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草の美しさから
もう何十年も前の事です ある古い農家へ仕事の関係で行った時の事です 大きな家で 広い土間でお茶を頂きました 凸凹した広い土間の中に 古びた木のテーブルがあって そこに花が小さく飾ってありました 器は白地に少し青い絵柄が入っていた皿のようなもので その中に白っぽい小さな花が 活けるというより無雑作に置いたような感じで飾ってありました お茶を入れてくれた おばあさんに聞いてみると そのへんに生えている草の花ですよ ・ ・ と言いました 器も 恥ずかしながら食器です ・ ・ と言った 確かに どんぶりを小さく平べったくしたような感じだったと思います 生け花というほどでもない ささやかな感じだったのですが 何となく印象に残った 少し傾き加減もあった古びた大きな家の土間に飾ってあった 白い花が印象に残った まあ 今思うと・・ 花も無い 器も無い 或いは 買えないという貧しさの中で 野辺の花を愛でていたのかもしれない そんな風にも思えてきます 余りにも質素で地味な世界だったかと思うと 痛々しい感じさえしてきます でも 心の豊かさというんでしようか そういうものがあったようにも思います 私はその花を格別きれいだとは思いませんでしたが 何故か印象に残った 白い花には淋しさがある ・ ・ というのは後年の感覚で その時にはそうしたものは無かったと思います 感覚的に言えば 弱いものの美しさ との出会い ・ ・ だったかもしれない 侘びの世界だったかもしれない 茶花に用いる白い侘助や木槿ではなかったけれども さり気ない質素な美しさが そこには確かにあったように思います 草というのは不思議なもので 時として きれいすぎる と思って見てしまう事があります きれい という言葉に納まりきれないものを感じさせられる事があります 自然はそのままで神品そのもの なんでしょう 野にある如く活ける ・ ・ というのは 神品をそのままに活ける という事なんでしよう おばあさんが その辺に生えている草をどう見ていたかは分かりません 分からないけれども 草の美しさを知っていた事は確かだったように思います 一期一会の花 というか 淡々として忘れられないものを おばあさんは見せてくれた・・ ありふれた自然の中に美しさを見い出せる心の豊かさみたいなものも・・ そんな気がします 草の美しさや 草に対する思い 日本的な情緒の一つのように思います それらに類する感想等がありましたらお聞かせください。
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- 雪中庵(@psytex)
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お礼
ありがとうございます。 植物の花に対する生物学的な解釈において、その内容を情報として扱いうるという事だと思います。 人間が美しさを感じるという事において、そのような生物学的な意味合いを持ちうる事は限定的ではないでしょうか。 異性を美しいと感じるのは、人が美しいと感じる事の一部だと思うからです。 美しさとは情報ではないと思います。 なぜ美しさのかという、美しさの秘密は情報かもしれませんが その情報を手に入れたとしても、美しさを感じるとは限らないと思います。 美しさの秘密を知る事は、美しさを理解することにはなっても、美しさを感じる事にはならないと思います。 大まかに言えば 知識情報や感覚情報と共に働く、感性の内の直感の働きが、いかに対象を捉えるかではないでしょうか。 知識情報の増大が美しさをもたらすとは限らない また、感覚情報に深い直感が伴わなければ、美しさを感じる事もない と思います。 そういった見方からすれば・・ 人間は感性的な進化を遂げているとは言えないのかもしれませんね 知識をはじめとする様々な情報は、過去の人間と比べれば多くを得ていると思いますが 美しいと感じる感性が深まる事にはなっていない というより、余り変わっていないのではないかとさえ思います。 人が美しさを感じる事は、今も昔もそれほど変わってはいないと思います。 ちょっとした空想ですが・・ 縄文人や弥生人も、草の花を見ていたと思います 時には、縄文土器や弥生土器にそのきれいな花を活けて飾っていたかもしれない 或いは、親子連れで、きれいな花を楽しく見ていた事もあったかもしれない そんな事も思ったりします。 太古では、現在よりもはるかに自然に恵まれていたでしょうから、そうした事があったとしても不自然ではないと思います。 また、亡くなった人に、好きだった花を手向けるという事もあったかもしれない ツタンカーメンの棺の矢車草の花束ではないが、そうした事もあったかもしれないと思います。 >質素倹約に美を見出せるのは、(本質を看る)賢者の資質です。 仰る事は分かりますが・・ そう固く構えなくともいいのではないでしょうか 凡人で 誰でもが美しいと見ることができる それは 草という何気ないものを ほんの少し 注意深く見るだけで きれいに見える ただ それだけの事のように思います それでいいような気がします 草がそう言っている・・ といえば のめり込みすぎでしょうか・・・。