※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:左村河内氏だけが悪いのか)
左村河内氏の問題について
このQ&Aのポイント
左村河内氏の関連について気になっていましたが、彼の嘘の罪は重いです。
彼の謝罪は本気であり、周囲の人間からの見方はないことがわかりました。
しかし世論は彼の謝罪を受け入れず、共犯者の存在も問題視されています。
左村河内氏の関連はずっと気になっていました。
先日彼が記者会見をしましたがそれを見ていていたたれなくなりました。
彼自身が認めている通り、世間を欺いていたもので、彼の嘘の罪は重いです。
しかし、彼はまず自分一人の言葉で謝罪をしています。記者会見も彼が仕切り会場の予約までしたということで、彼にとって周囲の人間、つまり見方はいないのだということはわかります。しかしそのような環境の中であえて会見を開いたということは、彼が本当に自らがしたことを重く見ているのだと感じました。
私は会見をすべて見ていましたが、そこで感じたものは、本当に心から悪いと思っているということです。しかし世論は彼が何を言っても「嘘」だと言います。
悪いことをした者は、その当事者間での弁明を第三者に言う場合、何を言っても言い訳にしかならず、ただただ謝罪だけをしていればよいという記者や世間の反応に戦慄しました。
ゴーストライターであった新垣氏も共犯なわけですが、彼が「善」で左村河内氏は「悪」というレッテルにも驚きました。
当事者間でも意見が食い違い、真実はすでに当事者間にしかわかりません。わからないことなのに、共犯者同士でも最初に暴露&謝罪した方が善という呈です。
そして、そのうち「専門家」がでてきて(だして)、なんとか障害者だのという診断をします(直接本人と会ってないというのなら、それは診断ではありません)。
こう感じたのは私だけではないはずですが…この社会心理の動機について示唆してください。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >二人とも、ここまで曲が世に評価されるとは、思っとらんかったでしょう。 同感です。 新垣氏の暴露は、世間を騙しているという罪の意識に耐えられず…というのも事実かもしれませんが、最初、あれだけ売れるとは思ってもみなかったが「ヒロシマ」でメディアに大きく取り上げられ、「現代のベートーベン」とまで言われているがその喝采を浴びるのは自分のはずだ、自分が真の創造者だと名乗り出たいという「欲求」がなくはなかったといえるのでしょうか。 左村河内氏は自分の顔が売れることで欲求が満たされていればよいというようには感じました。また、音楽が好きで、クラッシックを広めたいというのは、ばれる前のインタビューでも云っていて、今回の記者会見でも同じことを言っている。つまり符合しているのですから、私はここの部分は嘘だとは感じません。 また「自らがモンスター化していくのを止められなかった」と言っていましたが、たぶんこれが一連の嘘の動機なのでしょうね。 皆共犯者です。秘密を守ることが紳士協定だったが、それはことが大きくならない以前のことで、曲や名前が独り歩きすると正体をあかさずにはいられなくなる。皆同じ共犯者なのに、最初に告白した人は事情酌量(どころか善人)。 この白黒発想をする社会心理、どうにかならないものでしょうか。 人は容易に悪人を造り、それに対し、自分は善人だと認識する。逆に崇拝者を造り、何の疑問もなしに崇める。でも正体が違ったときに徹底的に叩く。 最初、マスコミは佐村河内氏に騙され、そのマスコミに視聴者も騙されたわけですが、騙されていたうちは何の疑問もなく彼を崇めていたわけです。決して騙された方が悪いのではなく、ことを大きくした原因はあると思ってます。 >全ての根本は、人々の「同情好き」ですね。 朝日新聞で、疑問は違いますが、これと同じタイトル記事がありますが、そう書かれていますね。確かに日本人はは「涙」について語るのが好きですから。 朝日はゴーストライターを擁護しているのではなく、ましてや騙された世間を笑っているのではなく、別の観点から見ているにすぎないのです。しかしそれに対しても批判対象にしている連中がいる。 記事は、メディアに踊らされて買った方にも原因があると言っています。批判連中はなぜそう読めないのか。本当に呆れます。 朝日もそのメディアの一部だろうという批判がくることは当然承知の上でしょう(しかしそれでも書かずにいられなかったのは、それが真実の一つだからという自信と確信があるからでしょう)。 >人を簡単に一括りして叩く世に戦慄してください。 もちろんです。そのような社会心理に戦慄しているのです。ゴーストライターを問題にしているのではなくその一部にすぎません。 >これもよくある普通のことに見えてきません? 普通だからこそ恐ろしいのです。これが人間の本質か?とすら思います。 一見「悪」であっても道理や原因を考えず、ただの情報に踊らされ、何の疑問も感じずに、人の意見に同調するだけの群集心理こそが本当の悪事を助長するからです。 暴露前、『「全聾の天才作曲家」佐村河内守は本物か』という記事がでました。彼を天才として祭り上げようとするマスコミへの違和感などが書かれているようですが、佐村河内氏がもちあげられていたときでしたので、筆者は当時、相当の覚悟とそして批判もあったと思います。しかし当時、このような記事が書かれていたのを知って嬉しく思ったものです(何か事が起きてから書かれる便乗本は数あれど)。 群集心理に埋もれることからの回避は、少しの疑問も大きく感じ、直感を見逃さず、自分に正直になる。そして大きな勇気が必要なのではないでしょうか。