『君子は多能を恥ず』{論語??}について(えなり君のTV発言に関して)
『堂本兄弟』(フジ系)10/20放送にて「えなりかずき」クンが、好きな諺について上記の「君子は多能を恥ず」だと言われてました。
彼によると出典は「論語」、解釈は{君子は色んな事に優れるより、一つの道を極めなければならない}などと言う事でした。
私は多少、中国思想をカジル者として、どこか疑問を感じました。
孔子のいうところの「君子」とは、一芸に秀でる者や、技術者は才能がある者としても、それを決して「君子」とは言わないかと。
{君子は器ならず}と有る様に。
むしろ「君子」は、一つの分野にとらわれ秀でる人物でなく、人の上に立つ事においてバランス感覚の優れた、オールマイティー的才能(&人格)が求められるべきであると。
すぐさま、手元にある文庫の『論語(金谷治訳注)』にて調べた所、この文句の確実なる出典個所は見つけられなかったものの、類似した個所はありました。
それは{子カン扁}にあり、太宰(人名)が孔子の多能について感心し、それこそまさに君子だといった言に対し、孔子は、私は幼い頃貧しかったので、多能になったが、その事と君子であることは関係ないと。(聖人、君子たるもの多能でなくてもよい)
ここでいう多能とは、雑用的余計な、つまらぬ才能であり、君子は優れた人であるが、そのような才(多能)は必ずしも必要とはしない、と言ったニュアンスです。
1、まず、出典が「論語」にあるか?(他の文献にあるのか?)
2、そして、「君子は多能を恥ず」の(えなり君の)解釈は正しいのか?
3、また、この「君子は多能を恥ず」は、儒教的というより(私の推測では)老荘的であると思うし、「君子」が「君主」であるなら、無為の君主像を有する韓非的であると思われますが…。いかがなものか。
有識者からのご意見やアドバイスや、
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補足
・空気を読むという行為は,単に他者と迎合すること,他者と同調することを意味するのか,あるいは,あなたなりの「解釈」がありそうです。