商品は必要と求めるヒトが多いとたくさん作られ流通量も使用量も増えます。
性格は売り買いしないので、その程度作られ普及しているのかを市場で測ることが出来ませんし、議席数から推定するのも困難です。
高校でもあるクラスの中で、どういう性格が多いか、性格の分布割合はどうかを見るのが難しいです。
ゲームやスマホに夢中の人が増加し、ウォークマンのような携帯ミュージックを聴く人が減っているのはわかるのですが、性格が変わったのかわかりません。 演歌やジャズ、ポップスも以前とは流行の様子が違います。アニメの内容も随分と変わっています。性格が変化しているのかはわかりません。
映画やドラマの展開が国・文化圏によって違って見えますが、それが性格を反映しているのかどうかもわかりません。 勧善懲悪というのは、どこでもある程度の人気はありますし、ハッピーエンドが悲劇的終末よりも多いのも、どこでも似たようなものです。それで、性格がわかるものでもないでしょう。
精神障害や流行性の感染症、生活習慣病のようなもの、がんなどの発症状況も、各国や地方で案外に違いますし、性別や年齢でも違います。 それで性格がわかるものでもないでしょう。
個人ではなくて、ある地方、ある民族に関して性格を一絡げで述べるとか考えるのは、もともと無理じゃないでしょうか。
しかし、一時の、特別のものを見て人を判断するのを止めてしまうと、何が何だかわからなくなります。 危険か、やさしいかでさえも、一時の外見からしか判断できません。有能かどうか、どのような特性を持っているのかを、一時の簡単なことからでも判断しないと、協力関係を作ったり、一緒に何かをすることも出来なくなります。学校や企業でも入学試験や入社試験で選ぶし、消費者も簡単な広告やわずかな記憶で商品を選択し、購入店の販売員の態度などで購入を決めたりします。 友人関係でも、師弟関係でも、一時の、特別のものを見て人を判断することで初めて出来ることばかりと言ってイイです。
個別の状況さえもしっかりみてないのに、どこかの映像や伝聞のかけらなどから、アメリカ人は、ドイツ人は、ラテン民族は、イスラム教徒は、ユダヤ人は、中国人は、韓国人は、日本人は、関西人は、田舎っぺは、金持ちは、下層階級は、大学出は、役人は、女は、男は、老人は、性犯罪者は、精神障害者はなどと、その人々の特性までわかったような気分で考えたり、言ったりすることに問題があると思います。