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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:日本が朝鮮統治する以前の、朝鮮の対日本意識は?)

日本が朝鮮統治する以前の朝鮮の対日本意識は?

このQ&Aのポイント
  • 古代から一応色々接触があったし、秀吉の朝鮮侵略などもありましたけど、日本を同等と思っていたのか、それとも、極東の島国として下に見ていたのか、どちらでしょう?
  • 中国は数千年来、アジアの覇者でしたから、中華思想を持ち出すまでもなく当然周囲の国を見下げていたのは想像に難くありません。
  • 現在の反日の強さを見ると、ひょっとして、元々は日本を下に見ていたのかなあなどと想像するのですが、どこかに記録など残っていませんか?

質問者が選んだベストアンサー

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  • tyr134
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回答No.6

昔の人の国家意識というものは,近現代に出来上がった「国民国家」や「民族国家」という概念にどっぷり浸かっている現代人にはなかなか理解するというのが難しいかもしれません。 特にナショナリズムというバイアスが好むと好まざるとに関わらずかかってしまいますから。 なので,こと日本と朝鮮との関係となるとどうしても日韓併合前後という近視眼的なものの見方をする人が多くて客観的な情報はなかなか掴みづらいのが現状ですね。(まぁ,歴史に客観的な真実があるかというとそれも難しいんですけど) 参考程度に,簡単に日朝史を考えてみます。 日本と朝鮮とは,古代から交流があり,時に良くなったり悪くなったりを繰り返してきたようです。 例えば,日本書紀には大和朝廷において朝鮮人の技術者が重用されていたのを伺わせる記述が散見されます。 どこの記述だったか忘れたのですが,天皇が新しく挨拶に来た朝鮮系技師に対して,自分は朝鮮王の血を受け継いでいるとかなんとか話すシーンがありました。 天皇家と朝鮮に深い繋がりがあるのは間違い無いでしょうね。 ともあれ,古代においては日本から見ると朝鮮は先進国だったわけで,積極的にその技術を取り入れようという時期があったわけです。 朝鮮といっても,常に一つの国だったわけではなく,幾つかの国に分かれていた時代が長く続いていました。 特に,4~7世紀の三国時代(高句麗・百済・新羅)は日朝関係史においても重要な時期でしょう。 先の日本書紀の話もこの時代のことで,大和朝廷はとくに百済との親交が深かったようです。 また5~7世紀には「任那(にんな)」と呼ばれる大和朝廷の機関が南朝鮮に置かれていたようです。 そして,663年の白村江(はくすきのえ)の戦いでは,百済の援軍として新羅・唐連合軍と戦っています。(結果は百済・倭連合軍の敗北) この時期は,唐が高句麗を滅ぼし朝鮮半島の実権を握ろうとしていた時期でもあります。 百済に肩入れした日本は,唐とも対立を深めることになります。 この辺りの史実から類推するに,朝鮮半島内には親日の人々(主に百済系)も反日の人々(主に新羅系)も居たと思います。 倭国は百済滅亡後は,その難民を受け入れても居ます。 また,百済の王族を重用し百済王(くだらのこにきし)という姓氏が与えられています。 この時期は,日本国内も大きな転換点となりました。 壬申の乱が起こったのもこの時代です。 そして,唐が進軍してくるのではという危機感から,律令制など中国を参考とした国造りが急ピッチで進んでいきます。 また,中国(魏?)から授けられた倭国という称号をすて「日本」というのを国号にしたという学説もあります。 朝鮮に話を戻すと,統一新羅の時代(668~935),高麗(918~1392)の時代を経て李氏朝鮮(1392~1910)と続きます。 統一新羅時代には,新羅側が日本と対等の関係を求めてきましたが,朝廷は認めず朝貢国扱いでした。 その後しばらくは険悪な関係でしたが,後に新羅側が大量の金をもって来日し,それが奈良の大仏作りに使われた事が知られています。 この時期,後の満州にあたる地域に渤海が成立し,国際情勢が変化したことから新羅側が軟化してきたのではと推察されています。 高麗時代は,史料が非常に限られており,よく分かっていない時代です。 それでも,民間交流(交易関係)は活発に行われており,高麗から日本に穀物や高麗にんじん,仏典や書籍,日本からは硫黄や水銀などがやりとりされていたようです。 また,高麗の王族が病にかかった時,日本へ医師の派遣を要請したが断られたという史料も残っているようです。 この事から,日本は高麗より医療が発達した国と見られていたのかもしれません。 逆に,日本は高麗を下の国とみていた感があります。 李氏朝鮮時代に入ると,朝鮮通信使のやりとりが始まります。 李氏朝鮮側の目的として,日本の国情視察があげられます。 農業において水車を使っていることや,銀メッキや紙の製造法,貨幣経済の実態などが報告されています。 これらのことから,日本を先進国として捉え,積極的に技術を学ぼうとしていた姿勢が伺われます。 室町時代に始まった朝鮮通信使は,豊臣秀吉の朝鮮出兵で中断されるものの江戸時代に入ると再開されました。 この再開は江戸幕府側から李氏朝鮮へ,両国の交流の再開を提案したことから始まりました。 当時,「ある人々(それは庶民であるが)は、朝鮮通信使が来たのは臣従の礼を表し、貢物を献上するためで、もしそうしないと将軍は再び彼らに対して戦争を仕掛けたであろうと噂してい」たようです。 ザッと,大まかに日朝関係史をナゾッてみました。 自分の文を読み返してみると,朝鮮側がどう思っていたかというより,日本側がどうみていたかに重点が行ってしまった気がします。 言い訳すると,実は朝鮮史というのはまだまだ分かっていない点が多く,特に朝鮮人の暮らしなんかはまだまだ謎だらけです。 というのも,朝鮮史研究は日本がもっとも進んでおり,勢い日本側の見方をしてしまいがちになることと,現地調査が難しい(特に北朝鮮なんかは)ので研究に限界があることなどの状況が原因かと思います。 長文乱文失礼しました。 参考になれば幸いです。

0123gokudo
質問者

お礼

公平な見方による回答、誠にありがとうございます。 >昔の人の国家意識というものは,近現代に出来上がった「国民国家」や「民族国家」という概念にどっぷり浸かっている現代人にはなかなか理解するというのが難しいかもしれません。 特にナショナリズムというバイアスが好むと好まざるとに関わらずかかってしまいますから。 私もこの点を見落としていました。やっぱり近代以前の人の国家意識というのは、現代の我々のものとは相当違うんでしょうね。どういう意識なのか知ってみたいです。 別の回答者などは、正にこの愚を犯しているんですね。 でも、物事を出来るだけ客観的に見ようとしながら、私も無意識に犯していたようです。 でも、他国に対する意識というのは、なかなか単純なものではありませんね。 例えばアメリカに対するフランス人ですが、本当はアメリカが自分の国より上であると認めているから、口惜しくてその裏返しでアメリカを見下すのでしょうね。 朝鮮通信使の言葉として、以下の一節が紹介されていました。 >この犬のような倭人を全て掃討したい。この土地を朝鮮の領土にして、朝鮮王の徳で礼節の国にしたい。 貴方の記述によると >これらのことから,日本を先進国として捉え,積極的に技術を学ぼうとしていた姿勢が伺われます。 先進国として捉えているから見上げている、とは意識に関しては言えないようですね。 先進国と捉えているのに、それでも日本を見下げたい欲望があったのでしょうか? 先の回答者の提出資料が本物であると仮定すれば、そうなるんでしょうか? 非常に参考になりました。ありがとうございました。

その他の回答 (5)

  • jagd4
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回答No.5

No3です。 私の回答へのお礼と返信についてですが、 >わざわざ、「回答にかこつけて中国韓国批判はお断り」と断ってるのに延々と韓国朝鮮批判をしましたね。 私の回答は、当時の朝鮮人の思想とその根拠や、朝鮮人の言動に関する【事実】や【資料】を述べたものだと思いますが、 それらが、(延々と)【回答にかこつけた中国韓国批判】というのはどのような根拠によるものでしょうか。 (動画についても、「外国人の視点」からみた朝鮮の実態であり、批判には当たらないと思います。) >世界中、人間ってのは同じようなもんです。 >それ自体は中国も事情は同じです。 >しかし、これで持って韓国や中国は非難するのは早計です。 同じようなもん だから何なのでしょうか。事情とは何についてでしょうか。 ↑の前にも、わけのわからない理屈を並べていますが、 私には、「見下げていた人間に追い越されて異常な敵対心が出ること」が、まともな人間の考える事かどうかは知りません。 しかし、それに対して、敵対心を向けられた者が配慮するべき義務はないとも思っています。 また、客観的に見て「だめだこりゃ」と思う事も差別や批判なのでしょうか。 だとしたら試験などで不合格になる人も差別の被害者だと思います。 質問者様は、どのような理由であっても、妬まれる方に非があるというお考えなのでしょうか。 だとしたら、質問者様は、いきなり通り魔に刺されても「自分に指されるような原因があった」と相手を許すような ごりっぱな思想 をお持ちの方なのだと思います。 >どんなに善政を施したにしても、やっぱり他国を自分のものにするのはよくないと思いますよ。 No3での、朝鮮からの併合要請の資料は丸ごと無視ですか。 一進会の併合要請書についても、日本政府に却下され続けて、4回目にやっと認められたたものですが。 >日本人が朝鮮人を見下し始めたのは併合後のことですか? >江戸時代は見下してないでしょう? 江戸時代ですが、一般庶民には朝鮮という国自体への知識がないので、評価自体ができなかったと思います。 しかし、↓のような【事実】から、通信使の接待で関わった者達からの評判はあまりよくなかったようです。 日本の庶民から見た朝鮮通信使の振る舞い 【東槎録】洪禹載(1682) 屋内の壁に鼻水や唾を吐いたり小便を階段でする。 酒を飲みすぎたり門や柱を掘り出す。 席や屏風を割る。 馬を走らせて死に至らしめる。 【江戸時代を「探検」する】(新潮社)山本博文 供された食事に難癖をつける。 夜具や食器を盗む。 魚なら大きいものを、野菜ならば季節外れのものを要求する。 予定外の行動を希望する。 拒絶した随行の対馬藩の者に唾を吐きかける。 【画図入朝鮮来聘記全】【『朝鮮人来聘記』(淀藩の資料) 寺の中に魚や肉を持ち込んで食い散らかす。 町人の鶏を盗んで逃げようとして日本人と喧嘩になる。 明治時代以降ですが、交流が盛んになって朝鮮人の実態が知られた為に、日本人からの評価が変化したのは仕方が無いと思います。 併合後の統治ですが、可能な限り平等に扱おうと努力はしていました。 しかし、文化や習慣が違う為に、同じ行政自体が不可能だった上に、 江戸時代から識字率も高く公徳心も高かった日本人と、圧政による貧困や歪んだ儒教の影響による身分制度の下で教育も受けられなかった朝鮮人とを同じようには扱えませんでした。 ごりっぱなかんがえの方 はよく誤解しますが、 虐げられていた人=高潔な人格者や、教育を受けられなかった人=純真な善人 とは限りません。 質問者様は、暴力団関係者が隣人だった場合、自分がまだ被害を受けていないという理由だけで、その他の住人と同じようなご近所付き合いをするべきだと考えているのでしょうか。 実際、彼等の民度やモラルは日本人と比較して非常に低く、日本に出稼ぎに来た朝鮮人が日本で多くの問題を起しています。 評価についても、朝鮮戦争時のアメリカ軍に比べれば、まだ日本人の方が優しいくらいです。 中国人などは、そもそも同じ人間として扱ったのが間違い とさえ言っています。(動画も参照)

0123gokudo
質問者

補足

やっぱり来ましたね。 藤原信勝という、貴方にとっては同志とも言えるような学者がいますね。彼がテレビ番組に登場して持論を述べていましたが、自分に都合のいい資料ばかり集めて主張しているという姿勢がありありと出ていたので、回りのコメンテーター達から一斉に批判を浴びました。「貴方も学者なんだったら、もうちょっと客観的に真実を追究するという姿勢を持つべきでは。自分に都合のいい資料ばかり必死に集めているという姿勢が見え々々ですよ」と。私にもその時そう見えましたが、彼もそう言われて、少なくともその時は彼自身もそう感じたのでしょうか、一言も反論せず黙ってしまいました。 私は科学的な考えを好む人間で、モノゴトを可能な限り客観的に見たい人間ですから、貴方のような姿勢を持っている人に接すると、思わず後ずさりしてしまいます。 このことに関し、貴方が自分の姿勢を検証したいと、もし思われるなら格好のサイトを見つけましたので、じっくりと読まれることをお勧めします。http://www5e.biglobe.ne.jp/~occultyo/anti/ruru.htm 私にとって興味があるのは、日本に貴方のような強烈な嫌韓派が存在することです。 我々にとっては、イギリス人もフランス人も余り違わないのですが、彼ら同士は互いに強烈な対抗意識を持っています。 日本人が好きなナポレオンもサッチャー女史は大嫌いでしたね。カナダ人もアメリカに対し強烈な対抗意識を持っています。「俺はアメリカ人じゃないぞ、間違うなよ! カナダ人なんだぞ!」その対抗意識は我々からみると、本当に滑稽にすら見えます。 デンマーク人もスウェーデン人と互いに見下し合っています。アイルランドとイギリスもです。世界を旅行すると本当にどこでもこんな感じです。ニュージーランドには行ってませんが、多分、オーストラリアに対して強烈な対抗意識を持ってるんだろうなあと想像しています。 韓国にも昔、2ヶ月旅行したことがあります。私の旅は可能な限り現地人に接する旅です。韓国人と一緒にマッカリを飲み、泊めてもらい、よく喋りました。南部地域の韓国人は温和で、当時気性の荒くなり始めた日本人が恥ずかしくなるほど、温和で親切でした。気性の荒々しい人には一人も遭遇しませんでした。 そういう実体験があり、ネット時代に入ってからは韓国人のメルト友ともメールを通して色々喋りました。 かなり豊富な韓国人体験がありますから、貴方がそれをここで、一生懸命に否定しても、貴方の姿に藤原信勝さんがダブってしまうのです。 貴方には韓国人の知り合いはいないのですか?もしそうなら、二~三ヶ月一人で韓国をじっくり旅されることをお勧めします。沢山の友達が出来ることになるでしょう。そして、貴方の韓国観が一変することは間違いありません。 要するに貴方は経験不足なんです。まだ、モノゴトの一面しか見ていないのです。 質問者にもそれなりの信念があって質問しているのですから、質問したことだけに答えてくれればいいのに、またまたこんなに長くなってしまいました。 でも、知識欲はある方ですから、貴方の提示された「韓国人の真実」というのも、興味深く読ませていただきました。 願わくは、貴方の豊富な韓国に関する知識を、両国がいさかうために使うのではなく、両国が仲良くなるために使って欲しいですね。折角の知識が勿体ないです。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.4

西郷隆盛の書見に「反日激しい韓国・・」という 記載が残っています。 当時既に反日だった訳です。 つまり、日韓併合以前に反日だったことが窺えます。 また、江戸時代には、将軍の代替わり毎に朝鮮通信使 が来日していましたが、彼らの日記にも、日本を蔑視 した記述が残されています。 (一部抜粋) ・この犬にも等しい輩を、みな悉く掃討し、四百里六十州を朝鮮の国土とし、  朝鮮王の徳を持って、礼節の国にしたいものだ・・・ ・穢れた愚かな血を持つ獣のような人間が・・・ 朝鮮通信使、金仁謙の著書『日東壮遊歌』 元寇は、時の朝鮮王「忠烈王」が渋るモンゴルを説得して 日本を侵略させた、という記録が韓国の文献に残って います。

0123gokudo
質問者

補足

回答ありがとうございます。 ず~っと見下げっ放しだったんですね。 他の方と同じ質問をさせて頂きます。 昔、朝鮮の歴史を読んだことがあるのですが、吉川弘文館発行ですが手許にありません。その中の著述で覚えているのですが、韓国併合当時の日本の公文書の中で、朝鮮人のことを鮮人と呼び、民度が低いだったか、人品が卑しいだったか、とに角その類の鮮人を見下した記述がありました。 日本人が朝鮮人を見下し始めたのは併合後のことですか? 江戸時代は見下してないでしょう?

  • jagd4
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回答No.3

>現在の反日の強さを見ると、ひょっとして、元々は日本を下に見ていたのかなあなどと想像するのですが、どこかに記録など残っていませんか? 戦後の反日は、韓国政府の政策による捏造教育の結果なので、それ以前と一緒には語れません。 >このカテは大丈夫だとは思うのですが、回答にかこつけての中国韓国批判はお断りします。 むしろ、ここでは回答と称した嘘情報で日本を貶める輩が湧いていると思います。 >古代から一応色々接触があったし、秀吉の朝鮮侵略などもありましたけど、日本を同等と思っていたのか、それとも、極東の島国として下に見ていたのか、どちらでしょう? 「いつの時代から」というのが不明なので回答が困難です。 高句麗以前と李氏朝鮮では民族も違うので、同一には扱えません なので、秀吉の朝鮮出兵前後(李氏朝鮮)ということで回答します。 回答:平民と貴族や時代で違うと思います。 貴族:中国様の柵封を受けてない野蛮な国 平民:貴族に搾取され、圧政に苦しんでいたのでそれどころではない。(日本への知識もない) 貴族についてですが、 朝鮮は古代から中国王朝の柵封や支配を受けており、それによって↓の中華思想や小中華思想に染まっていました。 【中華思想】 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E8%8F%AF%E6%80%9D%E6%83%B3 (中国が宇宙の中心であり、その文化・思想が神聖なものであると自負する考え方で、漢民族が古くからもち続けた自民族中心主義の思想であり美称である。漢民族とは異なる周辺の辺境の異民族を文化程度の低い禽獣であるとして卑しむことから華夷思想(かいしそう)とも称す。また夏、華夏、中国とも同義である。) 【小中華思想】 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E4%B8%AD%E8%8F%AF%E6%80%9D%E6%83%B3 (小中華思想(しょうちゅうかしそう)とは主に朝鮮で唱えられた中華思想(華 夷思想)の一変種であり中華文明圏の中にあって、漢族とは異なる政治体制と言語を維持した民族と国家の間で広まった思想。自らを「中国王朝(大中華)と並 び立つもしくは次する文明国で、中華の一役をなすもの(小中華)」と見なそうとする文化的優越主義思想である。この「文化」とは儒教文化のことであり、中華文明への同化の程度によって文化の高低が判断されるものであった。) ↑によれば、「天皇」を名乗り中国の皇帝と同等の地位を主張していた日本は、身のほど知らずな蛮族ということになるので、日本のことを蔑んでいました。 中国も最近までこの関係を当然の事として認めていました。 日清戦争時の清は宣戦布告の文書において、 「朝鮮は我が大清国の属藩として二百余年、貢を歳に修めていることは国の内外で知るところである。」 と記述しています。 しかし、そのような立場を誇る一方で、朝鮮が日本より豊かで進んだ国であったこと一度もありません。(少なくとも百済以降は) そして、その差は江戸時代で既に圧倒的なものになっていました。 「日東壮遊歌」(日本に来た朝鮮の使者に記録)では、↓のように語られています。 【日東壮遊歌】 http://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9D%B1%E5%A3%AE%E9%81%8A%E6%AD%8C%E2%80%95%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%81%A7%E3%81%A4%E3%81%A5%E3%82%8B%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E9%80%9A%E4%BF%A1%E4%BD%BF%E3%81%AE%E8%A8%98%E9%8C%B2-%E6%9D%B1%E6%B4%8B%E6%96%87%E5%BA%AB-%E9%87%91-%E4%BB%81%E8%AC%99/dp/4582806627 「大阪」 100万軒はあると思われる家の全ては「瓦の屋根」だ。凄い。 大阪の富豪の家は「朝鮮の最大の豪邸」の10倍以上の広さで、銅の屋根で、黄金の内装である。この贅沢さは異常だ。 都市の大きさは約40kmもあり、その全てが繁栄している。信じられない。 中国の伝説に出てくる楽園とは、本当は大阪の事だった。 世界に、このように素晴らしい都市が他にあるとは思えない。ソウルの繁華街の10,000倍の発展だ。 北京を見た通訳が通信使にいるが、「北京の繁栄も大阪には負ける」と言っている。 穢れた愚かな血を持つ、獣のような人間が中国の周の時代に、この土地にやってきた。 そして2000年の間、平和に繁栄し、一つの姓(つまり天皇家)を存続させている。 嘆かわしく、恨めしい。 「京都」 街の繁栄では大阪には及ばない。しかし倭王(天皇)が住む都であり、とても贅沢な都市だ。 山の姿は勇壮、川は平野を巡って流れ、肥沃な農地が無限に広がっている。 この豊かな楽園を倭人が所有しているのだ。悔しい。 「帝」や「天皇」を自称し、子や孫にまで伝えられるのだ。悔しい。 この犬のような倭人を全て掃討したい。この土地を朝鮮の領土にして、朝鮮王の徳で礼節の国にしたい。 平民についてですが、 秀吉軍が上陸時の朝鮮の民衆は圧政に苦しんでおり、秀吉軍を解放軍として歓迎・協力しています。 彼らは戦乱に便乗して役所に放火して、借金の証文や戸籍(奴隷の身分記録)を抹消しています。 今の韓国で自称両班出身者が多いのは、彼らが勝手に名乗ったからです。 明治以降ですが、日本が発展する一方で、旧弊を捨てられず内部の権力闘争による失政を繰り返す朝鮮の差は開き続け、彼等の思想と現実とのジレンマは拡大していきます。 その後朝鮮は破綻し、1910年に日本は朝鮮の要請を受け入れて併合しました。 これは侵略でなく、植民地化でもありません。 併合時の施政も公平で差別もなく、善政と呼べるものでした。 (強制連行や「従軍」慰安婦(慰安婦ではない)、創氏改名、食料の収奪は捏造で事実ではありません。) この併合についても、当時の朝鮮人全員が賛成していたわけではないという意見もありますが、 どこの国でも、国民全てが賛成する政策などありません。 当時でさえ平民達は教育を受けられず、世界のことなど全く知らない状態でした。 確かに併合については、韓国内でも、↓のように意見が分かれていました。 賛成派:李完用(総理大臣)を含む閣僚の約半数と、李用九の文明開化派の最大政治組織「一進会」。 反対派:皇帝高宗や両班や儒者達など、併合により既得権益や地位が危うくなる人達。 賛成派の意見は↓のようなものでした。 【韓日合邦を要求する声明書】 日本は日清戦争を通じて韓国を独立させ、日露戦争でロシアに食われかけていた韓国を救ってくれた。 それでも韓国は、これを有り難く思うどころか、あの国にくっつき、この国にくっつきし、結局は外交権を奪われることになったが、これは我々が自ら招いたことである。 丁未条約を締結されることになったのも、やはりハーグ事件を起こした我々に責任がある。 伊藤博文公が韓国国民を見守ってくれ、太子を導いて我々韓国のために御苦労されたことは忘れられない。 にもかかわらずハルビンの事件が起きてしまった以上、今後いかなる危険が到来するのかわからない。これもまた韓国人自らそうしてしまったのである。 ―中略― それゆえ劣等国民として保護されるよりは、いっそ日本と合邦し大帝国を作って世界の一等国民として日本人とまったく同じ待遇をうけながら暮らしてみよう… 1909年12月4日.一進会(百万の朝鮮人会員) 「李完用侯の心事と日韓和合」(朝鮮全権大使 李成玉) 「現在の朝鮮民族の力量をもってすれば、とても独立国家としての体面をもつことはできない。 亡国は必死である。亡国を救う道は併合しかない。 そして併合相手は日本しかない。欧米人は朝鮮人を犬か豚のように思って いるが、日本は違う。 日本は日本流の道徳を振り回して小言を言うのは 気に入らないが、これは朝鮮人を同類視しているからである。 そして、 日本人は朝鮮人を導き、世界人類の文明に参加させてくれる唯一の適任者である。 それ以外に我が朝鮮民族が豚の境涯から脱して、人間としての幸福が受けられる道はない。 日韓併合が問題になるのは、変な話だ。我輩の併合観は欧米人の朝鮮人観を基に考察したのだ。」 「朝鮮民族の発展的解消論序説」(金文輯) 「数千年にわたる過去の朝鮮史、ことに李朝五百年史だけをとりあげてみても、完全な独立の道などは一場の夢に過ぎないことはわが朝鮮自身の常識である。 いわんや最近五十年の国際状況、特に日増しに険悪の度を増すこれからの世界史相を展望するとき、朝鮮(韓国)が微弱なままに一度自立してみようというのは最初から問題にならないのである。 してみると、今我々に残された唯一の道は、肉体的にも精神的にも内地人と同族になって、一切の権利と義務を同一に享受しようとする 皇国臣民の道である」 反対派は併合後上海で亡命政府を自称していますが、世界からは無視されています。 (伊藤博文を暗殺した安重根も、この組織の人間です)

0123gokudo
質問者

お礼

補足とお礼の欄を間違いました。質問があります。 昔、朝鮮の歴史を読んだことがあるのですが、吉川弘文館発行ですが手許にありません。その中の著述で覚えているのですが、韓国併合当時の日本の公文書の中で、朝鮮人のことを鮮人と呼び、民度が低いだったか、人品が卑しいだったか、とに角その類の鮮人を見下した記述がありました。 日本人が朝鮮人を見下し始めたのは併合後のことですか? 江戸時代は見下してないでしょう?

0123gokudo
質問者

補足

回答ありがとうございます。 小中華思想というのがありましたね。うっかり忘れていました。 朝鮮は大陸の一部。やはり、自分たちも大陸に準じる人間と思ったのですね。 要するに、見下げていたということですね。 だから、見下げていた人間に追い越されると我慢がならず、異常な敵対心が出るのです。中国も事情は同じです。 しかし、これで持って韓国や中国は非難するのは早計です。 だって、人間ってそんなもんでしょう。かつては世界の中心であったフランスがアメリカに追い越され、異常なほどの敵愾心をアメリカに向けているのと同じですよ。 アメリカだけでなく、フランス人はイギリス人も嫌いですね。対抗意識を持っています。イギリス人もフランス人が嫌いで見下そうとします。 世界中、人間ってのは同じようなもんです。 わざわざ、「回答にかこつけて中国韓国批判はお断り」と断ってるのに延々と韓国朝鮮批判をしましたね。 私も色々言いたいことはあるけど、一言だけにしときます。 どんなに善政を施したにしても、やっぱり他国を自分のものにするのはよくないと思いますよ。

noname#194996
noname#194996
回答No.2

日韓併合前の500年間を李氏朝鮮は中国の分家という感覚でいました。ともかく朝鮮にとっての中国は輝く世界の中心であり、その中心から離れるほど格が下がり原始的な民族になっていくという思想が彼らには一般的だったので、自国朝鮮よりも遠くにあって中国と親しくもなかった日本などは化外の国、野蕃国と位置づけられて目下に見ていたようです。もっとも、日本はわが道を行く、ということで彼らがそういう見方をしていることを(知ってはいても)別に気にはしていなかったようですね。

0123gokudo
質問者

補足

回答ありがとうございます。なるほど、よく分かりました。 他の方と同じ質問をさせて頂きます。 昔、朝鮮の歴史を読んだことがあるのですが、吉川弘文館発行ですが手許にありません。その中の著述で覚えているのですが、韓国併合当時の日本の公文書の中で、朝鮮人のことを鮮人と呼び、民度が低いだったか、人品が卑しいだったか、とに角その類の鮮人を見下した記述がありました。 日本人が朝鮮人を見下し始めたのは併合後のことですか? 江戸時代は見下してないでしょう?

  • tzd78886
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回答No.1

「元々は日本を下に見ていたのかなあなどと」ではなく、ずっと日本を下に見ているのです。 朝鮮半島は日韓併合までずっと中国の属国でしたから、そうしなければ自分たちのプライドが保てなかったのです。ちょうど江戸時代の日本国内に、平民より下の身分を設けてそれで平民の不満を抑えつけていたのと同じです。 ですから韓国が日本を許すことは絶対にありません。日本が韓国より弱体化しない限り未来永劫続きます。

0123gokudo
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 他の回答者と同じ質問を出させて頂きます。 昔、朝鮮の歴史を読んだことがあるのですが、吉川弘文館発行ですが手許にありません。その中の著述で覚えているのですが、韓国併合当時の日本の公文書の中で、朝鮮人のことを鮮人と呼び、民度が低いだったか、人品が卑しいだったか、とに角その類の鮮人を見下した記述がありました。 日本人が朝鮮人を見下し始めたのは併合後のことですか? 江戸時代は見下してないでしょう?