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「~するのは」という日本語
日本語の質問です。 「~するのは」という日本語は正しい日本語ですか? 例えば、 (1) 勉強するのは良いことだ。 (2) 本を読むのは大変だ (3) 水が沸くのは100℃のときだ。 正しいというか、口語ではよく使われますけど、文章(公文など)で使う場合も おかしくないですか? よろしくお願いします。
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こんばんは深更に失礼します。補足ありがとうございました。 >「テストの点数が低いのは、勉強しないからである。」という文章で、この「の」は「理由」の置き換えであると考えて良いですか? よろしくお願いします。m(_ _)m 仰るとおりです。「テストの点数が低い」との事実に対し、「それは勉強しない“から”である」との理由を述べています。ですからこの「の」は原因・理由を述べているとお考えになって支障はありません。 句読点や接続詞を使って二つの文をつないで一つの文としている場合、先の文で「の」の意味を確かめるには後の文を読んでそこに使われている言葉と「対をなす言葉」から推測してみると解り易くなるともいえますので、その様にご理解いただければと存じます。よろしいでしょうか?
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- TANUHACHI
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こんばんは夜分に失礼します。 結論からすれば「別に問題はない」となります。 (1)勉強するのは良いことだ→勉強することはよいことだ (2)本を読むのは大変だ→本を読むこと(=本を読む仕事)は大変だ (3)水が沸くのは100°Cのときだ→水が湧く温度は100°Cのときだ の様に「の」は「他の言葉の置き換え」として扱うことができるからです。 一般的な文章ならば、これを取り違えて解釈する人は先ずいないでしょう。けれども質問者が疑問を持つように、役人は「文書表記」に拘るのが悪しき習慣ともいえます。殊に霞ヶ関あたりの狭い世界でしか生きていない種族の人間にはそうした傾向が顕著に見られ、国会などの答弁書を作成する際に、「相手に言葉尻を捕らえられない様に注意の上に注意を払う」との姿勢を見ることもできます。 因みに「公文」は恐らく「公式文書」との意味でお使いになっていると存じますが、公式文書は公式文書であり、決して「公文」などとは記しません。某学習塾チェーンか何かと勘違いされてしまいますので、こうした表記をお使いになるのは、質問文を寄せている方としては足下に穴があると存じます。 【追記】 話し言葉と書き言葉が同じ形になったのは少なくとも江戸時代には見られる現象です。式亭三馬の『浮世風呂』などにその一端をうかがい知ることもできますが、文学史上では明治以後に「言文一致体」として両者に区別を持たせないとの運動があったことも知られています。 官公庁の文書だけを基準にすることは必ずしも正当ではありません。
全くおかしくない。 後は文体の問題。
補足
追記で質問なのですが、 「テストの点数が低いのは、勉強しないからである。」 という文章で、この「の」は「理由」の置き換えであると考えて良いですか? よろしくお願いします。m(_ _)m