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学問が特権階級だった時代
があったみたいなことを聞きました。今では学校に行って読み書きを学んで...というのは当たり前のことですが、これが貴族の特権階級みたいな時代があったということですか?いつの時代ですか?
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>があったみたいなことを聞きました。 どこの国の時代としてお聞きになられましたか? 学問に勤しむことが出来たのが上流階級だけだった。ということは万国共通の歴史上の出来事です。 日本でも、長い間寺院が今の大学のような役割を担っていました。 寺院はしばしば時の政権と密着していましたから、特権階級の一部だった時代もあります。 江戸時代に入り庶民も学問に勤しむことができるようになりました。 基礎的な、読み・書き・算盤以上の知識を求めようとすると、やはり経済的にも時間的にも余裕のある人達に限られました。 社会的に一番閑だった武家が子弟に学問を修めさせました。 これを結果だけで見れば、学問は特権階級だと誤解されても仕方がないのかもしれません。 学問を修めたから特権階級になった。という事象にはいささか説明が必要です。 中国王朝や朝鮮王朝の時代には科挙という制度がありました。 今で言う国家公務員試験のようなものです。 この試験に合格すれば、特権階級に仲間入りすることができました。 日本では歴史上科挙制度は採り入れられませんでした。 朝鮮王朝の場合には、試験問題は全て漢字で、回答も漢文で書くことが要求されました。 1443年にハングル文字が作られました。 それまでは、朝鮮の人々は自分達の言葉を文章で書くときには漢字を使っていました。 ハングル文字が作られた後も、日本が統治するまでは、ハングル文字は下賤の文字とされていました。 知識階級の人達は漢字を使い続けました。 日常的に使わない漢字を勉強しようとすると、そうとうな経済的、時間的な余裕が必要です。 その為に、両班と呼ばれる貴族階級の子弟のみが勉強できることになってしまいました。 両班の人達は漢字の読み書きができることをステイタスと見做して、庶民が勉強するのを極度に嫌いました。 結果として、朝鮮王朝では、学問は特権階級だ。という時代が長く続きました。 今でも、この考え方の影響が根強く残っています。 大学入学=特権階級、という潜在意識があるようです。 大学の入学試験は日本の想像をはるかに越えるほど苛烈です。 子弟を大学へ進学させるために、生まれたときからつぎ込まれる教育費は膨大な金額となっています。
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- takkochan
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日本は早くから寺子屋があって皆が勉強できていたという論調ですが、確かに読み書き、簡単な計算などはそうでしょうけど、多くの普通の人にとってはそこまでだったと思いますよ。 私の親、(戦前生まれ)は、学校は15歳までで、あとは学校に行っていませんし、今で言う中卒ですからね。もっともそれでも当然、読み書き計算はほぼみんなできていたという点では、諸外国以上でしょうけど・・・・。 つまり、それ以上の学問は、やはり、特権階級用だったんだと思います。女学校や中学校(今の高校)には行っていませんので。
お礼
そうですか。。読み書き程度は学問とはちょっといえないですもんね。 1800年でも最先端の学問ではニュートン力学や微分積分などもあったわけですしね。。 ありがとうございました。
- TANUHACHI
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補足 他の方が現在の教育制度の話を採り上げられていますので、少しばかり。 日本が近代国家として歩み出そうとした明治維新期に文明開化と共に富国強兵政策の一環として「近代的な学校制度」が西洋から移入され、1872年に出発することとなります。「学事奨励に関する被仰出書」と呼ばれる有名な太政官布告はこの一連の制度改革の中でも特筆に値するもので、そこには「今般文部省ニ於テ學制ヲ定追敎則ヲモ改正シ布告ニ及フヘキニツキ自今以後一般ノ人民 華士族卒農工商及婦女子必ス邑ニ不學ノ戸ナク家ニ不學ノ人ナカラシメン事ヲ期ス人ノ父兄タル者宜シク此意ヲ體認シ其愛育ノ情ヲ厚クシ其子弟ヲシテ必ス學ニ從事セシメサルヘカラサルモノナリ」との文言を見出すことができます。 これは明治維新以前では学校制度に基づく学校が日本にはなく、また階層によって教育を受ける機会が等しくないことにより総じての国力との意味や近代国家として非常に憂慮され恥ずべき問題でもあるとの認識に基づくものであると理解することができます。今で言う「民力の底上げを図ることが国家としての出発でもある」ほどの意味です。 なお「明治天皇が~」とのコメントがなされていますが、こうしたシステム構築をリードしたのは天皇ではなく、明治政府と呼ぶのが適切です。
お礼
またまたありがとうございます! >1872年に出発することとなります これは!!岩倉具視がイギリスに留学して東大を作るって話ですね! >「明治天皇が~」とのコメントがなされていますが、こうしたシステム構築をリードしたのは天皇ではなく、明治政府と呼ぶのが適切です。 ご指摘ありがとうございます。勉強します。。。 ん~学識が豊かな方が多くて感心します。
- TANUHACHI
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日本の事例でみれば、平安時代には既に貴族が自らの子弟に対し教育を施すとの意味で、それぞれに大学別曹を設けていた事例もあります。例えば藤原氏の勧学院などが知られています。現在で言うところの私立大学にあたります。
お礼
平安時代:藤原氏の勧学院 ですね。調べてみます。 いろいろと知識のあるの方が回答くださりますね。ありがとうございます。
- GIANTOFGANYMEDE
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1119年にイタリアで今日的総合大学の祖となるボローニャ大学が設立されました。 その頃のボローニャ大学は貴族や高位の聖職者がその子弟に教育するために教師を集めるというものでした。 『チェーザレ 破壊の創造者』というマンガでは当時の大学の様子が史実に忠実に描かれています。 日本では関ヶ原の合戦から90年後に農村などで寺子屋が普及しだしていますから、それ以降は間違いなく庶民にも開かれたものだと言えるでしょう。 1800年頃の就学率はフランス2%、イギリス20%、日本80%。識字率は記録上明治以降常に日本が世界最高ですが、少なくとも1700年頃から、ひょっとしたらそれよりはるか以前からそういう状態だったはずです。 1443年に来日した朝鮮通信使の申叔舟が「日本人は男女身分に関わらず全員が字を読み書きする」と記録を残しています。有名な足利学校が出来たのもこの頃ですから、体系的な教育体制が出来ていたのかもしれません。 歴史的にもっとも教育が開かれた国は日本でしょうね。
お礼
>1119年にイタリアで今日的総合大学の祖となるボローニャ大学が設立 これはまったく知りませんでした。知識の共有ありがとうございます。いまからさかのぼること900年って感じですね。 日本での教育機関は前の方が述べているように 寺子屋 になるわけですね。(確かに中学のときに習ったような習ってないような…) 私が知る限りは、富国強兵のため明治天皇が日本に教育をふきゅうせよ的な指令があったのが最初と記憶しておりますが、それはせいぜい百年前。。と考えると教育の重要性はもっともっと前の世代から意識されていたのでしょうね。
- Willyt
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日本と西洋では事情が違います。日本では学ぶということに関して少なくとも江戸時代以降は士農工商の階級差別はなかったと言っていいでしょう。誰もがその意欲を持ち、応分の対価を支払うなら誰でも好きなことを学べたと言っていいでしょう。資力がないので学べないということは勿論あり得ましたが、幕府直轄の学問所である昌平黌ですら町人もここで学ぶことが許されていたのですよ。西洋では大学は貴族が暇つぶしに金持ちの子弟が学者に講義をさせるということから始まりました。ですから講義を受ける側がポロの試合があるからと平気で休講にしたのです。平民が大学の門を叩いても門前払を喰らわせられるし、最初からそんなことをしようとも思わなかったようです。今でも労働者階級の子弟は大学へ行こうとしない傾向が強いようですよ。 初等教育についても同じで日本では江戸時代以降は庶民が進んで子弟を寺子屋に通わせましたが、これは世界的には極めて珍しい例外で大半の国では庶民は子弟の教育に全く無関心でした。ですから政府がそれを無償にし、強制するなどの策を講じて教育を普及しなければならなかったのです。これに対して日本は寺子屋の下地があったので学校制度が整備されるとあっと言う間に初等教育がほぼ100%達成されたのです。
お礼
ありがとうございます! まずは日本と西洋での線引きが必要なのですね! 日本:江戸時代以降、原則誰でも 西洋:いつの時代も、貴族の子弟が学者に依頼 がKeywordですね。またいろいろと調べてみたいと思います。ありがとうございます。 余談ですが...やはりここでも農耕民族と狩猟民族の違いって出てますね!
お礼
科挙って聞いたことがあります~思い出させていただいてありがとうございます。 歴史の時間にたしか、試験は十数時間何かを書き続けなければならないみたいなことを着たような。。ここもまた調べてみますね。 そして、韓国の学歴社会が激しいのは有名ですよね。又、一度大学入試に失敗したら財閥系のヒュンダイやサムスンに入社することもできないみたいなこともきいたことがある気がします。 んーやっぱりわれわれの時代に整備されていた学校制度や教育を受ける権利は如何にありがたいかということですよね。。