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死にたい気持ちが強いとき、どこに行けばいい?入院の選択肢について考える
- 死にたい気持ちが強くて辛いとき、入院は一つの選択肢です。死にたいという感情に苦しんでいる人にとって、入院は専門の医師やスタッフによるサポートや治療を受ける機会です。
- 鬱状態や過去の出来事により、普通の日常生活が難しくなっているかもしれません。しかし、自分の感情や思考に罪悪感を抱く必要はありません。入院では専門家が適切な治療やカウンセリングを提供し、生活の質を改善するサポートをしてくれます。
- 入院は自分を大切にする決断です。死にたいという気持ちや苦しみを軽減するために、専門家のサポートを受けることは重要です。入院は一時的なものであり、回復への道を歩む一歩となるかもしれません。心の安定、自己肯定感の向上を目指すために、入院を検討してみる価値があります。
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何度もすみません、No.14です。 なんか、ズバズバ書いてしまって、本当にすみません。 私がズバズバ書いてしまったから、ご質問者の気持ちが暗くなってなければ良いなって思っています。 全然、悪くなんかないのに、自分を悪く言うご質問者が、なんだか辛くって。 ともかく、「ご質問者は、全然悪くなんかないんだよ」って言いたかったんです。 旦那さんのことも悪く言いたくなかったんですが、「そんなに奥さんのことを思い詰めさせるなんて…」って、読んでいて悲しくなるんです。 私からしてみれば、ご質問者は充分旦那さんに尽くしていらっしゃるのに、どうして、そんな風に自分のことを悪く言うんだろうって。 頑張って、頑張って、疲れたら休んでも良いんですよ。 ご質問者が旦那さんの夢を叶えるお手伝いをしたのですから、それが途上であろうが何であろうが、旦那さんも、どうか、ご質問者の夢を叶えるお手伝いをしてあげてって思ってしまうんですよね。 ご質問者は夢を叶える機会を失って、生きる気力がなくなっちゃったんじゃないかなって思えるから。 夫婦二人っきりなら、妻が休んでいたって、本当はそんなに困ることなんかないですよ。大人だけなら部屋も散らからないし、洗濯物だってそんなに溜まらないし、大人ならそんなに汚さないですし。 今の時代、独身男性や単身赴任の男性は、家事を全部こなせる人は珍しくないです。 だから、旦那さんだってやろうと思えばできるはず。 普通の家庭だって、妻がインフルエンザで寝込んだり、腹膜炎になったり骨折して入院なんてこともあるんです。 だから、ご質問者は何にも悪くないんです。 この際、旦那さんには家事修行をしてもらいましょう。 将来、父親になったときの修行も兼ねて。 もしかしたら、もう入院なさっているのかな。 旦那さんは大人ですから、一人でも大丈夫ですよ。 愛している奥さんがいないと部屋が広く感じて寂しいとは思いますが、きっと大丈夫です。 ともかく、ゆっくり休んでくださいね。 休んで、健康を取り戻せば、笑顔も取り戻せますよ。
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No.12,13です。お礼をありがとうございます。 >私は子供を持てないだろうし、持てたとしてもきっと異常な母親になってしまいます。こんな私は結婚する資格がなかったのだと思います。 旦那さんが変わってくれたら、もっと温かい人になってくれたら、お子さんだって持てますよ。 子供のことは何も妻だけの責任じゃありません。二人三脚です。 家庭事情に触れてしまうので、こちらで答えていいことなのか迷いましたが、こちらで返答させていただきます。 ご質問者の場合、仕事と家庭の両立と忙しかったし、家計を一手に支えるという義務がありましたから、専業主婦とは事情が違います。 サザエさんみたいに暮らせたら誰も苦労はしないし、すこぶる健康なまま暮らせますよね…。サザエさんみたいな家庭環境なら、誰だって明るく元気なお母さんになれますよね。 でも、ご質問者の場合、忙し過ぎたし義務が重すぎたんだと思います。 旦那さんを悪く言って申し訳ないのですが、私からしてみれば旦那さんがご質問者に対して向けた要求レベルが高過ぎたし現実的ではなかったと思います。 結婚したときに取り交わした約束、これがあるから、なかなかお子さんを持てなかったし、夫婦関係に疑問が生じたりで、そうこうしているうちに疲労から鬱病になってしまったんじゃないのかって、そう思います。 家計を一手に支えるという重い条件を呑んだご質問者ですから、結婚生活の最初の時点から大きなプレッシャーが掛かっていました。 私はそこまで一人の男性に尽くせないし、「そうまでお金が欲しいのなら、あんたの実家を頼りなさいよ!」ってなるのが目に見えています。 ご質問者よりも旦那さんの方が結婚相手を探す条件が厳しい人だったと思います。でも、そういう人を選び、選ばれたご質問者…。 「妻を取るのか、事業を取るのか」。 決断できていないのは旦那さんの方じゃないでしょうか。 責任転嫁しているのは旦那さんの方じゃないですか。 子供を諦めて、母になることを諦めて、苦しむ妻を助けられない人、それはいったい誰なんですか? 妻は従業員でも家政婦でもないです。 別のご質問からの引用になりますが、 >死にたいっていえば誰か助けてくれると思ってる。甘えだ なんてことを言う冷酷な人、人を札束を運んでくる便利屋みたいに思う人は私は御免です。 なんで、これまで懸命に支えてくれた妻が苦しんでいるのに止めを刺すのでしょうか? 理解できません。 ご質問者は旦那さんにはもっと怒って良いと思います。 そこで泣くと、どんどんキツイことを言われてしまうだけだと思います。 この回答でご質問者が苦しむことになったら辛いけど、でも言わずにはいられないんです。 常識的に考えても、ご質問者ばかりが悪いだなんてとても思えないから。 旦那さんとのことですけれど、 ご質問者は就職先を間違った、そんな状態じゃないですか。 旦那さんに対して病床のあなたがそこまで責任を持たなくて良いと思います。 旦那さんが考えを改めてくれれば、もっと普通の、もっとのんびりできる、あったかい家庭を持つことだってできるはず。 ご質問者が甘えているんじゃなくて、旦那さんが甘え過ぎなんです。 もう、入院しちゃってください。 お二人の今後のことは考えずに、ただ今は休んでください。 休んで自分で冷静に判断できる状態にまで回復出来たら良いなって、そう願っています。
(No.12の続きです。) そのずっと何年か後の実家に帰省中のある日、母が息子に暴言を吐いたのを切っ掛けに、私はついに母に向かって長いこと胸の中にしまっていた言葉の幾つかを、これだけは絶対に言わなければと思ったことを吐き出しました。 そこで返って来た返答が「あのときは仕方なかった」でした。 愕然としたけれど、もうやるだけのことはしたんです。 母は私が何を悲しみ、何に苦しんでいたのか、言葉の上では理解を示すことはしてくれなかったけれど、自分の娘たちや孫たちに対する露骨な差別はしなくなりました。意を汲もうとし、態度を改めたんです。 母を完全に許せるようになったのは、ここ数年の話です。 今はすっかり認知症が進んで、私の名前もなかなか思い出せなくなってしまった母。グループホームの職員さんが、母が私のことを「○番目のお子さんって言ってましたよ」と話してくれたのを聞いて「私が何番目なのか覚えていてくれていたんだ」って、そのことを嬉しく思えるのがまた寂しかったり…。 やっと、本音で語り合えるようになったのに、本当に酷い親たちだって思います。 ずっと不仲な両親で、やっと仲良くなってくれた。やっと父とは本音で語り合えるようになったと思ったら、父は突然、不慮の事故で亡くなってしまった…。亡くなる前の父からの電話で私は思いっ切り迷惑だという態度を取って、さっさと電話を切ってしまったのは、またいつでも電話が来ると思っていたから。 でも、父が亡くなったので私はずっと父には「ごめんなさい」が言えない。 「あのときは心配してくれてありがとう」も言えない。 母は母で、本音で語り合うことが出来るようになったのは、父よりもずっと後のことで、やっと話せるようになったのは、母が認知症になってから…。 私と初めて本音でやり合ったときは、母はまだ口が達者で、全く病を感じさせなかったけれど、今はもう、違う時間を生きている人なんですよね。 家族なのに、代わりになる人なんかどこにもいないのに、本音を言うのが遅過ぎたこと、このことだけが悔やまれます。 ______ 私は、ご質問者には生きていて欲しいんです。 二児の親になってまだ間もない頃の、妻らしいことも母らしいことも出来ず、夫にも、子供たちにもすまなくて、消えてなくなりたい、死にたいと思っていた頃の自分の姿と重なるからです。 父が亡くなり、帰省したらしたで母からは疎まれているとしか思えないナイフのような言葉が降って来て、夫は夫で自分がリストラされるのではないかとそのことで頭が一杯で鬱状態。だから誰にも何も相談なんかできなかった、一人で頑張るしかなかった、その頃の自分が思い出されるんです。 その頃の私はと言えば、郷里から離れて友人にも会えず相談できる人なんか誰もいなくて、いつのまにか疲労感が一杯で、そのうちに、吐き気やめまいで、体が動かなくなってしまいました。 そうなると、もう自分の存在価値なんか何もないと思えて、努力することでしかカバーできない人間なのに、それすらできなくなったことに失望し、自分の世話すらできなくなって、せめて親の責任は果たさなければと子供を死なせないように何とか食事をさせて、着替えが底をつかないように最低限の洗濯をして、その他は体を横たえて涙を流すばかりでした。 その頃の自分のことが思い出されるから、ご質問者には、せめて言葉を掛けたいと思ったんです。 生きていれば辛いことは沢山あるけれど、今は本当の気持ちは届かないかもしれないけれど、でも、伝えたい人がいるのなら伝えて欲しいなって思います。いきなり思ったようには届かないかもしれないけれど、でも、少しだけでも気持ちに応えてくれているんだって分った瞬間の喜びとか、少しずつ距離が縮まって行く温かな感覚も、生きてさえいれば、いつか経験出来ると思うからです。 自分の経験ばかりを語るのではなく、もっとちゃんと話せたらって思うんですけれど、でも、どう話したらいいのか分らなくて。 だけど、絶望を経験した私は今、こうして生きています。 ご家族のことを大切に思い、たくさん頑張って、たくさん泣いて来たご質問者ですから、今が一番辛いときだと思いますけれど、トンネルはその下にいる時はとてつもなく長く思えるけれど、抜ければ光が待っています。 ご質問者は、その光が見たくて質問なさったんだと思います。 だから、敢えて言います。「きっと、トンネルを抜けましょうね」って。
お礼
たくさん書いていただいて、本当に心から感謝しています。ありがとうございます。 私も本当に同じです。努力して、背伸びしてようやくカバーできていたずなのに、何もできていない。今の私の仕事は夕飯を用意することだけなのに、それもできなかったり、鏡の前に立って身なりを整えるのも苦痛でたまらない、、、。 書いていただいた文章を読んで、少し気持ちが整理できました。大人になってから両親との距離の取り方がわからなくなってしまって。後悔するって、ちゃんとしなきゃって思うのにうまくいかなくて、、、。 それは全て、今から20年近く前に起きたことから始まっている気がして。もう20年もたつのにうまく消化できない。 私は子供を持てないだろうし、持てたとしてもきっと異常な母親になってしまいます。こんな私は結婚する資格がなかったのだと思います。それは直接は関係ないのに両親のせいなような気がしてしまって、、、。もういい大人なのに恥ずかしいです。恥ずかしくて病院でも話せてないこともあります。 こんなループのなかでぐるぐると回っていて前に進めない。 苦しい、辛いって言っても前に進めないのはよく分かっていて。 でも、うまく眠れなくて、うまく食べれなくて、、、。薬にたよって。生きている意味がわからなくて。 でも、おっしゃるとおり、光を見たくて質問してるんだと思います。何度も。 トンネルを抜けたいです。正直に言うと今は抜けられる気がしないんです。 迷惑をかけてるだけなんです。家族にも、病院にも、、、。でも私、生きてていいんだって自分で思わないといけないんですよね、、、。
No.11です。お礼をありがとうございます。 今回はとても長くなりましたので、申し訳ございませんが投稿を二回に分けました。 >それぞれ断片的なことで読み返すときっと、両親や夫を悪く書いているのだろうな、、、と思います。うまく言えないのですが、彼らが受け入れてくれないというより、彼らが受け入れてくれなかったときが怖くてうまく頼れない、、、私に責任があるんです。特に夫には。両親に対しては、断片的なことしか言えず意味が分からないと思いますが、両親は私が守らなくてはいけない存在な気がしていたのです。なんていうか、精神的な意味で、です。子供らしくいること、あるいは中高生らしくわがままでいること、楽しい学校生活を送っているふりをすること、とにかく普通でいることが、彼らを守るということだ、と。訳が分からなくてごめんなさい。 こちらでのことも他のご質問でのことも、訳が分からないなんてことないです。 ご家族を悪く思うどころか、愛していらっしゃることが分ります。 でも、ご家族に対して寂しさと悲しみと、絶望したくない、絶望させたくないという気持ちが渦巻いていて、そのことがとても辛いんですよね。 大抵、親というものは、子供には伸び伸び生き生きとして、誰からも愛される姿を望みますよね。はっきりそうは口にしなくとも「転校したって子供って直ぐ環境に馴染むから、友達が出来るのも直ぐよ」とか、「子供は強く育てなくっちゃね」と、子供の目の前で誇らしげに持論を展開したりします。 転んで膝小僧をすりむいて大泣きしそうなその瞬間に「あら、○○ちゃん、泣かないなんて偉いわね」と子供を褒めたりもします。 それらの言葉はいつも自分の親から発せられるとは限りませんが、親は自分からは言わなくても、他の親たちの発言に大きくうなずきます。 だから、子供は子供で「そのままの自分じゃいけないんだ、大人が望むような理想の子供にならなければいけないんだ」と考えるんです。 全ては自分への愛からだと思うから、自分にとって大変なことであっても「受け入れなくちゃ」って思うんです。 本当は泣きたかったのに涙を堪えるしかなくなって、「痛いって言っちゃいけない。泣いちゃ駄目だ。寂しいとか思っちゃいけない。私は親の気持ちを、みんなの気持ちを察する子供にならなくちゃいけないんだ」って、いつのまにか、そんな義務を課してしまう子供もいます。 親が好きだから、親から愛されたいから、周囲の期待に応えたくて自分を抑えてしまうんですよね。 ____ 大人が思うのとは違って、子供って一人一人が違います。 膝小僧をすりむいたら、「大丈夫?」って大人が駆け寄って傷口を洗ってくれて、ふうふう息を吹きかけながら、「染みるけど、我慢してね」って、薬を塗って手当てしてもらうことで嬉しく思う子もいます。「偉いわね」と褒められるより、「これで、もう大丈夫だよ」って、優しくされることの方が、ずっと嬉しい子はたくさんいるんです。 話下手で、一人では、なかなか友達が作れない子もいます。 自分からは言えないから、友達がいなくて寂しいことを親には気が付いて欲しいけれど、友達がいないということは親を悲しませるし、友達がいないのは自分の所為だからと、一人ぼっちでいるしかない子供もいます。 親が友達が出来ることを望んでいることを知っているから、友達がいないということは、とてもいけないことなんだって、子供は罪悪感と自己否定感を強めてしまいます。 子供は、夕飯時の公園で子供を探しに来る余所の子の親の姿を見て「羨ましいな」って思ったり、「でも、お母さんは忙しいから、自分から家に帰らなきゃダメなんだよね」って思いなおしたり、雨の日にいつも子供に傘を届けるお母さんと傘を受け取る子の姿を羨ましいなと思いながら、なかなか降りやまない雨の中、仕方なく校舎から飛び出して「私がしっかりしなくちゃ駄目なんだ。ちゃんと傘を用意しなかったのがいけなかったんだ」って思います。でも、心の中では「お母さんもこの雨を見ているはずなのに、家と学校は、そんなに遠くないのに、どうして傘を持って来てくれないんだろう。いつもじゃなくていいから、たまには、雨が酷いときだけでも持って来てくれたら良いのにな」って寂しく思うのです。 親が幼稚園や学校の行事に参加してくれなかったり、参観日に早く帰ってしまったりで、子供は「お父さんも、お母さんも忙しいから仕方ないんだ」って思います。寂しいという気持ちは、決して言ってはいけないんだって思います。 ____ 幼いころは、全部自分が悪いんだ、全ては自分の我儘なんだって思うけれど、段々成長してくると「本当に全て我儘だったんだろうか? 本当に親が何も気が付かないなんてことあったんだろうか? 本当にまるで時間がないなんてことがあったんだろうか?」って、疑問が膨らんで来ます。 成長とともに自分も大人の立場を経験するから、どうしても腑に落ちないことが出て来ます。 「強さや豪胆さを求められて来て、本当の自分は少しも求められていなかったんじゃないか? そのままの自分でいることは望まれていなかったんじゃないのか? いったい、自分は何をして生きて来たんだろう。もっと自分を出しながら生きている人は幾らでもいるじゃないか」って、そこでまた自己嫌悪になってしまうんです。そして、「今更、本当の自分なんて愛されるはずがないんだ。だって、もう仮面なんか被れない。そんなものはもう壊れてしまった。私は無力だ」と。 ずっと隠して来た本当の気持ちを、思い切って寂しかった昔の話を親にしても、「あのときは仕方なかった」と言い切られてしまうと、ちっとも論理的じゃない説明を聞かされても納得どころか悲嘆にくれます。 「本当の気持ちを話せば、結局、我儘としか受け取られないんだ。親が信じていた正しい家族像に傷をつけ、汚すことにしかならなかったんだ」と。 「もしかしたら、打ち明けることで、あの頃の本当の自分を理解してもらえるんじゃないか。自分の中に今もいる、泣いている子供が慰められるんじゃないのか。たった一言、“寂しい思いをさせてごめんね” って、ただ、そうとだけ言ってくれれば救われるのに、そう思うことは唯の我儘で片づけられてしまった。じゃあ、私はどうしたら良いんだ」って。 そして、自問自答が始まります。 「親からしてみれば、“本当の気持ちはそのときに話さなければならなかった”ってことなんだろう。“お前も承諾していたはずだろう? 何を今更…”ってことなんだ。でも、あのときの私には受け入れる以外、他に何が出来たって言うんだろう。そして、あの時の記憶は消えてなくならないのに、受け皿になって欲しい人が受け入れを拒否したら、思いはいったい、どこへ向けたら良い…」って。 今回ここに書いた、そのほとんどが自分の子供の頃の話です。 多少、他人目線の話(自分が親になってから遭遇した場面)も入っていますが。 私の母親は「あのときは仕方なかった」というだけで、「寂しい思いをさせてごめんね」とは言ってはくれませんでした。 母はいつも堂々として我が道を行く人で、子供には知恵と勇気と自尊心を求める人でした。いじめに遭うということは、当人が未熟で幼いということであり、困難に押しつぶされることも同じことを意味していました。 でも、それは妹には例外で、母は妹にはどんな我儘も弱音も許しました。 母は私を守ってはくれなかったのに、私には妹を守るためにはどんなことでもしろと言いました。 母は私を弱いとか未熟だとか言い、その未熟な者には一人で立ち向かうように命じるのに、何故、母から見たら私よりも出来た人間であるはずの妹には惜しみなく救いの手を差し伸べるのか…私には、まるで理解が出来ませんでした。 だって、これでは私は唯のお荷物か、便利屋じゃないですか。 そんな母でも私が若い頃、重い病気をしたときには、私が死んでしまう夢を見て泣いたことがありました。 息子が幼いときに入院したときは、主人は私を責めたのに、母は遠いところをこちらに直ぐに駆け付けてくれて、私を責めたりせずに家事を一手に引き受けて、まだ幼かった娘の世話をしてくれました。 当時、母は私の娘のことは無条件に愛してくれたけれど、息子のことは嫌いだったんです。息子は父が亡くなる少し前に生まれた子で、母は私が父が亡くなる前に息子のことで父と喧嘩していたことを気に病んでいたし、母は自分の弟である叔父に祖母を取られたと思っているから、どうしてもそのことが重なってしまい、息子のことが好きになれなかったようなのです。 だからか、息子には平気で冷たい言葉を吐いていました。 どうして母はこうやって、我が子や孫という同じ血肉を分けた子供たちの前で、こんなにも態度が違うんだろうって何度も悲しくなったし傷ついたけれど、でも、母は私のことも息子のことも愛そうとしていたんです。 母は息子が入院したとき、「あの子の入園式まで、こっちにいるよ」と言ってくれたんです。でも、息子が退院してくると一緒に寝るのを嫌がり、「悪いけど、もう家に帰るね」と入園式を待たずして家に帰ってしまいました。でも、母が来てくれて、私たち親子を救ってくれたことは事実なんです。
度々すみません、No.6です。お礼をありがとうございます。 自分で自分を助けるという感覚も経験も、確かに大切なものだと思います。 でも、「助けられた・助けてもらった」という感覚も経験も大切なことなんです。それがあるから自分を大切にしたいと思えるし、恩を返したいと思えるのです。そのことが、生きる気力にも繋がって行くんです。 本当に辛くてボロボロのときに周囲から「気の所為だ、気にし過ぎだ、ものすごく疲れているだけだろう? そんなもの寝てればなおる」とか、「あれだけ寝ておいて何もしていないくせに、まだ休むのか。こんなのは唯の我儘だ。怠けたいから病気のふりをしているんだ」と責められたら、気力は戻りませんよね。自分で自分が嫌になっているのに、追い打ちを掛けられたら死にたくなるばかりです…。 当事者からしてみれば、病名があってもなくても、そんなことどうでも良いんです。気力が湧かないこと、常に悲観的で罪悪感が抜けないこと、ただ、このことだけが苦しいんです。 「これじゃ駄目だ。私が変わらなくちゃ」って、底をついていた気力を振り絞って、ウォーキングに励んで、部屋の片づけをして、料理の支度をしたとしましょう。でも、まだ空元気のときにそれをすると周囲は評価するどころか、「ほら、見ろ。やはり、お前のは気にし過ぎで怠け病だったんだ。単なる我儘だったんだよ」という態度を取ります。 「それに洗濯と掃除機掛け、皿洗いもやってもらわなきゃね。こんなのは、おままごとのレベルだよ」と。 いきなりそこまでは言わなくても、苛立っているときは、そうやって怒りをむき出しにして罵る家族は幾らでもいます。 体調管理や家事に積極性を見せ、それがある程度続けば家族だって喜びます。「ああ、やっとやる気を出してくれたか」って。 でも、当人にしてみれば、本当はまだ以前の勘は戻ってはいないのです。 気力も体力も、まだ安定していないから波があるんです。 でも、そこに無理解な家族は、当事者の調子がまた下がって来ると追い詰めます。「なんだ、また怠けるのか。お前のはいつも気分だな。気分でやるんじゃないよ。何事も責任なんだよ。やり遂げようという気持ちが大切なんだよ」と。 当人は少しずつ、以前の勘を取り戻していこうと、少しずつステップアップして以前のレベルに戻そうとしているのに、少し調子が上向きになれば周囲はものすごく期待して、以前と同等の仕事をやらせようとします。 もとのレベルに戻すには時間がかかるということをまるで理解していません。 当人は自信をすっかりなくしているから、小さな成功体験を積むより自信を取り戻す術がないというのに、少し休んだり効率が悪かったりすると家族がまた責めるのです。「何をやっているんだ!!」と。 そして、結局、それまでに続けた努力は唯の気分であり、失敗であったと言われます。そこでまた、当事者は自己否定感と罪悪感を深めてしまうのです。 そういう繰り返し、悪循環を断つには家族の理解が必要です。 誰だって、長いこと働きづめなら体力も気力も落ちるんです。 精神科の病気じゃなくたって、内科だろうが外科だろうが、疲労や不調で長いこと寝込んでしまえば、体力も気力も落ちてしまうんです。 心と体は連動していて、どちらかがガクンと落ちればもう一方もガクンと落ちてしまいます。そして、なかなか一緒には立ち直ってはくれません。 いきなり、もと通りは無理なんです。気力が上向きになっても体がついて行かないことがあるんです。 だから周囲が責めては、いつまでたっても当事者の心身の健康は戻りません。 小さな努力が続けられるように、小さな努力が何の気負いもなく習慣化できるまでに、気長に家族が寄り添う気持ちがなければ、いつまでたっても振出しに戻ってしまうんです。 だから、安定した一貫した態度を家族が取らなければ、誰もこの負の連鎖から抜け出せません。 家族が無理解な場合、医療に期待するよりなくなってしまいます。 心身共に疲れ果てた人が休んでいれば子供と言って責めるのに、ある面では大人扱いする。 子供だと言うのなら、いっそのこと全てを子供扱いすればいいのに、「成長はゆっくりで良いんだ。気力や体力が落ちているときは無理をしなくて良いんだよ、やれることだけやってくれれば」という態度を取るのでもない。 子供みたいだと罵りながら、一緒にウォーキングするでも、一緒に病院を探すでもない。お前は、おかしいと言いながら、どうすれば良くなって行くのか共に考えることをしない。 そういう態度が当事者の心を苦しめるんです。 過干渉と無理解が、病理を作り出すんです。 病理は何も当事者が一人で作っているのではないです。 周囲が「ああしろ、こうしろ」と騒ぎ立てるだけで(騒ぎ立てなくても、一々険しい表情を見せたり、語気が荒かったり、棘があったり、冷淡であったりと何かしらマイナスのメッセージを送って来たりと)、当事者の心の中を見ずに責めること、これが病理を産むんです。 私は、ご質問者が家族から離れたいのなら、一貫した態度で接してくれる人たちを望むのなら、入院を選択して良いと思っています。 旦那さんやご実家の家族が、今のご質問者の現状に無理解なら逃れるよりないんだと。 家にいたら死にたくなってしまうのなら、病院に避難するよりないでしょう。 友人や知人、縁者に頼ろうにも頼れないほどに衰弱してしまったのなら。 ご主人と別れることが出来るご質問者なら、今、こんなに苦しんではいなかったかもしれません。自分が好き勝手に生きることに何のためらいもない、あなただったならば。 でも、ご実家を頼ることも出来ず、ご主人と離縁することも出来ないのなら、家族の反応が辛くて死にたくなるばかりならば、環境を変えるしかないじゃないですか。 本当は、ご主人と実家のご両親、皆が一緒にカウンセリングを受けて、家族のそれぞれの在り方を尊重しながら生きていくということが出来るのなら、それが一番だと思います。しかし、今のあなたにそれが間に合うとは思えません。 死にたいという思いに取り憑かれてしまっているからです。 カウンセリングを馬鹿にする方はいますが、しかし、カウンセラーを抜きにして、家族会議をしたところで、ご質問者の意見は握り潰されるだけです。 そういう家族関係だったから、今のこの現状があるのだと思います。 しかし、入院を切っ掛けに、ご家族が医療と触れることで、結果的にはカウンセリングを受けるのと同じことになるのではないかと思うし、今からだって、ご質問者が強く望むなら、主治医の口添えでご家族がカウンセリングを受けることも可能だと思います。 何もご質問者は悪くないです。 もしも悪いというのなら、「押しが弱かった」ということに集約されるのではないでしょうか。いつも周りに合わせることに一生懸命で、周囲の期待に応えなければいけないと無理し過ぎたことにあるのじゃないでしょうか。 泣きたいときに泣き、怒りたいときに怒る、これを制限して来たから、みんなが本当のあなたの心を見失い、ちっとも我儘なんかじゃなかったのに、我儘扱いされて、それでもう限界になっちゃったんだと思います。 私は入院すれば薬漬けだなんてことは、やはりないと思います。 薬というのは、基本的に休むことが出来ない人、休むことが許されない状況にある人に出されるんだと思います。 ですから、入院をすれば薬が減るということだってあるはずです。 そもそも、私は精神科も心療内科でも、カウンセリングのみで、薬を出されたことはありません。(成育歴や当時の状況を話したら、医者には鬱病ではなくPTSDと同質のものだと言われましたが、次回の予約はなしで、辛いときはいつでも来てくださいということでした。) 同じような回答で申し訳ないですけれど、医者の誰もが患者を薬漬けにするなんてことはありません。そのことを言いたかったのです。 ともかく、ちゃんと社会復帰している方も、たくさんいらっしゃるんですから、入院が即悪だなんてことないはずです。 ネットの人には、ご質問者とご家族のカウンセリングは出来ません。 ましてや治療なんかできません。 今、苦しくて、死にたいという人に、「あれをしろ、これをしろ」などとは言えません。 「今、一番信頼している人を頼って欲しいし、信じることをして下さい」と、ただそれだけです。
お礼
ありがとうございます。 私も入院=薬ずけ、とは思いません。 病院を変える前はかなりの量の薬を飲んでいて、そのことが不信感にも繋がっていました。でもそれは私の強い希望で仕事を続けていたからなんですよね、おっしゃる通りだと思います。 たぶん12月末の質問からいろんなことをたくさん書かせていただきましたが、それぞれ断片的なことで読み返すときっと、両親や夫を悪く書いているのだろうな、、、と思います。うまく言えないのですが、彼らが受け入れてくれないというより、彼らが受け入れてくれなかったときが怖くてうまく頼れない、、、私に責任があるんです。特に夫には。両親に対しては、断片的なことしか言えず意味が分からないと思いますが、両親は私が守らなくてはいけない存在な気がしていたのです。なんていうか、精神的な意味で、です。子供らしくいること、あるいは中高生らしくわがままでいること、楽しい学校生活を送っているふりをすること、とにかく普通でいることが、彼らを守るということだ、と。訳が分からなくてごめんなさい。 夫に対してはたくさんの種類の罪悪感があって、もう抱えられないんです。でも、全てをまだ先生にも話せているわけではありません。その必要があるのかも、よくわかりません。もうずっと誰かに助けてって言いたくて、もうこんな大人なのに、なにやってるんだろうって思うんです。もっと辛い経験や耐え難い気持ちをもって笑顔で生きている人はたくさんいるとわかっているんです。辛かったね、って声をかけてもらって安心したい。本当にその通りなんです。でも、それがないと、本当に簡単に死んでしまえるんです。だから、助けてもらったという経験も大事って書いてくださったことに涙が出ました。 死にたいという訴えに「悲しむ人がいるからしちゃだめ」と言われたとき「そんな人いないかもしれない」と呟いた私に「じゃあ、あなたを傷つけるかもしれないけど言います。薬を飲んで救急搬送されることで、もしかしたら助かった命が消えてしまうかもしれない。電車で死んだら多額の請求が家族の元に行きます。賃貸の家でも損害賠償がいくかもしれません。それでも死にますか?迷惑をかけたくないあなたならそれはしないと約束してくれますよね?」と言われたことがあります。生きててもしんでもだめなんだと絶望したのですが、今この言葉を思い出すようにしてるんです。 やっぱり私、もうだめです。本当に辛すぎる。明日夫に病院に電話してもらって入院手続きをしたいです。私に入院の資格があるのか?と罪悪感が湧くのですが、もうそういうの、やめます。 だらだらとごめんなさい。 救われる、助けてもらった経験も大事、という言葉、、、胸にしまいます。
- hikaricom
- ベストアンサー率25% (195/772)
http://www.scientologycourses.org/ja/courses/suppression/start.html 精神科や心療内科に関わったらダメ! 絶対に!ダメです。 彼らは、悩みや人生の苦痛を脳の病気と考えています。つまり、人の辛い気持ちは病気なんだと! これ自体、ものすごくおかしなことなのです。人生の苦痛や悩みを抱え、なぜ病院で治そうなどと考えるのでしょうか?例えば愛する子供を交通事故でなくされた母親が辛いからといって、薬を飲んで何か治るんでしょうか? 皆様一般の方はこの医療とも言えない精神科医の誤った医療の考え方がどれほど危険かを知りません。 子供を亡くした苦痛が癒えるまで薬を飲まされ続ければ、その親は精神薬の副作用でまた異なる苦しみを抱えるでしょう。いいですか?精神科医に掛かって、よくなっているように見えるのは、ストレスの環境から一時的に離れたりした結果、時間の経過の中で環境の移動や変化によって起こる、たまたま起こるケースです。多くの精神科医、彼らはその間、薬を与えるだけです。もしくは、薬漬けにしながら、医師に依存を深めていくばかりです。 リタリンやパキシルなど一般的に処方する薬がどんな成分でできており、どれほど危険な薬なのか、患者にさせられた人たちは知らないまま、強い副作用を副作用と気付かずに、自分の病気が悪化しているのだと思い込みます。落ち込んでいたと思ったところに、薬によって興奮したり、意味もなく高揚し、薬が切れるとその反動で酷い鬱状態を感じ、次第に混乱や非常な恐怖を感じたり、感情を全くコントロール出来ないといったところまで悪化してしまえば、社会復帰も難しくなり、周りの家族は入院を強制する場合も出てきます。 中には、混乱のまま、自殺される方もあるのです。どうか、お辛いでしょうけれど、精神科に掛かってはダメです。 正しく抑圧に対処することが回復の特効薬なのです。 🚶散歩の方法🏃 心に固着した不安や恐怖の源となる記憶を意識から引き離し、心の安心を、取り戻すためのエクセサイズがあります。それは、散歩です。 遠くまで歩く必要はありません。 自宅を出発地点AとしたコースAーBを設定して下さい。AーBと歩きBーAと同じ道を辿りながら戻ります。 この際、ただボンヤリ散歩するのもいいのですが、効果的な散歩は違います。目に入る看板や車、お店、電柱なと現実に見える物を見ながら歩くのが秘訣です。途中、だるくなったり、疲れを感じるかも知れません。しかし、その疲れこそ、あなたの負担になっているストレスなのです。少し気分が晴れたり、明るい気分になったらOKです。慣れてきたら、少し段階を上げてみましょう。道行く人の顔を見ながらの散歩です。そして慣れたら次には雑踏でこれを行うとよいでしょう。できれば、3、4つでも異なるコースを設定し、毎日コースを変えながらのんびり見る散歩を為さって見て下さい。 また、解毒作用や神経に効果を発揮するサプリメントをお勧めします。 これは、精神薬の欠乏感を補いながら充分なビタミンを補充してくれる優れたスーパーサプリとして、日本でも使用者が増えていますよ。少し高めですが、化学薬品で傷付いた体内を修復し免疫を向上させてくれますよ。 「ジェネシス ピュア」で確認下さい。 ナチュラル クリニックのようなクリニックは、化学薬品の利益頼みの病院経営から脱した正当な診断と栄養指導を行う病院として注目されていますが、まだまだこのような病院が地方に充分行き渡るまでには、もう少し時間が必要なようです。ご不便お掛けしますが、何とか一度ご面会出来るとよいのですが。 どうか、ご健康回復されますことをお祈りしています。
- smi2270
- ベストアンサー率34% (1640/4699)
再度smi2270です 貴女も 私みたいに なれますよ!そこは悲観的にならず もっと もっと 肩の力を抜いて 「気楽に生きよう」と 考えてくださいね 私みたいに誰もがなれますよ!! 私を 抜かないでね。。。。汗 もし追い抜いたら 相談に乗ってくださいよ(笑顔)
一緒に死んでしまった心を生き返してみませんか。
再度すみません、No.6です。 脱字がありましたので以下のように訂正させてください。 誤:初めて回答をしたのは去年の下旬のことです。 正:初めて回答をしたのは去年の12月下旬のことです。 誤:いえ、自分で決めても間違ているという気持ちがぬぐえずに来たこと 正:いえ、自分で決めても間違っているという気持ちがぬぐえずに来たこと 私は入院すれば、必ず薬漬けになるということはないと思います。 罪悪感を抜くこと、心を解放させることが出来るなら、環境を変えることでご質問者やご家族の考え方が変わるのなら、入院は意義のあることだと思います。 同じ場所にいて同じことを続けていると、同じことしか考えられなくなります。 だから、環境を変えることを勧めたいのです。 でも受け入れ先はとなると難しい…。 そんな人のために入院施設があるんだと思います。 それが今回は、たまたま精神科だったということです。 入院するということは、家にいるのともホテルに泊まるのとも違って、同じ目的意識の人がいるところですから、孤独感や罪悪感を和らげながら自分を取り戻しに行くことだと思います。 人間は生まれたときに罪悪感は持っていません。 生きることを当然のこととして生きることしか考えていません。 原点に先ずは戻るのです。 頭の中を空っぽにできる場所、何も考えなくても良い時間、今はそれが必要なんだと思います。 少しずつ、少しずつ、焦りを抜いて、深呼吸の仕方を、忘れてしまった安らぐ感覚を思い出しに行ってください。
最近、ご質問者の幾つかの質問に続けて回答させていただいております。 いつもお礼をありがとうございます。 どれも一回きりの回答でしたので、こちらからはお礼を言えずにいました。 でも、今回はこうしてお礼を書くことが出来ます。 それは、ご質問者が生きていらっしゃるからです。 ご質問者には生きていて欲しいなって思います。 だから、今日もここで回答を書いています。 いろんな意見がありますが、私はご質問者が入院なさることに賛成です。 これから立ち入ったことに触れます。申し訳ございません。 ご質問者はもう覚えていらっしゃらないかもしれませんが、私がご質問者に初めて回答をしたのは去年の下旬のことです。 そのご質問では私は再回答していませんが、気になるので時折その質疑を見ています。そちらではたくさんの方々が今も回答を続けていらっしゃって、ご質問者はそこで良い病院を紹介していただいて、良い先生に巡り合えたと実感していらっしゃるように思えました。 入院先とは今通っていらっしゃる病院ですよね? 新しい通院先では減薬中だということですし、ご質問者は今までの悩み事を今の主治医には話せているので、以前の先生方よりも心が開けているように思えます。ですから、私は通院先は変えずに今の病院に入院なさった方が良いと思います。 ご質問者がいつも困っているのは、自分で決められないことですよね? いえ、自分で決めても間違ているという気持ちがぬぐえずに来たことだと思います。 「いつも私が選ぶことは間違っているんじゃないだろうか? 本当はもっと良い方法があったんじゃないだろうか? どうして私は思慮が浅いんだろうか? 私の考えが至らないばかりに、いつも周りに苦労を掛けたり、心配を掛けて悪い結果を招いてしまう。私がいるというだけで周りの歯車が狂ってしまう。私がいるだけでみんなが幸せになるチャンスを失う」って、そんな風に思っていらっしゃいますよね? そんな風にいつも自分を苦しめて、家にいれば、ただいることしかできないと家族に申し訳なく思えて…そんな風になってしまったら、家は家ではなくて牢獄と変わらないのじゃないですか。 家にいるだけで自分を責めてしまうのですから。 ご質問者は自分が信頼できないので、以前の先生には心が開けなかったのでしょう。でも、今の先生は違うのでしょう? 心に寄り添ってくれて、今まで話せなかったことも話せて、減薬もして下さる良い先生ですよね。 今の先生に、先生を信じたいと思ったあなたの心に賭けてみてはどうですか。 本当は先生を信じたいんですよね? だから質問なさったんだと思います。 入院しても治らなかったら、先生を裏切ったり、周りの人たちの信頼を失うことになってしまうと、そのことが気掛かりなのではないですか? 今は環境を変えることが一番なんだと思います。 でも、環境を変えようにも家にいてはご主人に対する罪悪感が募り、そうすれば今度は実家のご両親が不甲斐ない思いをしているのではないかと気に掛かり、旦那さんのご実家の両親と家族のことが気に掛かり…と、いつまでたっても罪悪感から抜け出せません。 家にいれば旦那さんの負担が増え、そのことで周りの人が旦那さんのことを気の毒に思うんじゃないかって、ずっと辛い思いをしてしまいます。 だったら、やはり環境を変えるという意味で入院を選択して欲しいと思います。家にいても心が休まらないのですから、同じように闘病している方がいる病院にいた方が罪悪感に苛まれることもないでしょう。 金銭的なことはありますが、しかし入院すれば、ご主人は日常生活の雑務をこなさなくても良くなります。 それに入院中は、闘病で苦しんでいるのは自分だけじゃないんだと、同じように悩んでいる人はたくさんいるんだと、もうこれ以上自分を責めることもないのではないでしょうか。 自分を責める感情、これがご質問者の主症状なのでしょう。 でしたら環境から変えましょう。 家にいたってご家族の考え方が突然変わることなどありません。 家にいてもご質問者は自分を責めるばかりです。 だから、ご家族から離れてゆっくりできる場所が、心を解放できる場所が必要だと思います。 自分を信じることをしてください。 自分の選択は間違いじゃなかったんだって。 そういう心を取り戻す、その手伝いをするのが医療スタッフです。 でも、せっかく見つけた良い先生、良い病院なのに、また信じられなかったら振出しに戻ってしまいます。 だから、信じることをしてください。 自分の選択に間違いはないんだって。
お礼
あの質問を見てくださっていたのですね。 ありがとうございます。 あれから何度か本当に死にたい気持ちに襲われました。いつになったら前に進めるのかわかりません。 おっしゃる通り、今の病院の先生のことを信用していますし、寄り添ってもらって本当に救われています。ですが、うまく言えないのですが、怖くて怖くて仕方なくなるときがあるんです。 死ぬことより、生きることのほうが私にとっては怖いことです。下の方がおっしゃっている通り、悲劇のヒロインを演じたいだけかもしれません。そうかもしれないって病院でも話したことがあります。「そうだったとしても、いいじゃない」と言ってくれて、他の誰がなんと言ってもあなたの辛い気持ちを消していきましょう、と。 信じているんです。今の先生たちを。でも、いい大人なのに私はこのままだめになってしまうかも、とか、根拠のない不安ばかりが生まれます。でも、入院をしようと思うんです。今、安心できる場所が病院しかないんです。家も実家も、罪悪感でいっぱいになってしまう。そのことがまた罪悪感で、、、。 ごめんなさい。こんなことぐるぐる言って、、、。ありがとうございます。自分の選択を信じて入院します。
- hikaricom
- ベストアンサー率25% (195/772)
💊💢薬害研究センター💊💢 私は薬を使わないカウンセラーをしているものです。 まず質問させて下さい。 病院に掛かる前と今と比較し良くなっていると思われますか? 心療内科に通うきっかけはなんであったのでしょうか? ただ悩みが重く塞ぎこんでいたのではないですか? 人間関係に於いて、苦痛を感じるか、相当なストレスや不安があったのではないですか? これらは、人間にとって言わば苦難の時期であり、なんとか乗り越えなければならない試練です。 しかし、病院に連れて行った途端、その人は悩み、不安といった感情のある存在から、「うつ病」というさも病気であるかのような診断を下され、すっかり薬漬けの人生が始まってしまいます。そして、危険な精神薬を、ただの風邪薬程度に考え服用し続ける訳です。悩みや不安というのは、肉体が環境に対し危険であると判定するために発する信号でり、これらは当たり前の生命の作用です。それを精神科は次々とうつ病のレッテルを貼り、薬によって無理に興奮をきたすような危険な成分を投与し、患者にさせられた人は、自分の感情がコントロールできないようになっていきます。こういった、心に無知な精神科医によって、めちゃくちゃにされた人は、薬の副作用から今度は発作的な自殺衝動に駆られたり、実際に多くの方達が精神薬の犠牲で自ら命を絶っています。 何も知らない家族は、それが間違った医療だと知る間もなく、ましてや薬の副作用から悪化しているのだとも気付かず、精神病院に預けざる得ないところまで家族を破壊に追いやってしまうケースは珍しくありません。これは、社会の隠された悪徳です。 今必要なのは、体から残留した薬を抜いてゆくことです。今掛かっている病院との関係を絶つ方向に切り替えて下さい。そして、断薬しながら、食事、生活環境の改善、精神の回復を図るべく家族全員が正しい心の仕組みを理解すると共に、抑圧との関わりをなくし、安心が得られるよう家族のコミュニケーションの取り方なども改善向上していくよう指導を受けて下さい。精神科医らは、心について全く知識を持っていません。彼らは安易に、何でもかんでも脳の病気にし、薬を与えますが、脳の仕組み自体まだ解明されるには程遠い医学の現状に於いてどうして彼らが薬などで治せるでしょう? インチキも甚だしい、全く馬鹿げた話なのです。 精神科医に関わったら、お終いです。 まだ間に合うかも知れません。下記センターにご相談下さい。多くの精神科被害者方々が改善しています。 正しい知識がなければ、正しい医療は存在しません。 症状は、全く薬の副作用です。 精神科医の詐欺的な医療にこれ以上はまり込まないよう、下記にてご相談されて下さい。心から回復を願っています。 http://yakugai-kenkyu.com/ 〒110-0016 東京都台東区台東4-17-1 偕楽ビル301 tel. 03-6806-0879
お礼
ありがとうございます。
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お礼
お礼が遅くなってごめんなさい。 そうですね、、、。私ばかりが悪いわけじゃないんですよね。 分かってるんです。頭では。それなのに心がついていかない。いろんなこと、分かっているのにうまくいかない。 苦しいんだと泣き喚くこともできない。 涙は出るけど、感情がともわない。 いつからこんなふうになってしまったんだろう。ただただ、悲しいんです。 でも、わたしを悪くないって言ってくれてありがとうございます。この世の中にそう言ってくれる人がいるというだけで、少し救われる気がします。
補足
入院は家庭の事情、、、金銭的な事情で諦めることにしました。両親に頼む、とかいろんな方法があるとは思いつつ、全てが面倒になってしまって。 充分休んでるのに、どうしてうまくいかないんだろう。このまま目を覚まさない方法がどこかにあるんじゃないか、、、。 それでも私は生きていたいんです。だから毎週病院にいって薬を飲んで。今は、病院の先生から見捨てられることが怖くてたまらなくて。私が通院を続ける限り見捨てられないのは頭では分かってます。なんでこんなことに恐怖を感じてるのか、わけがわからないのに、、、。 家族からも、友達からも見捨てられたんだから、いずれは病院も、先生も。 生きているだけなのに、どうしてこんなに辛いんでしょうね。仕事もしてないのに。締め切りも、ノルマも、厳しいクライアントもいないのに。 夜になると、恐怖とも焦りとも悲しみとも違う、それが全部合わさったような感情に襲われて、逃げられません。