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西郷隆盛と言う人の評価はどうなのでしょう?

こんにちは。 西郷隆盛と言う人の評価はどうなのでしょう? この歴史カテでも様々な意見を目にします・・・。 時代小説家の言を引用されて、 極悪非道と仰る方もおられる・・・ 議論したいとは思いません、 歴史好きの皆さんが西郷さんを、どう評価されるのか? それをお聞きしたくて質問してみました。 色々な意見を、お聞きしたく思います。 どうぞよろしくお願いいたします。

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  • ベストアンサー
  • isoken
  • ベストアンサー率32% (596/1825)
回答No.2

>西郷隆盛と言う人の評価はどうなのでしょう? turukamejirouさん、こんにちは! 元来史実とは、時代の変遷と共に下される客観的評価が大きく異なる為、歴史上の人物への評価は極めて難しいものなのでしょうが、西郷さんに関しては殊更そう思わざるを得ません。 何しろ能動的であった維新以前と、時計の針が止まり思考停止の感すらある維新以降との大きな乖離、自らを厳しく律していた人物との印象はありますが、一方に於いて目下の者には誠に融通無碍、芋蔓の語源にすらなったと言われる、薩摩人の無条件な人材登用をも込みですが、担がれ易い神輿であった点は否めないでしょう。 そもそも親分に対する無条件な忠誠への反対給付として、或る種のポピュリストに成らざるを得なかった、つまり薩摩という特殊な風土がその根底にあったものと推測はしますが。 他方司馬遼太郎氏の言葉を借りれば、西郷隆盛は日本史上に類似の人物が見当たらない、つまり大陸的な人物とでも申しましょうか、聖人君子の類であっても決して政治家ではない。 その点が、明確な国家観を持ち、テクノクラートの総帥として、リアリズムの極致にあった大久保利通との、最大の相違点かも知れません。 例えば尊皇攘夷~倒幕の機運に至らしめる、思想的影響力を持った吉田松陰他を革命第一世代とするならば、隆盛は倒幕までをその使命とする第二世代、つまり明治維新成立を以ってその使命が完了した人物に他ならず、征韓論での主張をその一例としましても、とても近代国家の外交を担う政治家とは思えず、新生日本に不可欠な人物では決してなかったでしょう。 そればかりか、彼の人物論はともかく、新生国家のグランド・デザインを描くという、本人の当事者能力を大きく越えていたにも関わらず、彼が持つ余りに大きな影響力が、維新政府に有害ですらあった現実を思えば、理論的には説明不可能な歴史の必然に依り抹殺された人物、私自身としては、西郷隆盛をそう認識しております。 一方に於いて、西南戦争以降も継続する薩摩閥の影響力、加えて忠臣蔵同様判官贔屓という我が国民性を勘案したとしても、明治政府の存立すら揺るがした内乱の首謀者であるにも関わらず、或る種の象徴として、未だ愛され続ける不思議な人物というのも、また正直な感想ではありますが・・。

noname#196757
質問者

お礼

こんにちはisokenさん。 直接お話しするのは随分とお久しぶりです。 たまに回答は拝見しておりますがお元気でしたでしょうか? まず、本題からお話ししたいと思います。 回答を拝読させていただいて、 相変わらず、歴史をしっかり捉えておられる、感心します。 司馬さんの言葉を引用されて、 >聖人君子の類ではあっても政治家ではない・・・ 仰るとうりでしょう! 私はそれ故にそ西郷さんの悲劇があった・・・ そう考えています。 海音寺さんなども司馬さんと同じことを言いますものね。 随分と親交の深かったお二人ですから、 歴史と言うものの眺め方も似るのかも知れません。 私が何故このような質問をしたかと言いますと、 少し前ですが西郷さんの質問を見かけました・・・。 私は最近は質問も回答も億劫でただ眺めておりましたが、 中でBAに選ばれた方がこのように仰る! 早乙女貢さんの愛読者なのでしょうね。 引用されて極悪非道、血も涙もない人間と断じられる・・・ ご存知のように早乙女さんと言う方は、 歴史を少し偏った見方をされる作家さんです、 それをもって西郷さんを極悪非道とは、 西郷さんが少し気の毒になり、このような質問になりました 私は別にそれを非難するつもりもありません。 そう言う見方もあるでしょう・・・ ただ歴史は多面的なものです、 一面だけを見て判断出来るものでもありません。 まして、歴史の向こうに消えた彼らは反論が出来ません! 現代の我々は評価にも慎重であるべきでしょう。 西郷さんの現存する書簡が随分残されております。 島に残した妻などへの愛情あふれる手紙などは、 涙をさそうものがあります・・・。 私は人間味あふれる優しい人のように思います。 少し余計な話しを・・・ 昨日のjun-tsuboiさんへんの回答を拝見していて、 以前からisokenさん随分垢抜けていることと思ってましたが なるほど青学・・・ 私など百姓の集まりとか言われてましたからね(笑) 田舎者の私などには眩しく眺める学校でした。 そろそろ締め切ろうと思います。 isokenさん以上の回答もないように思いますので、 ありがとうございました。 今度はまた任侠映画の話しでもしたいものです。

noname#196757
質問者

補足

こんにちは。 そろそろ締め切らせていただきます。 お二人、幸い私のお知り合いです。 BAはisokenさんに・・・ jun-tsuboiさんごめんなさいね。 本当にありがとうございました。

その他の回答 (1)

回答No.1

こんにちは(⌒∇⌒)ノ" 正直あまり知りません。 歴史の先生が縄文時代からコツコツ教えて 幕末から昭和の戦時中の事は間に合わなくて習わなかったです。 上野の西郷さんの像の除幕式の時、奥さんが「似ていない」 と言った事は知っています。

noname#196757
質問者

お礼

こんにちは(^・^)。 先生、間に合わなくて西郷さんのこと、 教えてくれませんでしたか?(大笑) 身長は五尺九寸余で、体重は西南の役の時で二十九貫余、 随分大きな人だったようです・・・ 今の寸法にしますと、約180cmに90kですものね。 奥さんが似ていないと言うのも無理ないのです。 弟の従道と従弟の大山巌、二人の顔を合わせ、 大体の輪郭を作り、生前の西郷さんを知ってる人から、 話しを聞きモンタージュしたものです・・・ それは奥さんも似てないと言うかも知れません(笑) 奥さんはこう言ったのですって! 「アラヨウ!うちの人はこんな人ではなかったのに!」 そうしたら弟の従道に思い切り足を踏みつけられて、 「余計なことを言うな!」(笑) ありがとうございました・・・また。