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コンビニ、24時間食事どころがなかった頃の食事
コンビニや、24時間の食べるところがなかった時代、一人暮らしの社会人は、どうやって、朝晩の食事をしていたのでしょうか?。 私の父親は10年くらい一人暮らしだったようですが、一応自炊らしき事はしていたようですが、はっきりと物言わない性格ですので、よくわかりません。昔は土曜は午前出勤でしたが、1週間の買出しをしたとしても、大型冷蔵庫がある時代ではありませんでしたから大量買い込みはできるはずもなく、作り置きで電子レンジでチンもできないはずです。 ふと思ったのですが、日本企業の特色?で退勤後の飲み会があります。 高度成長期、皆で金を出し合って、酒や食事、社員旅行をしたのが、慣習として残っていると聞いたことがあります。帰りがけ、先輩や上司のおごりで、飲み屋で夕食というのもあったのでしょう。そうやって食事を済ませていたのかなあと。 ですが、今やコンビニや24時間の牛丼屋もあり、自炊せずともよく、早くに結婚して専業主婦当たり前の家庭を築く必要もありません。食事には事欠かない状況です。 コンビニや24時間営業が先か、晩婚非婚率や繁忙体質が先かはわかりませんが、外食産業が、今の結婚観にも関係しているのかなあと感じております。 子供に関しても、共働きが影響で、家庭という物に縁を感じてなかったので、成長しても結婚しないものが出てきたのかなあと。
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- sutorama
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朝 喫茶店 モーニングサービス 駅 食パンと牛乳 家 トースト 目玉焼き とか? 夜 ファミリーレストランができる前は、夜23時ぐらいまで喫茶店やラーメン屋などの飲食店は開いていました のきなみ潰れましたけどね 書かれているコンビニや24時間の飲食店もそうですが、貸しビデオ店(今はDVD)が増えたことで、休日の映画デートも外食デートも少なく無くなり、家でDVDを見ながらコンビニのお菓子とかを食べるのがもう、普通とされていたのが10年ほど前ですね 仕事が終わって家に帰ってもヒマだった時代 でも今は、簡単にDVDもテレビ録画もインターネットもゲームもあるので、ヒマは潰せますし、ひとりでも平気な時代ですかね
- ultraCS
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当時は、今より町の安い食堂や中華料理屋の営業時間が長区、結構遅い時間にめしが食えたんです。 私の実家は水道橋で食堂をやっていましたが、昭和40年代は10時くらいまで営業していました。それがいつの間にか夜の客が減り営業時間を短縮、結局貸しビルを建てることになりました。 コンビニが登場した1970年代以降、こういった生活基盤の変動が起こったんです。 後は、出前文化の衰退でしょう。出前要員の確保が明らかに困難になっています。デリバリーピザのように店食を無くして高コストの出前なら別ですが、ラーメンやそばを店食のコストで出前することが出来にくくなっています。
お礼
私が学生の頃、都内でしたが、安く食べられる定食屋は、それなりにあった気がしますが、遅くまでやっているところは無かった記憶しかなく、結局ファーストフードやすかいらーくのような所で過ごすものでした。 水道橋というと後楽園だから、ナイター後でもやっている店は多かったのでは?とも推測できますね。父は上京者でしたが、先に兄である叔父が上京もしていたようでありますが、一緒に住む事はなかったようです。市ヶ谷~新宿の間くらいとか乃木坂近くが大学・職場だったようなので、その辺りに住んでいたようです。 昔は、遅くまでやっている定食屋があったわけですね。
- guess_manager
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カップラーメンとかサッポロ一番、うどんやそば、ご飯を炊いてふりかけなど冷蔵庫がなくてもガスがあればいくらでも食べるものは有りましたが。
補足
カップラーメン、サッポロ一番は1960年中期~1970年頃の発売のようなので、父の若い頃には発売されてません。ふりかけは食べてなかったような。お新香は食べていたようですが、毎日飯を炊く余裕はなかったようなので、時代が違うのかと。
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お礼
そういえば、子供の頃、大抵の駅で、パンと牛乳を売っているドリンクスタンドを見かけなくなりました。秋葉原にあるくらい?。昔はほとんどの駅にあったのでしょうね。それとラーメン屋台も言われてみれば、あるわけで。 でも、栄養偏る感じですが、親の世代と私の世代では、何か体質がやっぱり違うものなのですかね?。 ありがとうございました。