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玉津島姫とは?
和歌山市若野浦に玉津島神社があります。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%89%E6%B4%A5%E5%B3%B6%E7%A5%9E%E7%A4%BE#.E7.A5.AD.E7.A5.9E 上記ウィキペディアに御祭神がしるされていますが 稚日女尊、息長足姫尊、衣通姫尊の3柱に明光浦霊(あかのうらのみたま)を配祀する、となっています。 http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/utamaku/tamatu_u.html こちらのサイトでは 稚日女尊(わかひるめのみこと)・神功皇后・玉津島姫を祀る。 玉津島姫は衣通郎姫と同一視されて和歌の神とされ、歌人たちに崇拝された。 とあってウィキペディアとは御祭神が違います。 http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/kunimoto.html こちらでは玉津島姫を詠んだ津守国基の歌が記されています。 住吉の堂の壇の石取りに紀の国にまかりたりしに、和歌の浦の玉津島に神の社おはす。 たづねきけば、「衣通姫のこのところをおもしろがりて、神になりておはすなり」と、かのわたりの人言ひ侍りしかば、よみて奉りし 年ふれど老いもせずして和歌の浦にいく代になりぬ玉津島姫(国基集) 質問(1) 「衣通姫のこのところをおもしろがりて、神になりておはすなり」は現代語訳するとどうなりますか? 質問(2) 玉津島神社に祀られている御祭神は a.稚日女尊、息長足姫尊、衣通姫尊 b.稚日女尊、神功皇后(息長足姫尊のことですね)、玉津島姫 どちらが正しいのでしょうか? 質問(3) 玉津島姫とはどういう神様なんでしょうか? 玉津島神社の御祭神の総称のことでしょうか?
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No.1再。 「玉津島姫」が先だったのではないかと。 玉津島神社は「玉のような島々」(万葉の時代には干潮時のみ地続きとなる6つの島であった)の景観を守るためにた聖武天皇によって建てられた守戸に始まります。 続日本記によると、この時に祀られたのが玉津島に宿らるる神(玉津島之神)と、明光浦霊となっています。 「神様は若い女の方が萌えるよね」と玉津島之神=玉津島姫として親しまれていたところに、後年に衣通姫伝説が上書きされ、姫繋がりで玉津島姫=衣通姫、との解釈が繋がって広まったものと私は思いますね。 弱浜「わかのはま」から明光浦「あかのうら」となり、山部赤人が「若の浦」と洒落て詠んだところから繋がって「和歌の浦」として広く知られ、今の「和歌浦」という地名に至っているように、伝承というものはダジャレめいた事で変容して伝わっていたりするあたり、古の人の顔や息遣いが感じられるようで面白いと感じます。 ちなみに、玉津島周辺は古の名勝地が集まっているものの、広く喧伝して人をたくさん集めて金儲けしようという発想は長続きしないようです(^^; 歴史的価値というよりも「わぇらの里のえぇとこ(私らの故郷の良い所)」として自分にとっての価値を重視する、地元民の欲の無い素朴な気質がためでしょうねぇ。 お隣の鹽竈さんに縁があった(おかげ様で安産でした)経緯で回答寄せさせていただきましたが、これ以上は私を逆さにしても大したものは出てこないと思います(^^; せめておまけリンク入れておきますね。 http://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/500700/houkokusho/wakanouragakujyutuhoukoku.pdf http://www.wasa2004.com/wakanouramukasi.html
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質問(1) 「衣通姫がこの地を気にいって、神となって(この地に)留まり居られる。」 といったところかと思います。 質問(2) 祭神は、 ・稚日女尊(丹生都比売神) ・息長足姫尊 ・衣通姫尊 です。 質問(3) 玉津島姫は衣通姫と同一視されています。 http://www.lares.dti.ne.jp/hisadome/shinto-shu/files/39.html 『衣通姫』は「衣通郎女」「軽大郎女」「衣通王」「弟姫」「衣通郎姫」と、多くの名が伝えられています。 http://kotobank.jp/word/%E8%A1%A3%E9%80%9A%E9%83%8E%E5%A7%AB
お礼
回答ありがとうございました。 質問1、納得いたしました。 質問2、ご紹介下さったサイト http://www.lares.dti.ne.jp/hisadome/shinto-shu/files/39.html も稚日女命・息長足姫命・衣通姫命・明光浦の霊となっていますね。 御祭神を玉津島姫としているのは間違いなのでしょう。 質問3.すいません、この回答は衣通姫についての説明ですね。 私が知りたいのは玉津島姫についてです。 玉津島姫が衣通姫と同一視されているのは存じ上げているのですが たとえば衣通姫については記紀に登場していますが 玉津島姫もなんらかの史料に登場しているのか、あるいは何かの伝説があるのか、というようなことを質問しています。 玉津島神社に祀られている神々の総称を玉津島明神といいますので 玉津島姫とは玉津島明神のことなのかもしれませんね。 玉津島神社の御祭神は全員女神ですので。
お礼
何度も回答ありがとうございます。 >続日本記によると、この時に祀られたのが玉津島に宿らるる神(玉津島之神)と、明光浦霊となっています。 玉津島之神が玉津島明神なのでしょうか。 明光裏霊というのは男神なのか女神なのか、よくわかりませんね。 >「神様は若い女の方が萌えるよね」 いろいろ神様について調べているところですが 女神については若いほうが萌える、というのはありそうですね。 http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/kunimoto.html 上記によれば、津守国基が玉津島姫に歌を奉った夜、夢の中に10人ほどの女房があらわれたとありますが 全員玉津島姫なんじゃないでしょうか。 式年遷宮みたいな感じで、女神は古くなると新しい女神を迎えていたのではないかと思ったりします。 私の勝手な考えですが。 >弱浜「わかのはま」から明光浦「あかのうら」となり、山部赤人が「若の浦」と洒落て詠んだところから繋がって「和歌の浦」として広く知られ、今の「和歌浦」という地名に至っているように、伝承というものはダジャレめいた事で変容して伝わっていたりするあたり、古の人の顔や息遣いが感じられるようで面白いと感じます。 そうですね~。 語呂合わせは今ではだじゃれですが、言霊信仰があった古には 呪術であったのかもしれません。 これも勝手な私の考えですが。 玉津島明神や衣通姫は住吉明神や柿本人麻呂とともに和歌三神の一柱とされていますね。 梅原猛氏は柿本人麻呂は刑死させられて怨霊になったという説をたてておられますが 人麻呂は人丸ともいい 火止まるで防火の神、人生まるで安産の神に神格を変えていますね。 つまり怨霊が防火の神・安産の神に替えるための呪術が語呂合わせになってる。 玉津島には行ったことがなく、近いうちにぜひ訪れてみたいです。 安産だったとのこと、おめでとうございます。 いろいろ教えてくださってありがとうございました。 返事が遅くなってしまい、申し訳ありませんでした。