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労働力の需要の低下について
情報化(コンピュータ)や技術(機械)の発展と共に、(オペレーターとして)少数の優秀な者(企業)さえ居れば文化的な社会が成り立つように見えますが、実際にどうでしょうか? また今後は更にそれが発展し、同時に無能な人間はコンピュータや機械に置き換えられ完全に不要となっていきますか? 同時に無能な人間は社会の必要とされるポジションに延々と付けず、必然的に更に格差が広がりますか? 最終到達地点として、豊かな生活は少数な人間のみで成り立つ故、無能とされる人間は財政問題やエネルギー問題等から邪魔と見做され、生命倫理の大幅な変化(命の価値の低下)が浸透すると思いますか? 今回の無能の定義は先端に位置する者としてニート(生活保護)、要介護者(重度障害者)、犯罪者(死刑囚・終身刑)類から始まっていく者とする。 単純に言えば税収としてマイナスになる方々を指します。 よろしくお願いします。
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少子化の問題に対してはいつも騒ぐのは一部の貧乏子ありや不妊症の人達や高齢者じゃないですか。 子供手当ての時も国民の過半数が反対してた勢いでしたし(現に廃止に追い込まれました) この件に関しての回答のほとんどは 学費を大学まで無料にしろ、子供を2人、3人以上産んだら1000万円国が払え 不妊治療を全額保険適用にしろとか まさしく貧乏人の遠吠えに思います。 だいたい少子化関連にかんしてはほとんどのこれらの回答がつきまといます。 後は独身税をつけろとか いわゆる他人の税金をよこせ、他人の税金をあげろというまさに乞食みたいな不要な人間の遠吠えと 自分は思います。 優秀な人が子孫を残さないのならもうそれはどうにもならない事だと思います。 自分の身近な人も高給取りほどお金や仕事をとっています。 高卒で家事手伝いしてた姉が3人子供産んでます。 しかし、優秀な大学でて大手旅行会社に入った親戚や 銀行員している親戚は30代後半ですが結婚してません。 貧乏人がいう学費を無料にしろ、子供を複数産み落としたら1000万国が払え 不妊治療を無料にしろ なんていうのはまさしく貧乏人の遠吠えだと思います。 子供を作らない必要な人達はお金をつんでも子孫はのこしません。 これはもうどうにもなりません。 この人達に貧乏人のように子供の学費を無料にするから 産んで下さいといっても うまないでしょう、 1000万あげるといっても、これは微妙ですがほとんどうまないでしょう 不妊治療も一緒ですね。 よくいわれた、他人のお金に集らないと経済的に子育てできないなら 他人からしても迷惑ですし、高齢者だけでも社会保障費の負担がすごいので 経済力もない人が子供を産んだら、そちらも社会保障の負担がすごいので 今の倍にふくれあがります。 個人的には量より質を選ぶ派なので お金を持っている人は産んでほしいけど 他人の金に集る奴は産み落とさないで欲しいという思考です。 日本の隣接国が全て反日だとしても EU圏のように核保有の方が人口が多いよりもよほど国防力は高くなるのにね。
自分は数より質派なので アジア圏のような大量の人口がいる国より オセアニア圏や北米、欧州圏のようにあまり多くない人口と ほとんどの国民が国益を担うパターンの方がよいですね。 だって日本で年金や保険が高いのもあなたがいう無能な人間達(非労働力者)が 多いからです。 だって自分なんて毎月保険税を2万以上? とられてるけど 医者にかかるのは年に1,2度、保険使う額は数千円ですよ 年に25,6万も社会保険料払わされて 保険つかってるのはたった数千円。 それでも保険って赤字でしょ。 それは社会にでてない奴が大量にいるからだと思うんですよね。 個人的にはせっかく人口減少社会に入ったのだから 5000万ぐらいの適度な人口で成り立つ社会システムを構築していくべきだと思うんだよね。
補足
>自分は数より質派なので 間違いなくその流れは突き進むと思います。数だけ多くてもそれは機械や計算機で置き換え可能だからです。 >それでも保険って赤字でしょ。 >それは社会にでてない奴が大量にいるからだと思うんですよね。 実際に長寿は歓迎されない時代に着実に浸透しつつありますし、それはつまり生命倫理の変化(命の価値の低下)が発生しつつあるという事ですよね。 現在はニートや要介護老人等を始めとする明白な無能な人間達の存在意義が疑問視され始めてますが、効率化、合理化が行き着く先は、不要となって席から溢れた平均的労働者、少なくとも中の下程度にも達するのでは無いか?と感じます。 また現在既に存在価値が無いと見做されるニートや要介護老人等の問題をどうするのか?という疑問もあります。いくら不要だと判断しても生きている以上誰かが面倒を見ないといけません。面倒を見なければ日本はスラム化します。どうするのでしょうか?安楽死施設を導入でもするのでしょうか? >個人的にはせっかく人口減少社会に入ったのだから >5000万ぐらいの適度な人口で成り立つ社会システムを構築していくべきだと思うんだよね。 この感覚は激しく同意します。例えば何故少子化対策等をするのかが全く分からない。 少子化対策というのは即ち無能な人間が安心して増やせる為の政策と言えます。優秀であれば少子化対策なんてする必要はありません。そんなものに頼らなくても十分に経済力がありますから。 そして無能な人間を増やしてどうしたいのか?です。そんな者の労働力は必要ありませんから、働く席がありません。国にとっては負債を意図的に増やしてるだけにしかなりません。それでどうするのか? 医療保険制度を整える事もそうです。医療の発展はこれ以上必要ありません。 正確に言うと優秀な人間にとっては必要あるのでしょうが、無能がその発展の恩恵を安価で受けれるようにしてしまうと、無能が無駄に長生きしてしまい、やはりお荷物が増えると思います。 まとめるとやはりこれからの流れとしては労働力の需要の低下と共に命の価値も低下するのが避けられない現実としてあると見て良いのでしょうか? そしてそれが完全に最下層の人間に完全に到達した時、その者達を実際にどうするのか?そして合理化の追求によりその範囲が更に拡がって行くのか?疑問です。
- hekiyu
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"情報化(コンピュータ)や技術(機械)の発展と共に、(オペレーターとして) 少数の優秀な者(企業)さえ居れば文化的な社会が成り立つように見えますが、 実際にどうでしょうか?" ↑ 文化的な社会が成り立つためには、まず秩序が 保たれていることが必要です。 秩序を保つには、質問者さんのいうところの 多数の無能者が要になります。 少数の有能者だけでは無理でしょう。 次に、文化的な社会といえるためには、 物的な豊かさが必要となります。 少数者が稼いで、多数者に再分配する という方式は無理ではないですか。 ”同時に無能な人間はコンピュータや機械に置き換えられ完全に不要となっていきますか?” ↑ 英国の産業革命の時にも同じことが言われました。 また、近年ではロボット生産世界一の日本では 労働者の失業が増えると言われました。 結果はどうだってでしょうか。 産業革命により新たな職業が出て、人手不足に なりましたし、 日本の失業率は世界でも最低レベルです。 遠い未来ならともかく、人間労働が完全に不要に なるということは無いと思われます。 ”同時に無能な人間は社会の必要とされるポジションに延々と付けず、 必然的に更に格差が広がりますか?” ↑ 何もしなければ、格差は広がると思います。 英国の産業革命を契機として、格差が極端にまで 拡大したために、社会主義が出て来たのです。 ”最終到達地点として、豊かな生活は少数な人間のみで成り立つ故、 無能とされる人間は財政問題やエネルギー問題等から邪魔と見做され、 生命倫理の大幅な変化(命の価値の低下)が浸透すると思いますか?” ↑ だから社会主義に移行せねばならぬという主張が なされました。 これに慌てた資本主義は、労働者保護などを図る ようになり、修正資本主義に進化しました。 社会主義は、この修正資本主義に負けたわけです。
補足
>秩序を保つには、質問者さんのいうところの多数の無能者が要になります。 文化的って言葉はちょっと曖昧ですね。すみません。 一応、オートメーション化が行き着く先は少数の有能者(オペレーター)のみでも今のような衣食住に困らずに、それなりに快適な生活が遅れるとします。 するとわざわざ無能な者を優秀な者は雇う必要はありませんよね?寧ろ無能な分際で資源を消費する厄介な存在として見做しませんか?現にニートはそのように見做されますよね? そうして格差が広がって行くと思います。それで「秩序」について何ですが、無能な人間はスラム化の原因にしかなり得ませんか? 秩序を保つ為には無能な人間は処分した方が良いという発想が優秀な者達の間で出て来ると思いませんか? 昔とは違い機械や計算機に置き換え可能な為、搾取対象としての労働力として不要ですからね。 >英国の産業革命の時にも同じことが言われました。 >新たな職業が出て、人手不足になりましたし 「ラッダイト運動」でしたっけ?確かに存じておりますが、しかし当時の産業革命はまだまだ「人出」が必要な範囲のオートメーション化だと思いますし、新たな職業とやらがオートメーション化以上に出てきたという事でしょう。 これからはどうでしょう?効率化が進みすぎて資本主義の限界に達してるような気がします。 実際に「これからの働き方」というテーマで様々な講義を受けた事はありますが、どれも抽象的で迷いがある内容ばかりでした。 どこもテーマは「クリエイティブ」です。つまり無能は実態無き名目サービスや芸術的な分野くらいしか仕事が無いのでは? そのような内容を仕事として成立可能なのは極一部だと思いますし、ほとんどは淘汰されるでしょう。恐らく95%程の人にとって現実的では無いと思います。 >何もしなければ、格差は広がると思います。 「最先端」のみしか需要の無い技術開発やIT効率化に携われるごく一部の優秀な者を除く、無能な人間にとってそのする内容が非現実的な「クリエイティブ」な分野のみしか残されてないのでは? >社会主義は、この修正資本主義に負けたわけです。 これだけ財政危機に追われている以上、修正資本主義はオートメーション化に追い付けない事を証明してるのではないでしょうか? 他の国の事はよく知りませんが、多分似たようなもんじゃないですかね? まとめると仰る範囲では歴史を繰り返すのみでこれまで通りと何も変わらないという意見には賛同しかねます。 何が質問したいのか?それは自分の考えに対し、これまでの歴史通りと何も変わらないという明白な理由があるか?という事、 無い場合、この先「最先端」の技術開発やIT効率化に携われる一部の優秀な者を除く、無能な人間はどのような生活を送るのか?という事に続き、 結果生命倫理の大幅な変化が浸透した時、無能な人間はどのように扱われるのか?という事です。
- key00001
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根本的に、技術革新などを勘違いしている様です。 日本で言えば、明治維新で産業革命と言う技術革新の恩恵を受け入れた日本が、どうなったか?を考えてみれば簡単な話ですが、邪馬台国の頃から江戸時代末まで2千年強の歳月で、4千万人弱にまでしか到達しなかった人口が、わずか200年で3倍にも増加したのですよ。 技術革新でもIT革命でも、沢山の人が豊かに生きられるのなら、社会で利用されますが、無能な人間が切り捨てにされる様な技術なら、技術の方が切り捨てられるだけのことですよ。 一方、技術革新などを取り入れても幸福にならないとすれば、それは技術革新による富の分配に問題があると言うことです。 すなわち、為政者などの分配が不公平であるなど、人間の問題にほかなりません。
補足
>産業革命 確かに類似性はありますが、内容からして産業革命時代にオートメーションという属性はほとんど無かったのでは無いでしょうか? 質問文に入れてなくてすみません。しかしこの「オートメーション化」が最も重要な部分だと思います。 つまり産業革命時代は人数がそのまま力になる時代であった。バカでも役割はいくらでもあったと思います。 また自動車や電子レンジや冷蔵庫や空調機と言った画期的な技術が次々と生まれ、それらの需要も半端無かったでしょうから、経済も発展したと思います。 しかし現在はどうでしょうか、単純労働は機械や計算機が人間の代わりにやってくれます。実際に人が関与するべき所は減っていませんか? また自動車を始めとする画期的な技術革新はもう無いように見えます。サイエンステクノロジーはさっぱり分かりませんが、今の技術が人間生活において必要な限界位置に到達してるように伺えます。 これからのテクノロジーの発展はエコとオートメーション(効率化)に徹底してませんか?すると無能な人間は必要無くなりませんか? >無能な人間が切り捨てにされる様な技術なら、技術の方が切り捨てられるだけのことですよ。 しかしここまで機械や計算機に依存した生活をしている以上、これらの技術を切り捨てる事はもはやあり得ないと思います。 水・食料・安全(戦争がない)とこれだけ豊かな生活があるにも関わらず、依然として競争しているのが人間の性質ですから、切り捨てるどころか更なる発展(=無能な人間はますます不要に)を目指すと思います。 >技術革新による富の分配に問題があると言うことです。 >為政者などの分配が不公平であるなど、人間の問題にほかなりません。 その通りですが、人間という性質上不可能に近いのでは? 富を集める者程「欲深い」と言えますから、「トリクルダウン理論」は机上の空論にしかならないのではないでしょうか? 例えば考えられる妥当な制度としてベーシックインカムがありますよね。でもこれは少なくとも日本で導入される事はちょっと考えられないような気がします。 何故なら日本は依然として「働かざる者食うべからず」という宗教を持っており、同時に無能な人間は働く場所が無い(今後はますます)という状況ですから。 現在の状態が突き進んだ後の最終到達地点はどのような社会になっていると思いますか?またその時に無能な人間はどのようなポジションに居ると思いますか?
- aokii
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豊かな生活は少数な人間のみで成り立つ故、無能とされる人間は財政問題やエネルギー問題等から邪魔と見做され、生命倫理の大幅な変化(命の価値の低下)が浸透すると思います。
補足
文章が全くそのままですが、流れとしては全て同意って事でしょうか? 実際に無能な人間は社会の必要とされるポジションに延々と付けないとすると、 それらの人間はどのような生活を送るのでしょうか? 同時に命の価値の低下はどの範囲まで浸透するのでしょうか? 例えばニートの積極的安楽死が認められる様になると思われますか?
補足
少子化対策のニーズ層が貧困層に集中している事は現実でしょうが、優秀な人は子孫を残さないという事は実際にはどうなんでしょうか?ちょっと分かりません。 仮に貧困層のみが集中的に増えると、仰る通りより加速的に財政危機に陥り、席の無い無能の貧困化の階層分化が究極まで進み、日本という文明的国家の破壊的結末を迎える日が到来してしまう可能性があるかもしれません。 意図的にその結末を呼び込む事でネズミ講の如くの資本主義をリセットし、同時に必然的発生する高度成長期の再到来が国の目的であるならば、考える物がありますがそこまで及んでいるとは到底思えません。 またねずみ講をリセットしてもグローバル時代の今、国民総無能では海外に喰われるだけの存在にしかならないような気もします。 優秀な子供を育てるという事は才能と共に多大なる資本が必要である事と同時にそれは国の利益を生み出すと思いますが、他人の税金でそれを行うようなやり方では仰る通りプラスどころかマイナスでしょう。 無能の子孫は無能である事は統計的に明らかですし、投資の価値の無い者に金を費やしても結局は機械・計算機で置き換え可能な程度までしか育たないと思えます。それ以前に世の中には教育ではどうにもならないどうしようもないバカ(目の前の事柄の因果関係すら理解出来ない)はうんざりする程見るでしょう。 同じ事が将来性の無い産業に助成金を費やしても金の無駄だと言えると思います。 しかし逆に言えば優秀な者が子孫を残し、高い才能と高度な教育を与える事で初めて労働者として需要のある存在まで辿り着け、同時にその者達だけでやっていける所までオートメーション化が行き着いてしまったのか?とも思います。 それで今回の質問で問題としてるのはバカでは生きていけない時代という事です。自分自身を含めて世の中のほとんどはバカなのが現実です。 バカがクリエイティブな仕事を生み出し食っていく?95%はあり得ません。バカは流されるだけです。同時にバカは誰も雇いません。機械、計算機の方がマシです。 次第にバカの存在価値、生命の価値も無い者と見做されます。その時バカはどうなるんでしょうか。