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人間って、どうして死ぬの?
タイトル通りです。 別に、生き長らえて仙人になる必要性は全く無いのですが、若い身空で何故こうも、若い世代で死を選ぶ人が居るのかと思います。 又、どういった心理になるものか、教えてください。
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返信ありがとうございます。 補足がありましたので追記させていただきます。 >それでは仮定として、もし人間が何かしらのきっかけで、感情を無感情としたら他者との交流も無関心・無感激になれるものですか。 うーん多分「近い感じ」になると思います。 一番多いのは辛い時や精神的に落ちている時は周囲の言葉を全て「歪曲して捉える」んだと思います。 何も感じないというよりは、自分が死ぬための理由に都合よく繋げるって言う感じかな・・・ 本人は多分無意識だと思います。 精神的に追い込まれた時に昔楽しめたものが楽しめなくなると言う事はあると思います。 人から希望的な言葉や親切な事をされても「きっと本当はそう思っていない」と感じてしまったり・・・ 死にたいぐらい後ろ向きな時に他人からの言葉で救われる人もいますが、それまでの経験や考え方、自己否定感の強さから「疑心暗鬼」になり思考が「死」以外選択肢がないってなるんだと思います。
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- ミッタン(@michiyo19750208)
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質問拝読しました タイトルの通りだと「命に限りがあるから」 死を選ぶ人は 1:リセットできると思っている 2:道徳がなってない(ゆとり) 3:将来を悲観(不景気だから) 4:あまりにも理不尽なことをされた・言われた(いじめ) 5:身の潔白を証明したい 6:痛み・苦しみ・辛さがわからない 7:自分に責任が持てない ※父の釣り友達が入水自殺しました よく、我が家の庭でコーヒーを飲みながら談笑してました それが、「なんか最近、連絡ないよなぁ~」って心配していた矢先に事件発生 ローカルニュースで流れました 父も、友人もニュースを見て年齢や身体的特徴からまさか...?と思いつつ警察へ行きました ついこの前まで元気だったオッサンでした 真相はもうわかる術もないですが、「何か」があったんでしょう 「死」というスイッチがONになってしまい、周りが見えなくなったのかな? と思います
お礼
「死のスイッチがON」になってしまうと、周りが見えなくなるのに、ビックリしました。 回答、ありがとうございます。 一人ずつ、じっくりと読ませていただきます。 お礼が、遅くなってしまい申し訳ありません。
- osakajapan2001
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死を軽んじて論じてはいけません 死は人生の選択肢なのです 死の中にのみ人生は存在します 貴方に理解出来る事だけで 他人の生き方を決めてはいけないのですよ
お礼
回答、ありがとうございます。 一人ずつ、じっくりと読ませていただきます。 お返事が、遅くなってしまい申し訳ありません。
- IDii24
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逃げたいが一番。まあそこから逃げる一番手っ取り早い方法ではありますから。飛び降りとか飛び込み、首つり、リストカットとか選ぶのは殆ど勢いでしょう。後の事を考えて計画的に死ぬ人は意外にすくない。 たとえばガス、練炭、睡眠薬、入水。 時間をかけて死ぬことにはためらいがある。と言うことはともすれば挫折するから。つまり目的は今より楽になりたいという人が多いという事ですね。逃げだと思います。 その先ある「恨み」を持ち仕返しに死んでやる。つまりパフォーマンスとして死ぬ人は相手に印象をつける死に方を「選びますよね。これはたちが悪い。最近の子供はこのタイプ。まあ当てつけです。 つまり自殺など騒ぐ必要はない。殆ど本人のわがまま。
お礼
はあ、本人のわがままパフォーマンスですか。 どちらにしろ、生きている人と亡くなっている人には、蟠りになるのでしょうね。 回答、ありがとうございます。 一人ずつ、じっくりと読ませていただきます。 お礼が、遅くなってしまい申し訳ありません。
- fuefue12
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寿命の「死」では無く、自ら死を選ぶ理由は何故か?って事でしょうか? 以下は個人的な推測ですが、死を選ぶだけのエネルギーが有り余ってて突発的に、と言うのが個人的な印象です。 自殺した人や死にたいぐらいの感情を持った人の話を聞いてると、負の感情で多い尽くされて思考がそこから出られなくなっている印象を受けます。(そして当人がそれにあまり気が付いていない) 前向きな意見ですら「自分には出来ない」「絶対無理」と言う答えに結びついてしまうのですよね。 それでも死ぬのが怖い、もっと生きたいと言う執着が強い人は死ぬのを思いとどまります。 例えるならそれは「ボーダーラインのこちら側」って言う感じでしょうか。こちら側に居ればまだ生きる執着の方が強いって事だと思います。 ところがあまりにも負の感情が強いとふっとボーダーラインの向こう側に行ってしまうのですよね。 ボーダーラインを超えてしまうと生に対する執着が薄れてしまい、普段は無理な事が出来てしまう。 そこまで行ってしまうぐらいの辛い事があったりすると、結構人間って簡単に「そっち側」に行ってしまうと思います。 加えて自殺方法で例えば「飛び降り」とか「飛び込み」系の自殺ってそういう気分の時に非常にたやすい自殺方法なんじゃないかな と 頭が朦朧としてる時にちょっと前方にジャンプすれば十中八九死ぬ事が出来る。 なんの努力も準備もいらない。だから「死ねる」んじゃないかなと。 死んでから後悔なんて多分出来ませんが、もし出来るとしたら「勢いで死んじゃった」って思ってる人も結構多いんじゃないかなと思います。 他の自殺方法を選ぶ人、例えば練炭自殺とかなんて結構準備がいりますよね。 あれは「死を選んでいる自分が正しいことをしている」と肯定的な意思で動いているのかなって気がします。 まぁあくまでも推測です。 ただ私自身人生で一度だけ「死ぬ事」を真剣に考えた事があります。 その時感覚的に感じたのは以上に上げた「ボーダーライン」ですね。 目の前の境界線を越えたら二度と戻れない気がする。そう思ったら異常に怖くなって自分は本気で死にたいわけではないと気が付いたって感じでした。以来死ぬ事を考えた事はありません。 なんとなく「万引き」をやってしまう心理に近いんじゃないかなという気がします。 あれって物理的に考えれば行うこと自体はたやすいじゃないですか。 ただそれをやらないのは恐怖心や羞恥心。理性とかだと思います。 そこを飛び越えて「なんだこんなの簡単だ」と感じる人がどんどん後戻りできない方に進んでいくのかんと私はおもいます。
補足
仰る通り、寿命ではなくて、自分で自分の寿命に幕引きする意味合いです。 ちょっと、不思議に思ったのですが、感情があるから死を選ぶものなのでしょうか。 それでは仮定として、もし人間が何かしらのきっかけで、感情を無感情としたら他者との交流も無関心・無感激になれるものですか。 重ね重ねの質問で、申し訳ありません。
お礼
補足回答、ありがとうございます。 なるほど、「死以外は、考えられない」というのに、凄く気持ちが救われて納得しました。 それと同時に、人間の成長する可能性を全て否定して殺している様にも、見えてきてしまいます。