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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:左村河内氏だけが悪いのか)

左村河内氏の問題について

このQ&Aのポイント
  • 左村河内氏の関連について気になっていましたが、彼の嘘の罪は重いです。
  • 彼の謝罪は本気であり、周囲の人間からの見方はないことがわかりました。
  • しかし世論は彼の謝罪を受け入れず、共犯者の存在も問題視されています。

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noname#196137
noname#196137
回答No.6

左村河内さんは、結構普通の人に思いますよ。 実力もなく、努力もせず、なのに成功して地位も名誉も得たいと思う人って、そんじょそこらにいますし。 記者会見では、自分の愚かさの反省と、彼の愚かさにつけ込んで得した人への批判とが、両方見えますよね? まあ、よくいるごく普通の人ですよ。 新垣さんもそうですね。 クラシック界の作曲家として、25歳(左村河内さんと出会った年齢)で成功なんて、なかなかあり得ない。 だから、佐村河内作曲の曲が売れるということは、彼にとってある種「成功」だったわけです。 まあこの「成功」は、作曲家としてのセンスなどより、作曲を勉強してきたものが持っている知識を利用して、楽して得た「成功」。 彼もそれは充分自覚しとったでしょう。 つまり彼も、よくいる普通の人だから、ゴーストライターになったわけで、ごく普通の人だから、自ら発表せざるをえなかったわけです。 この、よくいるごく普通の人の損得勘定が、見事にマッチして、ゴーストライター付の佐村河内という作曲家が生まれたわけですね でも二人とも、ここまで曲が世に評価されるとは、思っとらんかったでしょう。 評価され過ぎ、事が大きくなり過ぎ、もう引っ込むこともどうすることも出来なくなってはじめて、二人は自ら正直になるしかなくなったと、私は見ています。 ちょっとやり過ぎだったが、所詮はそれ程悪事を働けるような悪者ではない、ということですね。 で、どうして事がこれほど大きくなってしまったか。 それはまず、商業主義。 CDが出た2011年をさかのぼること十数年前、彼の音楽を使ったゲームソフトの販売元カプコン。 この会社が最初に、聴覚障害のあった彼を全聾と設定たようで、コロンビアなどかなりのろかったと言えそうです。 そして、全ての根本は、人々の「同情好き」ですね。 だってね。 コンサートでの佐村河内さんへの拍手喝采は、もう超異常現象です。 CDが売り出されるより前の話ですから、皆さんはコンサートで初めて、佐村河内さんの曲を聴いたはずなんですが。 それほど、曲が素晴らしかったから? いや、どんなに素晴らしい曲だったとしても、いきなりブラボーと拍手喝采されるほど、最初から多くの聴衆の評価を受けるなんて話は、ちょっと聞いたことないです。 まあコンサートに行かれた人は、皆さん彼を全聾と思っていたことは確かなようで。 楽して評価されたい。 楽して地位を得たい。 楽して金儲けしたい。 そして、人を同情したがる人々。 それぞれの思いが、一つに見事にマッチし過ぎて、こんな騒ぎとなってしまったわけですね。 ただ、こんなことで記者や世間の反応に戦慄せんとってください。 それなら、人を簡単に一括りして叩く世に戦慄してください。 生活保護を受けている人たちを、高齢者を、在日の人を、うつ病の人たちを、子育てママを、専業主婦を、適齢期を過ぎても独身でいる人を・・・そんな人たちを一括りにして、すぐに叩きたがる世の中です。 そんなことを考えると、今回の記者や世間の反応なんて、これもよくある普通のことに見えてきません?

frau
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >二人とも、ここまで曲が世に評価されるとは、思っとらんかったでしょう。 同感です。 新垣氏の暴露は、世間を騙しているという罪の意識に耐えられず…というのも事実かもしれませんが、最初、あれだけ売れるとは思ってもみなかったが「ヒロシマ」でメディアに大きく取り上げられ、「現代のベートーベン」とまで言われているがその喝采を浴びるのは自分のはずだ、自分が真の創造者だと名乗り出たいという「欲求」がなくはなかったといえるのでしょうか。 左村河内氏は自分の顔が売れることで欲求が満たされていればよいというようには感じました。また、音楽が好きで、クラッシックを広めたいというのは、ばれる前のインタビューでも云っていて、今回の記者会見でも同じことを言っている。つまり符合しているのですから、私はここの部分は嘘だとは感じません。 また「自らがモンスター化していくのを止められなかった」と言っていましたが、たぶんこれが一連の嘘の動機なのでしょうね。 皆共犯者です。秘密を守ることが紳士協定だったが、それはことが大きくならない以前のことで、曲や名前が独り歩きすると正体をあかさずにはいられなくなる。皆同じ共犯者なのに、最初に告白した人は事情酌量(どころか善人)。 この白黒発想をする社会心理、どうにかならないものでしょうか。 人は容易に悪人を造り、それに対し、自分は善人だと認識する。逆に崇拝者を造り、何の疑問もなしに崇める。でも正体が違ったときに徹底的に叩く。 最初、マスコミは佐村河内氏に騙され、そのマスコミに視聴者も騙されたわけですが、騙されていたうちは何の疑問もなく彼を崇めていたわけです。決して騙された方が悪いのではなく、ことを大きくした原因はあると思ってます。 >全ての根本は、人々の「同情好き」ですね。 朝日新聞で、疑問は違いますが、これと同じタイトル記事がありますが、そう書かれていますね。確かに日本人はは「涙」について語るのが好きですから。 朝日はゴーストライターを擁護しているのではなく、ましてや騙された世間を笑っているのではなく、別の観点から見ているにすぎないのです。しかしそれに対しても批判対象にしている連中がいる。 記事は、メディアに踊らされて買った方にも原因があると言っています。批判連中はなぜそう読めないのか。本当に呆れます。 朝日もそのメディアの一部だろうという批判がくることは当然承知の上でしょう(しかしそれでも書かずにいられなかったのは、それが真実の一つだからという自信と確信があるからでしょう)。 >人を簡単に一括りして叩く世に戦慄してください。 もちろんです。そのような社会心理に戦慄しているのです。ゴーストライターを問題にしているのではなくその一部にすぎません。 >これもよくある普通のことに見えてきません? 普通だからこそ恐ろしいのです。これが人間の本質か?とすら思います。 一見「悪」であっても道理や原因を考えず、ただの情報に踊らされ、何の疑問も感じずに、人の意見に同調するだけの群集心理こそが本当の悪事を助長するからです。 暴露前、『「全聾の天才作曲家」佐村河内守は本物か』という記事がでました。彼を天才として祭り上げようとするマスコミへの違和感などが書かれているようですが、佐村河内氏がもちあげられていたときでしたので、筆者は当時、相当の覚悟とそして批判もあったと思います。しかし当時、このような記事が書かれていたのを知って嬉しく思ったものです(何か事が起きてから書かれる便乗本は数あれど)。 群集心理に埋もれることからの回避は、少しの疑問も大きく感じ、直感を見逃さず、自分に正直になる。そして大きな勇気が必要なのではないでしょうか。

その他の回答 (11)

noname#195579
noname#195579
回答No.1

世間の常識が間違ってるので騙しているとはいえません。 大体、障害の規定が判りずらいのも原因なので国も悪いです。

frau
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 タレントの、例の生活保護の件でもそうでしたが、事があって見直すという機会が設けられる国なのですね。となると、例のタレントが、芸人としてまったくテレビにでなくなったように、「個人」が攻撃される結果となってしまう。 「彼」のせいで、本当に聴覚に支障がある人も悪く捉えられてしまうといわれていますが、それは結果論でしょう。 国がこれまで見過ごしてきた、または気が付かなかった視点が、最初にそれを気付かさせた人に向けられ、「彼」が「国」にとってのスケープゴートとなっている。それを隠れ蓑に「お前のせいで本当に耳が悪い人も悪くなってしまった」という攻撃の正当性にも陥っていると考えます。