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彼らは完全であった、彼らは完璧であった

  彼らは完全かつ完璧に漬かっていた。 ブータン、GNH(Gross National Happiness)の国、国民総幸福量の国。 マニ車の国。 真の幸福とは何か。 ブータン的であるべきか、あらざるべきか。 いずれであろーか。  

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回答No.6

#3の者です。 ブータンの道路は、東西に1本通っているメインロードと、そこか ら派生した枝道だけで、国民の主要な部分は、道路から何日も 離れた山奥で、貨幣経済とは隔離されて、自給自足の生活を している。 ブータン人の9割が自給自足の農民だし、残りの1割のお坊さん と軍人、官僚・政治家も、実家は農家で、食料は送ってもらえる。 日本人は一生かかってやっと建てられる自宅も、彼らは農閑期 に互いに古いものから改築し合っている。 #3に添付した画像は、ブータンで僕が2年半過ごした東部の 主要な集落カンルンのメインストリートであるが、そこから職場 への通勤路の様子は下の画像のようで、毎朝、標高差600mを 1時間かけて登っていた(子供達は逆に町の学校に向かって この道を降りて来た)。 先の「メインストリート」にある店舗は、インド製の埃のかぶった 雑貨を売っている雑貨屋が2軒、食堂が1軒あるだけで、皆ん なが農家なので八百屋・米屋がない。 通勤路の周りは畑なので、途中で「この野菜を売って下さい」 と言っても強硬にお金を受け取らず、必ずタダでくれるばかりか、 『この人は食料に困っているのだろう』と考えたのか、家に招い てくれてたびたび食事をごちそうになった。 彼らにとって、お金とは雑貨屋でラジオの電池を買うぐらいの 用途しかなく(衣食住とも自給自足だから)、人と人とのつながり (地域コミュニティの助け合い)の方が「財産」なのだ。 貨幣経済の浸透していない所に暮してみて、「お金」という物が いかに人の意識を歪めるか痛感した。 地方に暮した私にとって、「貧富の格差」とは、田んぼを耕す力 がなく、周りに助けられる事でしかない。 都市部での貧富の格差とは、首都に集まった一部の人、それも インドから流入したネパール系住民の話であろう。 確かに、自給自足経済ゆえに数値上に表れる所得や失業率は、 貨幣経済をベースとした先進国から見ると、貧困であったり格差も 表れよう。 確かに、漏れ聞く今回の政権交代の一因は、就職先が少なくて (自給自足だから)首都のストリートにたむろしている若者の不満 もあっただろうが、基本的に今回の政権交代の原因は、調和党が 国境の安定のためにとった親中国政策を、ブータンの後ろ盾の インド政府が不満に思い、供給しているプロパンガスの値段を 倍に上げたので庶民の不満がつのったため、と聞いている。 もちろん、首都への人口集中による歪みは避けがたく、問題は 生じるであろうが、それはブータンの主要な社会をなしている 自給自足社会=伝統文化=地域コミュニティの助け合いを ベースにした「GNH」政策自体が招いたものではない。 両方に暮してみて、日本人の「私達は豊かになったので、幸せな はずだ」という思い込みが、いかに虚しいものか実感している。 拝金主義に毒されて、ブータンと同じだった労働集約的なジャポ ニカ米稲作農耕文化の協調性が、地域コミュニティの希薄化、 核家族化と共働きによる家庭教育の劣化、学校教育の詰め込み &点取り競争への過度の依存によって自己チュー化し、目先の 損得と周りの人との競合に追われ、決してブータンより幸せとは 言えない。 我々は、豊かさによる幸せを目指して千年、いつから助け合い としての社会の本質を見失い、ギスギスした競合と遊ぶヒマも ないほど働いてやっと得た小さな財産による『幸せに違いない』 という虚構に我慢させられるようになったのか?

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回答No.10

失礼した。 肝心の映像がうまく反映されてなかったため、追補的にこれを載せます。 https://www.youtube.com/watch?v=FzTGEwn0Onw

参考URL:
https://www.youtube.com/watch?v=FzTGEwn0Onw
回答No.9

失礼した。 肝心の映像がうまく反映されてなかったため、追補的にこれを載せます。

回答No.8

>ブータン的であるべきか、あらざるべきか? 当然、あるべき。 彼らは、「彼ら独自の速度での発展」を目指している。 我々、日本人がグローバル化の流れの中で、流されて「高度経済成長」という失態を、招いたのを、ご存知ない?どれだけ多くの大切な物を失ったか? 例えば【物質的に貧しくなろう!】というデモ行進くらい企画すべき。 http://www.nhk.or.jp/jp-prize/2003/jyusyou_07.html

hitonomichi31
質問者

お礼

  宮沢賢治は雨ニモマケズの中でゆーておった。 一日に玄米4合と少しの野菜があればそれで十分であると。 宮沢賢治は偉大である。  

  • kurinal
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回答No.7

人の道様、こんにちは。 おそらく、情報が限られた中での判断は、それなりのものになる、と思います。 「彼らの肯定は、すなわち、我々の否定」そういうパラドックスでしょうか? >「真の幸福とは何か。 ブータン的であるべきか、あらざるべきか。 いずれであろーか。」 ブータン的を思う者も居るし、そうでない者も居る。

noname#194660
noname#194660
回答No.5

ミミズを使った良質の土で有機農業。 電気が普及していないから火を興して料理する。 夜明けとともに活動を始め、日没と共に眠る。 周りは皆、そのように生きていて、それしか知らなかったから幸せだった。 しかし、いつまでも同じではなかった。 都市部と農村部の格差拡大。 都市部の若者の就職率低下。 失業で薬物やアルコール依存する若者。 実は、ブータン国王に国民が騙されていたと気付き始めた。 下院議員選挙の投票が行われ、野党の国民民主党が地滑り的な勝利を収め、 ブータンで初めての政権交代が実現。 インドとの関係が悪化し、燃料費が高騰する懸念。 歳入の4割が外国の援助に頼っている。 このままいくとブータン国家存続危機では?

  • hekiyu
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回答No.4

外国からの援助がなければ、やっていけない国で 何が幸福ですか。 滑稽です。 幸福云々の前に、自立しろといいたい。 半人前の幸福よりも、一人前の不幸を 選びます。

回答No.3

GNHを提唱した国王の下で働き、直属の上司が具体的に GNHを政策に反映し推進した(当時第4州の知事だった) ジグミ・ティンレイ閣下だった私は、何度もGNHについて 彼に質問した。 当時、物質主義に対抗するものとしてGNHを過激に捉えて いた私に対し、閣下は「GNHは物質的な発展に対抗する ものではなく、物質的な発展もプロセスとして、人々の 精神的な充足感の増進を視野において、適切に行う事だ」 とやさしく諭してくれた。 国家予算の半分前後がODAとはいえ、西欧からの援助を (特にボランティアの流入を)抑制し、森林の伐採を制限し、 伝統工法以外の建築の建築確認を下ろさず、自分達で 手織りで作れる民族衣装の着用を義務化するなど、数百 年続いた伝統的生活の急激な変化を抑えています。 ただ、彼らを単純な「平和で温厚な山の民」と考えるのは 間違いで、日本と並んで、モンゴル軍を撃退して国を守っ た歴史を誇っている。 休日の男達の遊びは弓で、その的はゲーム的な同心円 ではなく、高さ1m幅30cmの人間の胴体の大きさの板で、 きわめて実戦的である。 18世紀にイギリスに負けて手を引くまで、「インド平原に 領地があった」と彼らは主張するが、話をよく聞くと、収穫 期になると山から降りて穀物を奪い、子供をさらって下僕 として使役するというもので、要するにブータンは国丸ごと 山賊国家だったのだ(モンゴルが撃退され、イギリスが 苦戦する訳で)。 「貧富の格差」や「第三国人による肉体労働」というのは、 その伝統的な下僕(今はさらって来るのではなく安く雇っ ている)の事であって、ブータンは衣食住自給自足であり、 山また山で耕作が大変とはいえ、土地には余裕があって、 働らけさえすれば貧困にはならない。 そうして寛大に構えて、インドからの不法侵入者の土地 の勝手な開墾を許していたら、そこにネパールで王政 打倒した共産主義者が紛れ込んで、王制打倒運動の テロ活動(銀行の爆破や村長の首を切断)を始めたので、 追い出そうとしたら、あちら側についた白人NGOによって 「ブータンは少数民族を追放し、難民を生み出している」と 世界に宣伝されて、非難された事があった(当時、その 騒乱地域(第1州)で活動していた唯一の日本人が私)。 GNHの本質は、物質主義的な繁栄の追求&経済的な 競争による自転車操業的な、無制限なアクセルをやめ、 生きる目的を心の豊かさ=精神的な充足感の最大化に 置いて、自然や伝統、心の深まりのバランスを取りながら、 持続的で淘汰を伴わない穏やかな発展をする事です。

  • cubetaro
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回答No.2

 ブータンにも近代化の波が押し寄せてきて、貧富の差が出始めています。  3Kの仕事は外国人がやってるなど、純粋に幸福の国かというと…疑問もあるようです。

noname#189765
noname#189765
回答No.1

こんにちは。 百日赤く咲く花はないし、絶対個体も無いらしい。 乱れてしまった瓦、朱色、高見矢倉、 凛として立つ屋上の宝珠。 建立当時には、それは荘厳なるモノであった 事を貧しき想像力で感じます。 幸福とても、同様なのかな~と感じます。 その国全体の数パーセントが幸福を別なモノと 感じる事も無い訳ではないのでは?と思っています。 ブータンの幸福マニアックな国が、完全かつ完璧に 幸福に漬かっていたとしたら、 真の幸福とは何か が理解できないのではないのでしょうか? 今の我々には、ブータン的になれませんし、そうであるべきか を求める心も無いのですから、指をくわえて見るだけでしょう。 あらざるべき、で居るべきでしょう。そして過の国をそっとして 置きたいと感じて居ます。