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巧言令色鮮し仁とコミュニケーションと、
- 巧言令色鮮し仁とコミュニケーションについて悩んでいます。寡黙でコツコツ取り組むことが良いとされていますが、コミュニケーション能力も大事です。個人の性格や環境によっても異なりますが、両方のバランスが重要なのではないでしょうか?
- コミュニケーション能力と寡黙さのバランスについて悩んでいます。アスペルガーなどのコミュニケーション障害も注目されていますが、一方で寡黙で真面目な人も求められます。個人によって異なるため、どちらが大切かは状況によるのではないでしょうか?
- コミュニケーション能力と寡黙さについて悩んでいます。儒教の教えでは寡黙で従順な人間が良いとされますが、現代社会ではコミュニケーション能力も求められることがあります。個人の性格や環境によって異なるため、バランスを考える必要があります。
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質問者が選んだベストアンサー
まず、「絶対に、どんな場合でも誰でも、これが正解」なんてモノはありません。 何事にも「程良いレベル」がありますし、その人の価値観や立場の違いで求められるものは変わります。 その前提の上でですが、私の感覚で見ると、質問者さまの前提に少しずつ齟齬があるように感じます。 その結果、気にしないでよいことに悩んでしまわれたり、比較すべきでないことを比較してしまわれているように思います。 まず、単純作業中の無駄口ですね。 これは、許容されるかどうかは非常に個人差がある話になると思います。 と言うのが、「ながら作業」ができるかどうかが人によって違うからです。 一般的な単純作業では、使うのは目と手ですよね。口と耳は使わない場合が多いと思います。 この時、音楽を聞き流しながら、軽いおしゃべりをしながら、そうする方が疲れなくて効率が上がるタイプと、気が散ってしまってミスが増えるタイプの人がいるようです。 前者の人は、作業をスムーズに進めている限り「無駄口」に神経をとがらせません。 後者の人は、「無駄口」は害であると考えます。 実際には、その人によって違うのですから、ミスが多くなかったか、ペースが遅くなっていないか、周囲に迷惑になっていないか、総合判断をすべきなのですが、「無駄口はダメ」と信じ込んでいる人が管理者だと、闇雲に禁止する傾向があります。 ご質問を拝見しただけでは、質問者さまの「談笑」がどの程度だったのか分かりません。 ただ、質問者さまが「真面目に取り組んだ」かどうかとは別に、精度、スピード、周囲への影響はどうだったかは振り返ってみてはいかがでしょうか。 周囲に何の影響もなくて叱責している人に皆がうんざりってこともありえますし、質問者さまは問題なくても周囲の方に負担になっていたというのもありえますし、質問者さまとは違う方が叱責対象であったということもありえます。 次に儒教の教え、特にタイトルに書いておられる「巧言令色鮮し仁」ですが、これは喋りが多い人間はダメというわけではないでしょう。 「巧みな言葉を用い、表情を取り繕って気にいられようとする人間には、相手に対する本当の愛情は滅多にない」という意味です。 「沈黙は金、雄弁は銀」という言葉もありますが、どちらも口先だけの能弁や機嫌取りを戒めるものであって、他者との挨拶やコミュニケーションを否定しているものではありません。 そして「コミュニケーション」でよく誤解されているのが、多弁=コミュニケーション能力ではないということです。 コミュニケーション能力とは、相手の感情や意志をいかに上手く汲み取るか、そして自分の感情や意志を上手く相手に伝えることができるか、その技術やレベルです。 アスペルガーの人がコミュニケーション力に欠けるとされるのは、喋れないからではありません。 相手が何を知っていて何を知らないかが分からない、言葉以外での相手の感情を読み取れない特性にあります。 最後に、コミュニケーション下手の人が萌えの対象になるかですが、 人の好みは色々ですから、相手によってはなるのでしょうね。 お喋りな人は、自分と同じように喋る人より黙って聞いてくれる人が好き、というのもあるでしょう。 逆に喋ることが好きではない人が、同じように無口な人の方が楽ってこともあるでしょう。 自分の思う通りに物事を進めたい人なら、黙って従ってくれる人が好きでしょう。 俗に言われる「破れ鍋に綴蓋」ってことです。
お礼
ありがとう、ございます。 中々、職場と言うのは、難しいですよね。 諺?とアスペルガーについても、解説をありがとう、ございます。