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親の愛情について
よく親から愛情をもらえず寂しい思いをした子どもは大人になって偏った愛情の表現をしたりすると聞いたことがあるのですが、それに反して 子どものときから親から沢山の愛情をもらっているのに、孤独を感じたり、人から愛されたいという思いが強く、他人に対しての被害妄想がよくあるというのは、どういうことでしょうか? 家族だけの問題ではなくただたんに自分自身の性格や甘さがでてきているのでしょうか?
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初めまして。27歳女性です。 被害妄想的なことありますよ~。 私は弟と10歳離れているのですが、それまで甘やかされてきたのに弟が生まれて急に愛情がそっちに行ってしまい、愛情不足に陥りました。 元々両親は厳しい人で仕事が忙しくて子供に無関心なところがあって、愛情ではなく注意をよく受けてた記憶があって、冷たいなぁと感じていました。 なので、親の顔色を伺うようになって、今も職場の上司の顔色を伺うような感じで、少しのことを気にしてしまいます。 すべてに自信がないんです。 質問の内容そのままではないと思います。 愛情を受けて無くても寂しさを知っているから人には優しく出来ることもあります。 後の質問はNo.1さんも言ってますが、本物の愛ではないんだと思います。 後、その人自身の性格も関係していると思います。 分かりにくいかもですが、すみません。
- nes_
- ベストアンサー率25% (161/643)
ご質問の件とは違うかもしれませんが、 一つのパターンというか、例にそった回答をします。 >親から愛情をもらえず寂しい思いをした子ども >子どものときから親から沢山の愛情をもらっているのに 最初から「偽りの愛情」であり、 結果的に「偏った愛情の表現」をするようになるという意味で、 どちらも同じようなものだと思います。 後者についてですが、「たくさんの愛情」というのは、 「偏った愛情」というよりは、「偽った愛情」だと思います。 もっというと、偏りとかいう以前の問題で、「愛情」ではないと思います。 一つにはですね。 というのは、押し付けの愛情だと思われるからです。 自分に自信のない親が、子供に偽りの愛情を押し付けて、 安心しているわけです。それで、自分の自信のなさをカバーしている。 自信のない親とは、自分が子供の頃、血の通った愛情を受けられなかった親です。 優しくされても、「嫌われるんじゃないか」と不安でしかたなかった親です。 「愛されているという確信」がもてなかったからです 「嫌われるんじゃないか」という神経症が、自分が親になっても治らず、 自分の子供にまで移してしまうんです。 その子供も、怯えながら成長していき、 他の人に押し付けの愛、偏った愛、偽った愛をぶつけて、 不安をごまかしたり、自信のなさをカバーしようとします。 問題なのは、こういう人は、他人のために何かして、 相手が自分の思ったようなリアクションをしないと、 ものすごく不機嫌になることです。これは愛情でもなんでもないですね。 たまにいませんか、付き合ってて疲れる人おしつけがましい人。 そんな自分だから、「人から愛されたい」という思いが叶うはずもないから、 今度は相手を愛して"やろう"とします。つくして"やろう"とします。 でも、相手はその愛を受け止められないから、そこでおっしゃる「被害妄想」がふくらみます そこで、場合によっては、殴ったりするんだと思いますよ。 それを防ぐためには、その愛情を無理やり受け止めて、 大喜びしてみせなければならない。 そうすれば、相手に「して"やった"ぜ」と思わせられるわけです。 >自分自身の性格や甘さがでてきているのでしょうか 私の紹介した例ですと、「みせかけの性格」です。 自分に甘いどころか、自分に厳しすぎるほど厳しいですよ。 強迫神経症ですから。心がやすまる時がありません。 いつも不安です。 加藤諦三の『人生の悲劇は「よい子」に始まる』が参考になります。ぜひ
お礼
なるほど・・・沢山の愛情ではなく偽りの愛情なのですね。。 私の友人にも人のために自分を犠牲にしてまでつくす子がいます。どうしてここまで出来るのか・・と思いました。 そしてただ単に忙しくて連絡をしなかったら「冷たい・・」等と不機嫌になってしまいます。そんなつもりはないのに・・。 そのような友人に対してどのようにこれから接していけば良いのか悩みます。 とても参考になりました。 ありがとうございました。
お礼
>愛情を受けて無くても寂しさを知っているから人には優しく出来ることもあります。 確かにそうですね! 人の顔色伺ってしまうことは私もあります。疲れますよね・・。 どうもありがとうございました。