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人を信じられる人って、どうなってんの?
ぼくは人間不信です。 原因は、おそらく友だちがいなかったり、 いじめられたり、大人の縛りに、反感を覚えたといったところ。 逆に人を信じられる人って、 友だち多かったり、みんなに好かれたから、 なれたんですか? 人を信じるって、なに? そもそも、ぼくが人間不信になった理由って、 こういう境遇ですか? それとも、考え方? 推測でもいいので、お願いします。
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人を信じる。ただし全てを信用して居るわけではない。 人を知ることかな。自分も含めてです。 まず私は自分を信じるためにはどうすべきか。と考えます。 裏切らない。嘘をつかない。助けてあげる等々。でも、全て出来るわけでもありません。 でも、自分も相手も結果がどうであれ、動いてくれた事は分かりますし、感謝しますし、されます。(たまに)。そこで感じるのは感謝すること。文句を言って居るだけでは自分勝手な事です。でも、感謝の言葉があると、嬉しいですよね。そういう人々がいるからこそ、信用出来るのかなと思っています。 そして、誰しも持っている悪い部分がある。これを受け止めること。そして、その悪い行動はなぜ起きたのかと考えます。何らかの理由があります。自分自身の問題もありますし、関係のない事もあります。その中で改善出来る物は何か?と考えて見るのも大切です。 そのようにして、自分を良い存在に変えていくことで、相手からの信頼が生まれてきたりします。 質問者の人間不信は自分は悪くないという前提で居ます。これは誰もがもつ感情ですが、悪くないけれども、どうすれば良いのかな?と考えたときに分岐点が生まれます。良くしていこうと考える人は、考えます。そしていい方法や相手のことも含めて考える事で、お互いに良い関係を作れる方法を見つけます。 しかし、考えないで居ると。相手に原因がある。相手が改善しないとという考えになりますが、相手に対して、それを伝える事もしないで、相手が改善する事を待っているだけに成っています。 つまり、待っているだけの状態です。待っているだけだと色んな考えも浮かび、より相手の悪い部分のみ強調していって、信用出来ないという形でとりあえず思考が停止します。 今の人間不信を無くすには待つのではなく、あなたが動く事なんです。自分の考えを伝え。間違いを訂正し、改善していく。 私自身子どもの頃はいじめられっ子。でも、私は優しい心があったから、手助けとかしていました。虐められていてもつきあいは良い方でしたね。人を分析するということも。そして、いじめからの克服するヒントを見つけました。虐められているときの反応を楽しんでいると。それに気がつき、逆の事をしていきました。泣いていたのを、絶対に泣かない等々。そして、何が楽しいのかという哀れむ事も多くなった。沈静化していき、より観察が出来たので、今度は逆襲ですね。ただし、相手が怒るにも怒りにくい悪戯を。その時に悪い心もあることに気がつきました。むしろこれが今の私を支えていると思って居ます。悪い事を考えるから、その逆の事をすれば喜ばれると。 人を全て信用する必要は無い。ただし、小さい事での信用は出来る。それを多くすることが大切だと。
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- mimazoku_2
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人間には、「人の輪」というのがあります。 この「人の輪」、人間同士のつながりではなく、相手のテリトリーにどこまで踏み込めるのか?という意味です。 つまり、どこまで踏み込むと、相手が怒るのか、知っているので、その直前までにしておけば良い。 これが、信用であり、これの相互関係が信頼関係となります。 あなたの場合、自分のテリトリーを出た段階で、相手を拒絶しているので、相手が信用出来ない。 だけど、「大人の縛りに、反感を覚えたといったところ。」という事ですが、あなたは一定条件下では、活動が出来ないと言う事ですね。 いわゆる、「子供状態」。 年齢が、20才以上ならば、自分で1歩を踏み出さないと、誰も近寄ってきませんよ。
お礼
ふむ。 一定条件下では動けないですか。 それは悔しいですね。 どんな条件でも好き放題動くことにします。
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お礼
かなりズバッとくる分析、ありがとうございます。 まず、自分は悪くないという前提。 たしかにありますね。 ただ、相手を責めるのもメンドーだし、他責はキライ。 結果、人と距離を置くことになるのでしょう。 その時にどうすればいい関係を築けるかを考えてないし、 考える気さえ起らないのでしょうね。 相手の悪い部分の原因も考えずに、単に「こいつ、イヤだ」「関わるのよそう」ってなってる部分もありますね。 要はぼくは、思考停止状態なんですね。 いろいろ考えさせられました。 感謝します。