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才能と天才と頑張る事の関係について

よく、特定の分野で才能がある人でも、努力や頑張る事は必要と最近聞くんですが、なぜ特定の分野で才能があるのに、努力や頑張る事が必要なんですか? 努力や頑張る事が必要なら、才能とは言わないような気がします。 あと天才の人でも、努力や頑張る事が必要なのはなぜですか?これも凄く疑問です。 才能や天才でも、努力や頑張る事が必要なのはなぜですか?凄く疑問なので教えて下さい。回答待ってます。

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回答No.1

私は天才でもなんでもないので、ただの推測ですが…… 天才や才能というのは、センスのこと。 経験やスキルはまた別。 センスがあれば圧倒的にスキルは身に着けやすいですが、それでも何もしなかったら身に付きはしません。 なので、センスを生かすためのスキルを身に着けるために、努力が必要なのではないでしょうか。 また、才能と努力を足さないと到達できないレベルというものがあって、 例えば才能と努力をそれぞれ10とすれば、20に到達するためには才能ある人でも努力しなければならないわけです。 でも、凡人が努力しても到達できないゾーンに努力次第で辿りつけるセンスを持っているという点で、天才と言われるのではないでしょうか。

noname#191617
質問者

お礼

わかりやすい回答をありがとうございます。要するに才能や天才はセンスなんですね。やはり才能ある人でも、追加で努力や頑張る事を足さないとダメなんですね。努力や頑張る事+天才や才能であれば、天才や才能が無い人が努力や頑張る事をするより、いい結果が出るんですね。

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その他の回答 (5)

  • teppou
  • ベストアンサー率46% (356/766)
回答No.6

 学問的分野に限って言えば、若くして大きな業績を上げた人は、その年齢になるずいぶん前に、その分野の学習は終了していたという例は多いようです。  そういう学習はしなければならないでしょう。そういう学習をしている様子を周りから見れば、がんばって努力しているように見えるでしょう。  しかし、本人はどう感じているか、他の人にはわかりようがないでしょう。本人は遊び感覚だったかもしれません。  まあどっちにしても、寝っ転がっていては大きな成果は得られないでしょう。  何かを一生懸命やっているように見える事を、面白がっていると見るか、がんばっていると見るかは見る人によって違うと思います。  天才という言葉にせよ、努力や頑張るという言葉にせよ、きちんと定義されているわけだはなく、感覚的表現だと思います。  何事も努力が必要などという人も、努力ってどういう事かを説明できる人は少ないと思います。  努力を苦痛を伴う事だとすると、天才と呼ばれるような人はあまり苦痛を感じていなかったかもしれませんし、努力を一生懸命やる事だとすれば天才も努力をしていたという事になるのではないでしょうか。、

noname#191617
質問者

お礼

回答ありがとうございます。

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  • staratras
  • ベストアンサー率41% (1516/3691)
回答No.5

昔の唱歌に次の歌がありました。(もとは 昭憲皇太后のお歌) 金剛石も 磨かずば 珠の光はそわざらん   人も学びて のちにこそ まことの徳は あらわるれ ダイヤモンドの原石も研磨しなかったら美しく輝くことはない 人も学習して初めて本当の徳性があらわれるものである というような意味です。 才能があるといってもそれだけでは宝石の原石と同じで、それなりに努力しなければその真価を発揮できないでしょう。もちろん磨いた後の輝きは金剛石と路傍の石とでは大違いで、そのほかにはまねができない、かけ離れた輝きの美しさを「天才」と呼ぶのではないかと思います。

noname#191617
質問者

お礼

回答ありがとうございます。

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  • larme001
  • ベストアンサー率44% (271/608)
回答No.4

 そもそも高度な専門やスポーツの世界というのは、「天才」というかそれなりの「才能やセンス」をもった人が集まってきているわけです。というわけで、ある程度の「才能」がなくてはその世界に行く前にドロップアウトすることになります。高校野球の地方高校のエースとプロ野球選手、さらには大リーグへ行く選手の違いです。  で、そういう「センス」をもった人たちしか集まらない世界でしのぎを削っているわけですから、当然「センス」のある人が「努力」をして初めて本当の勝負ができるというわけです。つまり、「センスがあるない」というレベルでクリアできる段階なんて昔に超えていますし、本当のトップの世界というのはそもそも「人類に不可能なのか」というレベルでのしのぎにもなるわけです。  「センスや才能」というのは評価が難しいので、結局そのへんの程度の違いがあったとするなわば、そのへんの低さをある程度努力や練習量で補うことができればトップになれるでしょう。逆に言えば、もっとも練習量が少しでもトップになれる人がいればその人が客観的に一番才能があると言えるかもしれません。  最後に、「努力」というのは練習量とある程度比例するでしょうが、自分の感覚としての「辛さ、努力した度合い」というのは必ずしも客観的でないので、ある意味「毎日練習し続けることが苦痛でない」という人がいればそれは努力した範囲にはいらないのかもしれません。このあたりは経験や自分の生活とか思考とかで変わっていくものですから、そういうコントロールも必要かもしれませんね。

noname#191617
質問者

お礼

詳しい回答ありがとうございます。

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  • nobu1717
  • ベストアンサー率17% (218/1217)
回答No.3

天才が凡人として生きるのなら努力は必要ないかも。努力しなくてもそれなりには出来るでしょうから。 天才として生きたいならば凡人が到達できない所に立たないと認めて貰えませんから天才なりの努力がいるでしょう。 ま、才能は磨いてこその才能です。

noname#191617
質問者

お礼

天才もやはり努力が必要なんですね。

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  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.2

未確認情報ですが、生まれた直ぐ後に「天上天下唯我独尊」と言った釈迦牟尼以外の人間は、生まれた段階では、言葉を話せません。 段階A 誕生時の言語能力のない段階 段階B 天才とまわりから認知される段階 段階Aから段階Bになる時間的経緯の中で言語能力を含めた学習の段階が必要

noname#191617
質問者

お礼

回答ありがとうございます。

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