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差別意識についての認識と影響
- 差別的な行動や笑いの背後には差別意識がある
- 肌の色や性的指向に関するジョークも差別意識を反映している可能性がある
- 笑ったりネタにしたりすることには差別意識が関わっている
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質問者が選んだベストアンサー
お礼、ありがとうございます。 > 同性愛に理解のある知人が、不快感を示していました。「差別意識がなければ、笑うはずがない」と。 「笑い」の一部には「差別意識」があることは否定しませんが、私の回答をかいつまんで言えば、「笑い」と「差別意識」は「イコールでは無い」です。 言い換えれば、仮に「イコール」の関係だとしますと、「人間は笑ってはいけない」となってしまいます。 「差別意識がなければ、笑うはずがない」などと言う人に対しては、「ではアナタは笑ってはいけません!」とでも、言い返しておいて下さい。 あるいは、「差別」と「差別的」も違いますね。 即ち、「差別して笑う」なんてのは論外ですが、「差別的な事象に関し、思わず笑ってしまう」は、全く違うのです。 いかなる優れた思想でも、大きく偏れば極論,暴論に堕してしまいます。 極左的な平和主義者などは、「中国や北朝鮮とも、話し合えば判る!」と言いつつ、米軍基地問題やら集団的自衛権などに激しく反応し、もはや攻撃的と言っても良い様相を呈します。 極論しますと、「私の平和主義に反対する連中は皆殺し!」と言わんばかりで、「それのドコが平和主義?」「アナタ達こそが、話しても判り合えない証左では?」と聞きたくなります。 差別に猛烈に反対するのも同様で、「わずかの差別も許さない!」みたいな姿勢は、「差別者に対する差別」に通じるものがあります。 自分が物事を考える場合、ある方向に偏り過ぎず、「ほどほど」「中庸」であることを意識するのが重要です。 また人から意見などを聞く場合、「差別意識がなければ、笑うはずが無い」みたいな極論には、まず正解はありませんので、注意なさってください。 尚、極論とか攻撃的な意見などを言いたがる様な人も、脳科学的に申せば、議論などになると、脳内にアドレナリンが分泌されやすく、興奮しやすいのか、言論で言い勝てば、ご褒美物質が分泌され、快感に浸れるのでしょうね。(笑) そう言う輩に対しては、こちらは冷静かつ論理的に、言い聞かせたり言い負かして、興奮を抑制するか、快感を感じさせたりせぬ様にすれば良いかと思います。
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- hunaskin
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一概には言えないでしょうね。 肌の色が黒いから暗闇では見えにくい、というのは単なる事実です。 事実であっても自分が日常で出くわす光景と違っていればおかしみを感じるものなので笑うこともあるでしょう。 この場合は差別意識ではなく自分の持っている常識の概念が覆されるおかしさです。 ブレヒトの言うところによる異化作用です。 が、一方、おなじネタでも肌が黒いのは劣っているものと思い込んでいるひとが肌の黒さを笑うのであればそれは差別意識でしょう。 笑いのネタになる人種にしろ同性愛にしろ生活習慣にしろ病気にしろ当事者と第三者の間には意識や認知に開きがあることが多いので、一概に差別とくくることも差別ではないと言うことも間違いだと思います。 小さい子供がわけのわからない行動をしたりたどたどしく喋ったりすると私達は笑いますが、こういう例をとって「笑うのは本質的に相手を下に見ているからだ」と言い出すようではキリがないと思います。 実際問題としては他人から見て優れているとか羨ましい特徴であってもそれを指摘されて傷つくひとはいますから、相手を見て話をしろ、ということになりますね。
お礼
関連動画について、黒人側に「笑うな」「差別するな」と不快感を示した方がかつていました。だからやはり差別かもしれません。 その黒人の肌色についての動画の中にいた黒人は、笑っていて、自分の肌色についてのネタ動画だということは分かってるようでしたたぶん。そうなると、差別ではないのかもしれません。 差別なのか差別じゃないのか。難しいです。 こちら側が決めることではないとなると、差別される側が主に決めることなのかもしれませんが、そのされる側でも意見が分かれるということは、一概には言えないはそうですね。 何故笑ったのか、結局その笑った人達一人一人の脳をのぞいてみないと難しいですね。 >実際問題としては他人から見て優れているとか羨ましい特徴であってもそれを指摘されて傷つくひとはいますから、相手を見て話をしろ、ということになりますね。 よくありますね。主に日本人が、白人の鼻の高さや目の大きさを固定した特徴だととらえてしまったり。あるようですが。 あれって別に見下しているわけではなく、むしろ羨ましがっている節がありますよね。でも白人は面白くはない・・・。差別だと感じる。馬鹿にしていると感じる。 逆に白人側がアジア人の目の細さをネタにしたりもよく見ますが、あれは細い目を羨ましがっているわけではなさそうなので、アジア人は「細い目を劣等だと馬鹿にするな。差別するな。」と怒ります。 回答ありがとうございました。
- key00001
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なりません。 「笑った」=「差別」と言う例も存在はしますが、全てがそれに該当するワケではありません。 まず「笑う」のは、ドーパミンなど「ご褒美物質」が脳内分泌された結果です。 基本的に脳は、ストレスを感じやすい器官ですが、ご褒美物質は脳のストレスを緩和やリセットする効果があります。 従い、差別意識や相手を馬鹿にすることによって、優越感などを感じた場合にも、ご褒美物質が分泌されますが、脳が緊張状態の時に、いきなりシュールな画像でもを見せられたら、差別意識など無い人でも、笑ってしまったりします。 また、差別意識的なモノは、誰にでも存在するのですよ。 ヨチヨチ歩きの赤ちゃんが転んだり、子供が失敗をやらかしても、愛らしく感じ、笑ったりしますが、これも広義には、差別意識とも言えます。 被差別者側である笑われた子供側で考えれば判り易いですが、恥ずかしさや怒り感じるなど、差別的な対応を受けた場合と近い感情を持ちますので。 更には、そもそも差別は、意識の問題では無くて、行為が問題です。 差別行為の認定は、行為者に自覚がある場合は言うまでも無いですが、主には被差別者側が決定します。 即ち、行為者側が「差別などしていない!」と言ったところで、被差別者が「いや差別だ!」と言えば、被差別者の主観的には、差別なんです。 差別意識など一切無い状態で笑ったとしても、笑われた側が差別を受けたと思えば、差別です。 とは言え、それが損害賠償とか刑事罰を受けるかは、司法などの第三者が客観的に決定しますが。 差別的な思考や行為は多く存在しても、それらを全て「差別と認識して良いか?」と言うのは、余りにも乱暴な考え方です。
お礼
ある時SNSでガチムチおじさんの恋愛に関して、質問内のような事柄で笑っている人が多く見受けられ、私も大爆笑とはいかずとも、おかしくて笑ってしまったのです。 それをみた同性愛に理解のある知人が、不快感を示していました。「差別意識がなければ、笑うはずがない」と。 その知人は、何度か、「日本人なはずなのに白人なはずなのに肌の色が異常に濃い」という光景をみて、笑っていたことがありました。黒人の肌色についても笑っていたことがありまして。 私は同性愛うんぬんについては笑ってしまったのですが、黒人のアレソレについては、失礼ではないのかなと思い、あまり笑えていませんでした。 その知人の価値観と、私の価値観に違いが出た時、「差別ってなんだっけ」「笑うと差別なんだっけ」「そもそもの話・・・」と混乱してきました。 専門的な知識も交えての回答ありがとうございました。
- wakaranyo2
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人種差別は、相手にしないのが一番では、ないでしょうか。イエローモンキーと言われて肯定しているようなものですから。ジョークぐらいで対応しましょう。
お礼
ジョークと言っても見過ごせないことだというのも、そうだと思います。自分はそういうことを言われる筋合いはない、と否定したいから、言い返したい気持ちも、あるかと思いますし。 黒人なんかは、ニガーなどと聞こえるとすぐ反応してきますね。過去にひどい歴史がありましたから。そういうことを「そんなに気にしなければ良い」などと黒人に対して言うのも、酷でしょう。 どのような対応が正解なのかは分かりませんが、こちらに言い伏せられるほどの知識や権力や身体能力が無い限りは、相手にしないという選択肢が安全策としても、一番良いのかもしれませんし、仕方無いのかもしれませんね。 回答ありがとうございました。
差別する人って自分への自惚れが強いのだと思います。自分の方がレベルが上だと思っている勘違い野郎なのだと思います。 バカにする人って人として好きになれないです。
お礼
そうですね。差別者は概ね嫌な輩だなとは、思うのですが、知らず知らずのうちにでも差別しているということも、否定はできないので、気を付けたいとは思います。 回答ありがとうございました。
必ずしもそうなる、と特定はできません。 笑う・・・差別意識があれば、むしろ笑わない。 自分と考えが違う人を、理解する力が足りない そもそも理解しようとしない こんな意識もあります。 差別や馬鹿にする気持ちは あんな人が自分と同じ人間だと思いたくは、ない こんな意識が働くはずです。 笑う・・・というよりは、避ける・相手にしない。 見えない 物 として処理する。 ですから、笑うということは 深く考えていない・・・そう言えるかも?しれません。
お礼
差別し排除したいという気持ちがあって笑うのもあるとは思います。例えばイエローモンキーとかチャイニーズとかそういうことを主に白人たちがアジア人に言って笑ったり。あえてつっかかる、あえて相手にする。とか。 いじめ問題も、同じでしょうか。排除したいという気持ちがあるにも関わらず、相手にしないわけでもなく、わざわざ自ら相手をしにいっている、という。 しかし同時に、差別し排除したいという気持ちがあるからこそ、避けたり無視したり。そういうことも確かにあると思います。 必ずしもそうではないかもしれないが、かといって、そうではない、ということもまた言えない。どちらか分からない。 と考えました。 回答ありがとうございました。
お礼
>「笑い」と「差別意識」は「イコールでは無い」です。 >即ち、「差別して笑う」なんてのは論外ですが、「差別的な事象に関し、思わず笑ってしまう」は、全く違うのです。 なるほど。 私が今までに笑ってきた事柄は、差別なのか差別でないのか、よく分からないのでグレーゾーンとしますが、私自身としては、「差別して笑った」のではなく、「差別的であろう事象で思わず笑った」の方でした。 書き方が省略し過ぎてしまいましたが、その知人も、どちらかというと「差別的であろう事象で思わず笑った」の方でした。 今までなんでもかんでも差別とし「差別するな」と言われる状況に疑問はありましたが、差別か差別でないかの判断力も養えるように努力したいと思います。その通りほどほどの立場で。 丁寧な回答ありがとうございました。