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回転中の独楽の理想的中心(点)は回転していますか
以前にも同じような質問をさせていただいたかもしれませんが、やはり釈然としない気持ちになっています。回っている独楽は確かに回っていますが、中心(点)というのは回転していてもわからないものなのか。現実の独楽は軸の先端で位置を変えている部分は中心ではないように思えるのですが、どのように考えたらよいのかご教示いただければ幸いです。
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独楽の運動を力学で扱うには、いろんなメンドクサイことを切り捨てて行く必要があります。ここで言うのは、ただの捨象(その独楽に伴う様々な属性、たとえば色、材質、持ち主、製作者、価格を無視するなど)のことではなくて、物理現象のうち主要ではないものを無視してしまうこと、つまり近似です。 物理的実在としての独楽は素粒子の集まりだと言うなら、素粒子同士の相互作用を全て考えなくてはならない。これを「第一原理計算」と言います(が、これだって非常に効果の薄い相互作用は無視している近似なんです)。第一原理計算は水素などの軽い原子1個について、スパコンを使ってようやく可能になったかどうか、というレベルですから、この考え方では「ただ独楽が置いてある。それが崩れ去ったりしない」ということすら説明できません。 独楽がもあもあしている存在だ、いうことは、しかしながら極めて微小なもあもあであって、実測するのも無理なほどです。なので、これは連続関数で近似してしまう。すなわち、3次元空間中のある点の集合Sを考え、Sの各点s=(x,y,z)について、密度を表す連続関数ρ(s)が対応しているとします。こうして、独楽を「密度の空間分布」で近似したわけです。 さて、独楽を回すということは、独楽の各点が勝手な軌道で運動するんじゃなく、塊として一斉に動き、変形しない。このような物体のことを「剛体」と言います。剛体に固定した座標系というものを考えれば、剛体が運動することを座標変換として表せる。それによって、運動を平行移動と回転に分解できるようになり、「ある瞬間における回転軸」というものがはっきり決まる。 ところが、特殊相対性理論の初歩的知識を使うと、剛体という概念は物理的実在とは相容れないことが分かります。なぜなら、加速運動する物理的実在であれば、部分ごとにローレンツ短縮が異なるために、内部応力が発生して、それによって変形しなくてはならない。もし応力が猛烈に大きければ、破壊してしまうでしょう。変形や破壊が生じたらそれは剛体ではない。 ただし、この変形が目に見えるほどになる以前に、現実に存在する材料で作った独楽は回転の遠心力のために引き裂かれてしまう。ですから、回転はうんと遅い、という前提を置いて、相対論的効果を無視し、ニュートン力学で運動を考える。それなら剛体だと考えることができる。というわけで、ここでも近似が必要です。 なお、ものすごく重い独楽が速く回転していると、周囲の時空に奇妙な歪みが生じ、独楽に近づいた物体はまるで引きずられるかのように回転します。これは一般相対性理論によって予言された効果ですが、ブラックホールと思われる天体の周囲から来る放射の解析結果は、予言と矛盾しないようです。天文学では、時空の歪みを考慮した独楽の方程式にも意味があるということです。が、大抵はこれも無視して近似します。 独楽に掛かる主要な力は、重力、独楽を支える接地点からの抗力、接地点における摩擦です。たとえば、傾いて回る独楽を考えれば、いつも同じ点で接地しているわけではない。接地点での摩擦、それによって接地点の場所が変化する、それによって摩擦が変化する、という風に相互に関連しているわけで、これらを含む運動はものすごく複雑です。この効果があからさまに現れるオモチャもあります。たとえば、「逆立ち独楽」を回すと、すぐに回転が不安定になったかと思うと、くるりとひっくりかえって逆立ちし、安定した回転をする。また、「セルト石」は細長い舟形の石の底面が、石全体の軸とは異なる軸をもつ凸曲面になっている玩具。これを机上に置いて指でつついて回すのですが、左にまわすとくるくる回る。ところが、右に回すと、すぐに回転が振動に変化し、そして左に回転しはじめます。結局、左にしか回らない。これらの運動は(個別の事例については説明できているにしても、)一般理論としては多分まだ解析的に完全には解けていない難問だと思います。 なので、「無重量状態で、何にも接触せずに回っている」という最も簡単な場合をまず考える。ところが、それですらまだよく分かっていないのかも知れません。というのは、国際宇宙ステーションの乗員がペンチを空中で回す実験をしたところ、とても奇妙な運動が生じることを発見した。これはまだ理論的にキチンと説明できていないのでは?( http://repository.aitech.ac.jp/dspace/bitstream/11133/979/1/紀要30号B(P27-35).pdf )。 独楽に掛かるその他の力としては、独楽の周囲にある気体との摩擦、独楽自身が発生する音波、独楽に飛んで来る光の反射と吸収、独楽自身の中の熱の移動とそれによる熱膨張、その他、うんとこさある訳ですが、これらを全部相手にするのは到底無理なので、みんな切り捨ててしまう。これも近似です。 以上の準備をして、ようやく、微分方程式で記述される剛体の力学(平行移動や回転)の俎板に載ります。「準備」と言うと聞こえがいいけれども、難しいことを無視する近似どっさり重ねて、ようやく力学で扱うことができるモデル(模型)が得られた。 ということは、「重心の軌跡」だの、「回転軸」だのはすべてこのモデルに関する概念でしかない。物理的実在としての独楽の運動そのものとは随分かけ離れています。言い換えれば、「独楽の中心は回っているか?」という問いは、その「独楽」が力学的モデルを指しているのであれば、「回ってる。いや、回ってない」という議論が可能です。しかし「独楽」が実在の独楽を指しているのだとすると、「独楽の中心」という概念も、いやもしかすると「回っている」を含めた「運動」という概念すらも、確かな定義が(ないのはもちろん)作れるかどうか、はなはだ怪しい。文字通り「それじゃ話にならない」。 逆に言えば、実在の独楽にこだわり続けていると「面白いな、不思議だな」から一歩も先に進めないということです。 そこで、物理学では、近似であることを承知でモデルを考えて解析する。それがすっかり出来たら、次にはそのモデルに、無視してしまった効果のうち、影響が大きいと思われるもの(接地点の力学や、空気の抵抗など)を順々に組み込んでみて、何が変わるかを調べる。そうやって、実在の独楽に少しずつ戻って行く、というやりかたで研究する。 > どのように考えたらよいのか というお尋ねに対する、幾らかのヒントになると良いのですが。
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- CC_T
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「回転」という運動は、回転中心や回転軸に対してどれだけ動いたかで定義されます。 回っている時も止まっている時も、「回転中心」は変化しません。原点が動いては回転という運動自体が定義できないのです。 コンパスを使うとき、コンパスの針は回転して見えますが、その先端が載っている紙面は回転していないですよね。 「回転中心」はもちろん紙の上にありますから、全く動かない。 しかし、逆にコンパスを固定して紙を動かす場合は紙は動きますし、両方動かすことだってできる。 そこが紛らわしいところです。 ともかく、「観測者が紙と同じ動きをしている限りは、観測結果としては紙は静止したままコンパスが回って円を描く」と観測されます。電車に乗っていて、「動いているのは電車ではなく地面の方」だと見えるのと同じようなものです。 そのように、動きというのは全て「相対的」に表されるものである関係上、その基準としている「原点」が動いては運動の定義が成り立たちません。 すべての観測系において「不動」の原点を定めて、その原点との相対的な運動で表す。「相対論」の基礎ですね。
お礼
私の疑問が相対論と関係があるとは思えませんが、やはり難しい問題なのかもしれないと思い始めました。ご教示ありがとうございます。
どのような意味で、中心と言っているのですか。そのことに注意して、物理の板に質問されると、ニュートン力学のレベルで解決すると思います。
お礼
おっしゃる通りなのだと思います。私には中心とは何かがはっきりつかめていません。数学でいう点と独楽の軸の先端を重ねることができていないという感じです。ご教示感謝いたします。
- stomachman
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> 現実の独楽は軸の先端で位置を変えている部分は中心ではないように思える 歳差運動と言います。それは、独楽の重心が、独楽の接地点の真上にない場合に生じます。なので、真上にあれば歳差運動は出ませんで、自転している以外は全く動きがない。その状態は「眠り独楽」と呼ばれます。ご質問の「理想的中心」とはこのことを指しているのでしょう。なので、以下、歳差運動はないものとします。 数学で言う「点」は、大きさもなければ向きもない。「点を、その点自身を中心にして回した(自転させた)もの」は同じその点であって、何も変わらない。だから、「点が自転している」と言ってもいいし、「点は自転してない」と言っても良い。どっちだと思っても、どこにも何の違いも出ません。つまり「点は自転とは無関係だ」ということです。逆に言えば、「点は自転しているか、自転していないかの、どっちかだ」という考えこそが間違いなんです。(たとえれば「お月様はオスかメスかどっちなんだ?」と尋ねるようなもの。) 一方、数学じゃなく現実のこの世界においてはどうか。これは難しい話だな。 ANo.1では「点と言ってもいいくらい小さい、現実の粒子」(「超粒子」なんて初めて聞きますが)の話をなさっています。おそらく素粒子のことを仰っているのでしょう。しかし、素粒子には決まった大きさというものがありません。決まった場所にあるということもできません。「なんかこの辺りにもあもあっとあるっぽい」という存在の仕方しか出来ない。ですから、「独楽の回転中心には素粒子が丁度あるか、ないか」という質問は、まるで「月はオスかメスか?」になってしまいます。また、素粒子は自転に似た「スピン」という性質を持っていますが、これは好きなスピードで回るということができない。飛び飛びの値にしかならないんです。というわけで、ま、素粒子はご質問とは関係ないでしょう。 むしろ、独楽の回転中心点というものが本当にあるのか?が、まず問題です。素粒子は「このあたりにもあもあ」と存在するのですが、実は独楽だって(回っていようが止まっていようが)、場所が決まっているわけじゃありません。まず熱運動というものがあって、独楽を作っている原子がテンデに動き回っています。その動きを封じるために絶対零度に冷やしたとしても、なお、独楽は結局のところ素粒子の集まりなんですからもあもあしていて、その位置ははっきり決まらないんです。(それはもう、極めて小さなもあもあなのですが。「不確定性原理」と呼ばれます。)なので、「独楽の重心」だとか「回っている独楽の回転中心」ということを厳密な意味で考えるのは無理です。 そういう場合、物理学では、座標というものを持ち込みます。現実に存在しているわけではないx軸、y軸、z軸という座標軸を基準にして位置を測る仕組みであり、ある位置(たとえばx=1, y=2, z=0)を「点」と呼びます。こうして、現実の世界にある訳でもない「点」を考えて、あとは数学でものを考えて行くわけです。重要なのは、その点は(現実にある訳でもない)座標軸を基準にして定まっている、ということです。独楽を基準にすることはできない。(なぜなら、上記の通り、独楽はもあもあしているから。) ですから、ここに出てきた「点」は、どうしても数学の意味での「点」でしかあり得ず、なので冒頭に書いたように、それは自転とは関係がないシロモノである、というのが結論です。
お礼
超粒子というのは素粒子のことでしょうか。いわゆる古典力学と量子力学の境界(?)のことかとも思いました。自分で言い出してこのように申すのも恐縮ですが、中心というものも超粒子の世界では数学でいう点ではなくなっているのかもしれないなどと想像してしまいます。どうもすみません。前後しますが、回転という言葉自身を私は理解できていないこともありありと実感いたしました。幼き日のご体験を交えたご回答に感謝いたします。
補足
私の不注意でお礼の書き込みの欄を他の方のものと取り違えてしまいました。まったく申し訳ございません。間も置かず補足させていただくのも恐縮ですが、回転は二次元だが点は一次元であるということと関係があるでしょうか、というのがstomackman様に対する質問でございます。
- Nakay702
- ベストアンサー率79% (10005/12514)
>回転中の独楽の理想的中心(点)は回転していますか >以前にも同じような質問をさせていただいたかもしれませんが、やはり釈然としない気持ちになっています。回っている独楽は確かに回っていますが、中心(点)というのは回転していてもわからないものなのか。現実の独楽は軸の先端で位置を変えている部分は中心ではないように思えるのですが、どのように考えたらよいのかご教示いただければ幸いです。 ⇒小学6年の頃の経験にちなんでお答えします。 担任の先生がまったく同じ質問をしたのです。「回っている独楽やレコード盤(の台)の中心は回っているか止まっているか」という質問でした。クラスの誰も答えません。ややあってから、先生はたまたま目があった私を指名しました。私が答えあぐねていると、「感じでもよいから、どっちだと思うか答えるように」というのです。 それで、私は、「中心も回っていると思います」と答えたのです。先生は、こう説明しました。「回っているものは外側ほど速く、中心に近づくとだんだん遅くなる。だから中心は止まっているんですよ」と。 大好きな先生で、心底傾倒していましたが、そのことについてだけは、(何も言いませんでしたが)ずっと反発を感じていました。後年、原子や原子核、クオークやニュートリノなどの超粒子等の大きさを知ったとき、そのことを思い出し、ますます確信を強めたものです。 それまで、この世で最も小さいものは原子だと思っていましたが、超粒子はそれよりはるかに小さいんですね。その違いたるや、半端じゃありません。「もし原子を地球の大きさに拡大すると、その中に含まれる超粒子の大きさはどのくらいか。」 な、何とその場合の超粒子は、ピンポン玉より小さくなってしまうのだそうです! ようやく本題に入れます。回転体の中心を拡大してみましょう。分子が回っています。もっと拡大してみましょう。原子が回っています。もっともっと拡大してみましょう。超粒子がぽつんぽつんとあって、それが回っています。超粒子と超粒子の間はすけすけです。 おそらく、極限まで拡大した場合の回転体の中心は空洞でしょう。したがって、それが回っているかいないかは、判断できないかも知れません。しかし、それでもなおかつ私は、「回っている」と言いたいです。「それでも地球は動く」とつぶやいた(とされる)ガリレイと同じような心境です! 『空洞」のどこかに印でもつけることができれば、回っていることが確認できるに違いありません!!
お礼
超粒子とは素粒子のことでしょうか。量子力学と古典力学の問題なのでしょうか。詳しくお話しくださいましてありがとうございます。
補足
貴方に対するお礼をほかの方の欄へ書き込むという二重の非礼を犯しました。この欄を借りて深くお詫びいたします。
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お礼
自分が質問者であることを忘れて最後まで読ませていただきました。貴文をを読ませていただいて、私の質問本文の中に書かせていただいた釈然としないというのが私の理解力不足もさることながら、独楽の回転という現象が非常に難しい問題なのだろうと、ボンヤリではありますが、感じました。紙を巻いた独楽を作っていると、ときどきうまく回らないものが出来てきます。うまく回らない理由が軸のわずかな傾きであることもありますが、それだけでないようにも思います。私の理解力からは当然のことながら、当初の釈然としないという、落ち着かない気持ちはあまり払拭できていないのですが、皆さんの温かいご教示を糧にできるかぎり勉強させていただきたいと思います。また独楽作りは探究精神に刺激や緊張を与えてくれる大切な趣味とも改めて思いました。
補足
眠りゴマがすでに、何か怪しい表現なのでしょうね。