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ロシア革命で外債支払い拒否
ロシア革命でレーニンが帝政時代のロシアが フランスなどから借りた外債の支払いを拒否しますが、 これはその後、どうなったのでしょうか? WW1終結、シベリア出兵終了などとのからみが、 いまいちよくわかりません。
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国債のデフォルト、いわゆるソブリンリスクの問題ですね。 近代史上、国債元利支払い完全拒否が実現したのは、フランス革命とロシア革命の2度だけです。革命で前政権を倒した新政府が過去の借金を否定するのはよくあることですが、当然ながらそれで納得する貸主はなく、払わなければ承認しないぞとか、新しい借款を拒否するとか、考え付くあらゆる手段を使って取り戻す算段をします。 新政府が、経済的にも軍事的にもよほど強力でなければ、こうした他国の干渉を跳ね返すことは難しい。革命後のフランスとソ連だけが支払い拒否を貫徹できた理由です。もちろん、政権がつぶれれば取り戻せると信じて反革命を続けた人たちも少なくありませんでした。しかし、ナポレオンやスターリン相手では通用しなかったというべきでしょう。 なお、第1次大戦後のドイツも、賠償金の支払いができませんでした。猛烈なインフレが起こって、貨幣価値がどん底に落ちたわけです。これでは返せと言えず、逆にナチスが政権につきました。この教訓で、第2次世界大戦では賠償金は実質的に亡くなりました。
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回答ありがとうございます。 国家によるデフォルトはWW2後もわりとありますが、 ロシア革命は同時に国内で資本家階級を打倒したのが まさに「革命的」であるゆえんですね。 世界のデフォルト経験国家一覧表(第二次大戦以降) http://www.world401.com/saiken/default.html 赤軍は議会選で負けるとプロレタリア独裁で議会閉鎖、 白軍との内戦、列強による対ソ干渉戦争(シベリア出兵)を勝ち抜き 共産ソ連を樹立して、いやはや今見ても物凄いですね。 当時の人の震撼は想像するにあまりあります。 ロシアのWW1の賠償は、対独ではブレスト・リトフスク条約で無賠償に、その後のラパロ条約でも確認。 対列強では、対ソ干渉戦争の白軍敗北、シベリア出兵失敗で無しにということですね。