- ベストアンサー
完璧をめざす人たち
- なぜ彼らはこのような考え方をするのでしょうか。
- 家族、教育、社会の有り方などが関係していますか。
- すばらしい仕事をした人であっても、ちょっとしたことができていないと「それがいけない」と言ってしまうのはなぜでしょうか。
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質問者が選んだベストアンサー
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ちょっとでも欠点や弱点がある人に対しては否定的な態度をとってくる人達は完璧主義者だと思います。 粗探しが趣味な人間は、この世には大勢います。人のことを責め倒す人間達は、いるだけで迷惑な存在だと思います。 完璧主義は平和を乱す者だからです。だから私は完璧主義者になりたくはありません。許す心が平和にとって大切だからです。
その他の回答 (12)
- kamisenbon
- ベストアンサー率38% (52/136)
No.12です。 すみません、実は前回の回答にトラップを盛り込みました。 ちゃんと質問者さんはそこに食いついてくれました。 馬鹿にしてるんじゃなくて、体感してもらったほうがわかりやすいと思ったからです。 試すようなことをして申し訳ない。 >安易に否定するということは、彼らの長年の努力を安易に否定したと同じなのです。 ここがトラップです。 私は前の回答であなたのとった行動を否定しました(厳密に言えば否定では無いですが) でもあなたはあなたの考え方があるわけです。 私があなたを否定したことに対してあなたは私の考えがおかしいと思いましたか? そうではなくて、あなたの考えが私に理解されてないと感じたのではないでしょうか? つまりそれが「他人の否定は他人の無理解と同じ」と表現した理由です。 欠点ばかり目をむけずに、彼らの仕事にはいいところもあるからもっとそこに目を向けようよと考えるのは私も同じです。 ただ彼らが欠点ばかり目を向けるのは彼らなりの信念があるのです。 彼らは長年欠点を認めないという思いを培ってきたんです。 >わかるから、私は全否定しないわけ。 >ちょっとしたミスくらい認めようといってるだけ。 あなたがわかると言ったのはきっと彼らの努力の部分であり、彼らがもっと大事にしている、「ミスをつぶそうという信念」を理解しているわけではないんです。 彼らがとても大事にしている部分を「ちょっとくらいのミスは認めようよ」と言って否定しているんだから、反発されないほうがおかしいと私は思います。 言っちゃいけないんじゃなくて、言えば反発を受けるのは当たり前といいたいんです。 なぜ感情的になって否定するか、納得しないまでも理屈はわかりました?? 理解の手助けになれば幸いです。 以上! 補足されても無いのに戻ってきてごめんなさいね。 私はもう回答しませんので。
お礼
回答ありがとうございます。 >試すようなことをして申し訳ない。 申し訳ないとか思わないからされるんでしょ。(笑) ま、いいです。 >私があなたを否定したことに対してあなたは私の考えがおかしいと思いましたか? そうではなくて、あなたの考えが私に理解されてないと感じたのではないでしょうか? 正直いって、読解力がない方だと思いました。 ということは前者に近いですか。 >彼らがとても大事にしている部分を「ちょっとくらいのミスは認めようよ」と言って否定しているんだから、反発されないほうがおかしいと私は思います。 言っちゃいけないんじゃなくて、言えば反発を受けるのは当たり前といいたいんです。 言えば反発を受けるのは当たり前です。 そんなことトラップしかけてまで確認とって何の役にたちますか?だからどうすればいいか そこまでお答えいただきたかったですね。 心理学の質問をしたつもりはありませんので。 ああ、これもトラップですか?(笑) ここは哲学のカテゴリーなので、 できれば、後者の家族・教育・社会の在り方についてもお考えていただいてお答えいただきたかったです。
- kamisenbon
- ベストアンサー率38% (52/136)
私自身、完璧を目指す人ではありませんので想像でお話します。 完璧を目指すための手段として、欠点をつぶしていくという考え方があります。 それを信じていく人は、物事のいい部分はほとんど見ずに、悪い部分をわざわざ探してそれをつぶそうとします。 だから良い仕事をしても欠点にしか目がいかず、自分の仕事のすべてが悪く見えてしまうんでしょうね。 ちなみにそんな考え方が染み付いている人は、自分だけではなく他人の欠点も探す癖がついてしまっていますので、他人に厳しい人が多いかもしれませんね。 そんな彼らはきっと時間や労力をかけ、素晴らしく努力をしてきた人たちなのでしょう。 だからそれを安易に否定するということは、彼らの長年の努力を安易に否定したと同じなのです。 あなたも長く生きてきて膨大な努力をしてきた経験、悩みに悩んで創り上げてきたこと、そして今まで生きてきて培ってきた思想信念もたくさんあるでしょうが、それを何も知らない他人があなたのことをほとんど理解しようともせずいきなり否定してきたと想像すれば、すこしは感情的になる気持ちがわかるでしょうか?あなたが感情的になるかは別として、感情的になりたい気持ちを理解できますでしょうか? 他人の否定は他人の無理解と同じだと私は思っていますからね。わたしなら安易に否定されると正直いやな気持ちにはなります。 まあもちろん感情的になって言い返してくるのはまだその人に迷いがあったり、器が小さかったりすることもあるのでしょうけど。 彼らの育ってきた環境まではわかりませんが、なぜこんな考え方をするかは参考になると思いますので回答しました。 参考にしてください♪
お礼
回答ありがとうございます。 なるほど、欠点をつぶしていくという考え方ですか。 これは耳がいたい~。 そういうことは今まで考えたことがなかったです。(笑) だってものごとには両面ありますでしょ 例えば熱心な性質というのは悪くとればしつこいになる。 >だからそれを安易に否定するということは、彼らの長年の努力を安易に否定したと同じなのです。 私が安易に彼らを否定していると? 私は他人のちょっとしたミスくらい認めたほうがいいんじゃないの、と言ってるだけだけど そういうことは言っちゃいけないの? 安易に否定しているのは完璧主義者の彼らじゃない? ちょっとしたミスがあるだけで 他人が立派な仕事をしたことまで意味がないとバッシングしてますから。 >あなたも長く生きてきて膨大な努力をしてきた経験、悩みに悩んで創り上げてきたこと、そして今まで生きてきて培ってきた思想信念もたくさんあるでしょうが、それを何も知らない他人があなたのことをほとんど理解しようともせずいきなり否定してきたと想像すれば、すこしは感情的になる気持ちがわかるでしょうか? わかるから、私は全否定しないわけ。 ちょっとしたミスくらい認めようといってるだけ。 >他人の否定は他人の無理解と同じだと私は思っていますからね。わたしなら安易に否定されると正直いやな気持ちにはなります。 ちょっとしたミスくら認めよう、というのが「他人の否定」? すいません、ちょっと理屈がわかりかねます。 貴重なお時間を割いてくださりありがとうございました。
- kanto-i
- ベストアンサー率30% (180/596)
補足請求ありがとうございます。 出張でフル放電し疲労困憊ですので、後日充電を済ましてからお返事いたします。
お礼
わざわざ連絡をありがとうございます。 次から次に質問したいことがでてくるので 質問しめるかもしれません。 忙しいのに追加質問してしまってすいません。
補足
すいません、新たに質問したいことができましたので しめさせていただきます。 また御機会があればよろしくお願いします。
- ふじ-さん おたま-さん(@OtamaFJWR)
- ベストアンサー率11% (26/222)
再サービス補足回答: >言っていることはわかりますが『私はそういうことを言いたかった』のではありません。 ◎注意: >『私はそういうことを言いたかった』のではありません ・・・などと書くと質問者の目的が規約違反にあたる「自己主張が目的」ととられやすく、削除対象になります。また、疑問がある場合は「お礼欄でなく補足欄を使うように」と当サイトの規約等で、明記されていますので、どうぞ、注意なさってくださいね。^^/ >>>『私はそういうことを【知り】たかった』のではありません。 が、Q&Aサイトでは、表現としてベストです。何かモヤモヤがあり言語化してメカニズムを知りたい場合は、遠慮なく【補足欄で疑問を投げかける】と、当サイトの趣旨「助け合い目的の情報交換の場」に、沿うので、どしどし、モヤモヤ解消の為に、お使いください。 ◎私の兄貴の回答を【公益目的で】、下記にのせてみました(もちろん彼は了解済みです)。 【完璧など】というものはあり得ない。【常に向上しよう】とする事《=過去の自分を上回ろうとする事 × より社会に貢献しようとする事》が、それ【完璧という《記号ツール》の持つイメージ】に該当するだろう。 「すばらしい仕事」だとか「他人に批判されたと思う」だとか、他人との比較は無意味です【自他の関係性において】(=他は自分以外の宇宙全体の環境を意味します)。【その人なりの可能性を尽くす事】が、【精神的充足感(=人生を通算した精神的充足量《の最大化》)を決定づける】のです。 ◎ちなみに、うちの上記の兄貴は【「完璧」について、他の回答で、以下(+++【兄貴文】+++、の部分)のように回答】しています。【参考になれば幸い】です。ポイントは【博愛や愛と、物理などの科学は無縁どころか、非常に重要な関係がある】という点です。彼いわく【我等は、愛によって真理を成し、真理に於いて愛を為し、而して幸福なるべくのみ存在するものである】が、科学的根拠に裏打ちされた「唯一の正しい思想体系」の基盤で、科学の法則に「人それぞれ=任意性あり」が無いのと同じく、この世界の境界線がなく一体なので当然「実は正しい思想は1個しかない」という点です。だからといって、他人に「こう思うべきだ!」と彼は一度も思った事が無いそうです。その証拠に「現代の思想群は、唯一の思想へのプロセスが、混在しているにすぎない」と言明しました。 【兄貴文】を読むまえに: 以下の「私の解説」と「五感で普段感じるイメージの総体=観測=認識」のイメージ、そして量子の性質の基礎を、お知らせします。 「認識体=観測者」の数だけ宇宙はある、と言えます。『博愛目的で無から』生じるのが、ヒト型の現代レベルの【自分=外界(=宇宙=時間と空間があるイメージ)】です。この「自我と宇宙」の関係は「相補性」であり、 実際のイメージは、絶対無に、ある運動を仮想定すれば【自我】と【時空(=宇宙)】が【相補分化】して【愛し合い目的】で「併存する」、ようなイメージが持てる。 頭の悪い我々一般人でさえも、下記を参考に ""感性のアンテナをのばす"" ことで、「(量子を知る=)物理 =もののことわり」-->「もののことわり=助け合う愛や【笑顔】に満ちた世界」が、イメージとして直感でき、 【現状の地球人は、博愛による美しい『均衡が、崩れ』かけている原因が、自分自身の心理状態によるもの】というようなイメージを直感できる。下記の映像は読者へのプレゼントです。 https://www.youtube.com/watch?v=-cM6aVIyQ_I https://www.youtube.com/watch?v=HsbV_QHCBT8 https://www.youtube.com/watch?v=wLKJz73DTGE https://www.youtube.com/watch?v=kYsGS5QAORE +++【兄貴文】+++ 完璧主義は、理論的に考えられる最大限の成果を前提とした判断基準であり、最善主義は環境条件における不確定要因による阻害を前提とした判断基準です。結果論で良しとするか、後悔するかの違い。 「完璧」という概念は、【こちらが何らかの基準を用意した場合に、それにマッチしているかどうか】で得られるものです。正しくは、「全ての人は有限」です。物質的にも機能的にも有限ですが、実はその認識の有限さゆえにこの世界は存在(有限)しているのです。 世界(=宇宙)は、認識(=観測)される事で存在しています=生きる目的は精神的充足の追求です。そして認識する事と存在する事が同根である時、生きる事は存在する事だけではなく、認識を深める事を包含し、生きる目的に於いて物質的繁栄は部分的要素であって、真の生きる目的は「人生を通算した充足量の最大化(生理的拡大×欲求の強さ×それを「人生通算での最大」にコントロールする認識力×その達成度×それを把握する認識力)」となります。 それは単なる短絡的快楽主義ではなく、『人生を通算』した大きな目標を認識する事であり、人類はそこにおいて社会性(組織化・分業化)を可能にし、その【自律的社会行動=愛による社会性において、最大限の認識の深まりによる最大限の共同による達成感の共有=精神的充足量の最大化】=「最善」は可能になるのです。 まとめると、下記のようになります; 存在すること ↓ 生きること + 認識を深めること ↓ ↓ 組織化(分業=助け合い)の追求:精神的充足量の追及 ↓ ↓ 自律的社会行動(生産)× 社会生命的自覚化(愛) (エントロピー増大の反力としての反エントロピー) 1. 我等は、認識する個体である。 2. 我等の生存は、意志の結果であり、幸福の追求としての本質を持つ。 3. 幸福とは、認識に於ける意志と、その達成の認識により成る。 4. その個体的追求は、生存と認識に於いて為される。 5. その環境的対応は、生存は生産として、認識は学習として現れる。 6. より大なる学習は、より大なる社会的生産を可能にする。 7. また、より大なる生存に於いて、より大なる認識は可能になる。 8. これらの過程の認識とその意志化は、最大の生存と最大の認識に於ける、完全な充足を実現する。 9. そして、それらの統一的計量は、認識の深まり及び有効エネルギーの不可分な指向として、反エントロピーとして求められる。 10. 反エントロピーとは、宇宙の起源としての、絶対無=無限不確定性の潜在(有限)たる認識の自我仮説性(時間性~進化)の定性化である。 11. 潜在的認識性に対する相補的環境は、その認識の有限性による相補性の非自覚化により、他律的対象(=時空仮説)化する。 12. その他律的環境への反エントロピーの敷延は、自己矛盾として生じる環境を、その先入たる、仮説的時空性に於ける個体的有限性を、超越する意志化により、補償するものである。 13. 換言すれば、真理の限界は、愛により補完され得る。 14. 先述の要素との対応に於いて、真理とは認識の深化であり、愛とは社会的生産への意志に他ならない。 15. 宇宙の原理的本質は、自我成立の為の相補であり、そこに於ける完全な自覚に基づく完全な意志は、真の環境としての無限性=完全な自由を保証される。 16. この、利己と利他、あるいは唯物と唯心を包含した、完全な“自己”完結的過程には、金や地位といった外的価値、また主義・宗教他いかなる権威も介在し得ない。 17. 我等は、愛によって真理を成し、真理に於いて愛を為し、而して幸福なるべくのみ存在するものである。 全ての存在は、量子的な不確定性に基づいており、無限につめこむと存在確率の山が平らになって、無と等しくなります。この「絶対無=不確定性無限」において、その無限の闇に、認識体の仮定断面の運動(プランク定数hの収束の時系列化=物体収縮=宇宙膨張)を想定すれば、相対的に無の風は光になり、認識体はその光の向うに、自我仮説の補完としての時空仮説=宇宙を認識するのです。 しかしその「存在」は、認識される階層的現象の表面的に生じるもの(自我仮説に対する相補)で、根源的に絶対化しようとすると、元の無限不確定性に発散します。不完全な認識により、物事を表面的に捉える時に、不確定性原理の相補的不確定性は確率性を伴う有限性(存在)を可能にするのです。 それは、超弦理論において量子性(光速)に還元される本質を、階層現象性(量子<クォーク<素粒子<原子<分子<細胞<認識可能性)に潜在化する事で、非光速性を可能にし、認識可能性(感受表面/現在/光速)からの、過去(記憶/時間的流れ/超光速)と未来(予測/空間的広がり/光速下)の対発生を(仮想的に)可能にしているのです。
お礼
回答ありがとうございました。
補足
書いていただいた内容は参考にさせていただきます。 ありがとうございました。
- ふじ-さん おたま-さん(@OtamaFJWR)
- ベストアンサー率11% (26/222)
サービス補足回答: あなたは真に頭の良い人物です。しかし、『物事の捉え方』が、もう少し付くことを期待してやみません。 例えば「家事」に関して書かれていますが、「家事・育児」は人間の基本営為(文明の存続に必要なモノ)である「摂食・生殖」と同じイメージでつながります。これはピラミッドの頂点である「家事・育児」をどう捉えるか?が問題です。つまり、家事育児=摂食生殖=農業教育、とつながる。その農業や教育のために、ピラミッドの下に「工業」が生まれ、それを成すために「金融業」が生まれ、それをコントロールするために「政治」が生まれた。 だから、一番大事なのは「専業主婦の仕事」であり、これを『資本主義化されていない労働』と呼びます。つまりサラリーマンと同じ同格で、『経営者さえ実態は調整役労働者』です。だれしも同じ労働者であり「金を稼がない専業主婦など、仕事とは認めない!」という上下関係が好きで維持したい男は、多分に、この『専業主婦=資本主義化されていない労働だ!』と女が反論したら、マトモな返答は不可能でしょう。何か言ってはぐらかすだけです。 『物事の捉え方』の良い例: https://www.youtube.com/watch?v=FzTGEwn0Onw >どなたの詩ですか? それは、この私の(魂=心としての)お姉様の詩です。この人に下の歌詞名を直接「~~~だっけ?」と甘えて聞いたら、嫌な感情ひとつも見せず「~~~よ。」と優しく答えてくれました。政治的な話(GNH)や科学的な話(放射線が飛ぶのを目で見られる実験とか、量子生物学や、量子社会学まで・・・)をしました。ちなみに、量子の性質は『粒子であると同時に波である』という日常の常識を超えた世界の話ですが、下記の詩の内容に『それらの性質がいかに表現されているか?』を、気楽に検証してみてくだい。 https://www.youtube.com/watch?v=0g13o3GIipQ
お礼
何度も回答ありがとうございます。 あなたがおっしゃっていることをまとめてみました。 家事・育児→人間の基本営為 「摂食・生殖」と同じイメージ。 家事育児=摂食生殖=農業教育 農業や教育が頂点 そのしたに工業、そのしたに金融業、その下に政治がある。 もっとも大事なのは「専業主婦の仕事」 専業主婦の仕事は『資本主義化されていない労働』でサラリーマンと同格。 男の中には「金を稼がない専業主婦など、仕事とは認めない!」という人がいる。 女が『専業主婦=資本主義化されていない労働だ!』と反論してもそういう男はマトモな返答をしない。 言っていることはわかりますが 私はそういうことを言いたかったのではありません。 仕事をがんばって長時間残業している人には 家事をする時間はない。 だから家事がおろそかになるが、だからといって 「あの人は家事がいいかげんだ」と批判するべきではない。 「仕事をがんばっている」と評価するべきである、ということを申し上げたつもりです。 文章力がなく、誤解させてしまったようですいません。
- kanto-i
- ベストアンサー率30% (180/596)
あなたのおっしゃることは、ご最もだと思います。 言った方の完璧主義も、その見解にそれなりに納得するところもあります。 あなたと完璧を目指す人とは、価値観が違うようですね。 互いに違う価値観を持ち、しかしやってることは同じ事のように 見えてしまうのは、私の気のせいでしょうか? 人間は、自分と違う価値観を持つ人には 相手を自分に合わせたくなる。 それを許し、どう動くのかはその人一人一人が 自分の分だけ背負って行くしかない。 誰しも、相手に己が姿を見ます。
お礼
回答ありがとうございます。 私も私が批判している人と変わらない、 つまり私も完璧主義者だということですね? しかし、私が完璧主義者とは価値観が違う、とも書いておられるところをみると、私は完璧主義者ではないということですか? ちょっと文章の意味がわかりかねるのですが? >あなたのおっしゃることは、ご最もだと思います。 言った方の完璧主義も、その見解にそれなりに納得するところもあります。 完璧主義の見解に納得する点とは具体的にはどのような点なのか、説明していただけないでしょうか。 私があげましたのは (1)他人が素晴らしい仕事をしても、たったひとつのミスで 素晴らしい仕事をしたことすらチャラにしてしまうのはどうか。 ちょっとしたミスはあっても素晴らしい仕事をしたことは認めるべきではないか。 (2)ちょっと批判しただけですべてのことが批判されたかのようにとって感情的になるのはどうか。 批判はあることに限定されたものであり、人格を批判しているのではないから、冷静にうけとめて 反論するならする、そのとおりだと思えばうけとめる、 それ以上のことはしなくていいし 批判した人を恨んだりする必要はない。 この2点です。 これがもっともな行為であるとお考えなのですよね。 a.なぜ、これがもっともな行為であるのかについて説明をしていただけませんか。 b.私がしていることも完璧主義者のそれであるとお感じになられるということですが、具体的にどういう点なのか、説明をお願いします。 c. >人間は、自分と違う価値観を持つ人には 相手を自分に合わせたくなる。 >誰しも、相手に己が姿を見ます。 このふたつの言葉は矛盾していませんか。 価値観が違う。それなのに、相手の中に己の姿を見るとはどういう意味でしょうか。 もう少しわかりやすく説明していただけませんでしょうか。 a.bにお答えいただいた上で、じっくり考えてみたいと思います。 あと、質問は 「なぜ彼らはこのような考え方をするのでしょうか。 家族、教育、社会の有り方などが関係していますか。」 ということなので、できればその質問にもお答えいただきたいです。 お答えいただけますと、自分を考え直すのに役立ちますので よろしくお願いします。
補足
>a.bにお答えいただいた上で、 a.b.cにお答えいただいた上で、 と訂正させていただきます。
- kurinal
- ベストアンサー率10% (128/1195)
zensuijiiwa様、こんばんは。 そうですね。 そういう人たちは、そういう人たちなりに、 「考え方の筋道」を持っている、と思います。 (例えば、「「目上」のほうが絶対的に偉い」とか。)
お礼
回答ありがとうございます。 たしかに、「考え方の筋道」は持っているのでしょうね。 だけど、ちょっとぐらい他人の欠点を許しても いいと思いますけどね。
- ふじ-さん おたま-さん(@OtamaFJWR)
- ベストアンサー率11% (26/222)
>>「すばらしい仕事」だとか「他人に批判されたと思う」だとか、他人との比較は無意味です。 ◎回答:この言明は「この私も同感」で、私の大大大好きなp兄貴の言ですが、彼は多忙ゆえ詳しくは表現されていない。よって、私なりに、公益のため、ここの読者様に上記文節の【解説を試みてみたい】と思い、それをして回答とさせて頂きたく存じます。 まず3つに分けます。 +++1:「すばらしい仕事」だとか+++ +++2:「他人に批判されたと思う」だとか、+++ +++3:他人との比較は無意味です。+++ ◎私なりの解説: +++1:「すばらしい仕事」だとか+++ 1:若いほど、憧れ的な、そして結局は参考としての道標としての役割なのだが、そこに【愛がある場合(=『己の役に立つ=公益重視の』)】『素晴らしい仕事だ!』と感じ思う分には、個人の自由で全く悪くない。 ご存知のように、こうした心情を口に出すのは、西洋文化のマナーで、相手を褒め称える事は、ごく自然なマナーだが、本心での評価の実態は30%~98%程度と、彼らの心は様々だ【ハリボテ文化・注:最近の西洋の若者は何と日本のスピリットに憧れる人物も少しおり将来日本は彼らに頼らざるをえなくなるので、個人的には『ハリボテ内に魂をこめる態度』で、西洋人に接するとかなり尊敬される】。 逆に、日本で『素晴らしい仕事だ!』などと、場所もわきまえず軽々しく言う行為は、たとえ何らかの意図があるにせよ、『幼稚な言明』『失礼な行為』と見なされてしまう。なぜなら【集約農業(田んぼでの共同作業)文化 & 狭く毎度同じメンツの島国文化】が混ざった<珍獣文化>だからだ。 <珍獣文化>;「遠慮文化」で「出る杭は打たれる文化」で「日和見主義(その場の状況に応じて、他律的に、立場の強い方に寄り添う)で「妥協的で個人意志が薄く、つい他人に合わせて流されてしまう傾向の文化圏」を指す。これは、実は『独裁者なきファシズム』を可能とする(ダブルスタンダード・言う事がコロコロ変わる・目的の為には手段を選ばない・・など)。 +++2:「他人に批判されたと思う」だとか、+++ 2:何か、意思疎通の際に、誰でも、互いに言葉で確認し合って、仕事ミス予防としての『報告・連絡・相談(会話・メモ残し、など)』する、という【社会人の初歩的技術に欠ける場合(=転職経験の無い公共系の職の人物等)に""おいてのみ""、『他人に批判された』と誤解して攻撃された】と感じ心を傷める現象が起こる(はたから見たらアホクサイ可能性が大きい)。 +++3:他人との比較は無意味です。+++ 3:【「己と、他人の比較」は100%無意味か?】と言えば、答は【ノーである】。【比較参考資料としての重要な価値】は多分にある。つまり、『【試しに(on trial)、己と他人を比較する分には問題ないし、何か新たな発見があれば、それらをヒントに創造的に思考してみる事を、《哲学》とも言うし、逆に意義あるかもしれない』という程度に捉えるべき】であろうと思います。 注意ポイント:上記の『試しに比較』の重大ポイントは『常に【第三者的】な方向から【己と、他人】を比較、または【他人と、別の他人】を比較する""場合のみ""、は、まるで市場でバナナを選ぶ時と同じくらい【自然な行為】である(=どれにしようかな~~??・誰が適任かな~~??)』という点である。 つまり、【自己の客観視】が未熟な若人等は、つい【非 第三者的な方向から(=《一人称と二人称のみ》での思考)】=『僕は、なんて馬鹿なんだ!』・『彼はスゴすぎる!俺は情けない奴だ!』・『金持ちはいいな~俺も経済的に成功できたらな~』・『何て美人なんだろう。それに比べてアタシはブスだわ!ムカッ!』・・・・と質問者さんの言う【感情的になりやすい】のだ。 これは成長の途中で《誰もが経験する》ことであり、それをうまく、成熟させるには、こうしたサイトで「総合的認識力を深める」以外には方法がない。じゃあ「認識の深まり」とは何か? 答えは簡単。他人を含め環境全体を、鋭い感性で、とことん疑い検証し、好奇心という【内成る動機にて突き動かされ】れば、ごく自然と「【気付いたら、俺の認識は深まっていた・・・あらま!】。今では昔見えなかったモノが見えるぜ・・・」という現象をもたらす。残念ながら日本の学校教育はこれに反するモノであるため【「大卒のインテリ""哲学ごっこ""遊び」が好きな大人コドモが、大勢をしめる】のが日本の現状です。 回答は以上です。 ++++++例えば完璧など最初から考えもしないある姉貴のポエムを紹介しましょう。++++++ じょうずに なんて ならなくて いい You need not become skillful in every (possible) way. うまく 泳ごう なんて 思わなくて いい You need not have the will to swim better in your everyday life. たくさん 身につけたのなら If you'd have gotten many things by now, それを ひとつずつ 忘れて いけば いい it would be good to forget them one by one. わたし という からっぽの 湖を Into the empty lake called me, ゆっくりと 満たしていく 水の音 there is the sound of the water that slowly fills my lake. その 透明な きれいな 音を That transparent, beautiful sound, 耳を 澄まして I am straining my ears for it, 静かに 聴いている だけで いい and I realize that it's enough for me to just listen to its sound calmly. どんな 言葉 からも 観念 からも 遠く It is here, whatever the phrase and idea is, at a great distance, 静かな 明るい 空の下で under the peaceful bright sky, わたしが 少しずつ 満たされていく I can feel that I shall be filled little by little by the water that keeps flowing into my lake. やがて その水は わたしの ふち から あふれだして In the end, the water naturally overflows my lake's barriers, 別の 誰かを 満たし はじめる and is beginning to fill another person's lake. それが いっぱいに なれば また 別の 誰か へ When that person's lake gets full, it will go to another somebody's lake, そして また 別の 誰か へ and after that to other people's lakes. きこえない時は 何も きかなくて いい When you cannot hear it, you don't have to listen to anything. かわりに 何かを 考えよう としては いけない You must not try to think of anything instead of that. きこえなくても 水は たえまなく 注いでいる Although you could not hear it, the water still keeps flowing into your lake without a break. 何のため でもなく Not even for the sake of anything, ただ わたし と あなた を 満たす ために but merely for the sake of filling me and you.
お礼
回答ありがとうございます。 >若いほど、憧れ的な、そして結局は参考としての道標としての役割なのだが、そこに【愛がある場合(=『己の役に立つ=公益重視の』)】『素晴らしい仕事だ!』と感じ思う分には、個人の自由で全く悪くない。 はい。同意します。 おかしいと思ったのは、どれだけ素晴らしい仕事をしても、小さなミスひとつで、ちゃらにしてしまう完璧主義者がいるということです。 ><珍獣文化>;「遠慮文化」で「出る杭は打たれる文化」で「日和見主義(その場の状況に応じて、他律的に、立場の強い方に寄り添う)で「妥協的で個人意志が薄く、つい他人に合わせて流されてしまう傾向の文化圏」を指す。これは、実は『独裁者なきファシズム』を可能とする(ダブルスタンダード・言う事がコロコロ変わる・目的の為には手段を選ばない・・など)。 ははは~、うまいこといいますね。 出る杭は認めた方が、広い目でみて自分のためにもなると思いますけど、これがわからない方が多い。 出る杭が世界的に認められれば「日本人はすばらしい」となるんですが。 >『他人に批判された』と誤解して攻撃された】と感じ心を傷める現象が起こる(はたから見たらアホクサイ可能性が大きい)。 はい。同意します。 このサイトでもそうですが、ゆったりと構えている人は ちょっと反論したからって感情的なカキコミしたりはされないです。 完璧主義の人には何か言うのも気を使いますね。 別に何か反対意見を言ったって、その人の人格まで馬鹿にしてるわけではないんですが、オーバーにとられてしまいがちで~。 >3:【「己と、他人の比較」は100%無意味か?】と言えば、答は【ノーである】。【比較参考資料としての重要な価値】は多分にある。 はい、同意します。 だけど必要以上に他人を意識する必要もない。 たとえば年収が300万だとしても、それで満足しているなら 年収が1000万ある人と比較する必要はない。 >つまり、【自己の客観視】が未熟な若人等は、つい【非 第三者的な方向から(=《一人称と二人称のみ》での思考)】=『僕は、なんて馬鹿なんだ!』・『彼はスゴすぎる!俺は情けない奴だ!』・『金持ちはいいな~俺も経済的に成功できたらな~』・『何て美人なんだろう。それに比べてアタシはブスだわ!ムカッ!』・・・・と質問者さんの言う【感情的になりやすい】のだ。 なるほど、まだ成長過程だから、ということですね。 暖かく見守ってやれ、と。 わかりました。 アドバイスをありがとうございました。 >残念ながら日本の学校教育はこれに反するモノであるため【「大卒のインテリ""哲学ごっこ""遊び」が好きな大人コドモが、大勢をしめる】のが日本の現状です。 たしかに、私が遭遇した完璧主義者は高学歴でいい会社に勤めている方々ばかりです。 教育は彼らに考えるということをなぜ教えられなかったのか、と不思議に思ったしだいです。 すてきな詩をありがとうございます。 どなたがよまれた詩ですか?
- NemurinekoNya
- ベストアンサー率50% (540/1073)
完璧は、「傷のない玉・宝玉、宝石」の意味。 知っていました? 完璧 http://gogen-allguide.com/ka/kanpeki.html おくれましたが、 こんにちは。 ☆しかし他人のブログやブログのコメントなどを読むと よくそういうことが書いてあります。 ◇大変、結構なことではないですか。 ☆すばらしい仕事をした人であっても、ちょっとしたことができていないと、「それがいけない」と言って すばらしい仕事をしたことまで意味のないことのように言ったりします。 ◇素晴らしい仕事をしたことなどはないですけれども、 わたし、自分のしたこと、 たとえば、 自分が書いて送った回答に誤字、表現のあやまち、言葉足らず、考え違い、誤解があったりしたら、このことが気になって気になって、どうしようもなくなる。 こういう性格です。 ですから、回答をはじめたころ、「あっ、ここ間違っている」、「これは言葉不足、誤解をなされるかもしれない」と、何度も訂正の回答を送ったりしました。 受け取った方は、迷惑ですよね~、 わたしの自己満足のために、何度も、付き合わされるのですから。 (だから、最近は、余程のことがない限り、訂正しない。あとは、野となれ、山となれ!!) これと同じだと思いますよ。 出来上がったモノが、自身の追い求めた水準に達していない。 だから、他人(ひと)からの評価がどんなに高くとも、自分としては、満足できない。 「もっといい仕事ができたはずだ」 と自分を責めるんですよ。 ☆また、反対意見を述べると、自分の全てが批判されたと思うのでしょうか 大変感情的になって言い返しています。 ◇これは、狭量な人!! 自分が自分を責めるのは構わないのですけれど、 自分のあやまち、痛いところ、 ───指摘される前に気づいていた、指摘されてそのことに気づいていた─── これを、他人から指摘されるのがたまらなく我慢できない。 本当に、これ、我慢できないんだ(わらい)。 で、ついつい、感情的になってしまう。 また、いわゆる完璧主義者には、「自分にできることは、他人にもできる」という強い思い込みがあります。 「もう~、何で分かってくださらないんですか!! わたし、こんなに丁寧に説明をしているのに、どうして分かってくれないんですか!!」 という意思表明の場合もあります。 ☆なぜ彼らはこのような考え方をするのでしょうか。 ◇自身と他者に対する要求水準が高いからです。 あとは、持って生まれた性格、性分でしょうね。
お礼
回答ありがとうございます。 >大変、結構なことではないですか。 あっちをたてれば、こっちがたたないということは 世の中にはたくさんあるんじゃないかなと。 完璧主義者はミスなく仕事をこなそうと考えるあまりに 自由に発想する心を失ってはいないかなあ。 >わたし、自分のしたこと、 たとえば、 自分が書いて送った回答に誤字、表現のあやまち、言葉足らず、考え違い、誤解があったりしたら、このことが気になって気になって、どうしようもなくなる。 こういう性格です。 私なんかいい加減だからちょっとぐらい誤字あっても 読む人がわかってくれるだろう、なんて勝手に思ってしまいますが おっしゃってることわかります。 >出来上がったモノが、自身の追い求めた水準に達していない。 だから、他人(ひと)からの評価がどんなに高くとも、自分としては、満足できない。 「もっといい仕事ができたはずだ」 と自分を責めるんですよ。 これは悪いことではないですよね。 >いわゆる完璧主義者には、「自分にできることは、他人にもできる」という強い思い込みがあります。 なるほど~。 でも自分にできなことができる他人って大勢いますよね。 >自身と他者に対する要求水準が高いからです。 うーん、でも自分のものさしで測れない他人ってのもありますよね。 >あとは、持って生まれた性格、性分でしょうね。 周囲の影響というよりはそういう性質だと。 参考にさせていただきます。
- 雪中庵(@psytex)
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完璧などというものはあり得ない。 常に向上しようとする事=過去の自分を上回ろうと する事×より社会に貢献しようとする事が、それに 該当するだろう。 「すばらしい仕事」だとか「他人に批判されたと思う」 だとか、他人との比較は無意味です。 その人なりの可能性を尽くす事が、精神的充足感を 決定づけるのです。
お礼
回答ありがとうございます。 >完璧などというものはあり得ない。 私もそう思います。 あちらをたてれば、こちらが立たずみたいな? 遅くまで仕事したら家事ができないのは当たり前だけど 仕事がんばってるね、と言ってあげたい。 仕事定時で帰って家事がんばってる人には 家事がんばってえらいね、と言ってあげたい。 >「すばらしい仕事」だとか「他人に批判されたと思う」 だとか、他人との比較は無意味です。 その人なりの可能性を尽くす事が、精神的充足感を 決定づけるのです。 全く同感です。
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お礼
回答ありがとうございます。 >人のことを責め倒す人間達は、いるだけで迷惑な存在だと思います。 他人のいいところも探したらいいと思うんですけどね。 >許す心が平和にとって大切だからです。 おっしゃるとおりです。 完璧主義者で人を裁こうとする人がいますが、何の権利があってそんなことするんだと思うことがあります。