• 締切済み

コンビニ、24時間食事どころがなかった頃の食事

 コンビニや、24時間の食べるところがなかった時代、一人暮らしの社会人は、どうやって、朝晩の食事をしていたのでしょうか?。  私の父親は10年くらい一人暮らしだったようですが、一応自炊らしき事はしていたようですが、はっきりと物言わない性格ですので、よくわかりません。昔は土曜は午前出勤でしたが、1週間の買出しをしたとしても、大型冷蔵庫がある時代ではありませんでしたから大量買い込みはできるはずもなく、作り置きで電子レンジでチンもできないはずです。    ふと思ったのですが、日本企業の特色?で退勤後の飲み会があります。  高度成長期、皆で金を出し合って、酒や食事、社員旅行をしたのが、慣習として残っていると聞いたことがあります。帰りがけ、先輩や上司のおごりで、飲み屋で夕食というのもあったのでしょう。そうやって食事を済ませていたのかなあと。  ですが、今やコンビニや24時間の牛丼屋もあり、自炊せずともよく、早くに結婚して専業主婦当たり前の家庭を築く必要もありません。食事には事欠かない状況です。  コンビニや24時間営業が先か、晩婚非婚率や繁忙体質が先かはわかりませんが、外食産業が、今の結婚観にも関係しているのかなあと感じております。  子供に関しても、共働きが影響で、家庭という物に縁を感じてなかったので、成長しても結婚しないものが出てきたのかなあと。

みんなの回答

  • m41
  • ベストアンサー率30% (346/1127)
回答No.13

大変楽しい質問で回答もお礼も全て読ませていただきました 山手って事で江戸のお話を少しヾ(´▽`;)ゝ そもそも江戸は独身の街女性が極端に少なく職人が多い当然食事に困るので 屋台が発展した そして飯屋がいたるところに有りさらに煮炊き物売りなるものがお惣菜を棒手振りで担いで長屋に売りに来たそうです って事でその流れを汲む東京では困らなかったと思いますよ^^ http://park11.wakwak.com/~kitai/Kitai_Shoyu/MAME/reference-1a.html 今でも都内の昔からある食堂では独身のサラリーマンが入ってくると「お帰り!」って声かける店はいっぱいあるww店のおかみさんがおふくろさんで下手すると出すものもおかみさんが決めてて体調を考えて嫌いなものも出して食えって言ってたりするのを見かけるww あとお惣菜を売りに来るのは見なくなったけど 大田区のばあちゃんちにはおらが子供の頃は納豆売りやしじみ売りは来てたなぁ ど根性ガエルやこうせつおいちゃんの歌にもあるようにおでんは買った豆腐屋が来ると鍋持って走って出て行ったし チキンラーメンは昭和3年生まれのオヤジも食ったって言ってたけど お湯を入れただけじゃダメで鍋で煮たって言ってた オヤジは酒飲みなので夜は飯食わないんだけどね(´▽`*)アハハ 独身男は作らないけど保存食はいっぱいあって普通に売ってたよ 漬物とか佃煮とか毎日のように食卓にあった 時代と科学に有った形式でいつの世にもそのようなものはある レトルトや冷食の代わりに缶詰や瓶詰めは今よりいっぱい有ったしどの家でも買い置きしてあった 赤貝の缶詰で焼酎は山谷の木賃宿の定番 独身者が増えたのは東京に限って言えば江戸時代よりは少ないかと^^;;単純に人口密度が高すぎるから本能的に子供を増やさないんだと思う マウスでさえ狭い場所に押し込むと同性同士がかたまり更に多くなると自殺するって言われてるやん

tachin
質問者

お礼

 私が大学を出て20年近くなろうとしてます。  まだ、当時は、都内には定食屋がどこにでもありましたし、今でも昔からある大学周辺には少ないですが定食屋がありますよね。でも牛丼屋の方が目立ちますし、リーマンショック前だったら24時間ファミレスも結構ありましたが、こちらは、少なくもなった感じがします。  少し前は、外出も多かったのですが、喫茶店を探すのにも苦労しておりました。昔はもっとあったのかも?です。    父は、私が幼児の頃に大病を患ってから、晩酌や喫煙をしているのを見た事がありませんし、飲んで帰ってくるのも退職者祝い程度なようですが、昔は飲んでいたのかもしれません。  昔は、飲み屋で普通にご飯を食べる事ができたり、豆腐売りとかも来て、相応に食べる事はできたのですね。  今が、特殊というか、完全に様変わりしてしまったといえるのでしょう。  食文化の変遷というのもあるのでしょうが、仕事と生活のスタイルが、昔と変わってしまった。結果か原因かは不明ですが、家庭というのも結婚と言う事含めて変わってしまったということかと。  私が中学辺りからは、完全に父は終電で帰宅と言う生活でして、一緒に食事をするという事はありませんでした、オーブンはあれど、電子レンジが何故か家になかったので、ラップに包んだ食事をプロ野球ニュースだか見ながら食べてた記憶があります。  ちなみに私は、SEをしておりまして、入社時は、本当に地方で車がないと生活できないような支社でしばらく働いてましたが、1・2週間に一度、寮や地元の同期に車を出してもらって買出しをしておりました。コンビニあっても20字くらいで終わってしまうか、徒歩で行くにはかなり辛く、やはり22時頃には弁当もパンも売れきれという有様でしたので、食に関しては生命線でもありました。無い時は、夜釣りで皆とご飯にしてた時もありましたし。

  • cat-food
  • ベストアンサー率61% (124/201)
回答No.12

そうですか。面白い質問ですね。 コンビニや24時間食べるところがなかった時代にどうやって食事を取っていたか? お店が開いている時間に買い物をし、食堂が開いている時間に食事を取っていました。それだけのことです。 朝は人によっては、トースターでパンを焼いたり、電気炊飯器でご飯を炊いたりしていました。喫茶店でモーニングサービスとる人もいました。駅の売店でアンパンと牛乳を買って食べるというのも定番でした。 昼は社員食堂や会社の近くの食堂で済ませることになります。 夕食は、スーパーで材料を買ってきて自炊している人もいましたし、スーパーで惣菜を買って帰る人もいました。駅の近くの居酒屋で一杯やりながらおつまみをつまむという方法もあります。(独身者の場合は、栄養が偏ってしまうという問題が当時から指摘されていました) 夜になって店が閉まったら、基本的に寝ます。食事をすることはありません。お腹がすいて我慢できなくなったら、カップラーメンの自動販売機というものもありました。 人間は夜になったら寝るようにできています。夜になったら寝る。そして朝は元気に目をさます。そうすれば24時間営業の店がなくても不自由はありません。 現在は便利になり過ぎました。おっしゃるとおり晩婚化や非婚化が進んでいるのも、そのせいかもしれませんね。

tachin
質問者

お礼

 父が上京して大学に入ってから結婚するまでの独身期間、どのように食事をしてたかは不明ですが、平日は残業も普通にしてたので、今のように遅くまで開いているスーパーはなかったでしょうから買えてないと思いますし、土日にかうとしても今のような大型冷蔵庫があった時代でないはずなので、買い置きなんてのもまず品が限定されてできなかったと思います。自炊はしてたようですが、私が生まれてから定年十数年経った今でも食事を作るなんてことは、母が旅行や外出で帰宅が遅い時でもありませんので、料理らしい料理は作れないじゃないかと。  駅の売店でパンや牛乳というのは、既にご回答あった方からハタと気づきまして、そういえば、幼少の頃、大抵の駅には、ミルクスタンドがありましたよね。今は様相変わってしまいましたが、20年くらい前の秋葉の駅では、立って食事し出来るスペースがあるミルクスタンドありましたし、よく競馬場に連れてかれもしたので、西船橋や川崎あたりには、ミルクスタンドでパンと牛乳を食べている人だかりをよく目にしましたし、タバコも吸える時代でしたので、立ち飲み屋のようなスペースでしたし。  昼は、公務員だったので、社員食堂は必ずあったようで、事書かなかったようです。でも夜はどうだったのかなあと思いましたので、質問をさせていただいた次第です。

noname#188522
noname#188522
回答No.11

>時代としては、1950年~1960年頃を想定して質問しております。 >場所は、都内山手線内側(父の大学、職場が内側であり、住まいもその辺と聞いてます)。 ほぼ同じ時代、近い場所に、うちの亡父も住んでいたと聞いています。 当時、地方から出てきた大学生でした。 賄い付き(:朝夕2食)の下宿に住んでいたと聞いています。 当時の東京の食糧事情は良くなってきたとはいうものの、 ビンボー学生には、外食は特別で、進駐軍の缶詰はあこがれ。 飲み会は大抵、田舎から送ってもらったものの持ち寄り。 「同じ釜の飯を食った仲」と言いますが、 安酒で酔っ払って、論争する奴やら、 ケンカする奴やらで、最後は大騒ぎだったそうですが、 大家さんには温かく見守られていたようです。 亡父から聞いていた限りでは、東京のひとり暮らしは、 空腹だけど、にぎやかでのびのびしていたみたいですね。

tachin
質問者

お礼

 ありがとうございます。  定年後数十年経っており、しばらく嘱託で働いてましたが、交友は私同様あまり広くないため、職場の誰それがなくなったとたまに聞く程度で学生時代の方とのどうのこうのというのは、就業していた時も聞いたことがありません。  寅さんのように下宿生活でなくアパート暮らしだったようです。戦時中は母親の実家は兼業農家でしたので、自給で取り合えずは食べる事ができたようですが、それでも苦労と爆弾で怖い思いをしたという一方で、父も地方ですが、あまり苦労した話を聞きません。上京後も苦労した話より懐かしいの話程度で、母と話が合わなく喧嘩ショッチュウです(苦笑)。まあ、年も当時としては離れており、晩婚ですので。職場では、飲み会や麻雀大会をよくしていたようなので、晩飯は職場とか雀荘とかでしてたのかもしれませんね。

  • E-1077
  • ベストアンサー率25% (3258/12620)
回答No.10

 普通にご飯食べてましたよ。  私も60年代ですからね。コンビニもなかったし、ファミレスもないし。ご飯は家で食べるものでした。  昼は弁当。  夜は残りのご飯をおじやにしたり、もう一度ふかして食べたりしてましたね。  飲み屋でも最後お茶漬けなど食べて終わりだったような気がしてます。  冷蔵庫に入れるものって案外少ないんですよ。野菜は常温で大丈夫だし。豆腐は水に入れておけばいいし。  卵なんかも常温で大丈夫だしね。避難生活の時に実感しました。冷蔵庫が小さかったので工夫しました。炊飯器も無かったのでなべて焚いて、よけて、おかずを作ってと・・・・・。  ご飯もおひつに入れれば持ちます。  ど田舎はどうするよ^^;何もないよ。ご飯は家で食べるものです。基本的にそうじゃないのかしら?  人工の多い場所だとお惣菜屋さんがあって、肉屋でも八百屋でもちょっとしたおかずって売っていたから、仕事帰りに酒の肴を買っていけばよかったっていうこともありますからね。焼き鳥なんかそうじゃないですか。    今でも台風と聞くと何故かおにぎりを作らなきゃ!って思う自分がいます。  昔はともかくはご飯を炊いて・・・・だったもんなあ。お湯沸かして。水筒に入れてって。  大学に入るまでコンビニを知らなかったので・・・・・。そういう惣菜とかお弁当を食べたことがなかったんです。  よって今でも買いませんね。作ったほうが早いし安いし美味しい。  でも、冷凍食品は便利だとは思います。食材としてはね。    そういえば、じいちゃんはうどん作るの上手だったなあ。人が来ると作るんだよね。で、生醤油だけで食べる。うまいんだなこれが・・・・・。酒の最後に良いみたい。  今の方が実質は貧しいのかしら・・・・・・・。う~ん。懐かしいなあ。  

tachin
質問者

お礼

 昼の弁当は、弁当売りが来てたのでしょうか?。  父は、社員食堂でも食べてたようですので、昼食は困った話を聞いたことがありません。    飲み屋でお茶漬けというのが、しっくりこないです。  私、酒が嫌いで、飲み屋の雰囲気も嫌いなので、上司の強制で一緒に数回いかされましたが(当時は地方勤務でした)、スナックといった所だったのかな?。小料理屋というのが、これまたわからず、なんか敷居が高い割烹料理の小さい版か、酒は普通に安いけど、食事は、定食屋より割高のイメージしかないので。なので、スナックなのか小料理屋だったのか、わからず、上司達(今50,60代で父よりずっと若い)が若い頃からの行き着けらしく、メニューにない物頼んでいた光景を見た事はありました。    冷食はなかったように聞いてますし、当時の冷蔵庫って小さくて、冷凍庫がやっと分離して売られた時代とも聞いてはおりますが、使い道あんまりなかったとも。その分、冷蔵室大きい方がよっぽどうれしかったとか聞いた事もあったような。

  • nitto3
  • ベストアンサー率21% (2656/12205)
回答No.9

朝はトーストに牛乳だった。 夜は外食、数軒の店を使ってました。 同じ店で食べることが多かった。

tachin
質問者

お礼

ありがとうございます。

  • hideka0404
  • ベストアンサー率16% (819/5105)
回答No.8

>>10年くらい前にチキンラーメンを買って食べて、まずいと感じ、それを見た父も珍しく思って食べた記憶があります。 1955年にインスタントラーメンが発売されましたが、当時はベビースターのようなもので、お湯を入れすぎると不味くて食えませんでした。 そのまま食べるか、コップ一杯のお湯でふやかして、フライパンで炒める、焼そば風がスタイルでした。 1858年に日清からチキンラーメンが開発され、どんぶりに麺と生卵を入れてお湯を注ぐスタイルが確立し、その後のサッポロ一番みそラーメンで、季節の野菜を入れた本格ラーメンへと進化しました。 この頃には日本は高度成長期で、街のあちこちに ・缶ジュース販売機 ・カップスター販売機 ・エロ本販売機 がセットで置いてありました。 よく「お湯切れ」や「割り箸切れ」で泣きましたけど。 親からの仕送りに、カップめん一箱なんてのもよくありました。

tachin
質問者

お礼

>「お湯切れ」や「割り箸切れ」 >  言われてみれば、子供の頃、そういう自販機を見かけた事あります。でも、いつも切れてたような。    仕送りもあったのでしょね。  そういえば、私が幼稚園くらいの時、親が実家に荷物を送る場合は、駅まで荷物を運んで鉄道郵送してもらっていました。そういう時代でもあったのですね。

noname#224282
noname#224282
回答No.7

江戸の頃より「夜泣きそば」をはじめとする深夜営業の屋台がありました。 その後ラーメンならチャルメラ吹いて、駅前にはたこ焼き、移動しながら調理できる石焼き芋は、夕方から夜にかけて町中を回ってました。銭湯帰りにおでんで一杯なんて姿もよく見かけられましたね。 その後、インスタントラーメンができカップラーメンが発売され、コンビニがとってかわりスーパーも24時間に。 嗜好や食文化も変り、とにかく「食べられたら満足」の時代から「飽食の時代」に変化していくなか、屋台は消え去りつつあります。 今ではほぼ観光名所として「屋台」しか生き残れません。 縄張りの話、道交法、衛生管理、色々としがらみを乗り越えてまで続けられる人は少ないと思います。 コンビニが24時間365日、物流を切らさず営業していることはある意味異常な光景だと思ってますが。

tachin
質問者

お礼

 言われてみれば、屋台は幼少の頃見かけた記憶がありますが、屋台が道路に連ねているような場所で無い限り、今ではほとんど見かけないですね。  ありがとうございます。

  • seble
  • ベストアンサー率27% (4041/14683)
回答No.6

コンビニが無かった時代とはいつ頃を想定しているのでしょう。 コンビニなんてまだまだ歴史の浅い業種なので、私の若い頃には当然そんなものは存在していません。 コンビニという言葉も、パソコンという言葉もありませんし、携帯とは手帳を携帯するとかという意味でしかありません。 コンビニができたのは高度成長期以後です。カクエイセンセが逮捕されてからじゃないのかな? スーパーもまだでき始めぐらいで、普通に1軒の八百屋、魚屋が並んで軒を連ねているような感じです。果物屋というのもありましたが、普段は入りません。高くて買えないから。八百屋でみかんを買うのがやっと。もちろん暗くなれば店は閉まり、街灯がぽつんぽつんと灯るほとんど人も歩いていないような駅前商店街になります。 しかし、親の時代はさらに違い、そもそも電車なんてものはほとんどなく、駅まで歩いて何時間もかかるのが普通。 もちろん、自動車はごく一部にしか存在せず、自転車が高級品だった時代です。駅そばなんて、、、さあ?聞いた事はないので。 電気もろくになく、たいていの家は石油ランプです。 電気が無いんだから冷蔵庫なんてものは・・ 1週間の買出しなんてしないでしょう。米、麦、みそ、しょうゆ。あとはたまにめざしが付くぐらい。 卵も高級品ですから、病気の時ぐらいしか食べられません。だいたいは、自宅で栽培している菜っ葉の味噌汁とごはんだけです。冷蔵庫はいりませんね、w めざしが付いたら、あれ?今日は何の日~てな感じで。 もっとさかのぼれば、平均寿命も短いので、10代で子供を生まなければ子供が一人前になるまで自分が生きていられません。当然、結婚も早いです。 食事の支度などが結婚観に影響を与えてはいるでしょうけど、それがさほど重要な要因とは思えません。

tachin
質問者

補足

時代としては、1950年~1960年頃を想定して質問しております。場所は、都内山手線内側(父の大学、職場が内側であり、住まいもその辺と聞いてます)。

  • octopoda8
  • ベストアンサー率37% (346/925)
回答No.5

外食の場合、朝は駅蕎麦も多かったと思いますよ。 昼は喫茶店のランチや、蕎麦屋、ラーメン屋、職場への出前も多かったでしょう。 夕食は、ラーメン屋や蕎麦屋でも飯物、定食屋もたくさん有りました。 家では、独り者の定番と言えば袋ラーメンです。 たまにご飯を炊いた時も、おかずは肉屋の揚げ物でコロッケ、ハムカツ、ちょっと奮発してメンチカツ、たまには贅沢でトンカツ。 家ではあんまり野菜は食べなかったような。

tachin
質問者

お礼

 昼に出前を取ったという話をそう言えば聞いた記憶がありました。30年くらい前の刑事ドラマだと、そういうシーンあったなあ。  今では、職場に出前したら怪訝な顔されるし。  ただ、喫茶店は利用した事がないようで、私が学生の頃、喫茶店の話をしても、ピンと来なかったようです。なので、喫茶店の類は近くになかったのか、嫌いだったのか・・・。

  • hideka0404
  • ベストアンサー率16% (819/5105)
回答No.4

インスタントラーメン(袋状のもの)ばかりを食べるのは一般的だったようです。

tachin
質問者

お礼

 カップラーメンは1970年頃発売とWikiにありましたので、それ以前での質問になりますので、これはありえないかと。  袋面は、結構前からあったのでしょうか?。チキンラーメンは昔からあったそうで、最近はCMでよく流れてますが、私の子供の頃(30・40年前)は、チキンラーメンは、私は見かけた事がありませんでした。そのためか、10年くらい前にチキンラーメンを買って食べて、まずいと感じ、それを見た父も珍しく思って食べた記憶があります。

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