- ベストアンサー
人格が特殊すぎると、結婚などすべきではない?
- 人格が特異すぎると、結婚が難しいのかについて相談です。自身の経験や感性が通常とは異なるため、恋愛や結婚相手との価値観の違いに悩んでいます。
- 皮膚病の差別体験がトラウマとなり、自分自身の力で差別される立場から抜け出すために努力してきました。しかし、差別された経験や感情は根深く残っており、結婚や他人との関わりに幸福感を見出せないのではないかと疑問に感じています。
- 特殊な経験や人格によって、結婚や他人との関わりには大きな困難が伴うかもしれませんが、相手との理解と努力によって幸せな関係を築くことも可能です。自身の経験や内面の問題を話す勇気を持ち、信頼関係を築ける相手を見つけることが重要です。
- みんなの回答 (9)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
50歳の独身女です。 私も学生時代に、集団からはじき出され、社会に出て会社勤めをしたけれど、やはりドロップアウトして、集団や組織に属さずに生きる道を選択し、現在に至りますが、結果として同世代の人と比べて経済的にも時間的にも、余裕のある生き方ができています。 人と同じにできないことをずっとコンプレックスに感じさせられていたけれど、人と違う部分こそが私の価値だと気づいてからは、人生に迷いはないです。 あなたが今感じている迷いは、人と共感する必要性なんだと思うけど、人生を豊かにする人間関係は、共感じゃなくて、自分と違う考えや価値観を受け入れることで広がっていくものだと私は思います。 そもそも男女は、ものの考え方も感性も価値観もことごとく違うんだから、自分と同じ考え方の人をパートナーにするんなら、男なら男同士、女なら女同士の方がいいに決まってます。男女がカップルになるのは、お互いの違うところを受け入れあって、お互いの足りないところを補い、視野を広げることができるからいいんです。 苦労していない人にはそういう人ならではの、特別な感性があったりもするものです。自分と違うタイプの人の、自分とはまったく違う考え方を受け入れられるようになった時、あなたの人生がさらに飛躍し、人生を共にするパートナーや友達や、豊かな人間関係が広がるんじゃないでしょうか。
その他の回答 (8)
一度回答をさせていただいた者です。 質問者様は、色々な事を抱えながらも、その困難を乗り換えられてきて、病気にもならず、今も社会の中で頑張られていて、それを人にも評価される位までに頑張られてきたんです。 もっと自信を持たれていいと思いますよ!! 私は、大したことは言っても、病気になってしまい、社会復帰はまだできていない身分です。だから、質問者様と同じような気持ち等を経験しても、でも自分は病気になってしまい、家族にも迷惑を掛けてきました。それだけでも、それをしていないだけでも凄いことだと思います。 ただ、今もお苦しいのは若輩者ながら、御察し致します。 今も、社会や世間の中で・・どこかで他人と自分を比べられているのでは・・と思いました(違っていたらすみません)。 趣味などはありますか? 今まで、十分に社会のなかで頑張られてきたのだから、自分へのご褒美。自分を大切にしてあげる時間を取られたらどうでしょうか・・。 仕事や普段の付き合い等とは全く関係のない「自分」の居場所を作られたらどうでしょうか? 人と比べないですむ、自分が没頭できること、何でも良いと思います。写真とか山登りとか、陶芸、スポーツ、ボランティア等など・・何でもいいんです、自分が没頭出来るもの・・。それを見つけられて、自分の今までの色々な抱えてきた思いとか、日常のことを忘れられること、(人に何と言われようと関係なく・・。結婚とかそういったことを意識しないで)そういったものを見つける。 そうしたことをやっていたら、その中で、同じ趣味の方とかにもしかしたら出逢うかもしれません。そういった中で、人生のパートナーと呼べる人がもしかしたら見つかるかもしれません。 そして質問者様が今まで色々と抱えながらも頑張って社会で戦ってきて、人に評価されるまでに頑張られてきたこと。 人より苦しんできた分、その分人の気持ちが理解出来る、困っている人にやさしく出来ると・・思います。特殊なんかではないと思います。いつかそう思っていた事も、より人の気持ちの解るための経験だった・・って思える日が来ると私は思います。質問者様の頑張りはきっと、同じように苦しんでいる方達の勇気になると思いますし、もし子供さんが出来たら、きっと誇れることだと思いますし、パートナーと呼べる方には、きっとそういう質問者様のことを解ってくれる方だと思います。私はそう、信じています。 (質問者様の御意向に沿う回答でなかったら、すみません・・ もし、回答に失礼がありましたら、お詫びいたします。)
お礼
重ね重ねありがとうございます。 >どこかで他人と自分を比べられているのでは そうですね。比べることなど無意味なのは承知しているのですが、 結婚や恋愛だとか、選んでもらう立場と考えると、 わざわざ身体にも人間性にも難のある男など…と考えてしまいます。 仕事や自分の器量には、一定の自信はあるのですが、 女性に好かれる材料にはならんようで(笑) どうも誤解されがちですが、趣味はそれなりに手広くやっています。 失礼が無い程度の外見にはしてるつもりだけど、 余程雰囲気に問題があるのかも知れません(笑) 失礼だなんてとんでも無いです。 暖かいお言葉でした。少し気分が楽になれました。 c-35-yさんも、病気はどうしようもないものです。 あまり気に病まないで下さいね。
- no2nna8n
- ベストアンサー率16% (95/567)
40代女性です。 男性が色々なように、女性も色々です。 あなたに合う方はいらっしゃると思います。 全ての価値観が合う人はいませんが、この部分が合えばいいという核心の部分はあると思います。 例えば経済観念。 人との距離の取り方。 モラル的なもの。(自分の利益のためにルールをゆがめてしまう人間なのか、ルールの範囲内で我慢できる人間なのかという意味です) このあたりはかけ離れていると一緒に生活することが苦しくなるでしょうね。 私事で恐縮ですが、我が家は夫婦2人とも自分の時間(と空間)がないと息苦しくなってしまう性質です。 各自の部屋を持っていて、余程の事がない限り、その部屋にいる時には邪魔しません。 1人の時間に伸び伸びできるので、2人でいる時にはゆったりした気分で過ごせます。 2人とも同じ価値観なので、快適にいられるという例として出しました。 人格形成に影響があった過去のいじめは、自分の中で消化するしかないですよ。 配偶者には過去のいじめの責任はないし、結婚さえすれば救済されるということもありませんから。 結婚相手が過去のいじめを洗い流してくれるということはないのです。 いじめの経験があったから今のあなたがいるのですよね。 辛い経験は今後の肥やし・糧にするしかないのです。 人間の持つ醜さ、愚かさ、弱さ、恐ろしさ、悪意に触れたことで人間に対する洞察が深くなったと思いませんか? 決して自分はああはなるまいと決意しませんでしたか? 結婚や他人との関わりに幸福感や平穏を見出しやすい人格というのはあります。 それは日常の些細な幸福に気付き、感謝することができるという性質です。 自分の人格は精進することによって高めることができます。 いじめという過酷な経験をはねのける精神力のあるあなたならできると思います。 (逆に、いじめをするような人間は幸福を感じる感度が鈍く、常に不平不満でいっぱいの不幸な人なのではないでしょうか) 過去は変えられません。 苦しいだろうと思いますがご自分で消化なさってください。 そして未来は未来です。 過去に縛られることはありません。 一緒にいて安らぐ、癒される、思わず笑顔になる、そんな女性とぜひ出会ってほしいと思います。
お礼
遅くなりましたが、ご回答ありがとうございます。 >人格形成に影響があった過去のいじめは、自分の中で消化するしかないですよ。 うーん、これは出来てるっちゃ出来てる(つもり)なんですよね。 今では悪意を持って接してくる相手には、 仕事がらみだろうが、叩きのめしても困らない程度の評価は得ているので。 実害は時折、憎悪で心身を消耗する程度です。 生活費を稼いで生きる分には、なんら問題が無い状態です。 問題は、それで作り上げられた人格では、 とても理解してくれるような相手とは、出会えそうに無いことですね。 数年間、交際した相手とは結婚の約束もしていましたが、 相手の浮気で破綻という、わけのわからん結末でした。 (別に私が結婚を引き伸ばしていたとかではないですよ) そんな人間が病気だったときも、 もしもの時は一生養おうなんて考えていた自分を、 愚かしくすら思うことがあります。 今でも一体、他人に何を期待しているんだか…。 すみません、愚痴になってしまいましたね。 励ましのお言葉、ありがとうございます。 >一緒にいて安らぐ、癒される、思わず笑顔になる そんな人が居れば、きっと楽しいでしょうね。 >決して自分はああはなるまいと決意しませんでしたか? クソみたいな人生でも、こんな矜持だけは持ち続けたいものですね。
- nagaineko
- ベストアンサー率28% (563/1990)
アラフォー男です。 あなたの言ってることって、なんとなく理解できます。 僕も30歳ぐらいの時はそれに似たようなことを考えてました。 >最近、「それで良いのか?虚しくないか?」という疑問が沸いています。 これは、良い感性だと思います。 人間の本能っていうかね。 結婚って何なのか? それはしたものにしかわからない・・・。 案外、結婚って、わかったようで、わからないものじゃないですか? 自分は結婚して10年くらいになりますが、自分が思っていたようなもの じゃなかったですね。(笑) ほんと、試練ですよ。 当然、価値観も合うし、うまくいくだろうと思って、誰しも結婚するわけです。 でも、現実はそう甘くはありません。 生まれも育ちも違うんですから・・・。 相手を通して、自分と向き合う試練の始まりです。 乗り越えられなければ、離婚でしょうね。 40過ぎて、こんなどえらいめに合うとは思いもしませんでした。 あなたの場合、まだ人生30年でしょ? まだまだこれからですよ。(笑) いくら頭で考えてもこれだけは、絶対わかりません。 良いなと思う人が現れたら、結婚してみればいいと思いますよ。 >結婚や、他人との関わりに、幸福感や平穏を見出すのは難しいでしょうか? 僕は難しいんじゃないかと思っていましたが、考え方が変わりましたね。 今は、むしろ、幸福感や、平穏は、他人とのかかわりの中にしか ないんじゃないかとさえ、思っています。 でも、ここへ至るまでには、やはり結婚という一番密接な他人との 関わりが必要だったように思います。 のたうちまわるような、苦しみの向こうにそのような境地があるんじゃないですかね? 僕らのような人間にとったら。 あなたは、いままで、たくさんのものを乗り越えてこられたんだと思います。 大変だったと思います。 でも、これからも、乗り越えなければいけないものがまだまだあるんですよ・・・。きっと。 それは、私が、あなたより10年余計に長く生きて、そう感じているって話です。
お礼
遅くなりすみません。ご回答ありがとうございます。 >幸福感や、平穏は、他人とのかかわりの中にしかないんじゃないかとさえ そうですね…。 独りでも生きられるけど、単に生命維持ができるだけでなんなんだという気持ちがあります。 結婚はしたいのが本音です。 私の人間性を気に入ってくれる人がいるか、気が合う人がいるかってのが、 大問題なわけですがね(笑)
- larme001
- ベストアンサー率44% (271/608)
貴方が納得するかどうかはともかく思ったことを書きます。 相手が牙を向けてこちらに噛み付いてこれば警戒するのは当たり前です。どんな人間だって、心を割らない表面的な付き合いをしているように見える人間に、こちらも心を開きたいとおもうようにはなれません。多くの人間が大人になってから親友を作れないというのは、社会的に何かを失うことを恐れて自分をさらけ出すことに億劫になっているからなのです。そう言う意味では、貴方は自分を閉ざすことで他人から距離を置き、それによって自分を自我を守る手段を様々な辛い経験から得たのかもしれません。ですが、そんな自分もやっぱり辛いと思いっているわけなのでしょう。 他人である人間同士が理解出来るかどうかなんて誰だってわかりませんし、皆それに多少なり悩みながら生きているもんです。たとえ親だって本当に自分が思っていることを理解してくれているかどうかはわかりませんし、それは見方になってくれることとは違います。どんなに人格者、素晴らしい人でも妬んだり憎んだりしてくる人はいますし、全ての人がその人を尊敬するわけでもありません。逆に、どんなに客観的に素晴らしい人だと言われる人間であっても全ての憎しみを世の中からぬぐい去ることができる人間はいません。もし「愛」で世界が変わるのであれば、マザーテレサが「隣人を愛しなさい。」ということで世の中から憎しみがなくなることができたでしょう。ただそれでも、マザーテレサは「愛」を貫いて一生を終えていったわけです。それでも彼女が仮に世の中に認められようが認められなかろうが、それで辛かったのかはわかりませんが、さみしかった、人生に後悔しているとは思いませんけどね。 人生30年生きてやっぱり一人で抱え込むのは辛い、と思うのであれば思い切って謙虚になれる自分を模索するのがいいのではないでしょうか?最終的に結婚かもしれませんが、それは結果としてついてくるでしょう。誰かに心を打ち明けて、結局それで辛い思いをしたからといっていいではないかという心を得ようではないかということです。他人を恨むのだって妬むのだって疲れるでしょう。もう少し落ち着いて穏やかになれればいいんじゃないかと。同じ感性をもっている人間がいない、と言っていますがそれは多分間違ってます。世の中偽善者と言われる人間も沢山いるでしょうが、中には本気で世の中を良くしようと頑張っている人間だっているのです。何かのために、世の中を動かすには想像以上の力が必要です。そういう人の中には、すごく苦労して育った人だって多いですし、貴方と似たような屈辱的な人生を歩んできた人間だっているでしょう。彼らがなぜそういう活動を必死にやるのかは、本当は決して世の中を変えたいという崇高な目的ではなくて、自分の憎しみから逃れるためにやっているのではないかとも思うのです。そういう方向に向かうか、今までのようにカラにこもって憎しみから逃れるかどちらが自分にあっているのかは答えが出ているような気もします。 旅行とかいきますか?本とか読みますか?途上国とかに旅行に行って物乞いとか見たことないですか?ベトナムとかでバイクタクシーとかの運ちゃんとかと話たことありますか?日本という国で生活していると食べられずに生きる死ぬということを本当に考えないかもしれないですが、そういう国ではまさにそれが切実な人も多いのです。かれらは、おそらく差別だのなんだとなんておそらくどうでもよく、自分がお金を手に入れられるか、この(金持ちそうな)日本人からお金をいかに沢山取れるかというような考えしか持っていないように見えます。まあ、そう言ういみでは親切なんですけどね。小さい子供(10歳ぐらい)にチップを要求されるわけです。憎しみとかそう言う感情ってのがそもそもあるのかなあ?というような感じさえあります。だから、憎しみとか博愛とかそういう感情ってのは、そういう感情があることこそ世界的には恵まれて育ったのかもしれないということですよ。まあ自分の人生観をしっかりと考えたいなら長期休暇に一度ふらっと旅してみるのもいいと思いますよ。難しいことは棚に上げて。本とか読まないのでしたら、遠藤秀作なんかを読んでみたらいいと思います。有名なのは色々ありますが、個人的には、海と毒薬⇒悲しみの歌、の流れで読むといいと思います。一人の人間の罪と人生、そして周りの人間が描かれています。要するに、自分をさらけ出すことに億劫になっているのと同時に、自分が何かを受け入れることに対しても億劫になっているのではないかとも思います。いきなり今ある自分の生活圏内で心を開いて失敗する困るでしょうから、それならボランティアとか(まあ偽善も多くいるでしょうが)、趣味でもなんでもいいのでそういう第二の場所を見つけていざとなったら逃げられる場所で全く違う自分を築くことからはじめて見てはどうでしょうか? 長文失礼します。
お礼
遅くなりましたが、ご回答ありがとうございます。 >崇高な目的ではなくて、自分の憎しみから逃れるためにやっているのではないかとも思うのです。そういう方向に向かうか、今までのようにカラにこもって憎しみから逃れるか 正直、少し極端に感じますが、一種の代償行為ということなのでしょうね。 何かな…自分と似たような葛藤を持っている人の力になれればとは思うのですが、 慈善活動を行うには、人の汚さを知りすぎたかな。 ただ、時々見知らぬ人を助けてあげたりすると、 何故か自分が救われたような気持ちになることはありますね…。 ボランティアなどで違う自分を築く、ですか。 考えてみます。 それと、海外の一人旅や読書はそれなりにしますよ。 日本人の旅行者は、まず行かないようなところも徘徊します。 個人的には、生きるか死ぬかと言う状況と、過去にも将来にも希望が無い人間とでは、 比較対象としてのベクトルが違うように感じます。 ただ、日本のような息が詰まる空気はヨソの国ではあまり感じないので、そういうところは好きですね。 遠藤秀作の本、アマゾンのレビューを見る限り面白そうですね。 馳星周みたいな、人間の内面を身もふたも無く描くような心理描写は好きなので。 読んでみます。
- hekiyu
- ベストアンサー率32% (7193/21843)
”やはり、このように特異な経験・人格を持っていると、 結婚や、他人との関わりに、幸福感や平穏を見出すのは難しいでしょうか?” ↑ 私の嫁さんもそうです。 若い頃に、人には言えないひどい経験をして それから性格が曲がりました。 他人は総て敵、という感じです。 こういう性格の人間が幸福になるのは難しいと思います。 ”逆に、自分は苦労してきたけど相手は違う(あるいはその逆)というケースで、 うまくいっている人はいるのでしょうか?” ↑ 私は逆ですね。 全くノンキに人生をやってきました。 お陰で性格も人畜無害の善人で通っています。 それでも嫁さんとは上手くやっていると 思っています。 ”その場合、何がうまくいった理由だと思いますか?” ↑ 1,価値観の一致ですか。 価値観の総てが一致する、というのは不可能です。 基本的な価値観が一致すれば問題ありません。 具体的には、経済感覚があります。 二人ともケチです。 お金はほとんど使いません。 2,私は非常にノンキにやってきましたので 性善説が身に染みついています。 だから 嫁さんの偏屈な性格もあまり気になりません。 3,嫁さんは、たいそう偏屈ですが、努力家であり 勉強好きであり、仕事にはもの凄く誠実です。 そういう処が尊敬できます。 それが原因かな、と思っています。 ま、私も嫁さんに尊敬されるよう、頑張っている つもりですが。 要するに、欠点をカバーできる何かを持っていれば よいのではないでしょうか。
お礼
価値観の一致と尊敬、ですね。 欠点をカバーできる何か… まぁ、大抵の事はシビアに判断でき、 いざってときにそこらへんの男よりは頼りになる、この程度でしょうか。 同年代の女性は、 自分の幸運が一生続くと信じ切ってるようですから、 残念ながら、特典になってないらしいですね。 ご回答ありがとうございました。
- ash_fxdash
- ベストアンサー率10% (91/856)
40代男です。 苦労も差別もされたことがありません。 あなたの言う運に恵まれて生きてきた側の人間です。 あなたは、本当は人から愛されたいんだよね。だけど、いつ自分を 傷つける側に回るかわからないから、いろんな鎧をまとって自分を 守っているんだよね。 確かにね、あなたの心の傷を理解して共に歩んで行こうと思う人は そうはいないと思うし、出逢ったとしてもあなた自身がその人の気 持ちを理解出来ないんじゃないかと思う。 もう誰もあなたを傷つけないし、鎧を脱いでも大丈夫だと思うこと だと思うよ。 まぁ今の自分を変えるってのは、怖いし、そんな簡単に出来ること じゃないので無理しない程度にボチボチでいんじゃない?
お礼
>本当は人から愛されたい そうですね。我ながら自分の愚かさに呆れます。 >まぁ今の自分を変えるってのは、怖いし、そんな簡単に出来ること >じゃないので無理しない程度にボチボチでいんじゃない? なんだろう、漠然と自分を変えたい気持ちはあるんですが、 何をどういう方向に変えればいいか、分かんないんですね…。 虐げられない立場に変わるってのは、 目的もやることも明確だったから簡単だったんですが。 別にお友達いっぱいとか、誰とでも仲良くなんて思わないんですよ。 ただ、ごく少数だけは理解しあえる間柄を築けたらな、とは思います。 ありがとうございました。あまり焦らず、ゆっくり考えてしまう。
補足
>ゆっくり考えてしまう。 上記は誤記です。 正:ゆっくり考えてみます。
三十代、女性です。 長年大病をし、また小さいころから自分と周りとの違いを感じていました。今もそれはあります。 自分も結婚は出来ないと思っていました。 でも、そういったこともすべてを話せる人を見つけることが出来ました。 自分は今まで何かと病気の多い人生でした。心も体も。 だから、将来はその今までの経験を活かして医療関係の仕事に就 きたい・・と思っていたところに、その方との出会いがありました。 変だと思っていた自分の今までの人生を受け入れ、医療 関係の仕事に就くという事を本気に考えていた時でした。偶然ですが・・、この人と出逢うために今までの自分の人生があった のかな・・って本当に思いました。 その彼には、自分の全部を見せています。すべてを話しています。喧嘩も沢山しましたけ ど、そんな喧嘩も今まではしたことがありませんでした。 そこまで、人とぶつかったことはなかったです。 それで色んな思いもしましたが、この人だ!!この人しかいないっていうモノがあるので、続いていますよ。 質問者様もきっといい出会いがあると思います。 変に自分を偽らないで、人と比べないで、そのままの自分を好きでいること ・・が大事なのではないかな・・って思います。
お礼
>人と比べないで、そのままの自分を好きでいること 自分を好きかと言えば…あまり好きにはなれないのが実情ですね。 それなりに努力してきたことは肯定していても、 人生を楽しめているという感覚が薄いからかな…。 ご回答ありがとうございました。 良き理解者に出会えたこと、嫉妬とかでなく、素直に羨ましいです。 お身体、大切になさってください。
- guess_manager
- ベストアンサー率33% (1175/3512)
あなたがご自分の体験をさも特別なように語っていますが、そのような体験がなくても結婚できない人はいっぱいいます。 他人から見れば、あなたの過去などどうでもいいのです。 逆に言えば、あなたを見ている人は今のあなたを見ています。 ちゃんと努力をして仕事でも評価される立場にいるのですから、過去のことなどどうでもいいではないですか。 そんなものはあなたの脳の中に記憶されているだけで、現実には存在しないのです。 自分は特別だったという意識から解放されることから始めてみてください。
補足
>過去のことなどどうでもいいではないですか。 仰るとおり、本題は過去ではなく現在です。 過去のことは、経緯の説明の為に書きました。 今現在も、「考え方や価値観が誰とも合わない」のがポイントです。 >自分は特別だったという意識から解放されることから始めてみてください。 自分には無い視点でした。方法は思い浮かびませんが、考えてみます。 ありがとうございました。
補足
>自分とはまったく違う考え方 確かに兄弟や友人のお気楽さのお陰で、気分が楽になれることはあります。 が、それに必ずセットで付いてくる、 運のよさが最大の根拠である薄っぺらな傲慢さと、思慮の浅さは、 ただただ不快ですね…。友人であればスルーできますが、ね。 苦労を知ってて能力もある人(超例外)が傲慢な分には、 あまり別に気にならないんですが。 尊敬はできないので、 パートナーには、苦労知らずや、苦労しただけで何も身に付けていないような人は、 ゴメンなのが正直なところです。 とはいえ最近はごく時折、 自分と違う考え方に、軽い感銘のような気持ちを感じることがあります。 参考にさせて頂きます。ありがとうございました。