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回転中の独楽の理想的中心(点)は回転していますか

以前にも同じような質問をさせていただいたかもしれませんが、やはり釈然としない気持ちになっています。回っている独楽は確かに回っていますが、中心(点)というのは回転していてもわからないものなのか。現実の独楽は軸の先端で位置を変えている部分は中心ではないように思えるのですが、どのように考えたらよいのかご教示いただければ幸いです。

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  • stomachman
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回答No.11

 独楽の運動を力学で扱うには、いろんなメンドクサイことを切り捨てて行く必要があります。ここで言うのは、ただの捨象(その独楽に伴う様々な属性、たとえば色、材質、持ち主、製作者、価格を無視するなど)のことではなくて、物理現象のうち主要ではないものを無視してしまうこと、つまり近似です。  物理的実在としての独楽は素粒子の集まりだと言うなら、素粒子同士の相互作用を全て考えなくてはならない。これを「第一原理計算」と言います(が、これだって非常に効果の薄い相互作用は無視している近似なんです)。第一原理計算は水素などの軽い原子1個について、スパコンを使ってようやく可能になったかどうか、というレベルですから、この考え方では「ただ独楽が置いてある。それが崩れ去ったりしない」ということすら説明できません。  独楽がもあもあしている存在だ、いうことは、しかしながら極めて微小なもあもあであって、実測するのも無理なほどです。なので、これは連続関数で近似してしまう。すなわち、3次元空間中のある点の集合Sを考え、Sの各点s=(x,y,z)について、密度を表す連続関数ρ(s)が対応しているとします。こうして、独楽を「密度の空間分布」で近似したわけです。  さて、独楽を回すということは、独楽の各点が勝手な軌道で運動するんじゃなく、塊として一斉に動き、変形しない。このような物体のことを「剛体」と言います。剛体に固定した座標系というものを考えれば、剛体が運動することを座標変換として表せる。それによって、運動を平行移動と回転に分解できるようになり、「ある瞬間における回転軸」というものがはっきり決まる。  ところが、特殊相対性理論の初歩的知識を使うと、剛体という概念は物理的実在とは相容れないことが分かります。なぜなら、加速運動する物理的実在であれば、部分ごとにローレンツ短縮が異なるために、内部応力が発生して、それによって変形しなくてはならない。もし応力が猛烈に大きければ、破壊してしまうでしょう。変形や破壊が生じたらそれは剛体ではない。  ただし、この変形が目に見えるほどになる以前に、現実に存在する材料で作った独楽は回転の遠心力のために引き裂かれてしまう。ですから、回転はうんと遅い、という前提を置いて、相対論的効果を無視し、ニュートン力学で運動を考える。それなら剛体だと考えることができる。というわけで、ここでも近似が必要です。  なお、ものすごく重い独楽が速く回転していると、周囲の時空に奇妙な歪みが生じ、独楽に近づいた物体はまるで引きずられるかのように回転します。これは一般相対性理論によって予言された効果ですが、ブラックホールと思われる天体の周囲から来る放射の解析結果は、予言と矛盾しないようです。天文学では、時空の歪みを考慮した独楽の方程式にも意味があるということです。が、大抵はこれも無視して近似します。  独楽に掛かる主要な力は、重力、独楽を支える接地点からの抗力、接地点における摩擦です。たとえば、傾いて回る独楽を考えれば、いつも同じ点で接地しているわけではない。接地点での摩擦、それによって接地点の場所が変化する、それによって摩擦が変化する、という風に相互に関連しているわけで、これらを含む運動はものすごく複雑です。この効果があからさまに現れるオモチャもあります。たとえば、「逆立ち独楽」を回すと、すぐに回転が不安定になったかと思うと、くるりとひっくりかえって逆立ちし、安定した回転をする。また、「セルト石」は細長い舟形の石の底面が、石全体の軸とは異なる軸をもつ凸曲面になっている玩具。これを机上に置いて指でつついて回すのですが、左にまわすとくるくる回る。ところが、右に回すと、すぐに回転が振動に変化し、そして左に回転しはじめます。結局、左にしか回らない。これらの運動は(個別の事例については説明できているにしても、)一般理論としては多分まだ解析的に完全には解けていない難問だと思います。  なので、「無重量状態で、何にも接触せずに回っている」という最も簡単な場合をまず考える。ところが、それですらまだよく分かっていないのかも知れません。というのは、国際宇宙ステーションの乗員がペンチを空中で回す実験をしたところ、とても奇妙な運動が生じることを発見した。これはまだ理論的にキチンと説明できていないのでは?( http://repository.aitech.ac.jp/dspace/bitstream/11133/979/1/紀要30号B(P27-35).pdf )。  独楽に掛かるその他の力としては、独楽の周囲にある気体との摩擦、独楽自身が発生する音波、独楽に飛んで来る光の反射と吸収、独楽自身の中の熱の移動とそれによる熱膨張、その他、うんとこさある訳ですが、これらを全部相手にするのは到底無理なので、みんな切り捨ててしまう。これも近似です。  以上の準備をして、ようやく、微分方程式で記述される剛体の力学(平行移動や回転)の俎板に載ります。「準備」と言うと聞こえがいいけれども、難しいことを無視する近似どっさり重ねて、ようやく力学で扱うことができるモデル(模型)が得られた。  ということは、「重心の軌跡」だの、「回転軸」だのはすべてこのモデルに関する概念でしかない。物理的実在としての独楽の運動そのものとは随分かけ離れています。言い換えれば、「独楽の中心は回っているか?」という問いは、その「独楽」が力学的モデルを指しているのであれば、「回ってる。いや、回ってない」という議論が可能です。しかし「独楽」が実在の独楽を指しているのだとすると、「独楽の中心」という概念も、いやもしかすると「回っている」を含めた「運動」という概念すらも、確かな定義が(ないのはもちろん)作れるかどうか、はなはだ怪しい。文字通り「それじゃ話にならない」。  逆に言えば、実在の独楽にこだわり続けていると「面白いな、不思議だな」から一歩も先に進めないということです。  そこで、物理学では、近似であることを承知でモデルを考えて解析する。それがすっかり出来たら、次にはそのモデルに、無視してしまった効果のうち、影響が大きいと思われるもの(接地点の力学や、空気の抵抗など)を順々に組み込んでみて、何が変わるかを調べる。そうやって、実在の独楽に少しずつ戻って行く、というやりかたで研究する。 > どのように考えたらよいのか というお尋ねに対する、幾らかのヒントになると良いのですが。

noname#194289
質問者

お礼

自分が質問者であることを忘れて最後まで読ませていただきました。貴文をを読ませていただいて、私の質問本文の中に書かせていただいた釈然としないというのが私の理解力不足もさることながら、独楽の回転という現象が非常に難しい問題なのだろうと、ボンヤリではありますが、感じました。紙を巻いた独楽を作っていると、ときどきうまく回らないものが出来てきます。うまく回らない理由が軸のわずかな傾きであることもありますが、それだけでないようにも思います。私の理解力からは当然のことながら、当初の釈然としないという、落ち着かない気持ちはあまり払拭できていないのですが、皆さんの温かいご教示を糧にできるかぎり勉強させていただきたいと思います。また独楽作りは探究精神に刺激や緊張を与えてくれる大切な趣味とも改めて思いました。

noname#194289
質問者

補足

眠りゴマがすでに、何か怪しい表現なのでしょうね。

その他の回答 (14)

  • CC_T
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回答No.15

> 赤い点線によって示されている環が左のように一点にならくても、ある程度小さくなれば、よく回る その通りです。 重心は点で、回転軸は線です。回転軸は必ず重心を貫きます(そうでないと偏心カムのように振動しまくります)。 宇宙など無重量状態で独楽を回した動画がありました。 http://www2.edu.ipa.go.jp/gz2/d-etu1/d-muj1/d-mrj1/IPA-etu130.htm 添付図と共に参考してみてください。 重心と回転軸のズレがあると、極端に言えば添付図右下のように「ブレる動き」がでてきます。 このブレは地上では独楽の軸の接地点を水平方向にずらそうとする力となり、独楽が振動して回転ロスになります。 また、独楽の軸には太さがあるので、独楽が歳差運動をすると独楽の軸の接地点が時々刻々変化します。 独楽の軸はもちろん回転していますから、例えば軸が円筒の場合は底の円周で地面に接することになり、独楽が一定位置に「座」らずに、「歩く」要因となります。 これは軸の先端を丸くしておくことで軽減します(回転軸と独楽の軸の先端接地点が一致しやすくなる)。

noname#194289
質問者

お礼

始めのほうで教えていただいた方が→0と0そのものの違いを考えると納得できる事でした。おっしゃっていることと同じことを意味していると思います。ごていねいにご教示いただき感謝いたします。軸がない独楽の回転でも同じことだろうと思っております。マクロとミクロの境界は実はなくて次元が違う話なのではないかと思っております。

noname#194289
質問者

補足

実際の独楽は必ず歳差運動で回転しているのではないでしょうか。言い換えると歳差運動でないと回転は不可能ということはないでしょうか。

  • stomachman
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回答No.14

ちなみに、これが「逆立ち独楽」。大昔からある玩具です。 http://www.youtube.com/watch?v=vZLDt8Gv_vo 底から側面までが球状です。普通に置いた時に重心が低いのは当たり前。軸をつまんで回すと、やがて勝手に逆立ちして、丸い底を上にして回転を続けます。  最初から最後まで、どの瞬間も回転軸は鉛直のままであり、同じ向きに回転していることにご注目。力学で言う「角運動量保存則」です。  なお、ススをつけた板の上で回すと、独楽の表面にススが付着し、面白い軌跡が描かれます。

noname#194289
質問者

お礼

逆立ちゴマも自分で作ってみたいと思います。自分で作れるのも理解の一つの形だと思っております。かつて鉛筆そのものを軸にした大きな手まわしゴマを作り、紙の上でまわして軌跡を描かせたことがありました。

  • CC_T
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回答No.13

なんだか込み入った話になってますね(^^; No.4で回答したものですが、少々質問を読み違えていたようですね。 運動を考えるときの「基軸」と、「独楽自体の回転軸」は異なります。前者は概念上のもの、後者は現実のものです。独楽という個体が回転している以上、その独楽に内包される回転軸も回転していないといけない。そうでないと軸が「ねじ切れ」ますよね。 ところで独楽の回転を考える場合、理想的中心点とは『重心』のことでしょう。 物体に回転モーメントを与えると、重心を中心として回転しようとしますから。 だから、  独楽の軸上に重心がある:よく回る。  独楽の軸と重心がずれている:回転させると独楽の軸が振られ、安定せずに回転が早くに止まる。 ということになる。 作った独楽でよく回らないものがあるのは、重心が独楽の軸棒部分からずれているからでしょう。 独楽軸の中心線上に独楽の重心があれば、独楽を回してもぴたりと一点で止まって回ります。 独楽の軸の長さが多少変わっても、重心の「高さ」が変わるだけなので水平回転にはほとんど影響しません。 しかし独楽の胴の一部を切り取るなどすると重心が独楽の軸から水平方向にずれるため、回した時に独楽の重心を通る回転軸を中心に回転しようとする独楽の軸と床の間に水平方向の負荷が生じ、回転力のロスとなって早くに止まってしまうことになるんですね。 ちなみに重心を高くして、回すと逆さになって回る独楽がありますが、あれも独楽の軸の先端が尖っていたり半球状で(要は非対称や凹み、真っ平といった形状でない限り)、なおかつ重心をピッタリ独楽の軸上にすれば、逆立ちせずに回るんですよ。

noname#194289
質問者

お礼

重心も軸中心も同等の概念のように思います。やはり現実の接点は接面ではないかと思いました。貴図の右側にある赤い点線によって示されている環が左のように一点にならくても、ある程度小さくなれば、よく回るという風に理解してみました。

  • stomachman
  • ベストアンサー率57% (1014/1775)
回答No.12

ANo.11へのコメントについて。  独楽を実際に製作する方でしたか。ならば「回転軸自体が回っているのか?」という、半ば哲学に属する疑問とはまた別に、独楽の運動力学(これは独楽のモデルの物理学ですが)についても興味がおありに違いない。(両者は別種の疑問として区別なさった方が良い、ということは、既にご理解戴けたのではないかと思います。)  独楽の運動の基本を理解するには、理論面で、剛体の運動力学、主として慣性モーメントの理論を学ぶ必要があります。独楽は半径が大きくて縁が重いほど、安定して長く回る、ということはご存知でしょう。まずは、その効果を定量的に計算できるようになると思います。傾いて回る独楽や、形が歪んだ独楽を考える段になると、行列やテンソルを使うちょっと難しい数理も出て来るのですが、それらは必要に応じて、つまり知識不足だと感じたらそれを補う程度に、その都度勉強していくのが良いように思います。  実験をする際には、いつも同じように独楽を回すということが最も難しいのは言うまでもありません。きちんとやるには、いつも同じに回せる器具を開発したり、あるいは回っている独楽に触れる事なく回転を加速する器具を作ったりする必要があります。(後者は、たとえば、独楽に金属の腹帯を巻いておいて、誘導モータを使って非接触で回転させます。誘導モータを台座に隠してあって、いつまで経っても止まらない不思議な独楽、という玩具も市販されていました。)  また、最初は、接地点の影響をなるべく少なくするために、軸の先端が硬くて細く尖った針のようである独楽を、非常によく滑る表面上で回す、という条件で観察するのが良いと思います。この条件でも、独楽は表面上を動き回ります。ガラスの表面にろうそくのススを付け、ガラスをわずかに傾けて固定して、その上で独楽を回すことによって、独楽の接地点がどう運動したかを記録する、という方法があります。また、接地点の影響を最少限にするために、独楽の軸の先に糸を付け、糸の他端はモータの軸の中心に接着して、独楽を逆さまにぶら下げた状態で回すという手段もあります。(これなら、いつも同じに回す、回し続ける、ということも同時に満たせそうです。)  以上の実験方法は、どれも実際に行ったという論文や解説記事を見たおぼえがあります。また、接地点の影響が重要な場合について、たとえば逆立ち独楽に関しても、理論・実験の両面から研究がなされており、論文もいくつか発表されていたはず。しかし、その運動をカンペキに理解できている、なんて人はまずいないんじゃないでしょうか。(そういえば、ゆで卵を独楽代わりに回しても同様の現象が観察できます。つまり、尖った方を上にして回しても、やがて逆立ちしてしまうんです。長時間回るように、かなり速く回すのがコツです。)

noname#194289
質問者

お礼

個人のささやかな趣味で数学は全く分からないのでので、ご教示の内容は猫に小判ですが、少しでも勉強したいと思います。

  • Nakay702
  • ベストアンサー率79% (10004/12513)
回答No.10

No.1です。「お礼」と「補足」の書き込みをありがとうございました。 >超粒子とは素粒子のことでしょうか。量子力学と古典力学の問題なのでしょうか。 ⇒失礼しました。ご指摘のとおりです。何しろ、クオークも反クオークも知られておらず、その正体の何たるかも分からない頃の用語を使ってしまいました。ニュートリノの存在が薄々分かりかけてきた頃で、それを「幽子」などと呼んでいたのですから。 ただ、現代でも、例えば「超弦理論」などでは、クオークは粒子というより「ひも」のようなものだと言いますし、ヒッグスなども粒子という言葉で表わすものの、いわば「特定の場」のことでもあるような…。 …なんて、ゴタクを並べましたが、要は、「私はこの呼び方が好きだ」というだけでした、どうも、すみません。 おっと、話題が離れすぎました。最初にご質問を閲覧した瞬間私は、「私自身がずっと抱いていた素朴な疑問と同じだ」と直感し、共感を禁じ得ませんでした。ですから、あまり深くは考えず、単に「回っているものの真ん中は回っているか止まっているか」という問題と捉えて考えたのでした。 しかし、考えてみればみるほど、このご質問は奥の深い問題ですね。少なくとも、物理学・数学・素粒子論・量子論・論理学・哲学などの問題として発展させ、展開させ得る可能性のあることは、他の回答者の皆様が縷々ご指摘・解説なさったとおりだと思います。その意味で、よいご質問をありがとうございました。全体を拝読させていただき、大いに楽しませていただきました。 以上、本題からそれましたが、お礼と蛇足まで。

noname#194289
質問者

お礼

温かいコメントをいただきありがとうございます。私も皆様からのいろいろな御教示を心から有難いと思っております。

  • ORUKA1951
  • ベストアンサー率45% (5062/11036)
回答No.9

No.5です。 そのお礼 >この場面が変わるというのが曲者というか、今回の質問の核心なのかもしれないと思うようにました。  何とか伝わったようですね。  核心はそこなのです。点とは大きさを持たない座標だけを示す数学的な言葉です。ですから、そもそも回転は考えることが出来ないのです。点が回転すると言う事はありえないのです。  それは言い換えると「回転していないとも言えない」のです。  ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^ >回っている独楽は確かに回っていますが、中心(点)というのは回転していてもわからないものなのか。  点については、回転も静止も論じることが出来ない、それが点の定義なのです。  一方、 >現実の独楽は軸の先端で  と言う場合の先端は、数学的な点ではなく、空間上の現実です。すなわち、lim(x→0)の事です。tanθのシータの値がどちらから収束するかで答えは変わりますが、それはtan(90°)の値とは異なる・・  あなたは、数学的な点を独楽の中心と言う物理上の点と同列に論じようとするから、深みに陥ったのじゃないかと思います。  物理での点はlim(x→0)だけど、数学上の点は点でしかない。

noname#194289
質問者

お礼

私は極限の概念は理解するにほど遠いのですが、もう少し勉強させていただきます。大変励みになるコメントでした。

  • stomachman
  • ベストアンサー率57% (1014/1775)
回答No.8

 ANo.7において、混乱を招く不注意な表現を使ってしまったので、手直しです。  「回転軸自体が移動し続け」る、という表現は比喩的であり、説明を要するものでした。  その意味は、「(点の集合である)回転軸の要素となる点は、時々刻々入れ替わって行く。ある瞬間の回転軸の要素である点は、次の瞬間には回転軸の要素ではなくなっている」ということです。それが、(丁度、レーザーポインターが指すスクリーン上の輝点の「動き」を見るのと同じように)「あたかも回転軸という実体が動いているかのようなイリュージョン」を生じるけれども、そこには実体がない。

noname#194289
質問者

お礼

本当に言葉というものは難しいものですね。私には完全に内容を把握している言葉などは一つもないのではないかと思います。いつもながら感謝の一言です。

  • stomachman
  • ベストアンサー率57% (1014/1775)
回答No.7

ANo.2へのコメントについてです。 > 回転は二次元だが点は一次元であるということと関係があるでしょうか  まず、少々用語を整理しなくてはならないようです。ご質問では「回転中心点」と仰っているけれども、独楽の回転なら、普通に言えば「回転軸」です。回転中心は点じゃなくて直線ですね。回転軸は直線であり、「直線は1次元である」。(点なら0次元です。)  さて、「回転は2次元だが直線は1次元であるということ」だけでは、回転軸自身が自転しているのかどうか、という話につながりません。時計の針を眺めれば、直線だって回転できることがお分かりになるでしょう。ただし、ある直線が丁度回転軸そのものである、という特殊な直線である場合に限って、「それは自転しているのかどうか?」ということが悩ましくなるわけです。  連想ゲームや神秘主義に陥らないよう注意して、もうちょっとだけドロクサい考察を深化させてみましょう。数学の話です。  円筒が、その軸を中心にして回転しているとしましょう。ただし円筒の側面から軸まで細い穴を穿ってあるとします。この穴の中の点Pについて、Pと回転軸との距離を|r|としましょう。すると、Pは半径|r|の円運動をしています。  Pの接線速度vを考えます。Pを回転軸に近づけて半径|r|を小さくすれば、|v|もそれに比例して小さくなる。|r|=0なら|v|=0です。一方、Pの角速度ωを考えると、Pを回転軸に近づけても|r|に関係なくωは一定である。では|r|=0になったらPの角速度はどうなるか。「|r|がうんと小さい」ということと|r|=0とは別の話です。例えば、exp(-x)をx→∞にした極限は、lim{x→∞}exp(-x)=0である。しかしexp(-x)>0なのだからexp(-x)は0にはなり得ず、lim{x→∞}exp(-x)=exp(-a)となるaはありません。ですから、「|r|に関係なくωは一定」と間違いなく言えるのは、|r|≠0についてだけです。なので、|r|=0におけるPの角速度は普通は「定義されない」としますが、|v|=|r|ωが|r|=0で成立つためのωは幾らであっても構わないのだから、「好きな角速度(0でも良い)で回っている」と言ったところで差し支えはない。(これがANo.2の主旨です。)  さて、その回転軸というモノは、「独楽(あるいは円筒)という物体に内在している、その物体の一部」というわけではない。それは「空間の中で物体の位置を変える」という変換(この変換が空間群をなすわけですが)によって(眠り独楽なら定常的ですが、一般にはある瞬間にだけ)生じている「変換しても変化しない点(不動点)の集合」という数学的対象に他なりません。(ANo.2でも触れたように、点はモノではなくて、純粋な「位置」なんですから。)  ここで、「一般にはある瞬間にだけ」とはどういうことかというと、回転軸自体が移動し続けているために「ある瞬間における回転軸」しか存在しないような回転運動だって、いくらでもあるからです。たとえば、走る列車の中で回した独楽の回転軸は絶えず平行移動し続けていますし、ANo.2の最初に説明した歳差運動では、回転軸の向きが絶えず変化し続けています。そういう場合の「回転軸」というのは、ある瞬間の物体と、時間tだけ後の瞬間における物体との間の変換をまず考えて、t→0にした極限、という変換を考える。その変換における不動点の集合が「ある瞬間における回転軸」に他なりません。これは極限なんですから、(既に論じた通り)数学的にすら、確実に「ある」と言える限度を越えてしまっています。(「確実に」というのは、「眠り独楽の場合の(定常的な)回転軸と同等に」というほどの意味です。)でも、幸いこれは数学であり、必ずしも物理的実在に縛られずにものを考えることができる。なので、話を逆にして、「ある瞬間における回転軸」という概念を極限としてまず定義した上で、「それがたまたま定常的であるという場合もある」という風に捉え直すことができます。で、これこそが数学における回転軸の扱い方である。ますます、それが物理的実在とは縁遠いことが露呈してきますね。

noname#194289
質問者

お礼

理解の方向へ進んでいるかどうか分かりませんが大変知的刺激を受けております。とにかく勉強してみようと思います。独楽が好きなのですが数学からの歩み寄り的理解に何とか結びついたらよいなと思います。いろいろありがとうございます。

  • stomachman
  • ベストアンサー率57% (1014/1775)
回答No.6

ANo.2の補足です。  ただ不用意に「中心」とは言わずに、わざわざ「理想的中心(点)」というオクバにものが挟まったような表現をお使いであること、そして物理カテゴリーではなく敢えて数学カテゴリーにご質問を投じられたということから、この問いは熟考の末に出されたものであろうと推察しました。確かに、簡単な問いではありません。ことに、問いの立て方(言い方)をほんの少し変えただけで、答が大きく変わるということが起こるだろうと思います。  ご質問に答えるには、少なくとも量子力学と空間群、および科学哲学の初歩的知識が必要だろうと思いますし、ゼノンのパラドックス(その意味を、ただの古代人の妄言だぐらいに誤解しちゃってる人の方が多いのですが)をこのご質問と関連づけて本気で論じるには、ベクトル解析や剛体の力学だけではまるで不足であり、数学・物理学・哲学にまたがる相当公汎な用意が要るだろうと考えます。こちら (→ http://okwave.jp/qa/q41824.html )もいろんな意味でご参考になるかもしれません。

noname#194289
質問者

お礼

答えを理解できない様な質問はするべきではないのかもしれませんが、中心とか回転というものがわかっていないのだから本当に困ります。よほど難しい問題なのだろうと、ぼんやりながら感じております。ご親切をありがたく思っております。

  • ORUKA1951
  • ベストアンサー率45% (5062/11036)
回答No.5

回転は決して相対的ではありません。  ふたつの円盤があり、一方が回転している場合、回転しているほうに立てばコリオリの力や遠心力が加わることで、式で説明するまでもなく明確に差があります。  さて、紙の上ではなく宇宙空間で回転している物体があるとき、その中心は回転しているか否かという命題(N0.1さん)について、考えるとこれは極限の問題に帰結します。面倒くさい話は向きにして結論だけ言うと回転しています。  走っている車を時間でどのくらい走ったかというと、時間を短くしていけばその移動距離もゼロになります。無限に時間を小さくしたら移動距離もゼロになるから止まっている。なんて馬鹿な話はありません。「飛んでいる矢は止まっている」というゼノンのパラドックスそのものです。 「二分法」「アキレスと亀」「飛んでいる矢は止まっている」「競技場」  ⇒ゼノンのパラドックス - Wikipedia( http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BC%E3%83%8E%E3%83%B3%E3%81%AE%E3%83%91%E3%83%A9%E3%83%89%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9 )  ちなみに、この世で一番小さい素粒子は電子で大きさはゼロ--これより小さい物体がないため測れないという意味でゼロ---なのですが、電子のスピンによって磁力が現れますね。

noname#194289
質問者

お礼

私の粗雑な疑問と電子のスピンとは感覚的にも直接的なむすびつきはないように思います。独楽が回転していることを見ているときに考えている軸の中心(このへんからはっきりしなくなってきます)そして場面が突然変わって電子の世界という感じです。この場面が変わるというのが曲者というか、今回の質問の核心なのかもしれないと思うようにました。ご教示感謝申し上げます。

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