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1+1>2

  我々凡人にとって人生の目的は1+1>2を証明することにあるのではないか?と思うようになりました。  たとえば一人でいるよりも友達と二人でいた方がずっと楽しい。 例えばサッカーのチームを作ったら11人以上力を出さなければ試合に勝つことは絶対にない。結婚をして暮らせば同じお金でもずっと有意義に使える。子供ができると1+1=3と言うことになる。  我が家は30年前に妻と出会って、二人の子供ができて一人は結婚して子供ができて家族は 妻と子供で3人、子供夫婦が3人合計6人の家族に増えたことになる。これに娘の嫁ぎ先の家族を含めるとどんどん数が増えている。これからだって、下の娘が結婚するだろうし、孫はどんどん増えることになるだろう。そして、そのすべての家族に幸せを願って日々生きていかなければならない。  すなわち人生の目的は1+1>2を証明することにあるのではないだろうか?  それ以外に人生の目的があるのだろうか?諸先輩の皆様のご意見はいかがでしょうか?

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  • hidexkid
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回答No.5

沢山の人がここを読むかもしれないので、敢えて追記させていただきます。 最近結婚しないことは特に流行してはおりません。 結婚相談所の来る30代40代の女性はとても増えていて、男性もしかりです。 ただ、昔と違い結婚しなくても生きていける世の中に変わってきているため、高い理想の相手と結婚するか一人で生きるか、という選択になっています。無論そんな理想をかなえる男性は少ないので結果として独身女性が多いのです。 30歳で今独身である女性は将来結婚している確率は5%です。40歳だと1%以下です。 ゼクシィなど結婚雑誌の売り上げも伸びていて結婚ブームとなってきています。そんな中、20代をバブル期に迎えていた女性の多くはキャリアとか独立、女性の職場環境などと言う社会現象と相まって労働に従事させられ国力の下支えに自ら望んで邁進していました。それが原因で現在の少子化問題、介護問題に発展してきたのです。 男性の方から見ても、バブル期に遊び倒し、不倫ブームで会社経営者などの遊び相手をした女性たちの駆け込み寺として老後の金の世話をするのを嫌う傾向もあり、30代40代の成功者は軒並み20代の女性を求めています。 なぜなら30歳あたりから出産に関係する問題も加速して上がっていくことも最近では良く知られているからです。 それだけに、結婚ブームでありつつ30代40代が孤独に朽ちていくねじれ状況になっているのでしょう。 結婚、子育てが夢であり人生の目的であることには全く問題ないのですが、それが出来ない、または自ら望まない人たちの生きる目的とはなんでしょうか? 男性はまだいいですよ、50代でも結婚できるし子供も作れます。しかし独身のまま30代半ばを過ぎている女性たちはどうなるのでしょうか? 自分では『サバサバした性格』だと思っているがはたから見れば『いい年齢なのに品性がない』女性や、『友達の旦那さんより素敵な人じゃないといや』『ここまで待ったんだから、最高の人と結婚したい!』などと言っている女性は確実に独身人生になりますが、こういう女性達の人生の目的とはなんなのでしょうか? 人生の目的とは、長い人生の中でそれを見つけること自体が目的のようにも思えます。質問者様も長い人生の中で見出した目的だと思います。それを見いだせない人もたくさんいるでしょう、それを思うと質問者様はとても幸せだと思います。 各人は全く違う人生を送ってきてますので全く違う人生の目的に達するはずです。そしてそれは絶対ではないし他人に評価されたりするものでもないと思います。また、他人のそれと比較するものでもないと思います。 つまり、質問者様の人生の目的は立派であるがそれ以外も同様に立派である、と言う事です。いろんな人の人生の目的を参考までに聞いてみるのは良いと思いますが、自分のそれと比較したり論評するのはもしかすると無意味なのかもしれません。

papabeatles
質問者

お礼

 一生独身で過ごす女性も中にはいます。妻の友人にもそんな人がいますし、若くして結婚したのに未だに子供がいない兄夫婦もいます。彼らも私と同じように結婚して子供を作ろうと頑張った結果が今だと思います。  兄夫婦ですが、幸い我が家に二人の子供がいます。私の孫もいますのでそれを計算に含めると  2+2=7で結局1+1>2を証明したことになります。  独身の男女の生き方まで私が口をはさむのは失礼ですが、やはり親戚の甥や姪に希望を託しているのではないかと思います。独身ではないので何とも言えませんが中には毎日パチンコ通いをしている人も少なくはないのだと思います。  いずれにしても自分はご両親の介護を一生懸命にするでしょうが、自分の介護はどうなるのか?それは私が考えることではないと思います。何歳になっても恋愛も結婚もできます。皆さんに良い出会いがあって1+1>2が証明されることを心から願っております。

その他の回答 (4)

  • hidexkid
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回答No.4

質問内容は「人生の目的」ですね? まず質問者様の考えを整理すると 「人間は力を合わせて繁栄して来た、それを証明すべく実践する」 と言う事ですね。 そういう人生の目的もいいと思います。唯一度の一生を費やして成し遂げるに値する目的でしょう。 人生の価値とはそれぞれ違っていますので構わないと思います。 一生を費やして目的を失敗する人もいますが、その記録は「その方法では不可能である」ことを証明したわけですから価値は成功したのと同等ともいえます。失敗のデータは成功のデータと同等の価値を持つと言う事ですね。人間の様に集団で生きる生物が団結して繁殖するのは生きる目的と言えます、私は共感します。 生きていると言う事は、脳が機能してあらゆるセンサーが働いている状態です。つまり色んな音・光・温度・味、等々を感じることができます。それを脳が分析していろんな感情が起こります。 人間にはそれを記憶したり記録として残す能力があります。子孫に口伝で伝えることもできます。技術や知恵を後世に伝えて、次世代はその地点からさらに発展させまた伝える、人類の文明とはその積み重ねであり、サルや犬ではできない人間のみの能力です。センサーが機能していなくても脳はいろいろと考えたり感じたりという仕事を処理していますし感情もあります。 私が思うに人生の課題とは 1:現状の人類の知恵や技術の最高峰をマスターし、それをさらに発展させて後世に伝える。もしくはその状態を維持して伝える。 2:色々なものを心で感じ感動する。 1は「人生の義務」ともいえます。人として生まれたからにはやらねばならないことです。これが出来ないで死んでいく人は人間的には無価値に生きたことになります。子供に生きる知恵や技術・財産を伝えたとしてもそれはすべての動物もやっていることなので人間として生きた目的にはちょっと弱い印象がありますね。いわば最低でもやらねばならぬレベルの事です。 ただし、それが出来なくても人生には価値があります、人間である前に生き物ですから。 命を楽しむことです。 物を集めても、旅をしても、本を書き残しても、銅像を作っても、死んでしまえば何も残りません。ピラミッドの様に後世に爪痕を残すような物を作ることはできますがそれはあくまで詰まれた石です。また、子供に何を伝えようが絶対に伝わらない物があります。 それが感動です。 さまざまな知恵・技術・書籍等を残したとしても、犬や野菜がDNAで伝えているものと大差はありません。本を読んで感動しても体感するのに比べたら些末です。それでいいのならば人は図書館で過ごせばすべて事足りることになってしまいます。 心でたくさんの事を感じるのは生きているからこそできることですね。感動したら幸福を感じ命に感謝します。この世に地球に生まれたからこそ見ることのできる空、動物として生まれたからこそ感じれる味、人間として生まれたからこそ感じれる人間関係や子孫や文化、そして日本人として生まれたから手にした自由と豊かさ。 全て偶然に手にしたものであり数年後には手放すものです。人はしょせん塵から出来て塵に還るだけの事です。 何も残せない、永遠など無い。が、感動は確実に存在するものだし愛もその一部でしょう、それらこそが唯一永遠ともいえるものかもしれません。なぜなら死んでしまえば何もない、つまり生きている時間こそが私にとっての永遠でありそれ以外の時間はあっても無くても同じなのですから。私がピラミッドや石像を残しても人々に語り継がれる人間になったとしても同じこと、死ねば無いも同然。人生の中で貫いた感情こそが唯一永遠となりうるのです。 また武士道のような生き方の場合は生きる目的とは死ぬことです。 人は必ず死にます。なので「何のために死んだか、なぜ死んだか」が人生の価値として問われるわけです。自分で目標とする死に方が出来るその時まで生き残ることが生きる目的です。つまり武士道(として生きる事)とは(如何に)死ぬ(に値する日まで生き残るのか)とみつけたり。ですね。但し武士として生きる以上はある程度の”縛り”があります。武士道における美学のようなものに反してまで生きてはいけなかったりします。美しきマゾです。武士道を継承した日本兵は大戦中はそれに近い人生の目的を持っていました(無論、武士道も日本人の誇りも天皇への忠義もないカスが多かったですが論じるに及ばず)。「天皇の為には何でもする」と同時に「日本兵として誇らしくない行為は絶対にしない」という両立出来ない状況も考えられるような思想です。それを両立するための武士道ならではの美学が「自決」です。 なんでこんなことを書いたかと言うと、人生の目的は人それぞれだが、酔狂なほどに信じて全うしている、と言うお話ですね。 それらを考えると感動を追い求める事以外に人生の目的は無いという点でブレない。 と、私自身は感じていますがご参考になりましたでしょうか。

papabeatles
質問者

お礼

 回答ありがとうございます。縄文時代から我が家は貧しいながらもなんとか繁栄しております。それもこれも男と女がどこかで出会って愛し合ったからだと思います。  最近結婚しないことが流行になりつつありますが、我々の年代は独身=半人前、中年で独身なら犯罪者でした。もしも私があの時、妻と出会わずに結婚していなかったら、人生に何の目的があるでしょうか?  独身で老人と言われる年代を迎える皆さんには厳しい言葉かもしれませんが、私は1+1>2を証明できて良かったと心から思っております。  回答者様のように達観しておられる方は別ですが人生の目的が金でも名誉でもないとするなら私には愛する家族しかないように思います。

noname#235638
noname#235638
回答No.3

証明しなくても、結果がついて来ますから それで、証明したことになる。 証明にこだわる事もない、と思います。 私は証明できなかったことの、言い訳を探している だけかもしれません。 それと、1=1(欲を言うと1>1)が基本ですから、 これがしっかと出来ていれば、自然と1+1>2になりますから、 実は、1=1が大切かな?と思います。

papabeatles
質問者

お礼

 回答ありがとうございます。 私自身の1をしっかり持つことが何よりも大切ですね。  0.5ぐらいしかない若者が多いように感じておりますが・・・・・年寄りの妄言です。

回答No.2

あなたの仰る、1+1>2の理論が良く分かりません。 >一人でいるよりも友達と二人でいた方がずっと楽しい これは2より大きくなるのですか? >サッカーのチームを作ったら11人以上力を出さなければ試合に勝つことは絶対にない 意味が分かりません。例えば優勝チームは何人分の力を出していたのですか? >子供ができると1+1=3と言うことになる 子供ができたら1+1+1=3ではないですか?子供の数はかぞえないということ? 結局は、気持ち的には1人より2人の方が2倍以上の嬉しさがあると感じられる、という 精神論ではありませんか?それは数字では表せないものと思います。 数字で表せないものなら数式に当てはめること自体が無意味かと。 2人よりも1人の方が幸せに「感じる」人もいるわけですから、 人生の目的は人それぞれかと思います。 あなたがそう思っているのならあなたにとっての正解だと思います。 屁理屈言って申し訳ありませんが、色々な意見を聞きたそうだったので。

papabeatles
質問者

お礼

 説明がうまくできなかったようで捕捉します。 例えばサッカーチームの話です。11人がみんな10の力を持っていると仮定します。それが日本代表だとしてチームの総合力が110であったら日本は勝てるでしょうか?それこそワールドカップとかだったら200以上の力を出さないと勝てないのではないでしょうか?  小さな会社で二人で協力して仕事をするときもプラスアルファがなければ仕事はうまく行かないのではないでしょうか?  子供の例は娘夫婦の話ですが今のところ1+1=3です、来年あたりは1+1=4になるかもしれません。 「2人よりも1人の方が幸せに「感じる」人もいるわけですから、 人生の目的は人それぞれかと思います。」 始めに我々凡人はと書きましたがノーベル賞をもらうような学者や何億も稼ぐ人間は別だと思います。  私だっていつも妻と一緒にいたら息がつまりそうです。それでも1+1>2だと思うのです。

回答No.1

こんばんは。 先輩ではありませんが、あくまで夫婦健在なら1+1+α≧2でいいんではないでしょうか。 αについては >たとえば一人でいるよりも友達と二人でいた方がずっと楽しい。 >そして、そのすべての家族に幸せを願って日々生きていかなければならない。 と書かれておられるように、複数の人の数と、そこから発生する人間関係からの相乗効果ぶんです。 以下も参照してみてください。 http://blogs.yahoo.co.jp/oninohososhi/26005381.html

papabeatles
質問者

お礼

 回答ありがとうございます。  孫がたくさん生まれることが私の願いです。  孫の顔を見ていて1+1>2と思いました。とりあえず私の人生の仕事は終わったのかな?と思います。

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