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神がわれわれ

神はまた言われた、「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り、これに海の魚と、空の鳥と、家畜と、地のすべての獣と、地のすべての這うものとを治めさせよう」。 創世記 1-26 神は一人なのに、なぜわれわれと言うのでしょうか。

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回答No.3

 こんにちは。  《尊厳の複数形》っていう用法があるらしいのです。尊厳を表わす場合には 単数の者でも かたちは複数となるというものです。  ▼ ( Wikip:Nosism ) ~~~~~~~~  http://en.wikipedia.org/wiki/Nosism  ( 《 nos (= we )》を次のような場合に実質的に単数であるところの主体・主格形に用いるという)。  1.The royal "we" or Majestic plural(尊厳を示すため)  2.The editorial "we"(編集者の立ち場から)  3.The author's "we" or pluralis modestiae(著者として)  4.The patronizing "we" (相手との親近感をかもすため)  5.The non-confrontative "we"(相手と一体であるわれとして)  ▼ (〃:Royal we) ~~~~~~~~~~~  http://en.wikipedia.org/wiki/Majestic_plural  § Non-Western usage   (聖書での用例)Several prominent epithets of the Bible describe the Jewish God in plural terms: Elohim, Adonai, and El Shaddai.   Some scholars take these names to represent an early stage in Jewish religion when God was still seen as a council or family of deities   (ふるくは 神々の一家族もしくはひとつの合議体として神が捉えられたのではないかと言う);   others note that the present Biblical text always employs grammatically singular verb forms and argue that they represent a majestic plural.   (ところが 名詞は――エローヒームなら男性複数の‐イーム形として――複数形を採っているが その動詞の活用形では 単数であるといった用例(*)から考えるに 複数形は 《尊厳の複数形》として用いられているのではないかと言う)。  ▼ (〃:Pluralis excellentiae ) ~~~~~  http://en.wikipedia.org/wiki/Pluralis_excellentiae  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~    * 神は 名詞として複数形であり それを承ける動詞は 単数形である例:  ▲ (Genesis 1:1) ~~~~~~~~~~~~~~~   http://www.blueletterbible.org/Bible.cfm?b=Gen&c=1&t=KJV#s=t_conc_1001   בְּרֵאשִׁית בָּרָא אֱלֹהִים אֵת הַשָּׁמַיִם וְאֵת הָאָֽרֶץ׃  △ (KJV):In the beginning God created the heaven and the earth.  △ (新共同訳):初めに、神は天地を創造された。  ・ God אֱלֹהִים 'elohiym : エローヒーム:複数形(単数は エローハ)  ・created בָּרָא bara' : バーラー:三人称・単数形(複数だと バーラーウー)  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

magnus4
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 尊厳の複数形というのははじめて知りました。 私は日本語訳と英訳しか読まなかったのですが、原語にあたると動詞の単数・複数の違いなどで見えてくるものがあるのですね。

その他の回答 (6)

  • kagakusuki
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回答No.7

>記述者が誰であれ、唯一神教であることを強く意識して編集したと思われます。であれば、 >>複数の神々が存在している事を示す記述が紛れ込んでしまった >というのは考え辛い、そういう点は意識して訂正しながら編集したと考える方が自然ではないかと思うのですがいかがでしょうか。  これはあくまで個人的な考えに過ぎない話でしか御座いませんが、神の実在を心から信じている訳ではない現代人とは異なり、古代の信仰心の厚い人々にとっては、神にまつわる物語は神聖なものであったのですから、自分達の都合に合わないからと言って、改変する事など出来なかったのかも知れません。  ましてや、問題の箇所は「神が仰った御言葉」なのですから、それを恣意的に歪める事など、余りにも畏れ多過い不遜極まりない行いと見做されて、到底出来る筈も無かったのではないでしょうか。  それに、ユダヤ教と、そこから派生した宗教において「神は唯1柱のみである」とされているのはモーセの十戒に刻まれていた戒律によるものであり、この戒律は、シナイ山においてモーセが神から十戒の刻まれた石板を賜って来る事によって、神とイスラエルの民との間に「ヤハゥエ或いはエホバという名の唯1柱の神のみを神とする」という契約が交わされた事によって初めて成立したものなのですから、それよりも前の時代の事に関して記述している箇所においては、ユダヤ教の唯一神以外の存在を神と呼んでいたとしても問題は無い様な気も致します。 【参考URL】  Wikisource > Wikisource:宗教 > 口語旧約聖書 > 出エジプト記(口語訳) > 20.3 20:3   http://ja.wikisource.org/wiki/%E5%87%BA%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88%E8%A8%98(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)#20:3  後、回答No.4とは又別な話なのですが、「われわれ」と仰っておられはするものの、別にその全てが神である事を意味しているとは限りませんから、その場には神の他にも「(神ではない)神の協力者」(例えば天使たち等)が存在していて、神はその協力者達に対して呼びかけておられるのだとしている説もある様です。 【参考URL】  日本ヘブライ文化協会 > サイトマップ > ユダヤ教聖書注解 > 創世記1章26節   http://www.h3.dion.ne.jp/~ivrit/jewish%20commentary.htm#創世記1章26節

magnus4
質問者

お礼

神の御言葉は恐れ多くて変更できないという考え方は非常に参考になりました。 わたしもNo4の補足に意見を書いたあとで、自分の意見に疑問を持ったのです。 当時の知識者が意図的に編集したにしては、神がわれわれと言う以外にも矛盾が多いのではないかと。(人間の創造が2度出たり、神の呼び名が不統一だったり) 神聖な言葉をみだりにいじれなかったと考えれば納得できます。 それにしても、リンク先は私の質問がそのまんま出ていますね。 私の疑問など、800年も前の人がとっくに解釈していた、まあ当たり前のことかもしれません。

回答No.6

 No.5です。  リンクを忘れました。  http://www.blueletterbible.org/Bible.cfm?b=Gen&c=1&t=KJV#s=t_conc_1026

magnus4
質問者

お礼

こんなサイトをご存じということに脱帽です。 私にはヘブライ語まで勉強するガッツはありません。

回答No.5

 No.3です。  ご指摘のくだりについて できるかぎり説明します。  ▼ (Gen.1:26) ~~~~~~~~~~~~~   וַיֹּאמֶר אֱלֹהִים נַֽעֲשֶׂה אָדָם בְּצַלְמֵנוּ כִּדְמוּתֵנוּ וְיִרְדּוּ בִדְגַת הַיָּם וּבְעֹוף הַשָּׁמַיִם וּבַבְּהֵמָה וּבְכָל־הָאָרֶץ וּבְכָל־הָרֶמֶשׂ הָֽרֹמֵשׂ עַל־הָאָֽרֶץ׃  ▼ (KJV Gen 1:26 ) ~~~~~~~~~~~~~   And God said, Let us make man in our image, after our likeness:   ・ God: Elohim = 複数 ( -im )   ・ said: y-omer = 三人称・単数 ( y-・・・-φ )   ・ Let us make : na-'aseh = 一人称・複数 ( na- )   ・ in our image : be-tsalma-nu =一人称・複数 ( -nu )   ・ after our likeness : ki-demutha-nu =一人称・複数 ( -nu )  and let them have dominion over the fish of the sea, and over the fowl of the air, and over the cattle, and over all the earth, and over every creeping thing that creepeth upon the earth.  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

magnus4
質問者

お礼

ご丁寧にありがとうございます。

  • kagakusuki
  • ベストアンサー率51% (2610/5101)
回答No.4

 キリスト教やイスラム教はユダヤ教を基にして派生した宗教である事は御存じであるかと思います。 【参考URL】  ユダヤ教 - Wikipedia   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%80%E3%83%A4%E6%95%99 >神は一人なのに、なぜわれわれと言うのでしょうか。  聖書のその部分は、「神は1柱のみである」という考えを持つユダヤ教が成立する前に作られた話を基に、引用された話であるからだと思います。  旧聖書は原典の異なる複数(5つ)の物語を基に、それらを継接ぎして編集されたものだと考えられています。(編集者はモーセであるとする説もあります) 【参考URL】  文書仮説 - Wikipedia   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E6%9B%B8%E4%BB%AE%E8%AA%AC  創世記の天地創造の辺りは、主にJ資料(ヤーヴェ資料)とP資料(祭司資料)という2つの原典から引用されたと考えられています。  これらの資料はユダヤ教が成立する以前から存在していた他の宗教の神話などが基となっていると考えられています。  御質問の箇所はP資料から引用された箇所であると考えられており、P資料はゾロアスター教と思われる(ユダヤ教以外の)他の宗教の神話を基にして、新たに創作された話である可能性があります。 【参考URL】  普仙寺 > 住職の研究 > エホバの聖人と進化論 > 第4章・「エホバの証人」と進化論・前編   http://www2s.biglobe.ne.jp/~fusenji/kenkyu/ehoba/ehoba_4_4_1.htm  バビロンからの多大な影響   http://www.geocities.co.jp/Bookend-Soseki/8769/kagaku/babiron.htm  処で、一神教とは、特定の一神を礼拝の対象とする宗教の事であり、唯一神教(「神は1柱しか存在しない」とする宗教)ではなくとも、一神教とされる宗教は存在します。  例えば、多数の神々が存在している宗教であっても、崇拝の対象となっているのが特定の1柱の神のみである場合には、一神教であるという事になります。 【参考URL】  一神教 - Wikipedia   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E7%A5%9E%E6%95%99  唯一神教 - Wikipedia   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%AF%E4%B8%80%E7%A5%9E%E6%95%99  先述のゾロアスター教は起源が古く、光の神であるアフラ・マズダーを主な崇拝対象としているため、「世界最古の一神教」と呼ばれる事もあります。 【参考URL】  ゾロアスター教 - Wikipedia   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BE%E3%83%AD%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E6%95%99  但し、ゾロアスター教にはアフラ・マズダー以外の神々も存在していますので、唯一神教ではない種類の一神教という事になります。  ユダヤ教における唯一神教の概念は、ゾロアスター教(もしかしますと、他の宗教も混じっている可能性もあるかも知れません)における一神教の考え方を基にして、その「主神のみを崇拝する」という考え方を更に発展させて、「神は主神しか存在しない」とする事で生まれたと考えられています。  その様にして、ユダヤ教が形作られて行く際に、基となったゾロアスター教の物語の中の一部が流用される事で、複数の神々が存在している事を示す記述が紛れ込んでしまったのではないかと思います。

magnus4
質問者

お礼

神がわれわれと言うのは、尊厳の複数形であると考えるのが一番ややこしくないと思いました。

magnus4
質問者

補足

ご回答ありがとうございます。 創世記が唯一神教以前の話を引用したという事実は大変参考になりました。 しかし未だ疑問があります。 文書仮説のリンク先にこのような記述があります。 >バビロニアの神話に対抗する形で、自分たちの信仰書を作り出し… >『創世記』は、素朴な伝承・神話などではなく、当時の知識階層が執筆した宗教書(表現形態は物語ではあるが神学書)である… すなわち、記述者が誰であれ、唯一神教であることを強く意識して編集したと思われます。であれば、 >複数の神々が存在している事を示す記述が紛れ込んでしまった というのは考え辛い、そういう点は意識して訂正しながら編集したと考える方が自然ではないかと思うのですがいかがでしょうか。

  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)
回答No.2

>神は一人なのに、なぜわれわれと言うのでしょうか。 ○疑問を持てることは良いことですね。あなたの質問は、言葉に矛盾があるということですが、一人は単数なのになぜ複数かという疑問ですね。どちらかが間違っているということですね。質問の意図はどちらが間違っているのかでしょうね。この答えの間違いは単数の方ですね。人間が神と呼ぶのは複数が正しいのです。日本では八百万の神と呼びますがこの方が世界的に正しい呼び方ですね。西洋のの呼び方は単一化しようとして生じる矛盾ですね。 さて、本題に戻って、地球人類の創造には複数の神が介在しているという意味なのです。これは同一時期という意味ではなく時間経過を含んでいるという意味においてです。聖書の記述はわずか数千年ほどのものですから、はるかに長い時間経過がいっしょくたんになっているのですね。 地球には一番古い、一番偉い神がいます。その神の呼び名を特別に「Almighty God]と呼びます。その他の神は単に「God]と呼んでいます。最初の地球人類の創造は「Almighty God]によりなされたのですが、後から来た神によって造られり、他の星より地球人になることを許可された人類もあるということなのです。それが、「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り」という表現になっているのです。 人類といえども皮膚の色も違えば、大きさ、性質、考え方も微妙に違いますね。この違いは、単なる環境の違いで生まれたものではないのですね。地球はそのような多様な魂が修行する場所なんですね。 正しい認識で聖書を読めばおかしなところはたくさんあります。矛盾を納得せず矛盾として捉え、何が正しい事かを考えることが真理への第一歩ですね。まずは智者「Almighty Godの弟子]の回答を信じることですね。あらゆる疑問に対する正しい答えが存在するということは我々が奇跡の時代を生きているということでもあるのですよ。

magnus4
質問者

お礼

矛盾を納得せず矛盾として捉え、何が正しい事かを考えることは大事だと思いますが、真理に近づくとかにはあまり関心がなかったりします。 ご回答ありがとうございました。

magnus4
質問者

補足

ご回答ありがとうございます。いくつが疑問があります。 >人間が神と呼ぶのは複数が正しいのです 該当の箇所は神自身の言葉であり、人間が神を呼ぶ場面ではないのですが、自分のことを複数で呼ぶのはおかしくないでしょうか。 >西洋のの呼び方は単一化しようとして生じる矛盾ですね なぜ西洋の呼び方は単一化しようとするのでしょうか。 >後から来た神によって造られり、他の星より地球人になることを許可された人類もあるということなのです。 聖書にはそのような記述はなかったはずです。聖書の神は自身を「God Almighty」と呼び、他の神は認めていないので、われわれと言うのはおかしいのではないでしょうか。 「Almighty Godの弟子」とはmmkyさんのことでしょうか。

回答No.1

私たちの言葉で話をしておられるのです。 私も、キーボードでチャットをしながら、他の人とスカイプで会話をして、メール送信をしつつ、ニコニコに動画を生放送配信できます。 外から見ると4人の私がいます。 神は、同時に100万人以上と会話することが出来ます。 これを我々と言います。

magnus4
質問者

お礼

よく考えると、 >キーボードでチャットをしながら、他の人とスカイプで会話をして、メール送信をしつつ、ニコニコに動画を生放送配信できます。 というのは結構すごくないですか? ご回答ありがとうございました。

magnus4
質問者

補足

ご回答ありがとうございます。 該当の箇所は創世記でまだ人はおらず、いわば神の独り言なので、私たちの言葉を気遣う必要はないのではないでしょうか。