。 質問者さんの場合は、メンタルの感受性が強いので、こうしたことを過剰に感じ取ってしまうのでしょう。 人はみな横一線でスタートしたわけではないですし、また同じ土俵で戦っているのでもないし、人生ゲームのような同じレールの上を進んでいるのではないです。価値観も人それぞれで、幸福観も人の数だけ存在します。 自分も多少の経験はあるのですが、精神疾患は本当にお辛いと思います。 ですが、精神疾患に拘泥していると、そのことによって「普通」という理想型がどんどん高くなってしまいます。それはもはや「普通」ではないほどに。 普通or普通ではない、といったことを気にせず、質問者さんなりのささやかな幸福が何であるのか、少し心を休めて考えられると良いのですが。

  • taka-aki
  • ベストアンサー率12% (748/6126)
回答No.3

他人に見下され蔑まれバカにされ続ける人生しか残ってない。 かもしれませんが、そういう男女も結構いると思いますので そういう人同士で助け合ったらいいんじゃないでしょうか。

  • IDii24
  • ベストアンサー率24% (1597/6506)
回答No.2

結局はこの考えが負のスパイラルになっているだけだと思います。怒られたって怒ったほうは明日には忘れてるんです。結局いつまでも引きずってるのは怒られたほうだけ。一日一日リセット出来ないとかダメでしょ。

noname#202739
noname#202739
回答No.1

あなたのおっしゃってることは真理ですよ。 弱肉強食だし、死ぬ死なないの問題ではない。 とりあえず「死にたい」っていう被害者意識の強い方に比べたら、 だいぶマシだと思います。 逃げ場がない。 それならがんばるしかないんじゃないですか。 そりゃあ、本気で飢え死にしかけたら、なんか知恵が浮かぶかもしれませんけど。 そこまで追い詰めるのは精神衛生上良くないしね。 自分を受け入れるのは、現状維持ではありませんよ。 弱い無能な自分を受け入れた上でどうすれば向上できるか考える。 それが自己受容です。 開き直りと混同されては困ります、あなたがね。 もちろん死ぬことさえ受け入れるというなら何も言いませんよ。 でも人間らしく生き残りたいなら、自己受容の後に行動が絶対必須ではないでしょうか。

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