• 締切済み

ネットと文字の現実への関与性

ネットでは、「文字にすると、付加価値として知識に信憑性が出る」という特性があると思います。 現実や、ネットの実際の出来事に対しても、ネット上で何か意見を言えば、 その意見や知識の「好印象」が、実際の出来事の当事者間にある事実の意義よりも、それに対して噂をする人達の間に知識としての信憑性が出て、 「事実にあたる当事者間の道理性が、その後付けの知識の信憑性が掲げられてしまうことで歪みを生じてしまう」のではないでしょうか。 つまり今日の社会の側面にある、ネットでの中傷問題や人権問題などは、その中傷を受ける対象にあたる当事者間の、 「信憑性そのものの現実」を、先ほど述べたネットでの好ましさにあたる信憑性が、強く中傷してしまうのだと思います。 現実という文字や知識以外のものが、ネット上の言葉(心理)の表現によって、知識以外のものにも信憑性を与える。 そして、現実で配慮するべき配慮と、心理に道理を伴う当人達が出会った事実にある真実性を、 ネットでは、文字で心理を押さえることで、当事者個人個人の、「道理からの心理としての可能性を蔑ろにしてしまう傾向がある」のではないでしょうか。 ネットでの中傷の活きる可能性が、現実に対面する人の、道理からの心理の可能性を歪めてしまうということはあるのではないでしょうか?

みんなの回答

noname#194996
noname#194996
回答No.3

言葉には力があります。 しかし、それは受け手が共通の場に在ってそれを理解するからです。 書き込むだけでは力は発揮されません。 それに実質の力を持たせるために、書き手は様々な工夫を凝らします。 基本的には、その文が理解できるということです。 日本語になっているということです。 そのあとで周囲との調和、常識力が必要になってくるかもしれません。 信憑性があるかどうかは、それこそ受け手に常識があれば簡単にわかるはずです。 いずれにせよ無名の、匿名の発信には注意が必要です。 美女の顔写真つきなどはまだ嗤って許せます。 実在の有名人の名前を騙って発信する輩が居ますが、これはよく騙される段階で既に犯罪です。 ネットの文字、文章、発言は玉石悪口様々混交しているカオスだと知るべきでしょう。常識ですが。

Mychuo
質問者

お礼

御回答ありがとうございます。 >信憑性があるかどうかは、それこそ受け手に常識があれば簡単にわかるはずです。 いずれにせよ無名の、匿名の発信には注意が必要です。 そうですね、結局受け手の人が注意すればいい話なのかもしれません。 しかしそれは、それだけ注意できる力があればの話ではないかと思います。 ネットへの警戒心が、悪徳サイトや乱暴な言葉しか書かないような人にしかない場合、 クラッキングなどにより個人情報を見られるということや、ただ加害側が己の願望の為に、相手を利用しようと常識を使ってくる、ということまではなかなかわかりません。 >実在の有名人の名前を騙って発信する輩が居ますが、これはよく騙される段階で既に犯罪です。 常識を持っている人が注意してネットをしていればネット犯罪に引っかからないのだとしたら、 その件で騙されて、犯罪と呼ぶ声があるということは、「常識が届かない部分」もあるということです。 その犯罪が個人に向けられたとき、個人はその経験から学び、バネにできるとは保証できません。 何故なら、先程も言ったクラッキングというものは、場合によっては被害者に被害妄想を与え、その個人への影響は計り知れないからです。 >ネットの文字、文章、発言は玉石悪口様々混交しているカオスだと知るべきでしょう。常識ですが。 個人が選ぶものは一つであり、森というカオスも木を見れば見えなくなります。そういったところを狙う人もいます…。

  • Tann3
  • ベストアンサー率51% (708/1381)
回答No.2

 ご質問の意味、主張の論理が全く理解できません。  内容以前に、「国語」としての意味、表現の仕方、文章の作り方に、他人に伝わらない要因があるように思います。難しく表現しないで、もう少し普通に書いてみてはいかがでしょうか。 >ネットでは、「文字にすると、付加価値として知識に信憑性が出る」という特性があると思います。  そんなものはないと思います。がせねた、似非情報、捻じ曲げた解釈、独りよがりの幼稚な主張、間違った議論が横行していますよね。「文字にすると、あたかも正しいもののように錯覚する」ということがあるとすると、それは読む人の判断力の弱さの問題かと思います。 >現実や、ネットの実際の出来事に対しても、ネット上で何か意見を言えば、 その意見や知識の「好印象」が、実際の出来事の当事者間にある事実の意義よりも、それに対して噂をする人達の間に知識としての信憑性が出て、「事実にあたる当事者間の道理性が、その後付けの知識の信憑性が掲げられてしまうことで歪みを生じてしまう」のではないでしょうか。  「好印象」だとか、「噂をする人達」だとか、要するに何ら事実や論理に立脚しない虚構の世界があるだけだと思います。書き込む側は「井戸端会議」「言い放題」「言い散らかし」に過ぎないし、読む側は「誤解」「思い込み」「妄想」「だまされ」に過ぎないと思います。  その中には、ほとんど真実や信憑性はないと思いますが、どうでしょうか。 >「事実にあたる当事者間の道理性が、その後付けの知識の信憑性が掲げられてしまうことで歪みを生じてしまう」 って、第三者の無責任な嘘で事実がゆがめられる、ということですか? それなら上に書いたように、ネット上でよくあることでしょう。ただ、それは第三者の無責任な根拠のない発言を盲信する(あるいは騙されて信用する)人がいるというだけのことですよね。  質問者さんの趣旨を想像して要約すると、 「ネット上の文字情報を、あたかも正しいもののように錯覚する人が多いので、第三者が不適切な書き込みをすると、それを事実と誤認して中傷問題や人権問題に発展することが多い」 ということでしょうか。(違ったらごめんなさい)  だとすると、最初に書いたように、それは読む人の方の問題です。さらに言えば、悪乗りして無責任に囃し立てる野次馬的放言がそれを助長しているのです。  これを防ぐには、情報を読む側の常識と判断能力が大切だと思います(これはネット上だけでなく、実生活でだましや振り込め詐欺に遭わないためにも必要)。  さらには、ネット上には無責任で不必要な情報を発信する輩が多いので(私も含めて)、「記名」で情報を発信するようにすべきだと思います。そうすれば「無記名の情報は信用できない」というコンセンサスで情報の授受ができますので。(従って、この私の回答も、信用できない可能性がありますよ)

Mychuo
質問者

お礼

御回答ありがとうございます。 文章が拙いもので申し訳ないです。もっと上手になりたいと思います。 >「文字にすると、あたかも正しいもののように錯覚する」ということがあるとすると、それは読む人の判断力の弱さの問題かと思います。 そうですね。そして、それを狙う加害者にあたる存在がいるということです。 自分はクラッキングというもので被害を受けたことがあるのですが、 回答者さんがおっしゃられるように、狙われた方は、匿名掲示板などでのやりとりに疑いを持っていないとか、判断力の弱さ、というところから「思い込み」「妄想」「誤解」「騙され」が生じます。 私が遭った加害者はそれを逆説的にした「思い込ませる」「誤解を持たせる」「騙す」「被害妄想を持たせる」ということをしながら私と接していました。 何かおかしいような気はしていても、証拠性のない匿名掲示板上では、「書く人がいれば人格を文字で表現できる」のです。 例えば、仲良くなれば少なからず信頼性は生まれます。それを狙い、人の心理を利用して操ろうとすることに専念する人もいました。  >質問者さんの趣旨を想像して要約すると、 「ネット上の文字情報を、あたかも正しいもののように錯覚する人が多いので、第三者が不適切な書き込みをすると、それを事実と誤認して中傷問題や人権問題に発展することが多い」 ということでしょうか。 はい。その意もありました。 読む人の問題でもありますが、問題は更に言うと、意図的に加害を企てる人が被害を、これからのネット社会に与える深刻さです。 >ネット上では「記名」で情報発信をするべき 同意です。しかし個人情報が盗まれるということもあり、それは、ネットの存在価値が大きくなるほど増えるかもしれませんね…。

noname#201242
noname#201242
回答No.1

ごめんなさい、おっしゃっていることが今ひとつよく解りませんが、 繰り返し読むことによって心証に偏りが出る、ということはあると思います。 そうでなくても、人の悪口というのは昔から盛り上がるものです。 私は悪口がそれほど好きではありませんが、それでも、わりと周りが困っているような人のことだと、「やっぱりそうか~」なんて思いますし、「こんなこともあった」とか話をしたりもしますし メールでケンカすると対面でケンカするよりも険悪になることが多いですが、ネットの中傷もエスカレートしやすいんじゃないでしょうか。 また、そういうのが好きな人もいますしね。わざわざ団扇で扇いで火を大きくしたがるような。 そういう心理的な影響はあると思いますが、 >ネットでは、「文字にすると、付加価値として知識に信憑性が出る」という特性があると思います。 信憑性があると勘違いする人がいる、ということでしょう。 質問者さん自身も、「文字になっていれば信憑性がある」と思っているのでしょうか? ネット情報は玉石混交です。間違った情報もあります。 鵜呑みにせず、自分でもさらに調べて確認する必要があります。 「本ならば何でも正しい」とは言えませんが、ネット情報は素人がそのまま誰のチェックも経ずに情報を出せるので、故意でなくても勘違いによる間違いもあります。 確認もせず何でもすぐ鵜呑みにする人を狙って、「文字にすれば信憑性が出るだろう」と思って書いているのなら、書き手は確信犯ですが。

参考URL:
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/127065/m0u/%E6%89%87%E5%8B%95/
Mychuo
質問者

お礼

御回答ありがとうございます。 >信憑性があると勘違いする人がいる、ということでしょう。 そうですね。正しくは御指摘の通りです。 その勘違いが、個々の社会認識や、心理に影響を及ぼすという質問の意でした。 確信犯として、団扇で火を扇ぐようにその影響を広げようとするネット犯もいるということを危惧しています。 >質問者さん自身も、「文字になっていれば信憑性がある」と思っているのでしょうか? 文字になっているだけでは信憑性があるとの断定には繋がらないかとは思っています。 しかし文字が連なり、巨大な情報がねつ造されていれば、少なからず信憑性がでるかと、思います。 人の悪口は会話の流れで言うこともあるかもしれませんが、そこを終点としてしまう人が多い気が個人的にはしていますね。 悪口は解決の始まりというか、せっかく悪いものを見つけたのに、 悪口からの先を見つけることができないが為に、自分が悪者になるしかなくなるような感じになるのかもしれません。

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