> 里山はどのように保全したらよいの
一口で言うと、「利用すればいい」ということになります。
自然保護を勘違いしている人が多いので、もう無理だと思いますが。
> なぜ里山は・・・ 姿を消していったのか
ほんの最近まで、里山は例えば暖房や煮炊きに必要な柴刈りの場所でした。「おじいさんは山へ柴刈りにいきました」という、童話に出てくるアレです。
NHKの「里山の暮らし」などという番組で見ると、落ち葉を集めて発酵させて肥料などに使っていた里山もありましたね。
小さな木々は伐採して家畜の柵になったり、ちょっとした鶏小屋などを作るのにも使われたことでしょう。
木の実の採集もしたり、罠をかけて小さな獣をとったりもしたことでしょう。
また、角度によっては防風林の役割を果たしたりすることもあったでしょう(屋敷林みたいに)。
そうやって人の手がはいることで、適度に間引かれて明るい日差しの入る、たくさんの種類の樹木の林には、たくさんの
や動物、昆虫などが生きてきてきました。
人工のようで人工でない、自然のようで自然でない、そういう環境が里山です。
ところが昨今は、若い人は都会に出てしまい、里山を里山たらしめる利用をしてきた人たちが高齢化してしまいました。
暖房・煮炊きと言えば電気やガスが利用されるようになりました。肥料と言えば、工業製品。自然保護自然保護とか叫ばれて、小動物の捕獲などもゆるされなくなりました。
一口で言えば、「利用する必要がなくなった」のです。
人の手が入らなくなると、里山は荒れました。柴刈りしないから柴は繁茂のしほうだい。
あちこちでカモシカを見ることができるようになり、ふつうの鹿は激増して樹木の皮を剥いで食べるので、樹木は枯れました。朽ち木、倒木がシロアリの巣になったりして、里山は消えていき、ただの山になりました。
ただの山になると、人手を必要とした樹木、果樹などは力を失い、食べ物に困った熊やニホンザルは町中まで出現するようになりました。
ただの山になりはてた、元・里山を元の里山にしようとすると、熊や猿を追い出すことになりますから、自然保護を勘違いした人から猛烈な抗議が寄せられることでしょう。
いまも里山として残る部分を保存する(利用する)のが精一杯なところでしょうね。
お礼
とても分かりやすく 説明してくださって ありがとうございます。