面白い設問ですね。
朝鮮がどの程度大陸から離れていたかによるとおもいますが、いずれにしても日本と朝鮮島はひとつの文化圏で現代ならほぼ間違いなく同じ国家だったでしょう。
大陸からの距離が60キロ程度、つまりイギリスのフランスのドーバー程度しか離れていなかった場合、画像でみるかぎり、大陸側に向いた海岸線が長いので大陸の影響をまったく無視することは難しかったでしょう。
つまりイギリスに古代ローマ群が侵入してロンドンができたように、元寇などの影響をうけイギリスのハドリアーヌスの長城のように、同じ国家でありながらイングランド・スコットランド・ウエールズ・アイルランドと連合した州(実際には国)であるように、朝鮮・関西・関東・北海道と大きなくくりと民族的な違いが強調されるような国になっていたかもしれません。
逆に大陸からの距離が100キロ以上あり、交通が困難であれば現在の日本に近い形で朝鮮と日本列島がひとつの国家で存在したと思います。
しかし、大和の成立過程は相当に違いがあり、初期農業の形体からいえば稲作に有利で人口が多いであろう九州が有力であり、そこに大陸から渡ってきた新技術をもつ朝鮮の一族(たとえば高麗など)がどのように関わるかで、島国のあり方がまったく違ったものになるでしょう。
しかし、統一国家ができるとすると、最初の首都は朝鮮島ににらみが利く博多あたりか、逆に日本列島ににらみがきくプサンあたりになるではないでしょうか。そしてこの古都を舞台にして現代までの歴史は相当に違う様相になると思います。