他の回答者の方は質問の「肯定側」なので私は客観的な意見として「否定する側」で疑問を解決出来ればと思います。
ゆとり教育の弊害として「詰め込み教育よりも競争力が無くなった」と感じる大人の方が多いのでは無いか?と率直に思います。ですが、レベルの底上げをする以上 ゆとり教育によってレベルの向上が以前より損なわれている事もまた事実です。ある観点から見れば「日本の教育水準が上がった」とも取れる一方で「日本はレベルが下がった」とも言う事が可能です。
さて、仰られる「ゆとり批判する人は馬鹿」と言うことは些かオーバーな表現では無いでしょうか?
ネットで使われる「ゆとり」と言うのは一種のネットスラング化しています。簡単な話、「失笑」の様に意味が変わって使われていると解釈されるのが一番です。
彼らの「ゆとり」という表現は「最近の若者」と言う表現で合致していて、正しく発するなら「ゆとり教育を受けた最近の若者の世代」となり、これが簡略化して「ゆとり」・「ゆとり世代」と言われる訳です。
若者(10代~20代前半)が何か愚行を起こした場合、「ゆとり教育を受けた人間が起こした愚行」と言う事も可能な訳です。若者と言うのは何時の時代も常にイレギュラーな事をしでかします。
そして、昔なら無かった「SNS」「ネット」を通じてより若者の心情が不特定多数の人間が明確に把握出来る様になりました。若者は流行りの物に飛びつく習性があるので、勿論素養の低い人間も危険性を感じずに使った結果 臓器をネットにアップしたり、犯罪擁護発言や犯罪を漂わす表現をする人が出て来る訳ですね。
つまり、「ゆとり」と一概に言っても彼らにとっては「ゆとり教育を受けた人間」であると同時に「この時代を彩る表現の一つ」にもなる訳です。別に若者全てを批判している訳では無いのです。
彼らが敢えて「ゆとり」と若者を名指しするのには大きく分けて2つの理由が考えられます。1つは根本的な部分である「教育」の概念です。ネットでは30代以上の人が多い中、ゆとり教育と言う表現は彼らにとっては「学力低下した無能な若者」と言うニュアンスがあり、最近の若者が馬鹿なのもこの「教育制度が原因なんじゃないの?」と揶揄している訳です。
もう一つはまさに質問者さんの様なカモを釣る為です。確かに、個のせいで集団が同じに見られるのは極めて遺憾ですよね。ですが、そうする事でその集団の中でも貴方の様に歯向かう若者を彼らはまた悦として楽しむ訳です。典型的な例がまさに質問者様の押し問答です。彼らは敢えて煽る表現を使い、苛立ちを促して どう転ぶかを楽しんでいます。そんな低レベルな彼らの策略にまんまとしてハマった質問者さんもまた滑稽、それこそ「ゆとり」…という訳ですね。
以上の点から、彼らはゆとりという表現を使って若者を煽り 絶対的な縦社会をネットで構築しようとしています。それに対して、我々ゆとり世代基、若者は彼らの挑発を迂闊に触れない事が懸命なのです。つまり、彼らは馬鹿では無く、「低レベルな遊びに勤しむ哀れな大人」である訳ですから 恥ずかしさ等持ち合わせてなく、「若者を馬鹿にする」という概念の元で動いています。
なので、質問者さんの様に同レベルにまで落ちて罵り合うよりは、何事も無く平然を装う事が吉なのでは無いでしょうか?